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  • 呪文堂様

     今まさにR15基準で悩んでいるところ、貴稿に出会いました。
     呪文堂様の上品さと知性も相まって心に沁み入りました。表現を抑えるためにどうすればいいのかという低次元での悩みが馬鹿馬鹿しくなり、そもそも自分が書きたいことは何なのかを考え直してみようと思いました。

     未熟者ですが勇気を与えていただきました。本当にありがとうございました。

    作者からの返信

    宿羽屋 仁様!

    この度はむさ苦しい拙宅にお越し頂き、そのうえお言葉まで頂戴してしまい、本当に本当にありがとうございます!
    身に余る、余りすぎて零れ落ちてしまいそうなお言葉、肝に銘じて修練の糧にさせて頂きますっ!
    仰るとおり。根本となる問は、『自分が書きたいことは何なのか』、本当にそこに尽きると思う次第です。そこをとことん見つめることが出来るのか、今一度、自らに問いて進みたいと思います。

    お言葉、本当にありがとうございます!糧、頂戴しましたっ!

    呪文堂 拝

  • はじめまして。
    柊圭介さんの小説やエッセイで素敵なコメントを書かれる方だなと惹かれて参りました。こちらのタイトルのインパクトが強くて、扉を開いたところ素晴らしい分析力と文章力に感服いたしました。エロスをここまで多角的にかつ掘り下げて追究されるなんてスゴイです。
    私も「性描写あり」の作品を書いている作者として大変勉強になりました。

    純文学って表現は抑えていても、すごいもの沢山ありますよね…。挙げられていた泉鏡花や谷崎潤一郎、源氏物語等を私は思春期に読み、性に対する妄想が広がったように思います。実際のものを知らないからこそ逆に引かずに素直に受け止められたのかもしれません(笑)。性とは直接関係のない描写にもエロスを感じられるような感受性と表現力を磨きたいなと思いました。
    読ませて頂きありがとうございました。

    作者からの返信

    葵 春香様!

    ありがとうございます!
    ひ、柊さんのところからっ!
    それはもう恐縮ですっ 美しい渓谷に遊んでいたら、突然怪しげなる見世物小屋に入り込んでしまった、そんな感覚ではないでしょうかっ 誠に誠にすみませんっ

    何かを考えることは好きなのですが、それを物語に昇華させることができずにジタバタしております。美しい文章が好きであるものの、何故それが好きなんだろう?ということも掴めてはおりませんで。色々と学ばねばならぬようですっ 是非とも葵様のご教授を賜りたく!

    お言葉、誠にありがとうございました!本当に感謝です!

    呪文堂 拝

  • 毎回、楽しく読ませて頂いております。
    エロスとエロ、似て非なるものですね。
    エロス抜きにして名作は語れません(笑)

    近年、やっと封印から取り出された(掘り出された?)
    手塚治虫のドエロ漫画は公開されないのかと
    非常に気になっております。

    作者からの返信

    晴れ。様!

    沢山お読みいただきまして、誠に嬉しくありますっ!ありがとうございますっ!

    手塚治虫、本当に色々と描いておりますね(^^;
    表現というものに、どこまでもどこまでも真摯に向き合い、かつ貪欲に追求し続けていったのだなあと仰ぎ見るばかりです。

    エロは撒き餌のようなもの。エロスは至る扉の入口のようなもの。そんな気がしてなりません。まだまだ解らぬことばかりですが、巨匠たちが残してくれた足跡を頼りに少しずつでも進みたいものです。

    お言葉、誠にありがとうございました!感謝ですっ!

    呪文堂 拝


  • 編集済

    いや、これは、確かに、最終話ですよwww

    これを越えるものはちょっとww

    でも、この平中は、今昔物語では死ぬのですね。
    読んできました、原文の口語訳をww

    そして、宇治拾遺物語では死なないとか。

    で、この芥川は、それを食して死ぬ感じですね。
    そして、侍従はもう、この世のものでない様な。

    この作品、評価が非常に低い。
    理由は、ほとんど、今昔からのパクリだからというのだが、果たしてそうだろうか?

    だけど、最後のところが、食したら死んだ。しかもその目には侍従の女神のような姿が。

    これは?

    ここだけが、とにかく彼が書きたかったところなのでしょう。
    ここを評価すべきなのです。
    あえて、ここだけをオリジナルにしたとしか考えられません。

    身体を壊す程の恋だが、しかし、自分を虜にした女を貶める行為で、その女への恋心を断ち切ろうとした男。
    しかし、その上を行った女は、もう、彼には女神へと昇華してしまったのでしょう。
    自分の、恥知らずの行為までをも見抜く女、もう、ヒトではないと思ったのでしょうね。

    恋する女性には、下世話なモノをも超越する、して欲しい、そんな事が叶うなら、その時は、平中のように死ぬしかない。
    そんな芥川の思考は、他の作品でも形を変えて見受けられると思います。
    芥川の新リアリズム、新思潮派らしい、人間の生の性を表現し、それを逆説的な形で終わらせたのだという解釈もできますね。

    すいません長々と、芥川、好きなのでww(#^.^#)

    作者からの返信

    風鈴さま!

    ありがとうございますっ!
    うるうるでございますっ!

    原文にまで当たって頂きっ
    呪文堂、平伏するしかございませんっ!

    ―身体を壊す程の恋だが、しかし、自分を虜にした女を貶める行為で、その女への恋心を断ち切ろうとした男。
    しかし、その上を行った女は、もう、彼には女神へと昇華してしまったのでしょう―

    まさにまさに。

    ―、食したら死んだ。しかもその目には侍従の女神のような姿が―

    仰るとおりであるかと。
    男は、恋こがれる女の全てを暴こうとしつつ、その全てを望んでしまった。精根すべてを女への追究に捧げた。
    そして、生ききった。

    平中のあり方を愚かと断じることも当然出来るでしょう。
    しかし、平中は色恋に何処までも忠実で正直だった。ある一面、人が人を想う姿の究極的な有り様をみせているようにも思うのです。そこを芥川は見事に再構築してくれた、私はそんなふうに読みました。


    風鈴様のお言葉に触れ、見えてきたものがあるように感じました。ご教授、誠に誠にありがとうございますっ!
    本当に感謝感激でございますっ!ありがとうございましたっ!

    呪文堂 拝

  • うくーー!!

    そうです、なんかこれ、読んだことがありますww

    そのとき、私はどう思ったのか?

    忘れましたよ、忘れていましたよ、このお話をww

    でも、とてもなんていうか、奥ゆかしいですねww

    しかし、一郎、とんでもない人ですねww(#^.^#)

    作者からの返信

    風鈴様!

    ありがとうございますっ!

    いや、そうですよね。『行人』読んで「エロいなあ♥️」なんて喜んでいる不届きものは呪文堂くらいのもので(^^;

    ただもう、この展開や舞台装着、そしてこの寸止め感。本当に見事だと思うんですね。
    「ならあなた、ここにきて触れてご覧なさい」なんて言われちゃった日には!そして帯を解く音っ!浴衣に着替えると!畳み掛けますっ!妄想炸裂ですっ!

    この鼓動が鳴り響くようなエロスと臨場感が、この物語に見事な色彩を与えてくれているように思うんです。見事ですよね。

    しかし、一郎は本当にとんでもないですっ!爽快なくらいにぶち壊れておりますっ!!

    お言葉!本当にありがとうございましたっ!感謝ですっ!

    呪文堂 拝

    編集済
  • こんなに分かり易く、マジメにエロを指南して頂けるとは、助かります!!
    ハナスさんのところで紹介されてましたので、やってきました!

    これは、性的表現をどこまで許容して頂けるのかを悩む作者達のバイブル的教科書的作品ではないかと、感じ入りました!

    なるほど、15歳以下にはわからない位の文学的用語とメタファーの羅列で!
    それを読みたく思いました!ww(#^.^#)

    私のは書けません。
    でも、このエロを書かないと、作品が成立しないっていうのはよくわかります!
    それは、表現の自由の根本ですね。

    単なる性欲を満たす、あるいはそれを刺激するだけではなく、心を揺さぶり、その性なる聖域に踏み込める作品にこそ、その自由は認められるものだと思いました(#^.^#)

    夏目先生、芥川大先生の、以下のお話を楽しみに読まさせて頂きます!
    このような素晴らしい作品をありがとうございます!!

    作者からの返信

    風鈴さま!

    わわっ!!ありがとうございますっ!
    誠に恐縮でありますっっ

    いやその、呪文堂は阿呆でございまして。物事に区分を付けることが出来ずに、唯だ唯だあれこれ考え込んでしまう悪癖がございまして。どうか、妙なことを言い出しましたら聞き流してやって下さいまし…


    このコラムのような乱文は、何といいましょうか、呪文堂の悩みを吐き出した備忘録のようなもので。いや、むしろ忘れてしまえよ、という内容かもしれませんがっ

    エロスとは、何だろう?
    卑猥で風紀を乱すエロと、讃えるべき文藝的エロティズムの差異とは?
    そんなことをうろうろ考えながら綴ったものです。
    お役に立つものではないかと存じますが、息抜きにお楽しみ頂けたなら望外の喜びでございますっ!

    お言葉、誠に誠にありがとうございますっ!嬉しくてよじれてしまいますっ!!

    ありがとうございましたっ!

    呪文堂 拝

    編集済
  • 短編を拝読させて頂きふと思い浮かんだ作品はあのSM小説の大家である団鬼六先生の短編小説「美少年」です。先生王道のSM緊縛作品と同じ系譜でありながら。自伝的小説。若き日の恋人。女性ではなくとある美少年とのお話。その作家さんのウェルメイドを越えた先にあるのが文学や芸術と呼ばれるものであるとするなら。これがそう。読むのには少々心構えが必要ですが。そんじょそこらのBLなんぞは消し飛ぶ。逆に呪文堂さんの作品は方向性が真逆で。それゆえ、私はそこに新しい可能性を強く感じたものです。あちらの短編の感想に書ききれなかったもので( ꈍᴗꈍ)🍀

    作者からの返信

    六葉翼お師匠っ!

    こ、こちらにまでっ(´TωT`)
    もう、嬉しくてちょちょぎれてしまいそうですっっ

    団鬼六先生っ!!
    SM小説の大御所でございますねっ
    じ、実は・・白状しますと、団鬼六先生の作品をまだちゃんと読んだことがなくっ
    も、申し訳ございませんっすぐ読まねばっ!!
    …こ、心構えですねっ
    覚悟なきものは去れ、と。
    この世界、同じ縄でも嗜好の幅がかなり広いようなので正直怖くはありますがっ
    虎穴に入らずば虎児を得ず!
    『美少年』ですね!ありがとうございますっ!打ちのめされて参りたくっ!!

    私、エロス的にはやはり泉鏡花が好きなんですね。いや、泉鏡花はマザコンのシスコンぽいのですがそこではなくて、女性を崇めるように崇拝する視線が好きなんですね。もっとも、崇めるだけでなく貶めて舐め回したい、ところがそれでも品を失わない強さに平伏す、そんな嗜好なのかもしれません。団鬼六先生の世界は、もっと凄そうなので気合いを入れて挑みたくっ!

    ご教授っ!!
    本当にありがとうございますっ!
    師匠のお言葉で自分の嗜好を振り返ることができました!
    更に自らと対峙していきたく!

    ありがとうございましたっ!

    呪文堂 拝

  • 性描写とカクヨムの規制の問題は本当に頭を悩まされます。何処までが良くて何処からがダメなのか……。手探り状態で、まだ何が良くて何がダメなのか、わかっていない状況です。一応、カクヨムの「性描写あり」のタグはR15ということになっているそうですけど、どうもR15程度の表現でも強制非公開にされたという話も聞くにつけ、モヤモヤしたものを抱えています。

    作者からの返信

    ひろたけさん様!

    ありがとうございますっ!
    そうなんですよね、『R15』という程度が『どの程度』かの明確な基準は殆んどない、といったのが現状ですよね。
    非常に感覚的なものなので、個人差もありますし、時代や社会風土によっても異なりうるものです。もっとも、このようなファジーなルールというものも社会的には必要なものであり、表現者とはこの問題の最前線に立っているのだ、という意識が求められているのかもしれませんね。

    いやいや、そんなこと言いながらこの呪文堂、全く意識が低く発禁喰らってしまったわけですが(#^.^#)

    このコラムは、そんな呪文堂があれこれ悩みながら備忘録的に纏めている雑記帳みたいなものでして。正解には程遠いのかもしれませんが、むしろ積極的に『R15』に挑んでみよう!というコラムです。
    未熟な雑文ではございますが、お気づきの点などご教授頂けたなら幸いです!

    お言葉、誠に誠にありがとうございますっ!感謝ですっ!

    呪文堂 拝

  • 素晴らしい!

    こういう事が知りたかったのですよ。

    参考にさせてください。

    作者からの返信

    北島 悠様!

    お言葉!ありがとうございますっ!
    本稿は、エロを表現したいけど発禁処分は受けたくない呪文堂があれこれ悩みながら書いている備忘録的なものでございます。お役立ちできるものかどうか甚だ心許なく存じますが、もしもお楽しみ頂けたなら嬉しい限りです!

    お言葉、ありがとうございましたっ!感謝感激でございますっ!!

    呪文堂 拝

  • またもや、熱い回でしたね・・・もれなく熱いんですね^^ 手塚作品、昔いくつか読んだことがありましたが、子どもの頃だったか若い頃で記憶も曖昧です。エロス漂っていそうな「奇子」読んでみたくなりました。「親父のエロス」・・・興味深いです。なにか巻き込まれてしまいそうな・・・危険そうな気もします^^

    と思っていたら、こちらのエッセイ、休止されているのですね。いずれも非常に濃い内容でした。呪文堂さまの熱い姿勢に圧倒されっぱなしでおりました。

    またいつか、再開を心待ちにしておりますね✨

    作者からの返信

    神原 遊様っ!!

    ひゃあっっ!ありがとうございますっ!!
    身に余るレビューまで頂戴してしまい、誠に誠に恐縮にございますっ!!嬉しくてぶるぶると身体の震えが止まりませんっ!!本当に本当に、ありがとうございますっ!

