エピソード30到達記念「ヤンデレあなたこなた」
ご無沙汰しております、
近況としては、先日、
そんな字面による謎の親近感はさておき、今回はヤンデレ短編ではなく、ヤンデレに関する私的な考察・評論の一部を、ひとつ文字化してみようというものです。
以前に、『<ヤンデレ>という文化資本』と題して、カクヨムにヤンデレ評論を掲載し、先日、YouTubeにて機械音声付きの要約スライドも投稿しました。
今回は、「ヤンデレあなたこなた」ということで、気軽に普段、私自身が何気なく考えている「ヤンデレ」に関して、書ければいいなと思います。
拙作を本日までお読みいただきありがとうございます。また、他の作品も含めて応援してくださっている読者様にも、改めてお礼申し上げます。
※最終回ではないです。
さて、早速ですが、申し上げます。
私の中で、ヤンデレに抱いている文学的仮説のようなもの、それは【ヤンデレ=怪談】説です!
…………もしかすると、私が知らないだけで、既に語り尽くされているかもしれませんが、処女作や拙作をはじめ、自分なりにヤンデレ物語を執筆してきた経験が、どうも怪談の持つ特異性と結びついてならないのです。
というのも、怪談とヤンデレには類似点らしきものがあるように思え、それはすなわち「困惑を伴う、主人公自身の世界の変容(再解釈)」というラストだと言えます。
「一番恐ろしいのは人間」といったようなラストが「意味が分かると怖い話」をはじめとする怪談には一定数存在しますが、それを恋愛を主題とし、狂気や執念にスポットライトを当てたものを、ヤンデレを呼べるのではないでしょうか。
そしてそれは、源氏物語より既に語られていることなのです。
光源氏を熱烈に愛したものの、正妻をはじめ、多くの恋人?がいることに大いに嫉妬し、自身より身分の低い女性である『夕顔』や正妻『葵の上』を生霊となって呪い殺すという劇的な愛のありかたを示した『
わが国における恋愛怪談の原型とも言うべきストーリーであり、ややもすればヤンデレの元祖とも言えるのではないでしょうか。
とすると、私たちは、恋愛に対し、嫉妬や束縛、そして依存といった記号を、古くから求めてきた、といささか安易さは残るにせよ、推測できると思います。
さもなくば、
しかしそれが、公家文化として内包することへの限界が訪れ、庶民文化と迎合するに当たり、より好ましくないものとして、すなわち、この世の常ならぬこととして語り継がれるのが、歌舞伎や伝承もしくは文章によって怪談と体系化され、今再び、ヤンデレという一コンテンツによって、再評価しているのではなかろうか。
となると、私のようなヤンデレ物語を書き連ねる存在は、怪談師そのものと非常に近しいもののように思われてならない。
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