第32話 絶望を知った魔王








『(あの女の言っている事が人間における一般論であるならば、ミュナは我に愛想を尽かして去って行ったと言うことか?我が他の虫を弄んでおった事に嫉妬をしていたのか?ミュナお前は………。あの女だけでは一般論とは呼べぬ……バレンスに日記を見せてみるか…)』





 レンは泣いていた女の話を聞きミュナはヨハンの言っていた様に、自分を裏切っていなかった可能性を感じ始める。やっと、ミュナの裏切りだけしか頭になかった凝り固まった自分の考えに疑問を持ち始めたのだった。歴代魔王の中では最早お年寄り扱いされてしまう年齢であったレンは、柔軟な思考は持ち合わせていなかった為に気付くまでに時間が掛かってしまった。









 レンはバレンスのいる執務室に数年ぶりに訪れていた。

バレンスは結局前国王に懇願され退官出来ずにいる。総長の役職は下の者のために辞したものの、部屋はそのままで魔術団管理官という新たに作られた役職に就かされている。実際には総長よりも権限のある役職になってしまっているが、レンの配下になってから誰もバレンスを越えられない為に暗黙の了解で文句など言う者は1人も出なかった。


そしてここは、ミュナが居なくなって全く寄り付かなくしまった場所の一つである。

レンにとってはそんなに時間が経過した覚えはなかったが、懐かしく何故か心臓の底の方が焼けるように苦しくなる。



 レンは部屋に勝手に入ると、いるはずの無い姿を無意識に捜し視線を隅々まで巡らせる。

無意識の為その行動すらレンは自覚していない。




「これはレン様!!久しいですな、レン様はもう我らの事を忘れられたものやと思っておりました。どうかなさいましたか?」



 窓際にあるしっかりした机の上には大量に重ねられた本があり、声の主はその本に囲まれた中にいた。レンは部屋を見回すのを止め、ソファーに座り亜空間からミュナの日記を取り出してテーブルの上に置いた。本を倒さない様に周り部屋の主であり、レンの配下であるバレンスがレンの反対側のソファーに腰を下ろした。



『これはあいつが住んでいた家にあったあいつの日記だ。読んでみろ』

「ほう、ゆな嬢の日記とは興味深い。では、拝借致します…」




 最後に会った時と全く様子の変わらないバレンスが、レンの取り出した日記を読み始めた。

途中ライナスがバレンスに用事で部屋に入って来た。ライナスはあれからしっかりした顔つきの青年になり、バレンスの秘書をしている。



 ライナスはレンが去った後周りにも期待される仕事ぶりで、家族から一時見放されかけていたが今では家族の仲も良好になっている。

 ちなみにミュナが以前いた通訳官の同僚達は、窓ガラスが割れ負った怪我の跡が消えず女性はかなり格下の家へ嫁がされ男性は日々の行いが明るみになり籍を抜かれる者が多く出た。その為、今はミュナがいた当時の同僚は数人程度しか残っていない。


 ライナスが2人にお茶を出し部屋を出て行くと同時に、丁度バレンスが日記を読み終えた。

バレンスは大きく息を吐きだすと、日記をテーブルに置き目を閉じソファーに身を預ける。



「…ここを離れてもレン様の事を引きずっておられたか…。レン様の面影を無意識に捜して苦しまれたのですな。…上司であった私が気に掛け会いに行き、良く話をするべきでした。まぁ、今頃言っても致し方ない事ですが……。レン様にお聞きしたい。ゆな嬢にとってレン様は心を縛る鎖になる様な特別な存在であった様ですが、ーーレン様にとってゆな嬢はどういった存在でありましたか?」



 レンは一瞬目を見開きすぐに無表情になると、ぶつぶつ『どういった存在…』と呟き自問自答し始めた。



『あれは…、…あれは……(ーー我のモノであり…我以外が傷付けることは許されん。……あれは我の為に存在し………、我の事だけを想い我の側に居なければならない。ーーー決して我から離れてはならない…。………?…あれが離れた所で我には痛くも痒くもない…何故我は消した後も固執しておるのだ?