    『実践編で書いた例題をしっかりと作品として書き上げてみよ』とのお言葉っ!
    た、たしかにっ!!全く考えておりませんでしたっ!!
    ありがとうございますっ!いつか挑戦してみたいですっ!
    (回答2は神原さまの『告白』の二番煎じになってしまいそうで、実に悩ましいですが(^^;)


    さて、手塚治虫。やはり『漫画の神様』と呼ばれるだけのご仁です!まだまだ勉強が足りませんが、今思う範囲でなんとか纏めてみた次第で。
    うーん、読み直すと届いていない感じですっ( T∀T)

    そんなこんなで、まだまだ『エロスとは何ぞや?』の尻尾すら掴めていない有り様ですが、更なる追究に精進したいと思いますっ!!

    現在は、非公開処分を受けました例の作品を一から書き直しておる次第。そちらが終わったら、またこのコラムに戻って来たいと思ってます!

    才乏しく筆遅く、抽斗一つだけの呪文堂。牛歩の歩みではございますが、一つ一つ頑張って参りたいと思う次第でありますっ!

    ご指導ご教授、誠にありがとうございますっ!
    『美しいエロス』を学ばせて頂きたく、これからも何卒宜しくお願い致します!

    お言葉、そして素晴らし過ぎますレビュー!本当に本当にありがとうございましたっ!!
    感謝感激でございますっ!!
    泣きそうですっ!

    呪文堂 拝

    編集済
  • 試験問題風の出だしから、思いがけない展開に・・・^^ 攻めますね、攻めていますね。男性キャラではなく、呪文堂さまが・・・ここでこんなエッチな読み物をご披露されていたなんて。刺激的ですね・・・!

    いずれもエロかったのですが、解答1の、一人称が「余」になると途端に固く文学っぽくなるのですね。一人称のみではなく、呪文堂さまの文体、キャラクターの感性がとても、すごく文学作品らしい雰囲気が醸されていて好ましいです。というかスゴイです・・・

    こういうの書けちゃうんですか。やられました・・・ぎゃふん。

    作者からの返信

    神原遊様っ!

    あ、ありがとうございますっ!冷や汗がだらだらでございますっっ
    ど、どのように誤魔化し、いや弁解をしたものやら・・

    あの、その、はい確かに呪文堂はエロ好きでございますっ
    ただ、このコラムでは真摯に『文藝と官能小説との境界』を探っていたつもりだったのですがっっ・・エッチな読み物になっちゃってます?

    ま、まずいなあ。何がまずいって、全く無自覚だった自分の感性がまずいですっ!
    『エロと文藝との差違を見定めたい』と思うあまり、エッチな読み物を堂々と曝しておりましたようですごめんなさいっ!!


    回答1、『余は』を用いると明治っぽいぞ!と思ってやってみました!小手先にてのお目汚し。ただ自分では、なかなか面白いなと楽しめたのを覚えております。このスタイルをものに出来たら良いのですが。(ただ、この回答1は、エロス度合いが些か弱いんですよね。それは呪文堂に腕がないからですねえ)

    回答2の方がよりエロスを醸すように自分では思うのですが、しかしこれ、ふと思ったのですが神原さまの『告白』のシチュエーションに少し似てます。しかし、その震えるような溢れるエロスは『告白』が圧倒的っ!全く敵いません!!

    神原さまのようなエロス溢れる美しい世界を描きたいのですが、残念ながらセンスを持ち合わせておらずっ
    しかしなんとかして、自分なりのスタイルを手に入れたいものですっ!精進したく!
    ご指導っ!本当にありがとうございました!神原さまにも許されるようなエロスを描けるように頑張りますっ!
    お言葉、誠に誠に嬉しくありますっ!感謝ですっ!!

    呪文堂 拝

    編集済
  • 泉鏡花、知らなかったのですが面白そうなお話ですね。呪文堂さまの引き込まれぶり、情熱がうかがえます。お話のご紹介のあとの、呪文堂さまの気付きがまた、深いですね・・・文豪たちのエロス表現、巧の技にはうなだれる思いです。

    私なども書きすぎてしまって、文豪エロスを読むとへこむんですよ・・・谷崎先生などもエロ変態なイメージが強いのに、読み返してみるとハッキリとは書かれていないのにエロな世界が充満していて、どんだけ・・・と思います・・・

    悔しいですが、いつかは抑えたエロスの達人になりたいものです。精進しなくてはですね!

    作者からの返信

    神原遊 様っ!

    ありがとうございますっ!
    お言葉っ!誠に誠にありがとうございますっ!
    すみません、泉鏡花はその文体そのものが何だか好きで。ついつい語りすぎてしまったようですごめんなさいっ

    文豪のエロスって、本当に凄いものですね!仰るとおり、『書かれていないのにエロな世界が充満し』。何というんですかね、読み手の存在を大切にするのと同時に、信頼しているというのか。阿るのではなく、託すというのか。読み手が想像の世界を展開させるまでの道筋を描き、羽ばたくための風を吹かすまでで。眼下に広がる景色そのものは描かない。そこに至る事情や風景を緻密に描き舞台を立ち上がらせ、衣擦れの音や香りで読者の鼓動を速くして、最も大切な場面を自らの脳髄で描かせるようにそっと背中を押す。
    そんな文章を描いてみたいものですっ

    私から言わせると、僭越ながら神原さまの『告白』は見事にエロスです。ヒロインの吐息が耳に掛かるようで、本当にドキドキしてしまうのですっ

    もっとも。高みに在る方は、更なる高みを目指すもの。この呪文堂も、早く神原さまの悩みの域に達したいものです!

    さて、ご教授『大谷崎』、いつしか挑戦したいものです!

    お言葉、本当にありがとうございますっ!とっても励みになりますっ!!

    呪文堂 拝

    編集済

  • 編集済

    またすごい熱量の考察ですね^^ 宮崎監督の女性に対するイメージは、女性からするとちょっとなぁ~・・・と感じる部分はありますが素敵なヒロインばかりですよね。

    精子と卵子のドラマチックな描写にも感銘を受けました。勉強になります・・・^^

    =追記=

    呪文堂さま、ご返信ありがとうございます。こちらの回を読み返し、さらに他の方のコメントやその返信を読んでみると、あらためて洞察の深さに敬服します。

    宮崎先生の女性に対するイメージのちょっとなぁ~は、まさに呪文堂さまの察するところです。

    女性があまりに、完璧で理想的に描かれているなぁ・・・と感じられ、でもそのように女性を描けるのは男性ならではでしょうか。女性は自分たちの完璧ではないところを知り尽くしているので、あのように単純なまでに可憐で気高く美しく・・・という描き方はできない気がするのです。

    (・・・なので私のヒロインは内面が黒っぽくて完璧から程遠いのですが、呪文堂さまがリアリティあり魅惑的と言って下さるのは嬉しいです!)

    逆に言えば、女性の描く男性像も、こそばゆい時があります。精神も行動も清廉な、誰もが好きになってしまいそうなキレイな男性像にはファンタジー臭が漂ってしまい噓くさく思われてしまいます。

    ですがあれらの素晴らしい乙女たちは宮崎監督ご自身なのだという考察は興味深い視点でした。

    また、あのように出来すぎのヒロインたちだからこそ、男性キャラ達が敬い崇めるのでしょうが、ある意味男女のシンプルな、本質的なあり方のようにも思われます。そこもまた理想的な姿のようにも映ります^^

    朝から長文コメントを、すみません・・・^^ 呪文堂さまの感性がすばらしく、やられ気味です♡ また勉強させて下さいね^^

    作者からの返信

    神原 遊様!

    わあ!ありがとうございますっ!むちゃくちゃ嬉しいコメントを頂きましたっ!

    『宮崎監督の女性に対するイメージは、女性からするとちょっとなぁ~・・・』


    すっごく興味深いですっ!
    なるほど、宮崎監督、女性からすると『ちょっとアレ』なんですね?

    へへ、カントクぅ、言われてますぜぇ?

    理想の押し付け、女性の偶像化が過ぎるとか?
    是非ともその詳細を教えて頂きたいものですっ!!

    ヒロインをどのように描くのか。これは作品作りの最重要課題だと思うんですね。
    『告白』の優理香さんのように、魅惑的でかつリアリティー溢れるヒロインを描けたなら。・・憧れますね!

    お言葉、本当にありがとうございましたっ!多くの気付きを頂けそうですっ!感謝でございますっ!!

    呪文堂 拝

    編集済
  • 漱石先生、「こころ」しか読んだことがなかったのですが、これは面白そうですね。兄のこじらせぶりが良いです・・・^^ そして申し分なくエロいですね笑 なんでいま着替えるんかって話ですよね・・・兄嫁の謎行動、挑発的です笑

    私は谷崎先生の「痴人の愛」が大好きですが、こちらもだいぶエロいイメージがあるのに、直接的なことはほとんど書かれていないんですよね。高等技術です・・・^^

    作者からの返信

    神原 遊様!

    ありがとうございますっ!
    感動で震えますっ!

    漱石先生の『こころ』は何度読んでも先生のクズっぷりに腹が立ってきてしまうんです!←ダメなやつですね、私( T∀T)

    『行人』は兄の壊れっぷりがむしろ爽やかなくらいで、嫂も挑発的で面白いのです。朝日新聞、あの当時に朝刊でこれ連載してたの?とわくわく妄想しちゃいました。

    谷崎潤一郎『痴人の愛』!深いですねっ!!受け身のエロスというものがまだよく解っていないので、しっかりと勉強したいところでありますっ!!直接的にはむしろ書かない、肝に銘じますっ!

    お言葉、本当にありがとうございましたっ!励みになります!!嬉しいですっ

    呪文堂 拝

    編集済
  • お邪魔します。熱いエッセイですね。警告を受けられていたのですね・・・エロスと表現に関しては悩ましいものがありますよね。運営側もあまりきちんと精査されている気がしないので、通報があれば狩られてしまうイメージです。私もたまにですがエッチな描写がありますから、いつどうなるやらとは感じております。

    続き、楽しみに読ませていただきますね!

    作者からの返信

    神原 遊様!

    わわっ!ありがとうございますっ!
    こんなむさ苦しい処にお越し頂いてしまい恐縮ですっ!

    はい、運営さんより警告を受けてしまいまして!記念すべき処女作となる予定だったお話が、敢えなく撃沈致しましたっ!
    で、折角なんで今後の対策にと、つらつら書きなぐってみたものでございます!本当にお目汚しなのです!

    神原様の『告白』は見事な文学ですね。
    エロ小説と文藝との境は、とっても難しいと思うのですが。リピドーに終始しない自我との対話、そして読者に俯瞰的な視点を持たせ得るもの・・『告白』を読みながらそんなことを思った次第です。

    神原様の作品にて学ばせて頂きたくっ!
    お言葉、誠に誠にありがとうございます!感激至極でございますっ!

    呪文堂 拝

    編集済

  • 編集済

    今回もまた、素晴らしいコラム。勉強させて頂きました。

    またこの回で、私にとって手塚治虫氏の作品が何故苦手なのか、分かったように思います。
    それは『暴かれる』からに他なりません。
    作品を読むと抑圧している感情を無理やり解放されるような、秘匿していたものを暴かれるような気がするのです。
    普段、取り繕い澄まし顔をしている私が『暴かれる』それ故に、手塚治虫氏のエロスを苦手とする要因なのだと。
    手塚治虫氏と出会った幼き日は過ぎ去り、恥ずかしがる歳は疾うに過ぎたので、もう一度手塚治虫氏の世界に飛び込み大手を振って『暴かれたまま』素直にエロスを極めてみようと思いました。

    呪文堂さまにおかれましては、こちらのコラム、一旦のお休みとのこと。
    これまでの素晴らしいお話の数々、大変勉強になりましたこと重ねて御礼申し上げます。
    またお会い出来る日を、心待ちにしております。
    ありがとうございました。

    作者からの返信

    石濱ウミ様!

    ありがとうございますっ!
    そして申し訳ございません!
    入院の憂き目にあっておったため、御礼が遅くなってしまいました!ごめんなさい!


    『暴かれる』


    っ!!
    と、鳥肌が立ちました!
    そ、そうかっ!そうなんですねっ!!

    確かに手塚治虫のエロスは『見せる』エロスじゃないんです。むしろ『見せつける』エロスなんですね。
    いやいやと顔を背けているのを強引に引き寄せて、『ほら、見てごらん。いやらしいだろう?でも、美しいだろう?・・これが生命だ。生命の神秘であり、君にも宿る力だ』と言ってくるんですよ。
    まさに、石濱ウミ様のおっしゃるとおり読み手の内面を暴いてしまう。剥き出しにさせるんですね。
    読み手は、作品を外から見ていたつもりが、いつの間にか自身の内面を見詰めていたことに気づかされる。ある種の普遍的エロスに昇華されているんでしょうね、手塚治虫の作品は。
    故に、生理的な嫌悪感すら生じさせてしまう。

    ありがとうございますっ!勉強になりました!
    今一度、手塚治虫作品を読み直して見たいと思いますっ!

    生きるとは、なんなのか。
    それを、性という切り口から考えてみたいと思います。
    先は長いですが頑張ります。
    また是非、ご指導を賜りたく。

    お言葉、本当にありがとうございましたっ!感謝ですっ!

    呪文堂 拝


  • 編集済

    最後の呪文堂さまの決意表明に似た、ご感想。

    私も自分ではわからないまま、書いております。

    手塚治虫、素晴らしい方でしたよね。私も随分と読みました。

    作者からの返信

    雨 杜和様!

    ありがとうございますっ!そしてごめんなさいっ!入院の憂き目にあっており、御礼が遅くなってしまいました!誠に申し訳ございません!

    手塚治虫、本当にすごいひとなんですね。作品一つ一つも凄いのですが、その生き方というのがまたもう、壮絶で。
    ここでは触れませんでしたが、アニメに関しても様々な伝説をお持ちらしく。スケールが桁違いで。
    現代日本における、自分が最も尊敬する表現者は誰かなと考えたとき、最初に思い付いたのは宮崎駿だったのです。じゃあ、その宮崎駿監督に匹敵するのは?高畑勲?違う、手塚治虫だ、とおもったんですね。アニメでは宮崎駿が優勢かもしれませんが、漫画だとどうでしょう、『風の谷のナウシカ』と『火の鳥』はいい勝負だと思うんですね。
    そしてこの二人の『エロス』の取り扱い方が真逆だというのが面白くて。一方は見せずに仄かな香りを。もう一方はじっくり見せて昇華させる。
    この両者の表現を学びたい、と思った次第です。

    お言葉、本当にありがとうございましたっ!誠に誠に恐縮でございますっ!

