ようこそ、恋人

好意?①



 長くて幸せな夏休みが終わり、二学期が幕を開けた。久々に味わう授業の味は最初こそ新鮮だったが、三日もすれば飽きる。美人は三日で飽きる感覚と似ている。

 補習の時はなんとも思わなかったが、俺の隣の席に座る彼女、酒井凪沙。横目でチラリと様子を伺うと、パチリと目が合ってしまった。


「(なーに?)」


 口パクでそう語りかける彼女。可愛すぎて視線を逸らす。破壊力抜群だ。最近はポニーテールにしてることが多かった彼女の黒髪は、今日はすらりと背中を覆い尽くす。


 女子の背中って、たまに下着が浮き出てすごくエッチいよな。それを防ぐためだろうか。絶対違うな。


 二学期といえば、もうすぐ体育祭の練習が始まる。が、俺は参加する予定がない。別に出ても良いとは思うが、無理をするなと先生たちに釘を刺された。残念だが、練習は怠い。これで良かったんだろう。


 それにしても、暑い。窓際の席は陽の光が直撃する。何もしなくても日焼けするんじゃねぇか。汗が吹き出しそうになるのを、下敷きでパタパタ仰ぐ。ぬるい風が気持ち良い。無いよりマシだ。


「ねね、


 呼ばれ慣れない言い方ではあったが、聞き覚えがあった。

 ペンで俺の背中をツンツンしながら、話しかけてくる彼女、山岸しずく。一年の頃から同じクラスで、酒井を除いたクラスの女子の中では一番仲が良かった。見舞いにも、唯一来てくれた女友達である。


「なに」

「今日、暇? どこか遊び行こうよ」

「あー……」


 板の音が他の先生よりも力強いおかげで、俺たちの会話は届いていない。

 酒井とは違った甘い香り。ボブヘアがよく似合う丸顔が可愛らしい。正直、その提案を飲み込もうとしたが、寸前のところで踏みとどまった。


「悪い。しばらく通院しなきゃだし」

「そっか。落ち着いたら行こ? 退院祝い」

「うん。ありがとう」


 酒井との関係。それが足枷になっているのは事実である。それが無ければ、山岸の提案を素直に受け入れていたであろう。

 恋人がいるから異性と二人きりで遊びに行くなんて出来ない。それは至って当然の思考であるが、俺の場合は少し違う。

 純粋に、酒井に気を遣ったのだ。多分、本気で彼女のことが好きならば、山岸から提案されてそれを断っても何とも思わない。でも、今の俺の心には紛れもない「行きたい」という感情が渦巻いていた。


「ねぇねぇ」

「今度はなんだよ」

「さっきからチラチラ酒井さんばっかり見てどうしたの?」

「揶揄うなよ」

「素朴な疑問だよ」


 授業中であることを忘れそうになる。声のボリュームを限りなく抑えて、山岸に釘を刺す。が、それぐらいで引くつもりもないのが彼女だ。


「授業中」

「今聞きたいなぁ」

「いい加減にしろって」

「むー」


 前を向いたまま喋っているせいで、ぶつぶつ独り言を言っているように見える。俺がこいつの隣なら、間違いなく引いていたな。ある意味、酒井が隣で助かった。


 割と真面目なトーンで言ったせいか、しつこかった山岸は何も言わなくなった。タイミング良く振り返る先生。そして板書した箇所の説明を始めた。

 多分、俺が言ったからじゃないな。山岸しずくって奴は、すごく周りが見えている。そうだ。そんな奴だった。先生に怒られる前に手を打ったわけだ。


 パチッと音が鳴った。

 後ろから何かが飛んできた。消しカスだったらやり返そうと思ったが、折り畳まれた小さな紙が、机の上に落ちる。

 懲りない奴だ。本当に。差出人は開けずとも分かっている。開けないという選択肢もあったが、それはそれで気になる。


『酒井さんが好きなの?』


 丸文字で紡がれたその言葉。

 開けたことを後悔する内容であった。

 好きかどうかと聞かれたら、正直「別に」である。恋愛的な意味では。友人として接するのなら、それは好きの部類に入るだろうが。


 でもここで「好きじゃない」と否定する勇気がない。酒井の言葉に乗っかってしまったが故の感情。悪いのは自分自身だが、こんなことになるとは思いもしなかった。


 というわけで、無視することにした。

 どう答えても、この空間に耐え切れるだけのボリュームを超えてくるはずだ。主に山岸が。


「つんつん」

「……」

「つんつんつん」

「……」

「つんつんつんつん」


 こいつも中々にあざとい。

 ペン先で俺の背中を「ツンツン」してくる行為を、わざわざ口で説明してくれている。そんなことしなくても分かっている。むしろ痛いぐらいだ。


 だけど、授業中。二人の世界に入り浸っている感覚がして、これはこれでテンション上がるな。きっと酒井が居なければ山岸とずっと話していたかもしれない。イチャイチャと。


「おい山岸。何してんだ」

「あ、ごめんなさい。ずっと真村くんに意地悪されてて……」


 思わず振り返る。ニヤリと笑う山岸と、呆れ顔の先生。疲れた顔がさらに疲れたように見える。いや俺、何もしてないっすよ。


「おい真村。やめてやれ」

「何もしてませんって」

「退院して舞い上がりすぎんなよ?」

「なんで俺……」


 俺の周りには小悪魔しか居ないのか。もっと大和撫子のような、綺麗でお淑やかな女の子は居ないのか。


「何、その顔」

「いや別に」


 恋人の顔を見ながら、ため息を吐いた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る