ーーーそうだ、解呪の為にあれの事を考えあれの事で思考が埋め尽くされておるのだ)

ーーーバレンス分かったぞ、呪いを我に放った忌まわしき虫だ』



 自分の中で解答を導き出したレンは満足した顔を上げる。



「今なんと?…レン様?………ま、まさか、レン様は恋愛の経験が無いのでは……?いや、流石にそんな…」



 レンの答えを聞き狼狽始めたバレンスは顔色を青くさせる。



『恋愛…?恋愛とはあれか。好いた異性に想い焦がれ、四六時中その者の事ばかりしか考えられぬ様になる不治の病の事であろう?魔王はそんな病になど罹らぬ。あれは下等生物にのみ発病する病ぞ?…バレンスよもや我の事を下等生物と同等と申しておるのではあるまいな・・・?』



 バレンスの言葉にイラつきレンの不機嫌で漏れだす魔力が部屋の空気を重圧する。窓の外では一斉に鳥が羽ばたき逃げ惑う鳴き声が聴こえ、その直後には次々と様々な鳥が落下していった。外から悲鳴や建物の中に避難する様に大声で指示が出されている。

部屋の中で冷や汗を流し息苦しそうに喉元を掻くバレンスは、両肘で身体を支え床に押し付けられるのを堪える。



「れ…レンさ、ま…魔族の者が……申すには、ゆな嬢は…レン様の番、で…あると…っ!」



 息も絶え絶えにバレンスがなんとか言い切ると、部屋の重圧が掻き消えた。今度はレンが狼狽え始める番であった。



『つがい…?…誠の意味の番の事か?貴様アレを我の番だと申すのか・・・?

…番があれであった等と…そんな馬鹿な…。…………。

ーーっっ、魔王の番は5代前までの魔王を遡ってもおった記録が無いのだぞ!?魔族にとって番とは魂の一部…我は長く生きてきて配下ですら出会ったことの無い存在が、あれである筈などっ…。絶対あるはずが無い…!!』


「げほっ!!…魔力が見える魔族が言うには間違いなくゆな嬢は…レン様の番であるとっ…」


『ーーー戯けた事をっっ』


 レンは口では否定するもののミュナが自身の番かも知れない事を知ると、今までのモヤモヤと胸の中に渦巻いていたものは消えミュナが自身の番である事をはっきりと理解してしまった。理解すると同時に自身を好いてくれていた番がいたにも関わらず他の雌に欲望の処理をさせ番を蔑ろにし、突き放した上で自身の手で殺した事が心臓を抉る様な苦しみとなって次々と襲ってくる。

レンは恐る恐るミュナを刺した方の手を見ると、あの時の光景が生々しく甦り手が震えた。


 


「れ、レン様っ!?ーーゆな嬢の事なのですがっ」



 息が荒くなり額には汗が吹き出しているレンに、バレンスは慌てて声を掛けるがバレンスの存在等視界に入っていない様子であった。

バレンスが今まで見た事の無い、絶望感を滲ませた表情のレンは日記を壊れものを扱う様な手つきで回収すると心許ない足取りで部屋を出て行ってしまう。

部屋に残されたバレンスは、ゆなが元の世界で生きている可能性を伝えるタイミングを逃した事に重いため息を吐いたのだった。









♢♢♢♢♢♢






 バレンスに日記を見せた後、レンはミュナが最期にいた場所に立っていた。

ミュナを殺した方の腕は布で覆い多くの魔封じの札を貼った上で魔族捕縛の鎖を巻き付けた。覆われた布は赤黒く汚れており、大怪我を負ったかの様にも見える。レンはミュナを手に掛けた忌まわしい腕を切り落とそうとしたが、自身の強大な魔力による再生能力にどうやっても抗う事は無かった結果である。




 『(ミュナが番…。唯一の存在…。


どこにいても思い出し、追い求め捜したくなる感情は番であったからであったのか・・・?そんな虫共が読む御伽噺の様な事が…)』





 魔族はより強い魔力を持った魔族を産めるか本能的に感じ取って伴侶にする為、恋愛感情は無く合理的な生き物であった。それ故に番の可能性をレンは今まで一切考えたことすらなかった。レンのいた星の魔族はただの伴侶と言う意味だけで番と使う事が多かった。魔族にとって本当の番は人間でいう一生で一度の恋が死ぬまで続く様なものであったが、少しの恋もした事なく長い年月生きてきたレンには胸を締め付ける苦しみを呪いだと勘違いさせるには十分であった。





『(逢いたい…逢いたい…逢いたい…、ミュナに逢いたい…。我が消滅すればミュナの元に行けるのであろうか・・・?ーーー何故我はお前を消した?我の唯一を我が手で失くすとは…。我は愚か者だ…これからどうすれば良いのだ…ミュナが居ないのにまだ我は生きねばならぬのか?ーーそれが罰というのか…我を殺す存在を探さねば…)』



 レンは呻き声を上げた後、手を血が滴るほど握りしめ空に向かって咆哮した。

目の前で肉食獣に咆哮された様な全身恐怖に痺れる空気が、全ての国々の上空を支配した。その瞬間空を飛んでいた鳥や魔物は地面に叩き落とされ、地上では馬や家畜が暴れ人々は何かわからぬ恐怖ですくみ上がった。





ーーーーその日レンの頬に一滴の雫が落ちた。









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る