    呪文堂 拝

  • 『奇子』初めて知りました。そしてこうして書いていただいたことで、手塚治虫氏の幅広さ、奥深さを再確認した次第です。

    手塚治虫氏のエロスは、泥沼にでも恐れず手を差し込んで、根底を撫でるような感じでしょうか。表層ではなく、底に触れることに喜びを見出すような。う〜ん、うまく言えませんが、『親父のエロス』は言い得て妙で、ナルホド〜!と思いました!

    >『高尚も猥雑も地続きで、全てはお前さんの中に有るものさ』
    人の深層心理を抉るような作風でありつつ、幅広い読者層に向けた作品の数々を生み出してきたなんて、本当に創作の神様のようです。

    そしてそれを緻密に分析する呪文堂さん。
    宮崎駿氏の『乙女のエロス』も『名刀は鞘の中』だなんて、まさにまさに。
    巧みすぎて慄いております。

    暫くの休止、というか英気を養う期間ですねヽ(´エ`)ノ
    大事です。もう存分に力を練り練りしてください!
    また呪文堂さんの文章に触れる機会を楽しみにお待ちしております!

    作者からの返信

    蒼翠琥珀様!

    ありがとうございますっ!
    そして申し訳ございません!
    腸閉塞で入院しておりまして、御礼が遅くなってしまいました!ごめんなさいっ!


    泥沼でも恐れず手を差し込んで、根底を撫でるような感じ。表層ではなく、底に触れることに喜びを見出だす。


    なるほどですね!
    人間の汚泥を知り尽くし、しかし、その底には生命の光があると確信しているが故に。
    そういう、作風なんですね。


    私、いま入院中なんですが、つまり生命力が少し弱っているんですね、こういう時にはなかなか『エロ』を書けないもので。背脂こってりのラーメンはちょっと勘弁、って感じでしょうか。気力が立ち上らない。
    だからこそ、やはり『エロ』は重要なんだなあ、と思いました。エロパワーは生命力と直結してるんですね。

    宮崎駿の『乙女のエロス』も、手塚治虫の『オヤジのエロス』も、なんとかして身に付けたいものですが。

    その上で、呪文堂なりのエロスを見出だしたいものです。

    清々しいまでに高く突き抜けエロエロで、曇りなき眼で見詰めるような優しいエロス。
    そして元気が出るエロス。生命力に寄り添うエロス。

    そんなものを、追い求めたいと思います。
    これからも、ご指導を賜りたくっ!
    お言葉、本当にありがとうございましたっ!
    感謝感激ですっ!!

    呪文堂 拝

  • むお!イキナリ何だ!?と思ったら実践編でしたね。
    官能小説は『その場面』の描写がメイン。これはナルホド、と。

    私も呪文堂さんの回答編の方が、よりエロスを感じる(内面をくすぐられる?)ように思いました。やはり心理描写の部分でしょうか。

    ①は欲望と冷静さの間を揺らぎ行き来する男が、欲望側へ振り切る様を眺めている。
    ②は感覚と理性の間で沸き起こる恥じらいが「諦め」という「言い訳」をもって解放されようとしている。

    う〜ん、これは凄い。『野苺を狙う蛇』さえも『わたしが。呑み込み食べてしまうかもしれない』って秀逸ですね。

    更新されて、こうして読みに来るまで遅れをとってしまったこと、非常に悔しく思っております。次回の手塚治虫のエロスも楽しみにしております!

    作者からの返信

    蒼翠琥珀様!

    ありがとうございますっ!イキナリエロくてすみません!
    ・・書いているときは無茶苦茶真面目なんですよ。論文纏めているような心持ちで、頭掻きむしりながらフムウなど呻いて。・・読み返したらナニコレエロクナイ?誠に失礼致しましたっ!


    さてさて。背筋が凍りましたよ。


    ①は欲望と冷静さの間を揺らぎ行き来する男が、欲望側へ振り切る様を眺めている。

    ②は感覚と理性の間で沸き起こる恥じらいが「諦め」という「言い訳」をもって解放されようとしている。


    す、すごい・・

    確かに①は事象を客観的に捉えて解釈を試みようとしつつ、しかし欲望に呑まれていく様を『眺めている』。

    そして②は、『諦めという言い訳を以て解放されようとしている』。

    まったくその通りでございますっ!!
    いやあ、参りました。草履を頭にのせて逃げ出したくなりますよう!

    このように明らかにして頂くと、まだまだ書き足りていないものが見えてくるように思われます。

    男は試みた解釈から、何を求めたのか?
    そして呑まれていく姿を眺める超自我的なものは、その姿に何を見いだしたのか?

    また。言い訳を以て解放された女を、もともと縛っていた『恥じらい』の正体とは何か?

    いやあ、非常に勉強になりました!びりびりしますっ!
    ご教授、本当にありがとうございますっ!!
    誠に誠に感謝ですっ!!

    呪文堂 拝


  • 編集済

    手塚治虫先生!
    友達が好きで、ブラックジャックとあと数冊借りて読んでいました。でも奇子知らなかったです。奇子と書いてあやこ、名前からして怪しい世界の住人のようです。
    呪文堂さんのナビで、文豪や巨匠のエロスを学んできましたが、呪文堂さんと同じように私も迷いの森の中に入ってしまいそう。エロだと、もっと手軽で自分の趣味丸出しでもいいんでしょうね。私の勝手なイメージですけれど、エロスって根源的な扉の奥にあって、その扉を開けた先には宇宙があって、答えがあるようなないような、分かったような分からないような、パラドックスの世界に陥ってしまいそうです。エロスって、もしかしたら逆説的⁉
    だからきっと、好きに書いていいのでしょう。追い求めても答えは永遠の先にあるのかもしれません。

    なんちゃって。よく分からないくせに、生意気書いちゃいましたが。芥川龍之介は芥川龍之介の、夏目漱石は夏目漱石の、手塚治虫は手塚治虫の、呪文堂さんは呪文堂さんのそれぞれのエロスを、読者は堪能できる!それが読者の幸せかもしれません。
    呪文堂さんの奥からほとばしるパッション的エロスを、楽しみにしていますෆ╹⌣╹ෆ

    作者からの返信

    遊井そわ香様!

    ありがとうございますっ!

    ―― エロスとは、逆説的
    根元的な扉の奥にあって
    扉を開けた先には宇宙があって
    追い求めても答えは
    永遠の先にあるのかも ――

    まさにまさに!!
    ああ、それだ。ぴったりだ。
    言葉にして頂き眼に入れてみると、正しくホントにぴったんこ。それだぁ。

    エロスって、根源に在るなにかが滲み出ているような感じがするんですよね。しかも、そいつはひとりであるよりも、何かとの接点のなかで立ち上がるような。いや、生命に限らず無機物でも。他の存在の感知からエロスは生まれるんじゃないのかと。
    その意味でエロスは表現といえるのですが、能動に限らず受動的にも表れる。つまり、勝手にエロスを汲み取られ得る。なんら表現できぬ存在だとしても、そこに他者が有る限り、その他者はエロスを感知し得て、エロスの対象足り得る。
    つまり、存在と存在。他者との関係性の中にこそ、エロスはあり得るのではないか?それは、合一への促進?
    その先にあるものが、新たな宇宙。その宇宙はエロスを介して根源に回帰し合一する。
    根源が未来を、未来が根源を共に内在する。実に逆説的。(どうしましょう!これ、『握りたい勇者』で書こうとしていた世界観でした!そわ香さんにはお見通しっ!)

    さすがの慧眼ですっ!

    はい!呪文堂は呪文堂のエロスを追い求めたくっ!!パッションっ!弾けますっ!パトスでもありたくっ!

    ありがとうございましたっ!
    感謝ですっ!!

    呪文堂 拝

    編集済
  • こんにちは。
    『奇子』はむかし1巻だけ読んで、つづきが手に入らなかったのでそのままになっていますが、強い印象が残っています。仰る通り、妖しい色香に満ちていましたね。
    手塚治虫のエロス! 巨匠とされるに相応しく、いろいろな世界を切り開かれましたが、そこに含まれるエロスのかおりもそれぞれ味がありますよね。リボンの騎士やメルモちゃんみたいな子供向けのお話にも胸がとくんとなるようなエロスが漂っていたり、奇子のような大人の心をもざわつかせるエロスがぽんと置かれていたり。
    むかし読んだ、澁澤龍彦がエロスについて語っているお話をふと思いだしました。ほかにもいろんな作家・作品のエロスを思いうかべたり、、啓発されることの多い評論でした。
    生命の尊さを描くことがエロスの豊かな表現につながる、というのはまったくその通りだと思います。エロス道は奥が深いですね。これからも探求され道を究められるよう応援しております!

    作者からの返信

    久里 琳様っ!

    ありがとうございますっ!

    『胸がとくんとなるようなエロス』
    『心をざわつかせるエロス』
    まさにまさに!
    老若男女、容赦なく引きずり込む手塚治虫のエロスワールド!様々な味わいが立ち上りますっ!

    澁澤龍彦。この名人からも学ばねばなりません!読まねばっ!
    ありがとうございますっ!

    そして久里 琳様の『罪の女の歌を歌おう、コカ畑の木陰で、カリブの波間で』。非常に美しく香しいエロスを堪能させて頂いております!
    人と人とが出逢い、そして交わっていく。光と影、罪と償い。汚濁も清浄も共に宿すのが人というもの。しかし、その生命が激しく燃え盛るとき不純物は燃え尽きて。それは唯、美しい。・・そのようなエロスを感じました。

    エロス、本当に奥深いです。
    悩めば悩むほど渦巻きます。
    ただ。何気ない素振り、無防備な表情。そこにハッとするような美しさ、感動を覚えるとき、そこには常にエロスがあったように思えます。
    富も名声も権力も関係なく、人は意味を見出だせる。心底、感動することができる。
    生命の美しさ、すなわちエロス。

    そのようなものを追い求めてみたいと思っております。
    ご教授、ありがとうございましたっ!
    今後ともご指導ご鞭撻の程、何卒宜しくお願い致しますっ!

    私も。マカレーナのような女神を描いてみたいものです!!

    呪文堂 拝

    編集済
  • 『奇子』!!これが取り上げられるとは嬉しいです!僕は全部読んでないのですが、あらすじで書かれている部分は読みました。タブーてんこ盛りでえげつないですよね(笑)このドロドロの家族の中で犠牲になる奇子がいたいけで可愛いくて哀れで…。教育がない状態で身体ばかり大人になった女の危なっかしさと無敵さがあって、兄も含め男が阿呆になりそうな匂いを発散してました。あのあとの話の続きを読んでみたいです。
    手塚治虫は確かに「すべて見せます」みたいなイメージです。外科手術も、人が殺されるシーンも、人の内面が狂っていく描写も。エロに関しても同じで、生々しいし動物的だと思います。メタファーは隠すためでなく強調するために使ってありますし、オブラートも何もなく剥き出しみたいで。嫌な人には敬遠されるでしょうね。でもこの方の漫画は神経を直接触ってくるようなものがあって、だからえげつないと思いつつどうしても読んでしまうんですよね。しかも仰るように根底には「生命」などというすごい哲学があるわけだから。はまったら抜けられない。この方はほんとに神様だと思います。

    しばしのお休み、どうぞ英気を養ってください。更新の際にはいつでも正座でスタンバイします。そして勇者様とリンちゃんがお待ちでしょう。そちらも陰ながら応援しています!(パコ師匠にも会いたいですし。)
    また読ませて頂けるときを楽しみにしています!

    作者からの返信

    柊圭介っ!

    ありがとうございますっ!
    おお!『奇子』、ご存じでしたかっ!
    結構マイナーな作品のようなのですが。
    そうなんです。まさに、『兄も含め男が阿呆になりそうな匂いを発散』。本当にこれです。もう、圧倒的な魅惑の前で男が或いは壊れ、或いはおののき。人為によるタブーなどというものが滑稽なまでに打ち破られていくその様。恐いくらいですね。

    たしかに。手塚治虫の作品は『神経を直接触ってくるような』感じがあります!なるほど、デリカシーがちょっとないくらいに。なんといいますか、そこに『昭和的な親父』を感じてしまったのかもしれません、私(^^;

    休止に関し、いや、いつも休んでいるようなものなんですが、我が脳髄は。ただ自分は一体、何を表現したいのか?もう一度考えてみたいと思いまして。下手な考え休むに似たり、ではありますが、ちょっとだけ技を盗み出してから『勇者と従者』に対峙してみよう、と思っております!
    さて、どなたの技を失敬しようかしらん?

    せ、正座っ!ご勘弁をっ!どうぞ、寝っ転がりながらポテチのお供にでもお読みいただければっ!!(正座って、なんだか男性でも女性でも、品の良い色っぽさを感じますよね!)
    柊さんのお陰で、ここまで諦めることなく、投げ出すこともなく、歩むことができました。本当に感謝です。

    パコ師匠には、メガネ属性を存分に発揮頂けるよう精進したいと思いますっ!

    本当に本当に、ありがとうございましたっ!頑張りますっ!

    呪文堂 拝

    編集済
  • おはようございます、呪文堂様。

    昨夜拝読致しました。手塚治虫のどの作品が来るのかワクドキしておりました。
    「どろろ」私もハマりました。百鬼丸の純粋さに母性愛を感じた記憶があります。
    そして、ある方のエッセイから「海のトリトン」ラストの大どんでん返しが衝撃的と知り、昨日の昼はそれを見ていました。笑  確かに大どんでん返し。

    「火の鳥」シリーズは仏教と哲学のミックスだと思います。手塚治虫の才能ってとどまる事がないですね。

    『奇子』知りませんでした。呪文堂様、これですねって調べちゃいました。おお、戦後の闇と因習と近親相姦の匂いがしますね。火の鳥やブラックジャックより好きだという方もいますね。
    「下山事件」「カラマーゾフの兄弟」のワードも出てきて興味持ちました。
    そこからエロスを見つけたいと思います。親父のエロスを追求出来たらいいなぁって思います。

    呪文堂様のおかげで文豪たちのエロスを堪能しました。いや、入口を教えて頂きました。ありがとうございます。

    しばらくお休みに入るんですね。お会いできないのは寂しいですが、また教えてくださいませ。お疲れ様でございました。

    はい、私もエロ❤️大好きです。
    ではまた会う日まで(*´∇`*)




    作者からの返信

    星都ハナス様っ!

    ありがとうございますっ!

    『海のトリトン』、名前だけは知っているのですが。大どんでん返しですかっ!それは読まないといけませんねえ!教えて頂きましてありがとうございますっ!

    そうなんですよね、百鬼丸。無茶苦茶強くて侠気があって、でも少年の心を持つ真っ直ぐな男なんですよね。絶望的な宿業を背負っても、前を見据えて進む男。好きですね。

    『火の鳥』はもう、語り始めるとそれだけで連載物になっちゃいますね!
    生命とは何か。繰り返し繰り返し続く生と死。それは、どこへ向かおうとするのか。
    永遠のテーマですね。


    『奇子』はお薦めです!短編にあるようなエッジの効いた切り口、長編物の重厚さ。両方を兼ね備えた作品です。
    (手塚治虫には続編の構想も有ったようなのですが。奇子がその後をどのように生きたのか、想像してみるのも面白いです。)

    お蔵に入ってます『握りたい勇者』がガタガタいってまして。そろそろ手をつけないとまずいなあ、と。のろまなんでのったりとお休み頂きながら書いてみようと思います。
    また、お伺いさせて頂きますのでっ!!

    お言葉、本当に痛み入りますっ!とっても励みになります!

    ありがとうございましたっ!

    呪文堂 拝

  • とりあえずはお疲れ様でした。
    そして、遅ればせながら、創作論・評論ジャンルの日間一位獲得、おめでとうございます。

    さて手塚先生、たしかにエロス全開なイメージがあります。
    うっかり短編集を見てしまった日には、「ジャングル大帝」や「火の鳥」に慣れた目には刺激が強すぎて……。
    で、シチュエーションといい、キャラクタといい、すべてが「こうなっちゃうんだよ。分かるだろ? どうだ?」と語りかけてくる感じがもう……。
    何であの絵でこれを描くんだよと言いたくなるくらいヤバい雰囲気ですね。
    まあ「火の鳥」も油断するとエロスが弾けてくるし。犬上さんが皇女に迫られるところとか、ヤバすぎでしょこれと思いました。

    さて、暫しのお別れですね。
    重ねて、お疲れさまでした。
    リンちゃんや「勇者」にも再会したいところですが、とりあえずはお休みくださいませ。

    面白かったです。

    ではではノシ

    作者からの返信

    四谷軒様っ!

    ありがとうございますっ!
    ・・なんと!創作論・批評ジャンルというものがあるのですかっ?
    なんだか近頃はPV とかまるで気にしなくなっちゃって。『握りたい』に比べるとこのコラム、桁が一つ二つちがうのですが、しかし素晴らしい方々がお越しくださり、なおかつお言葉まで頂戴し。もう、感動でうるうるなんですっ!

    手塚治虫、うっかり手を出して悶絶しました・・いやあ、難しいです。たしかにあの絵柄であのストーリーであの表現。本邦のロリコン文化の確立、世界に冠たる変態の高揚、一億総オタク。これみんな、手塚先生のお陰ではあるまいかと疑っておりますっ!

    火の鳥、エロイですよね。
    自分の子供達と交わり子孫を増やすだの、妖しや獣と交わりその傷を癒すだの・・
    でも、よくよく考えるとそれは生命体の一つの姿であったり。
    ホント凄いですっ!

    現在、エロについて悩みまくっております。ああ、まさかこんなにも、エロで悩む日が来るとは!
    悩み悩みながら、ぽつぽつ書いてみようと思います。
    より美しく。よりぬらぬらと。凛として清楚で折り目正しく。でも、じわりと透けて匂い立つような・・

    四谷軒様!いつもいつもお言葉、本当にありがとうございますっ!
    四谷軒様の歴史物に匹敵するようなエロ物を←?確立したく、全力を尽す所存です!

    ありがとうございましたっ!

    呪文堂 拝

    編集済
  • お題の時点で文章力の高さが見受けられて、さらに解答の文章もそれぞれ素晴らしいですね。

    極端に言えば、カクヨム的には官能小説は健全な運営に不要と思われているんでしょうね。
    今年のKAC2021の結果が安直なエロタイトルで釣る作品に集中して、タイトルを隠すという状態になってましたし。
    ジャンルとしてアダルトみたいなものを作ってあとはそちらで、とした方が作者も読者も運営もwin-winだと思うのですが…
    王道の純文学やら文芸作品があって、それに対する異端な作品として取り上げるくらいが丁度良くて、現状は少年ジャンプの連載が全部お色気作品になってしまったくらい歪な状態になっているような居心地の悪さを覚えます。
    読まれたきゃエロもってこいと(読者に)言われているような。
    商業よりも先鋭化されていますね。

    手塚治虫作品は楽しみです。
    昔、学校で読んだ火の鳥には確かにエロスを感じました。
    その理由を言語化するのは自分には難しいので、ぜひ答えを教えていただければと思います。

    作者からの返信

    いずも様!

    ありがとうございますっ!

    カクヨムもなんだか迷走している感じなのですね(^^;
    独自路線を突っ走っている呪文堂にはコンテスト等まるで分からない状況なので、教えて頂き有難い限りですっ!

    そして呪文堂も迷走しております!
    最初は『R15とはなんだ?これを上手く回避する手段はないのか?』といったところから始まり、『エロスを追求するには、むしろ文藝の方がいいのでは?』となり、更には『文藝の方がよりエロい!文藝に優るエロはなし!』という考えにまで行きついてしまったのです。王道に優るエロス無し!!←間違ってますよねえ~っ!

    作品とは、追求したい題材について、それを表現したい、つまり世に知らしめたい世に問いたいという欲求なのだと思いました。
    自らの中に潜り込んでいくような内省的追求、それを外に引き出すような爆発的拡散。この二つの力の作用なんだなあと、漸く知ることができました。

    手塚治虫の作品は、それを考えるに当たり非常に示唆に富むように思われるんですね。しかし、仰るとおり言語化し難いんですっ!
    どうしよう、と途方にくれて佇んでおります。ぽつねんと。

    こんなダメダメな呪文堂ではありますが、牛の歩みでのそのそと頑張りたいと思います!
    どうぞご教授、何卒宜しくお願い致しますっ!
    お言葉、ありがとうございましたっ!感謝ですっ!

    呪文堂 拝


  • 編集済

    文学的表現のエロス。
    呪文堂さまの筆力の高さ。
    こうして並べて読むとよく分かりますね。
    正直に凄いと思います。素晴らしい!

    次回は、手塚治虫とのこと
    わたしにとっての手塚治虫はどの作品にもエロス漂いすぎていて、昔も今も、家族の前では読めません。恥ずかしすぎて。

    その上、手塚治虫作品が苦手です。
    もぞもぞと心の中を嫌な虫が這い回るようで、借りて読むことはしても、手元にはありません。

    わたしが何故、手塚治虫の作品をこのように捉えてしまうのか、呪文堂さまが解説なさるそこに答えがありそうで、非常に興味があります。

    作者からの返信

    石濱ウミ様!

    ありがとうございますっ!
    感動で熱でちゃいますっ!
    お恥ずかしい限りですっ!(←いや、普通に考えたら恥ずかしくて公表できるような文章ではありませんねぇ。大変失礼致しましたっ!)

    石濱ウミ様は、手塚治虫のエロスを掴んでおられるのですねっ!ああ、執筆代わって頂きたいっ!!この呪文堂、まだ核たるものが掴めておらずに言語かできないよーと悄気ておりますっ!
    いましばらくお時間頂きたく!

    しかし、偉大なる表現者のエロスを探っていくという試み、これはなかなか楽しいです!オープンスケベからムッツリまで!
    ・・スケベの嗜好って、その人物の深い部分を露にするような気がしたり。なるほど、『同好の士』は盛り上がっちゃうだろうなあ、とか。

    すみません!つい阿呆な話をしてしまいましたっ!
    お言葉、本当にありがとうございますっ!励みになります!
    これからも、ご指導ご鞭撻のほど、何卒宜しくお願い致しますっ!!

    呪文堂 拝

  • はじめまして。

    蒼翠琥珀さんの紹介文を読み、興味を持ち拝読させて頂きました。
    読んで良かった!!

    紹介して下さいました琥珀さんと
    この場にいらっしゃる呪文堂さまに

    ありがとうございます。
    出会えたことに感謝の気持ちを送らせてくださいませ。

    呪文堂さまの操る言葉に絡め取られ、抜け出せなくなっております。
    幸せです。

    泉鏡花の作品の楽しみ方について、呪文堂さまが書かれた文を読み、はたと気づいたことがありました。

    わたしが泉鏡花と出会ったのは、家の本棚の古い文学全集。
    考えて小説を読むことなぞ知らなかったまだ幼い頃、文字を追い、まさに呪文堂さまがおっしゃるように、絵を見るが如く艶かしい文字もうねうねと、素直にその淫靡な世界に埋没し泉鏡花の滴るようなエロスの洗礼を受けた衝撃。

    そのせいもあってか、のちに大人になってから高野聖を読み直した時、旅僧が難を逃れたそこにあるものを、幼い頃とは違った感覚で受け取ったものです。

    泉鏡花、好きです。
    上手く言葉には出来ませんが、禍々しくも美しく清廉、潔癖で淫靡と、一見すると相反していそうな中にある実は同種の艶かしさに惹かれます。

    このように人を惑わす文が書けたらと願わずにはいられません。

    作者からの返信

    石濱ウミ様!

    ありがとうございますっ!
    おお、蒼翠琥珀様のご紹介で!これはこれは光栄にぞんじますっ!

    ・・と、鳥肌たちましたよ。幼少の頃から泉鏡花を。し、失礼致しましたっ!!私なんぞがお恥ずかしい限りでっ!
    ひーん、赤っ恥をかきまくりではございませんかっ!鏡花の申し子たる石濱ウミ様を前にしてガタブルでございますっ!

    不肖、この呪文堂。『エロスとは何だ?』というお題を胸に旅しております。五里霧中。
    しかし、皆様のお言葉が我が足元を照らす希望の光にございます。どうかどうか、お救い頂きたくっ!

    お言葉、本当にありがとうございますっ!私も鏡花の世界を目指し精進させて頂きたく!ご指導願いますっ!!
    感謝感激ですっ!!

    呪文堂 拝

    編集済
  • 高野聖、作品としては知っていても中身は知らなかったので改めて調べてみました。
    青空文庫をちょっと拝見して、すぐには理解できないと解説に逃げてしまったので今度しっかり読みます。

    素晴らしいの一言に尽きますね。
    語り手を介するごとに物語が幻想性を増していき、妖艶な女性とそれに翻弄される僧侶のやりとりは、あらすじを見るだけで想像力が掻き立てられます。

    呪文堂さんが取り上げる題材も素敵ですし、解説もお見事ですね。
    改めて「エロとエロスは別物」とでも言わんばかりにガツンとやられた感じがします。

    次回からのアウトプットが非常に楽しみです。

    作者からの返信

    いずも様!

    ありがとうございますっ!

    泉鏡花の文章。おそらくですが、真面目誠実な方には取っつき難いのではないかとおもったり致しまして。
    鏡花の文はおばけそのもの。
    おばけって、不真面目だったりふしだらだったりする人間に取り憑くんですね。凛として円満な方には憑かない。あれは角が好きだから。だからほら、徳のあるお坊さんなんかがくると、するする逃げちゃうんですね。
    鏡花の文はおばけそのものですから、真面目に読もうとすると逃げちゃうんだと思うんですよ。なので、例えばぺらぺらめくって気になるとこだけ盗み見ても好いのだと思うのです。
    すると、そのほんの一文が美しく。魅了されるんですねえ。
    漱石先生は鏡花の文を『玉石混淆だ、まったく!』と誉めながら扱き下ろしたそうですが、鏡花はどこ吹く風とニコニコしていたのではないでしょうか?想像するだけで楽しくなりますね! 


    『エロとエロスは別物』

    おお!なるほどですね!

    アルコールと酒は別物、といった趣でしょうか。エロは作用に過ぎず、エロスは人生の伴侶である。なるほどですね!

    ・・と、お言葉頂戴しながらも、次回は『エロい』かもしれませんっ!ちゃんと『エロス』に昇華できていないかも!やばいですっ!!

    ご教授!誠にありがとうございましたっ!また勉強になりました!感謝感謝ですっ!

    呪文堂 拝

  • これは興味深い!そして情熱!それは多分世界を動かし文明を構築させたエネルギーの原泉。夏目漱石がロンドン留学にて深い挫折を味わい公園にて鳩にエサをやる毎日。辿りついた図書館で手にした書物の個人主義。「私は金脈を見つけた」それは金脈です!応援せざるを得ない!俺たちの戦いはこれからだ!応援しています!

    作者からの返信

    六葉翼師匠っ!

    ありがとうございますっ!
    恐縮でございますっ!のそのそ潜ってこんなことをしておりました!
    漱石先生、神経衰弱になりながら、鳩に餌あげてらっしゃったんですね(ノ´Д`)ノ
    ・・かわいい。

    しかし、そこで個人主義を見出だしてしまうのが流石ですね。
    私の方は、規制により『表現とは何か?』という問題意識を漸く見出だしたに過ぎないレベルなのですが、しかし、その切っ掛けを与えて貰えたのはラッキーでした。
    あのまま完結していたら、ここまで考えることはなかったのかもしれない、と思ったりしております。

    『わかりやすい表現』とはなんなのか。特に私が相手にしたいものは、人により受け止め方が千差万別となりやすく。しかも、その行為からの直接的なものを羅列したいというより、その先にある何かを見出だしたいとしているらしく。ならば、その入口の例示は、書き手の感性を正確に伝えるのではなく、読み手の感性を引き出すものでなくてはならない。漸くそれを知れた気がします。

    まずはプロットを探る旅。師匠から頂いたお言葉ですが、丁度そのプロットが自分なりにみえた気がしたところで、運良く警告を貰いまして。

    今は、それを一旦忘れてしまおうと、このコラムをいじくっております!

    もう少ししましたら、再開の運びになりそうです!相変わらず、準備はなにもないのですが!

    お言葉、本当にありがとうございます。うるうるしてしまいますっ頑張りますっ

    ありがとうございましたっ!

    呪文堂 拝

    編集済
  • 刺激的な回ですね!
    文藝的表現、官能小説、エロ表現について語れなくてすみません。自分の未熟さを感じます。
    ただ、ふと思うのは、エロさを感じるのは自分の中に反応するものがあるからではないかと。官能小説は、興奮する人と不快になる人とに分かれ、読み手の性的嗜好によるものが大きいように思います。
    対して文藝作品は器が大きい気がします。呪文堂さんが紹介してくださった芥川龍之介の作品。惹きつけられる美しさに、不快に感じて眉をひそめる人でも、その世界観に魅了されてしまう。
    エロスが誰の内にもある本質的なものだからでしょうか?

    って、だらだら書いてみましたー!すみません。よく分かってないです。呪文堂さんの解答にドキドキするばかりです。
    あとどうでもいい話ですが、ブラジャーって言葉にエロさを感じないのは私だけかしら?ラジャーとかレジャーとか炊飯ジャーに似ているんですもの(笑)ブラジャーの官能的言葉を誰か考えて欲しいです。

    作者からの返信

    遊井そわ香様!

    ありがとうございますっ!

    流石でございますっ!
    ブラジャー!
    単語が持つ雰囲気ってありますよね。例えば『襦袢』。うわあ、色っぽい!ドキドキですっ!・・しかし、ブラジャーって、ねえ。
    【解答その一】で実際悩んだんですよ。この流れでブラジャーか?でも『胸当て』じゃあないし、『胸帯』『胸包み』じゃ伝わらないし。
    単語の持つ色彩や音感が合わないと、急に冷めちゃいますよね。誠に申し訳ございませんでした!反省です!

    ところで。素晴らしい名言を頂戴致しました!!

    『エロさを感じるのは自分の中に反応するものがあるから』

    ありがとうございますっ!これだっ!!
    なるほど、表層をなぞる官能小説だと、どうしてもビジュアルとしての性的嗜好に左右されます。ところが内面へと食い込んでいく文藝作品は、ときに根元的で本質的な欲求にまで掘り下げられるため、より多くの人を魅了し得る。

    これは凄いです!そわ香様っ!未熟どころか達人のお言葉っ!乙女の純真は、ときに練達の士を超えるということでしょうか!(←あ、呪文堂は『練達の士』ではありませんが!』)

    いやあ、本当に勉強になりました!
    しかし、いきなり醜悪な文章を見せつけてしまい、本当に申し訳ございません。鈍い私は、『これは今一グッと来ないなあ』というエロ表現はあっても、不快不愉快を感じる表現って体感したことがないんですね。共感性が低いのだと思うのですが。故に、『これは嫌!』『ここは不愉快!』という部分は、本当にお教え頂けると嬉しいのですね。エロスの世界は千差万別とはいえ、なるべく多くの方に感じで頂ける美しいエロスを求めたいからです。

    そのヒントは芥川の『好色』ですね!流石の呪文堂もあの分野は敬遠していたのですが、芥川のあの美しい表現にはどきどきしました。『ひとつ、戴いてみようかしらん』なんて思っちゃいそうで怖いですよねえ!

    ご教授、本当にありがとうございました!感激ぶるぶるでございますっ!

    呪文堂 拝

  • こんにちは。
    解答編、たのしませていただきました!
    文藝的になろうとするほど、官能度が増すような気がしますね。
    「実用的な」官能小説もがんばってるんでしょうけど、それなら映像見た方が早いじゃないか、って思ってしまいそう。その点解答文は、言葉で脳髄を刺激し誘惑してくれました。
    カクヨムのなかでは(性規制があるとはいえ)自分の書きたいものを追求して挑戦することができる、して損はない。言われてみればそうですよね。私もいろいろチャレンジしたいと思いました。
    つぎの手塚治虫編も楽しみにしています!

    作者からの返信

    久里 琳様!

    ありがとうございますっ!

    たしかに『官能小説』は映像にはもはや敵わない感じがしますよね。昔はともかく、今は簡単に映像を楽しめますし。そしてその映像も、どんどん過激化、多様化してますから、官能小説の出番はなかなかなさそうです。

    そこで文藝。私の解答は拙くてだめだめではありますが、『文藝的になろうとするほど、官能度が増す』とのお言葉、心強く嬉しいです。
    可能性に掛けてみたくなりますね!

    あ、コラムのなかで『文藝に挑戦すべき』とか言っちゃいましたが、あくまでも自分を追い込むためのものでして、大変失礼致しました!

    お言葉、本当にありがとうございました!次回の手塚治虫篇はボロボロになりそうな予感しかないのですが、何卒ご指導、宜しくお願い致しますっ!

    呪文堂 拝

    編集済
  • 呪文堂様 こんにちは。

    問題文と解答を何度も比べて、表現について考察しました。

    なぜ、私が勇者様を愛読していたのか答えが出たようでございます。
    問題文は確かにエロですが、エッチな動画を見ているのと変わりません。
    おっしゃる通り「実用的」でその場面だけが必要なんです。
    ストレートに刺激してくれたらいいんでしょうね。背景よりも心情よりも行為に焦点を当てて、一秒でも早くスッキリさせてくれたらいいんだと思います。

    対して、呪文堂様の解答1や2はエロスです。もうさすが、お見事です。ただの『エロ表現』になってはいないと思います。むしろ脳を刺激されるので癖になります。「余」が自問自答しながら、理性と欲望を闘わせながら、進み果てる行程が……好きです。

    その2の女性視点、花や蛇に喩えがもう文藝作品ですね。読み手の嗜好にもよりますが、私の大好物な表現方法です。女の性の方が深くて、ねちょっとしていやらしい。
    そこを蛇って……やられました。続きが読みたい。

    はい、「真•握りたい勇者と渡さない美少女」の復活を望んでしまいます。
    呪文堂様の目標が達成されますよう、一ファンとして切に願います。

    ここで失礼致します。「高野聖」素晴らしい作品でした。原作を理解するために映画やアニメまで見入ってしまいました。良いものを取り入れる為には、時間がいくらあっても足りないですね。教えて下さりありがとうございます。

    次回、手塚治虫の世界に踏み込んでくださるんですね。もう楽しみ❤️

    長々と失礼致しました。m(__)m



    作者からの返信

    星都ハナス様!

    ありがとうございますっ!
    本当に恐縮です!ご丁寧なお言葉に、いつもいつも励ましを頂戴しておりますっ!

    解答一と二。ありがとうございます。我ながらまだまだ先は長いなあと苦いものが流れますが、しかし、だめさ加減が気持ちいい程に好くわかるのですね。
    今まで『表現』というものは、『分かりやすく、想像しやすく、テンポよく』くらいしか考えていなかったのです。
    ところが文藝というのは、なんなのでしょう、多層的というのか多義的というのか。そう簡単には『分けられない』ものを真摯に表現しようとするなら、確かに『分かりやすい』表現のみでは表しきれないのは道理で。
    特に私が相手にしようとするエロスは、実に摩訶不思議なもののようですから、いままでのやり方では手に負えない。
    未だ解ってはいないのですが、文藝というモノを学んでみたら、何かが掴めはしないだろうかと。

    修行はやっと入口で。気が遠のく程の遥かな道筋ですが、一歩一歩進みたいと思います。ご指導、何卒宜しくお願い致しますっ!

    『高野聖』。・・ハナス様の探求心の凄さ、全く脱帽でございますっ
    あ、アニメまであるのですか?す、すごい・・
    一度観てみたいものです!
    教えて頂きましてありがとうございました!

    ・・手塚治虫。全く自信ないんです、まずいなあ。できもしないことをぶち上げてしまう有言実行作戦、毎度苦労の連続です!拙い内容になってしまうかもしれませんが、どうぞご指導の程、宜しくお願い致しますっ!

    ありがとうございましたっ!

    呪文堂 拝

    編集済
  • すごいですっ!朝から妖しい味のする濃厚な液体をがぶ飲みしたような気分です!
    官能小説はあくまでも『実用的』でなければならない、つまりその場面だけをガンガン描写すれば人物の心情などむしろ邪魔、というわけですね。
    それも分かるのですが、なぜか僕は解答1と2の方にもっとやらしさを感じました。それは逆に人物の思考が描いてあるからで、それが行為と相まって効果的に思えるからです。
    解答1は男の視点ですが、ただのオラオラになりがちな男の欲情の中に、矛盾する言葉が差し込まれていますね。
    『女は余にとってこの上ない存在である。敬い崇め、万難遠ざけたいひとである。ところが何故なにゆえ余の指は、その赤子のように柔らかくきめ細やかな肌を虐げんばかりに蹂躙するのか』
    そして最後には
    『女の奥底にある何かによって余は操られていた』
    この逡巡(?)が一方的な男の欲により人間味を与えると言いますか。これがあるから男の本能が際立つように思います。御作の勇者にも通じるなあと思いながら読んでました。
    でももっとエロいのは解答2の方だと思います。受け身である女の視点なので、理性と野生のふり幅がもっと大きいというか。
    蛇にかみつかれ『自分以外のモノが溢れ出して男を濡らしてしまいそう』になり、果ては『わたしが。呑み込み食べてしまうかもしれない。』
    内面の葛藤が大きいほどその行為に呑まれるエロス加減が増大するように思うのですが、これは個人の趣味なのかな。どうなんでしょう。あと蛇に例えられるのはメタファーが本物よりエロくなりうることも証明しているように思えます。
    文藝にすることで(表現を掘り下げることで)エロの部分も相乗的に深まるような。そんな気がしました。
    また長くなって申し訳ありません。
    次回、手塚治虫! それがあったか!と膝を打ちました。次回も興味津々です。正座して読ませていただきます。m(__)m

    作者からの返信

    柊圭介様!

    ありがとうございますっ!
    ご教授、本当にありがとうございますっ!鳥肌が立つ思いです!

    其ノ一
    『思考』を織り混ぜることで、その行為に宿るエロスがより効果的に顕れる。

    其ノ二
    欲情と矛盾し逡巡するかのような『人間性の描写』こそが、むしろ本能に宿るエロスを際立たせる。

    其ノ三
    理性と野性の『ふり幅』、内面の『葛藤』、ここが大きければ大きいほどエロス加減が増大する。

    其の四
    『メタファー』は、実際の描写よりもよりエロスを増大しうる。表現を掘り下げることで、相乗的にエロスを深めることができる。


    これはもう、永久保存版ですっ!
    要点を的確明晰にご指摘いただき、本当にありがとうございますっ!

    設問文、これは割りとさくさく書けまして。自らの欲望のままに書く感じで。但し、これを更にエロくしようとすると、打てる手は余り無いなあと思ったんです。描写を詳細にするか、シチュエーションを変えるか、行為を進めるか。割りと定型化しちゃいそうで。

    ところが解答の方、正直全く稚拙ですが、いや、自分でも稚拙さがよく解るくらいに、何と言いましょうか、伸びしろがまだまだあることが分かるというのか。様々に工夫出来そうなんですね。

    解答その一。柊さんにはもうお見通しでございます。
    はい、勇者というか呪文堂の思考そのものですね(←引き出しがないなあ)。
    だからでしょうか、割りと書き易かったんです。しかし、あまりエロくない。なんというか、さっぱりしてるんですね。つまり、割り切りが早いというか、ねちっこさがない。自己完結的で、思考的早漏です。これでは詰まらない。
    それで、解答その二。女性側にチャレンジしてみたんです。これは大変でした。いやあ、出てこない。『宮崎駿の乙女のエロス』で学んだ自分の内面に宿るヒロインを、必死に捜しまして。『受け身』というものを味わってみようとばたばたしてみました。書き上がったものはまだまだスカスカですが、なんといいますか、今まで自分には関係ないように思われた、ねっとり潤潤したような感覚を味わえたんです。瞬間湯沸し器的なエロスしか持ち得ていなかった自分にも、その内面にねちっこいエロスが隠れているのかもしれない、と。
    まさに、『表現を掘り下げ』ようと努めることは、自分自身を掘り下げることに通じるのかもしれません。
    今まで、自分という人間の表層のみしかなぞっていなかった。故に、薄っぺらいモノしか書けなかった。

    人間の厚みとは、むろんそれを形作る為の経験や思索も重要ですが、同時に、それを認知することも必要なんですね。自らの厚みを知覚出来なければ、その厚みを活かすことはできない。文藝を求めること、表現を掘り下げることは、自らの厚みを知覚する道に通ずるのではないか、と柊さんのお言葉から思い当たりました。

    自らの深淵に宿るエロスを求めて。文藝への挑戦こそがその道しるべとなるのかもしれません!

    ご教授!本当に本当に!ありがとうございますっ!
    何と言いましょうか。今日この日に、『なぜ執筆するのか?』という問いの答えを見出だせた気が致します。
    本当にありがとうございました!
    ・・ところで、朝っぱらから大変失礼致しましたっ いつの日か、クロワッサンを食しながら読めるコラムを目指したいものですっ!申し訳ございませんでしたっ!

    呪文堂 拝

    編集済
  • 難しいですねぇ……。

    自分的には、身体の各部名称を直接書かなければ、つまり婉曲的で抽象的、あるいは行為の直接的な様子よりも内面や心情に描写の重点をおいたものが文語調になのかなぁと。

    文語調にするとなるほど文藝っぽくなりますが、自分的な定義は上記の通りです。まさに百家争鳴ですが()

    R15は悩みどころですよね……表現規制の観点からも、やはり描写の抽象度をあげなければならず、結果的に官能っぽくなるか、あるいは描写が浅くなってしまう気がします。なので私は、中途半端に妥協するくらいなら、自サイトやノ○ターンのような場所で思い切り書こうと決めています(笑)

    作者からの返信

    彩月結斗様!

    ありがとうございますっ!
    いやあ、本当に難しいですねえ!
    なるほど、身体の各部名称を直接書かない、それが結果として婉曲的、抽象的となり得ると。または内面、心情描写に力点を置く。なるほどですね!
    書きたいけど書いてはならぬ、ではどうしようと工夫するのが芸の始めなら、これはもう、文藝への入口ですね。

    しかし。おっしゃるとおりに『ときにはやりたいようにやりたーいっ!』と発散するのも大切ですね!
    なるほどなるほど。そのような場所もあるのですね?いざというときの避難場所で。

    ご教授、誠にありがとうございました!疲れ果てたときは避難したいと思いますっ!

    ありがとうございましたっ!

    呪文堂 拝

  • 手塚治虫なエロ世界ですかー。けっこう、ぶっ飛んだ話がありますよね。「ペックスばんざい」ってお話を見て、手塚さん疲れてたのかなあ、とか思った記憶がありますが、この作品はエロというよりもギャグかもしれないです。

    エロって、なんだろうなあ、と思いました。書き手が「これはエロかろう」と思って書いたものが、他人にとってはエロくなかったり。かと思えば、エロい事書いてないつもりなのになぜか、エロいと思われたり。

    エロい事を書こうと思ってじっさい、エロい事を書いている呪文堂さんは、エロについてものすごく考えているんだなあ、と思いました。

    作者からの返信

    むらさき毒きのこ様!

    ありがとうございますっ!

    『書き手が「これはエロかろう」と思って書いたものが、他人にとってはエロくなかったり。かと思えば、エロい事書いてないつもりなのになぜか、エロいと思われたり。』


    まさに、それなんです。

    『どうしてこんなことに、自分はエロスを感じるんだ?』
    『・・なんで自分は、そこにエロスを見いだせない?』

    出発点はそこなんです。

    もしもエロスが、生殖行為の促進作用にすぎないのであれば多様なエロスは却って弊害となるのでは?現に二次元でないとエロスを感じ得ないという上級者もいらっしゃるし・・

    そんなところから考え始めたんです。むらさき毒きのこ様の仰るとおり、ひとによってエロポイントは異なるんですね。たとえば、『感じすぎて白目を剥く』って、文章なら許容できるかなあと思うのですが、これ、実際に、たとえばAVなんかで白目を剥かれちゃったら、私はすうっと萎えちゃいます。だって、怖いですもの、白目。でも、そういう演出をしたAV も結構あるんです。つまり、白目のエロスを堪能できる人たちが少なからずいらっしゃるんです、悔しいですよね。

    食の多様化は生活圏を広げますから、その種を進化させた可能性がある。ならば、エロも?
    私は獣○はどうしても乗れないのですが、西洋では割りとポピュラーだとか?数百万年もしたら、ヤギと人間のハイブリッドが登場する?
    いや、そっちじゃないかな?

    そんな阿呆なことをぐるぐる考え、漸く『エロ表現』という処まで辿り着きました。
    表現、すなわち内的世界の再構築の、重要な要素にエロスが関わっている。つまり、エロスの多様化は、内的世界の進化にこそ関係があるのか?

    そんなことばかり考え、仕事にミスを連発してます。

    スミマセン!阿呆なことをべらべらと失礼致しました!ついつい、触発されてしまいました、まずいなあ。

    お言葉、本当にありがとうございました!誠に誠に感謝ですっ!

    呪文堂 拝

  • 泉鏡花の作品読んだことがないのですが、呪文堂様のご紹介で興味が湧きました。今度読んでエロ勉強させていただこうとおもいます。自分の読んでこなかったものなだけにワクワクします。今回も楽しい回でした。読ませて頂き、ありがとうございました♡

    作者からの返信

    小鷹りく様!

    ありがとうございますっ!

    いや、その。呪文堂はエロばかり考え暮らす粗忽者でございますから、泉鏡花にもエロばかり目が行きまして。
    小鷹りく様であれば、鏡花の純たる美しき真髄をお感じになるやもしれません。そのときは、どうかどうか是非ともご教授願いますっ!
    ホント、エロくてごめんなさい!
    ・・次回はもっとエロいかも。先に謝罪させていただきますっ!エロくて、ホントにごめんなさいっ!

    こんな呪文堂にお付き合いを頂きましてっ 本当にありがとうございますっ!!

    呪文堂 拝

  • もう言いたいことは他の方の感想と被るので少しだけ。
    こうした方が売れるだろう、というエンタメ的な思考ではなく彼ら彼女らはこうするだろう、という思考が当たり前にできているんでしょうね。
    つまりエロスも同じで押し付けるよりも無意識、無垢な結果として生じた方が良いものが生まれるという至極当然なことを再認識しました。
    ありがとうございます。

    作者からの返信

    いずも様っ!

    ありがとうございますっ!

    『こうした方が売れるだろう、というエンタメ的な思考ではなく彼ら彼女らはこうするだろう、という思考』

    頂きましたっ!!
    仰るとおりかと!

    自らの中に確たる世界がおそらくあって、それを求めて出現させようとするのが表現というもの。
    目の前の世界に迎合するものを表現してみても、それは現実世界の二番煎じにしかならない。

    ありがとうございます!
    真髄です。心します!

    無意識、無垢の結果として生じた、エロス。
    深いです。深い。これは今の私では雲を掴むようですが、なんとなく感じるものがありそうです。作為で形作ったものは、所詮は表層。なるほどですね。

    多くのことを学ばせて頂いた気がします!もやもやしたものを大切に抱き締めながら、じっくりと漂ってみたいです!
    ご教授、ありがとうございました!勉強になりましたっ!

    呪文堂 拝

    編集済
  • 漱石先生、好きです。
    泉鏡花先生、実は読んだことないのですが、こちらでの紹介を読んで俄然興味が湧きました、こういった幻想的な怪、私も大好きです。ホラーではなく、妖しさゆえの艶。良いですね。私もこんな文章書きたいです。

    作者からの返信

    蒼翠琥珀様!

    ありがとうございますっ!
    蒼翠琥珀様も漱石先生がお好きでしたかっ!この呪文堂、漱石先生について好き勝手にほざいてしまいましたので、蒼翠琥珀様にお叱りを受けぬかとひやひやでございます!

    ええ、泉鏡花。とても素敵なんです。私の拙い作文では、あの世界をお伝えすることが出来ずに歯がゆいばかりで。
    ぼんやりした行燈の明かり、鼻先揺らぐ白粉の匂い。そんな妖艶な空気が漂う様な。青空文庫で是非ともご一読を頂ければと存じます。

    もしも鏡花のような文が書けるようになったなら。幸せですよねえ。
    しかしなんだか、自分の文から出られなくなってしまいそうで。・・それも甘く妖しく幸せなのかなあ。

    お言葉、誠にありがとうございましたっ!
    蒼翠琥珀様にはあまりエロエロをお見せしてはならぬ!と緊張しておりますっ
    ・・次回の実践編は、その。ごめんなさいっ見なかったことにして頂ければっ!

    誠に誠に、ありがとうございましたっ!

    呪文堂 拝

  • こんにちは。
    宮崎アニメに続いて泉鏡花、そのセンスに参りました。その幽冥な世界、語り口、実に艶がありますよね。
    魅力的な物語にはほとんど必ずなんらかのエロスが含まれているような気がしますね。あらためて考えると童話のなかにさえエロスはひそんでいて、私たちは幼いときからしっかりそれを嗅ぎとっているのだと思います。だからこそ作家はいかに自分のエロスを表現するかに心血を注ぐのかなと。
    つぎは実践編とのこと、どんな解が得られるのか楽しみにしています。

    作者からの返信

    久里 琳様!

    ありがとうございますっ!

    童話のなかにさえエロスはひそんでいて。

    衝撃的なお言葉!まさにまさに。確かに思い返せば、気になる物語には得もいえぬ何かが漂っていて。その正体は、見え隠れするエロスであったやもしれません。
    素晴らしい気付きを頂きました!ありがとうございますっ!

    次回の実践編。ど、どうしましょう。赤点覚悟で恥を曝したいと思いますっ
    どうぞご教授のほど、何卒宜しくお願い致しますっ!!

    お言葉、本当にありがとうございました!
    未熟ながらもこの呪文堂、エロスの表現に心血を注ぎたくっ!感謝申し上げますっ!

    呪文堂 拝

  • 今回もとても面白かったです!
    流石腕がいいですねー、泉鏡花先生の高野聖を再読したくなりました
    違う角度で読めそうで楽しみが増えました

    次回から実践編ですか、楽しみです(#^^#)
    個人的に三島由紀夫の『金閣寺』を解説して頂きたかったです…機会があれば是非!

    更新ゆるゆるお待ちしてます

    作者からの返信

    カナリヤ様!

    ありがとうございますっ!

    泉鏡花、好きなんですよぉ。
    ぬらぬらとした雰囲気を醸しながらも、女性はどこまでも美しく、なんとなく可愛らしく、しかし芯が強くて凛として。いや、誰だって好きになっちゃいますよね、そんなの!
    そんなこんなで(←どんなこんなだ?)、本稿はついつい長くなってしまいました!だらだらとごめんなさいっ!

    ・・次回のアウトプット。考えなしで次回予告しちゃうもんだから、いつも後で頭抱えてます。どうしよう。できるのかなあ?

    三島由紀夫、実は読んでないんですよ!ヤバイですねっ!なんか恐いひと?というイメージばかりが先行し、学生時代も手に取んなかったんですよ。まずいなあ。
    少し先になるかと思いますが、是非とも読んでみたいと思います!金閣寺!
    ご指導、ありがとうございましたっ!嬉しくてぶるぶるですっ!

    呪文堂 拝

  • こんにちは。
    漱石のエロス分析、興味深く読ませていただきました。
    私も漱石は大好きで、その理由のひとつにエロスはあるような気がします。実は色気あるシーンもちらほら出てきて、それに文章に艶があるんですよね。
    着眼点、切り込み方がおもしろいと思いました。続きも楽しみに読ませていただきます。

    作者からの返信

    久里 琳様!

    お言葉ありがとうございますっ!恐縮ですっ!
    なるほどですね。漱石の魅力の一つは、そのエロスにあると。全く同感でございます!

    実に勝手な私の妄想なんですが、漱石先生って、結構惚れっぽい方だったんじゃないかなあと思ってまして。いやもちろん、心のなかで『いいなあ』と思うだけのことで、指一本動かしはしないのですが。そのような心の波紋と自我というものに目を向けていたのかなあ、なんてことを感じてました。

    漱石先生の文章は実に分かりやすく、理路整然とした感すらあるように思うのですが、しかし無味乾燥どころか面白みと豊かさに溢れます。なるほどそれはエロスを含有するからだろうか、と思いました。もう一度、読み直さなければいけませんね!

    ご教授、ありがとうございましたっ!とても勉強になりましたっ!

    呪文堂 拝

    編集済
  • 中島敦先生の言葉どおり、日本人に生まれ日本語が読めるというのに、泉鏡花を読まないというのがもったいない気になりました。今のライトノベルの異世界ファンタジーは、中世ヨーロッパが主流。けれどこんなにも身近に異世界のような妖かしの世界がある。しかしその世界を書くとなると……(;ŏ﹏ŏ)私には無理デス。
    呪文堂さんの引用で初めて泉鏡花に触れましたが、完璧ですね!日本語の艶めかしさと、ぞくぞくする妖しさをここまで表現できるとは!女の麗しさ、川でのお坊さんの恍惚感がたまりませんね!

    ところで中島敦先生のエロス作品は知りませんが、気に入った女生徒には親切だった。となにかで読んだことがあります。硬派に見える先生といえども、お気に入りの女の子とそうではない生徒との態度の違いがあったこと、おもしろく思ったことを覚えています。

    いつにもまして濃密な第5話でした。ありがとうございます。次回も楽しみにしています。

    作者からの返信

    遊井そわ香様!

    ありがとうございますっ!

    中島敦、女学校でもてもてだったらしいですね。なんと、気に入った女生徒にはトクベツタイグウ?な、なにを?け、ケシカランっ!!

    泉鏡花は『分け難いモノ』を『分かり難い表現』で文字の上に現せてみた作家だと思うんですよね。夏目漱石は泉鏡花の作品を『玉石混合』と貶しつつ、解脱すれば希代の文学者だ勿体無い、と評したそうですが、これこそが言い当て妙。漱石は科学的手法のひとですから理路整然、しっかりと玉石を分けます。ところが鏡花は混合を寧ろ語るのだから混ざっているんです。漱石の評を聞いた鏡花はにやにや微笑んだのではないでしょうか?

    日本語という、象形文字の漢字、和音の平仮名、記号文字としてのカタカナという、世界にも珍しい合成魔法のような言葉。せっかくだからこれで創られた世界に遊びなさいと、鏡花はにやにやし、中島敦は眼鏡をついっと上げて頷く。漱石ばかりは難しいお顔をしていますが。

    私も鏡花のような世界をつくってみたいものですっ
    お言葉、誠にありがとうございましたっ!嬉しくありますっ!

    呪文堂 拝

    編集済
  • 更新ありがとうございます! 
    泉鏡花、名前を知っているだけで作品を読んだことがないので、解説と同時にまたまた青空文庫でチェックしました。(著作権切れの作品がすぐに読めてこれほんと有難いですね。)
    ぱっと見からしておっとこれは10回読まないと頭に入らない文章だなと思ったのですが、絵画のように、というお言葉で気が楽になりました。一つの言葉に引っ掛かって先へ進めなくなってはいけないんですね。漱石みたいな文が好きなので、どうしても「説明してくれ」になってしまうのですが、それは読者としての頭の固さだなあと思いました。

    前置きが長くなりましたが、この話の後半の謎解きみたいなのが淫靡ですね。治癒能力のある女、これは女ならではの柔らかみが癒しに通じるのでしょうが、そのあと調子をこくと大変なことになるという…。蝙蝠や馬や猿の意味が分かると途端に「怖っ」となりました。
    『嬢様は如意自在、男はより取って、飽あけば、息をかけて獣にするわ』←これがとても印象的で。
    崇拝と願望との濡れ光る結晶、だけどその誘いに迂闊に乗ってはいけないのですね。僧は結果として賢かったと思います。
    妖しいながらもどこか飄々とした語りだなとも思いました。エロに対してもそんな感じで。不思議な時代ですね…。

    次回の実践編も楽しみにしております!

    作者からの返信

    柊圭介様っ!

    あ、ありがとうございますっ!誠に誠に恐縮でございますっ!『高野聖』までお読み頂いたのですね!ああ、報われました、たとえ鏡花の文に呪われても。もはや悔いはありませんっ!

    私も漱石の文章こそ最上、と思っているのですが、そこから遠くはなれた鏡花の世界もなんだか好きでして。日中は漱石を敬い、日没後は鏡花を愛でる、そんな雰囲気で。

    『高野聖』、おっしゃるとおり、この聖母のような女性が怖いんですね。薬売りは馬に変えられ、しかも売られてしまう。優しさと美しさ、厳しさと残酷さという女性の二面性が窺われるように感じます。
    僧侶は、変じることを免れました。それは、彼の純真さによるものなのでしょうか?しかし、親仁はそんな期待は通用しないとばかりに『飽けば、息をかけて獣にする』と忠告します。物語の、いや世界の中心に立つのは僧侶でなく女だ、と念を押すように。僧侶は断ち切るように逃げていく。

    しかし。以下、呪文堂流の妄想ですが、『むしろ人の世を捨てただ女と共にありたい。むしろ獣のように成り果てても女とありたい』という願望が、男の方に生じたということはなかろうか?女は、卑屈な薬売りのような男は容赦なく遠ざけたものの、愚かながらも愛らしい男達は『獣に変じてあげた』うえで、夜な夜な愛でてあげているのではなかろうか?
    そんな甘美で恐ろしいものを感じてしまった次第です。女の魅力に絡め捕られてすすんで獣となる男達、そんな獣らと交わる女。・・エロ過ぎますかね。

    あ、そうなんです、鏡花の文はどこか飄々としているんですよね!そこが、世のモラルだの価値観だのから脱却した雰囲気を醸し出しているようで、とても好きなんです。

    読みにくい鏡花に、ワケわからぬ呪文堂に、お付き合いを頂きまして本当に恐縮でございますっ!!下げた頭が地にめり込む思いですっ!
    ありがとうございましたっ!

    呪文堂 拝

    編集済
  • 言われてみれば、呪文堂さま、「呪い」という字がありましたね。:(;゙゚'ω゚'):

    文豪たちのエロスを語る呪文堂さま、素敵です。
    無学な私、一生懸命に学ぶのが精一杯です。
    私の中では、先生です。いつも勉強になります。ありがとうございます。

    今週の目標は、泉鏡花の作品を読んでから、呪文堂さまのコラムをもう一度拝読して、学びたいと思います。

    私なりにインプット(復習)して、呪文堂さまのアウトプットを楽しみたいと思います。頑張ってついて行きます。ᕦ(ò_óˇ)ᕤ

    作者からの返信

    星都ハナス様!

    ありがとうございますっ!
    先生だなんてとんでもございませんっ!私は道半ばの修行の身。ハナス様こそが我が先生ですっ!

    言葉は古来、神に通ずる道具で、公なる願いを込めたものを『祝』と、私なる願いを籠めたものを『呪』と呼んだと聞きます。恋文などは正に呪文の代表なんですね。つまり、ポジティブな願いもネガティブな願いも、それが私的なものなら『呪』であると。
    『呪』がネガティブなイメージをもってしまったのは、すなわち人々の愚かしさ。残念なことで。

    いつもいつも、ご丁寧なお言葉を頂き本当にありがとうございます。ハナス様のコメントより、沢山の気付きを頂いております!
    誠に誠に、ありがとうございましたっ!

    編集済
  • 泉鏡花。
    なんていうか、ちょっと別次元ですよね。
    谷崎潤一郎の作品が流れを似ているように、私には思いますが。ただ、性格的には潔癖な鏡花と正反対の性格の谷崎が似ているというのも、どうってことですけれども。

    久しぶりに昔の作品に触れました。ありがとうございます。

    作者からの返信

    雨 杜和orアメたぬき様っ!

    これはこれは!ありがとうございますっ!鶏鍋ですね!
    病的潔癖性で固くなるまで煮込まねば気の済まない鏡花、対する谷崎は血の滴るような生肉が大の好物。囲んだ鶏鍋、結果は明々白々で。煮える前から谷崎はパクつく鏡花はイラつく。
    この光景、見てみたいですよねえ!先輩を前にしても遠慮のない谷崎、箸で線引きして陣地を決める大人げなくも可愛らしい鏡花。幻想文学の大家たる二人。想像するだけでにやにやしちゃいます。

    潔癖と磊落。ま反対のようでありながら、耽美を極めるその世界は通じるものがありますね!

    お言葉、本当にありがとうございましたっ!とっても嬉しく存じますっ!!

    呪文堂 拝

  • この作品は知らなかったのですが、芥川先生の美しい文章には驚かされますね。
    やってることはただの変態行為ですが。

    ふと思ったのは、これって本人がどんなつもりで書いているんでしょう。
    取り立ててエロスを追求した結果でもなければ、奇をてらった作品で目立ってやろうと思ったわけでも無いと思うんです。
    そしてこの作品の想定読者層というのもわからないので何ともですが、実はこの時代ではこういった耽美で官能的な作品がスタンダードだったのでは、と考えるとエロスを感じている我々の方が失礼なのでは、とすら感じてきました。

    最終判断は我々読者に委ねられるんですけどね。

    作者からの返信

    いずも様!

    ありがとうございますっ!
    この作品、底本があるわけですが、それでも芥川が敢えて取り上げたのには仰るとおり、彼なりの意図があろうと思われます。
    芥川の意図。色々あるのかもしれませんが、呪文堂のヘボ推測では。以下、完全なる私見と妄想的解釈です。

    愛とは、その相手と一体になりたいと求めることで。肉体ばかりでなく、その想いも願いも全て。それを果たす具体的行為の一つとして、不浄なるものすら受け入れてみたい、そんな姿を描いた。平中は恍惚のなかで死にゆくわけですが、では果たして。これは愛なのかと。
    なるほど、平中は自らの中で侍従と一体になったのかもしれない。しかし、それは妄想の中ではないか。実際の侍従は、一切関与してはおるまいと。
    芥川の師匠、漱石のいうところの『則天去私』こそが合一の究極であり至高の愛とするならば、平中が至った世界は愛の欠片もない自慰的世界にすぎない。

    しかし。しかしですよ?
    ひとは、果たして自らの自我を破って、他者と合一することなど、本当にできるのだろうか?

    相手を想うことは、むしろ自我を拡大させ、その世界に自分色に染めた他者の影を写しているだけではないのだろうか?我々は、それを愛といってはいまいか?

    我々は、平中を嗤えるだろうか?

    この物語のラストが、どうにも平中に救いを与えているように読めるのです。そのため、上記のようなものを感じてしまったわけで。

    ところで自我と愛とは面白いテーマですが、そこに性が絡むと更に面白いです。性的欲求とは、果たして愛に基づく衝動か、それとも自我を超えた本能的作用に過ぎないのか。

    芥川の『好色』は、なんだか色々なことを考えさせてくれますね。

    以上、妄想戯れ言、失礼致しましたっ!お許しください!

    お言葉、本当に本当に、ありがとうございましたっ!

    呪文堂 拝

    編集済
  • さすが漱石先生、日常の中に潜むのが最上のエロスだと教えてくれますね。
    ネットの無修正画像より町中で見るパンチラの方が興奮するのと同じ理論です。

    宗教画に興奮するのと似たようなもので、指摘する方が芸術を冒涜しているとみなされるような耽美な文章ですね。

    作者からの返信

    いずも様!

    ありがとうございますっ!
    ご指摘、ありがとうございますっ!

    『ネットの無修正画像より町中で見るパンチラの方が興奮するのと同じ理論』

    まさしくっ!!
    無修正画像が氾濫し、エロに対する無感動が危惧される今こそ(←危惧されてるのか?)、立ち戻るべき問題ですね!胸高鳴る本来のエロスを取り戻すため、気品漂うチラリズムを研究すべし!というわけで。
    そしてまた、『本当に大切なものは日常の懐にこそ隠されているものだ』と。
    実に納得です!

    更には。宗教画や芸術作品に対する尊崇は、なにゆえ性的衝動を排斥(隠蔽?)するのかという点。ここも面白いですね。
    これは、宗教というものの成り立ちに深く関与しているような気がするのですが(←いや、気のせいかもっ!)

    いやあ、いろいろと考えさせられます!
    ご教授、ありがとうございましたっ!
    本当に感謝でございますっ!

    呪文堂 拝

    編集済
  • 蒼翠琥珀さんの近況ノートから興味を持ち読ませてもらいましたが、とても興味深い内容です。
    R15もR18も関係ない話…などと考えている者ほど無意識に暴力的な言葉や性的な単語を使ってしまうかもしれませんし、認識を改める良い機会かもしれません。
    細かく調べられていて素晴らしいです。

    あとこの文章のように下準備をしっかりしていたら、さり気なく(でも大胆に)下ネタを連発しようとセーフ理論が働くように思えます。
    真面目な文章の中に唐突にぶっこんだら悪目立ちしますし、見せ方って大事ですね。

    作者からの返信

    いずも様!

    ありがとうございますっ!
    拙く読みにくい考察にお付き合いを頂き誠に恐縮ですっ!

    まずは外枠を固めてみようと、無粋な法律論から始めてしまったわけですが。
    しかしその法律判例も、明確な線引きがあるわけでなく。程度問題のようで。しかし、その『程度を表す方法』というものがあるのではなかろうか?というのが、この第一話でした。
    第二話以降は、『文豪達はエロスというものをどのように捉えたのか?』ということを考えてみたのですが。これまた拙い考察でお恥ずかしい限りです。どうか呪文堂の勘違いや至らぬところを、どしどしおっしゃって頂けたら幸甚です!ご指導願いますっ!

    お言葉、誠にありがとうございましたっ!嬉しくてぷるぷるでございますっ!

    呪文堂 拝

  • ほお〜、とため息が漏れる緊張感と静かに醸される深層心理の中のエロス。
    漱石先生流石ですね!そこにエロスを見出し着目された呪文堂様の感性が素晴らしいです!

    作者からの返信

    mono 黒様っ!

    ありがとうございますっ!
    深層心理の中のエロス!正しくでございますっ!

    漱石先生のエロス、それだけ抜き出すと現代ではどうということもなく感じるかもしれません。しかし、全体を漂う気品ある文体、所々垣間見得る教養と博識。そのような中でするすると解かれる帯の音ですから、なかなかにどきどきするのではなかろうかと。
    やはり、エロスを表現するためには、まずはしっかりと『着込む』ことが重要なのでしょうか!服も文体も!

    エロスとはなにか。未だに解りませんが精進したくっ!

    お言葉、本当にありがとうございましたっ!感謝でございますっ!

    呪文堂 拝

  • 凄い…。ハナスさまのお勧めから流れて参りましたが、大変興味深く読まさせて頂きました。レイティングには泣かされておりまして、限界を感じておりましたが、何だか勇気が湧いて来ました!有難うございます(泣)

    作者からの返信

    mono黒様!

    ありがとうございますっ!
    お言葉、恐縮に存じます!

    訳の解らぬ稚拙なコラムにお付き合いを頂いてしまい、冷や汗が出る思いですっ

    この呪文堂、根が阿呆で粗忽者でございますから、果たして意味のあるものを探り当てるなどということができるのか?甚だ心許ないばかりでございます。しかし、呪文堂の粗忽ぶりを心配して下さいます賢兄賢姉の諸先輩方が、とてもとても素晴らしいコメントを下さいまして!本文は駄文がコロコロするばかりではございますが、コメント欄がもう、勉強になるやら感動するやらなのでございますっ!

    Mono 黒様っ!もしもよろしければこの愚鈍なる呪文堂に、ご教授を頂ければ喜びの嵐でございますっ!

    『本文はアレだけど、コメント欄が凄いぞこのコラム!』ランキング1位を目指したく!ふつつか者ではございますが、何卒宜しくお願い申し上げますっ!

    お言葉、本当にありがとうございましたっ!!

    呪文堂 拝

    編集済
  • 凄いです。その一言に尽きますが、それで終わらせたくないので書きますね。

    『映画のはじまるところ』(少年):変化・挑戦
    『世界をつくるところ』(女の子):無垢・バランス

    このような印象を受けました。少年の部屋の模型や工具・楽器は動きと創造の武器たる象徴、女の子の部屋の整理された環境や自転車は「場」の清浄さと世界の安定感の象徴。バランスの象徴に自転車を置いたのは秀逸です。誰かが漕ぎ続けることで安定しますから。乗り手を待っているはずですね。
    これを受精の話、少女が用意した世界に、少年が導かれ、強大なものに立ち向かうという構造と解釈した視点に度肝を抜かれました。我々は合一によって生まれる世界に生きていますしね。また、もしかして呪文堂さんが例の作品で書きたかったのは、この部分が大いにあるのではないだろうか、などと邪推してしまいました。

    『カマトト』は確かにネガティブな印象がありますね。私もシモネタは少し苦手で、と言いにくいのは、この言葉によるものです。知っているからこそ、映像としてキスシーンを見たり猥談に混ざるのが恥ずかしいわけで、本当に無知ならば、寧ろ「ナニソレ〜?」と無邪気な興味を抱いてもおかしくないはず。

    ここまでの話が前置きだったなんて(笑)

    パズーの体感の話も頷けました。男性が感じる女性の重みと、女性が感じる男性の重みは異なると思います。これは体格や質量の話ではなく、舞台として待つ側と、惹きつけられて「向き」が生じる側の違いに当てはまる気がします。

    また肉体的な「型」が違えど、誰しも男女両性を内包しているのでは?と思ったり。生まれてから「らしく」という矯正が少なからずあるだけで。それが生命(世界)の「誕生」シーンにおいては、「場」と「向き」が生じることで「変化が始まる」という仕組みなのだろうなと考えさせられました。

    って、全然書ききれないですけれど、最後に一つだけ。
    次回に向かうワクワク感が隠しきれてません(笑)

    作者からの返信

    蒼翠琥珀様っ!

    ひゃあっ!!参りましたっ!
    す、凄いですっっ
    鳥肌立ちましたようっ!!

    『少年の部屋の模型や工具・楽器は動きと創造の武器たる象徴、女の子の部屋の整理された環境や自転車は「場」の清浄さと世界の安定感の象徴。』
    慧眼です。うーむ、お見事。

    『バランスの象徴に自転車を置いたのは秀逸』
    参りました。正に正に。

    しかも。
    『もしかして呪文堂さんが例の作品で書きたかったのは、この部分が大いにあるのではないだろうか、などと邪推してしまいました。』

    完全に見抜かれていますね!
    仰るとおりですっ!!

    いや。本当のことを言いますと、本稿を上梓するまで気付いていなかったんですよ。
    例の作品は、一話一話、毎回毎回、悩み苦しみながら書き上げていたもので、プロットはおろか、キャラクター設定すら無くて、その場で浮かんできた疑問に答えつつ、ふと沸き上がってきたものを描写していく、という書き方をしていたんですね(←ダメですね)。終盤にいたり、ああこの作品はこういう物語か、と気づいたそのとき警告を受けちゃった、というものでして。
    気付かぬうちに、自分なりに解釈した宮崎監督の世界観をトレースしていたらしきことに、気付かされたんです。いやあ、ふるふると感動していたのですが、また改めてふるふるですっ

    しかして。
    『待つ側と、惹き付けられて「向き」が生じる側』

    ああ、蒼翠琥珀様!天才だ!
    打ちのめされましたよう。

    実は、書かなかったことがあるんです。
    最近の研究で、卵子は自分が気に入った精子を引き寄せる力があるらしいのです。精子は膣内を泳いでいくうちにパワーアップしていき、様々な能力を得ていく。探知能力的なものも得て、卵子が発する何らかの物質をキャッチし進んでいくのですね。しかし、広大な膣内、道を誤ることもしばしば。・・ところが、一部の精子はあるところまで来ると、迷うことなく卵子の方向へ導かれるように進むらしいのです。どうやらそれは、卵子が特定の精子を誘導しているらしい、という研究で・・

    ゆえに世界の誕生は、
    『「場」と「向き」が生じることで「変化が始まる」という仕組み』
    であると。

    更には。
    『肉体的な「型」が違えど、誰しも男女両性を内包しているのでは?』
    おっしゃるとおりっ!そのとおりだと思いますっ!ホント、それ!


    ・・あの。蒼翠琥珀様っ!私に代わって『次回』、お願いできませんか??
    ポンコツの私には無理ですようっ(´TωT`)

    いやはや、本当に吃驚仰天、学ばせて頂きましたっ!!

    本当に本当に、ありがとうございましたっ!感謝ですっ!参りましたっっ!!

    呪文堂 拝

    編集済
  • なるほど…興味深く読ませて頂きました

    私も宮崎監督がロリコンというのは絶対に違うとずっと思っていたのですが、彼の乙女の部分という説で納得です!
    愛知にあるトトロの家の中を見学したことがあるのですが、まさに『乙女が考える田舎家』でしたもの
    ちょっとした小物まで完璧で、子供を放っておいて自分だけ感服して何度もぐるぐるしてましたw

    あと、ナウシカなどのヒロインは母親の影が薄い「父親の娘」が多い気もします
    リンドグレーンの「長靴下のピッピ」もそうですが、めっちゃ強くて深く優しい
    リマスター版コナンを半年前にすべて見返したのですが、確かにラナよりナウシカは肉体的だと思います
    クシャナもエロくないのにどこかふとエロい部分がありますよね
    (ナウシカ全巻を持ってるカナリヤ、クシャナが好きです。ナウシカと通じる部分があると思うのです。写し鏡的な…)

    ジブリで育ったカナリヤ、黙っていられず的外れなコメントをさせて頂きました!

    最近カクヨムから離れており、新着連絡を切っているので読みに来るのが遅いのですが、続きを楽しみにしております!

    作者からの返信

    カナリヤ様っ!

    ありがとうございますっ!

    すみません、遅くなり申し訳ございませんっ
    誠に誠に、おめでとうございますっ!🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉

    しかし、環境の変化は心身ともに疲労を与えるもの。どうぞ、ご無理のないように願います。

    流石はジブリに造詣の深いカナリヤ様。
    母親の影の薄さ。父親の娘。
    なるほどなるほど。重要なテーマですね!
    いつの日か『ナウシカ論議』をカナリヤ様にお願いしたいものでございますっ!

    そしてなにより、クシャナ。
    全面同意です。
    『風の谷のナウシカ』、真のヒロインはクシャナこそ、と私も思っているのです。
    ナウシカは、人の世とあちら側とを結ぶ吟遊詩人、ユパは真理を探求する賢者、そしてクシャナは人々を導き率いる勇者であると。(実は土鬼の皇弟ミラルパも、ナウシカとクシャナを掛け合わせたような人物であったと思っております。)

    ナウシカは、どちらかといえば『あちら側』に軸を置いていた人物です。対するクシャナ(とミラルパ)は、あくまでも人間世界に生きる人物です。故に、汚泥にまみれ闇を纏わざるを得なかった。
    ナウシカは憎しみよりも悲しみを以て人間社会に接することができる人物です。それは深い優しさと慈しみ、同時にある種の冷徹さを兼ね備えているように思われます。(森の人セルムもやはり慈愛を有しつつ、ナウシカ以上に世界を俯瞰する冷徹さを有しているように思われます。)
    対するクシャナは、怒りと憎悪に猛りつつ、傷つき苦しみながらも生きることを諦めないひとです。それは、愛する人々を諦めない強さに通じます。彼女こそが、汚れた大地を這いながらも進む、真の人の姿を表していたのではあるまいかと思うのです。

    勇者クシャナは、賢者ユパの血に清められ、吟遊詩人ナウシカにより道を示される。
    実はそんな古典的なプロットに則っていたのではないだろうか?と思っているのですが、如何でしょう?

    いけないいけない。ナウシカ話だと終わらなくなりそうです!
    いつの日か、是非ともナウシカ対談をお願い致しますっ!

    ご教授、誠に誠にありがとうございましたっ!!

    呪文堂 拝

    編集済
  • そもそも何でフィオはすぐにポルコに惚れるのかな、という疑問を抱いておりました。飛行機工場の親方の孫娘が、上客のパイロットに何でそんな会ったばかりで好意を抱くのか、と。
    今回のお話にある「泳ぐ!」のところも、何でそんなイキナリ泳ぐの、アナタもうちょっとポルコと時を積み重ねてから、そういうことをしなさいよ……という疑問を呈していたのです。
    むろん、ここでフィオがポルコに惚れないと、尺が足りないし、お話が成立しない=カーチスとの一騎打ちとか、飛行機同士のバトルが描かれなくなるから、という事情はあるのでしょうが。

    しかし、今回のお話を読んで、「そういうことだったのか」と分かったような気がします。「分かったような」というのは、巨匠相手に知ったかぶりをしている自分への窘めですが。
    受精というイベントにおいて、相手が来たら、もう面と向き合うしかないから、時を積み重ねている暇なんて無い、ということなんだろうなぁ、と。

    いやまあ別に、一目惚れを否定する気はないんですけどね。
    何か唐突な印象を否めなかったのです。
    ですが、そういう説を聞けば、「そうかも」と思えるわけです。

    面白かったです。

    作者からの返信

    四谷軒様っ!

    おお、ありがとうございますっ!そうですよね!若くて可愛いフィオが、何故、豚の中年男に恋しちゃうんだ!?まさか、一目惚れはあり得ないし。
    これは私の妄想なのですが、おそらくフィオは自分の父親や祖父から子守唄代わりに、飛行艇乗りの話を聞いて育ったのだと思うのです。彼女にとって、アドリア海のエース、マルコは特に憧れであったはず。
    終盤、ポルコがフィオを遠ざけようとしたのは、なにも年端もいかない少女だからではないと思うのです。ポルコは可愛い子ちゃんなら喰っちゃうエロオヤジだと睨んでます。しかし、フィオを遠ざけた。これは、フィオが憧憬と恋愛とを履き違えていると感じたからだと思うのです。据え膳喰わぬは男の恥ですが、勘違いを利用して手を出すのは美学に反する。そんな葛藤がポルコのなかに生じたのではないのか。
    最後、ポルコは人間に戻るらしい描写がありますが、ここは果たして、フィオのキスによるものなのか、それともジーナの言葉によるものなのか。ここら辺を敢えて明確にしていないのが、この映画の『妙』だなあ、と思いました。

    ありがとうございますっ!お陰で更に考えることができました!感謝申し上げますっ!

    呪文堂 拝

  • 宮崎駿作品から、精子と卵子の話まで、濃くて深い分析です。
    呪文堂様の『エロに対する規制。これをどのように扱うべきかと思い悩みながらこのコラムを続けてきたわけですが、規制など遥かに飛び越える思想を、与えられたように思えます』
    このお言葉に打ち震えました。本当に勉強になります。ありがとうございます。

    呪文堂さんと元祖天使さんと語らって欲しい、テーマです。
    戻って来て欲しいと、心から願う今日この頃です。


    作者からの返信

    星都ハナス様っ!

    ありがとうございますっ!
    お言葉、恐縮過ぎますっ

    が、元祖天使さまと・・っ
    とんでもないですっ!私などではまだまだ足元にも及びませんっっ
    あの知見、洞察力と閃き。そして何より、創作への熱い想い。本当に凄いですよね尊敬ですっ
    元祖天使さま、相当にお忙しいことかと思うのですが、もしも戻ってきて下さったら、私、嬉しくて泣きますね。
    やばい、泣けそう・・


    元祖天使さまに叱られないよう、頑張らなければいけませんね!

    あ、そうですハナス様っ!
    ハナス様のお陰で、色々な方が訪れてくれるようになりました!もうビックリです!本当にありがとうございますっ!(呪文堂の変態ぶりを御存知ない方もいらっしゃいそうで、緊張しちゃいますっ)

    何から何まで頂くばかりで恐縮のしっぱなしでございますっ
    本当に本当に、ありがとうございますっ!
    このご恩、忘れませんっ

    呪文堂 拝

    編集済
  • 毎回毎回すごい濃さですね。もう平伏します。m(__)m
    カマトトという言葉は否定的なイメージがあったのですが、概念が覆りました。なるほど。そこからの精子と卵子の話がここまで壮大に語られるとは思いもよりませんでした。と思ったらこれが前置き? メインディッシュ並みの前菜です。
    確かに宮崎さんはロリコンと形容されますね。僕も女の子が好きなのかなあなんて簡単に思っていたんです。そしたら
    『自身に宿る乙女の発露』
    やられました。その言葉が突き刺さりました。なぜなら僕の中にもそれがあるからです。子どもの頃はお姫様になりたかった。それができないから自分の目線から少女という神秘性に憧憬を抱くほかない。だから理想化して当然。なるほど作品の少女像は対象物ではなく、そのまま監督の分身ということなのですね。それはロリコンとは何の関係もないものですね。
    そして神聖のなかに肉体の実感を伴わせる。そのチラリズムが巧いのでしょうね。
    無駄な死を遂げていく中にそれでも美しい生の一瞬があるというのは前置きのお話ともリンクする気がしました。
    本当に素晴らしい分析で、勉強になります。

    作者からの返信

    柊圭介様っ!

    ありがとうございますっ!

    柊さんのお言葉で、私、漸く理解しました。本稿を上梓しながらも、なんだかひっかかっていたのです。

    氷解しました。

    そうだ。こんな私の中にだって、かつては乙女が存在したはずなんですっ!(←柊さんっ!笑っちゃダメですよぉっ!)

    『男だろ』『男の子なんだから』『男のくせに』
    幾つくらいからでしょうか、男たれと自分でも言い聞かせるようになってしまい、いつしか心身ともに男になってしまった。いや、自分のなかの女性的要素を殺してしまったのですね。

    生物学的にいえばですよ、たとえ肉体的機能は男性と女性とに分かれたとしても、遺伝的要素は両方有しているはずなのです。
    更にいえば、性という機能は生命の一機能に過ぎません。おそらく女性の方が生命のスタンダードであろうことからすると、本来的に全ての有性生物は女性的要素を生命の本質として保有しているはずだと思うのですよ。

    だから。たとえ男性であっても、その奥底に乙女を宿すのは当然なのかもしれません。むしろ、特に人間社会においては、矯正的に男性のなかにあるはずの乙女を排除するようになってしまったのかもしれない。

    うーむ。なるほど。
    この視点は、重要です。
    ありがとうございます。これは、広がりそうです。そうか、そうだったか。

    エロスというものを『性』のなかで語るべきではなく、『生命』のなかで語らねばならない。卵子と精子の構造も、本質的に生命が有していたものが手段として性の機構に発現したに過ぎないのだと。つまり、『乙女』の起源は性の機構より更に奥、『生命の本質』にあるものではないかと。

    柊さんっ!!本当ですかっ!
    これ、本当なら凄くないですかっ!もしかしたら、『乙女チックな世界観』でこの世の全てを見渡したら、色々と見えてくるものがあるのかもしれないですよっ!

    すみません。妄想が暴走しちゃいましたっ

    いやはや、本当にありがとうございますっ!また、なにやらヒントを頂けたように思いますっ!
    ご教授、誠に誠にありがとうございましたっ!!感謝ですっ!

    と思ったら、素晴らし過ぎるお言葉とお星まで頂戴してしまいっっ 本当に本当にありがとうございますっ!喜びで悶絶しておりますっっ

    呪文堂 拝

    編集済
  • 宮崎監督作品、僕も大好きで実は女性主人公ばかりだなと思っていました。僕はナウシカが一番好きなので女性が主役という事に違和感は感じておらず、恐らく監督は強く戦う女性が好きなんだろうかと思っておりましたが浅はかでした。本来女性は強い生き物。その強さの中に、男性が理想とする乙女を夢見ながらご自身を投影して描いてらっしゃったと言う考察、凄いと思いました。
    この回、ジブリ好きなだけに凄くのめり込んで読ませていただき楽しかったです☆エロは醸し出せ。凄く勉強になりました

    作者からの返信

    小鷹りく様!

    ありがとうございますっ!

    い、いえ、その。私の分析というか妄想は、ピントがずれていることが往々にしてございますため、間違っているかもしれませんっっ ご容赦をっ!

    確かにナウシカは、力強さを見せるヒロインですよね。優しく猛々しい風のような少女です。彼女のカマトトぶりは、とても深いです。漫画版ですと、人類滅亡の可能性を見てみぬふりするわけで。進化に伴う試練を除いてしまおうという墓所の主を拒絶し、これを打ち倒してしまう。確かに、男の出る幕がありませんね(^^;
    その意味では、ナウシカはオーマという巨神兵を処女出産し、オーマという男児に墓所を破壊させた。オーマは母であるナウシカとともに、墓所の子宮を潰すことで、新たな世界を産み出した。・・そのようにみることができるのかもしれませんね。

    いやあ、『風の谷のナウシカ』は深すぎて、なかなか一話では語りきれませんね!

    ジブリ作品、あまり解っていないかもしれず。ご教授を頂ければ嬉しい限りですっ!
    何卒宜しくお願い致しますっ!!
    ありがとうございましたっ!

    呪文堂 拝

  • 百億回くらい頷きながら読ませていただきました。考察も私には到底できない素晴らしいものばかりだと思います。

    ……内容とは違う無粋なことを申し上げてすみませんが、三点リーダーはできれば標準的な使い方をされてほしいなぁと。文章が綺麗なだけに、そこがどうしても気になってしまいました。

    作者からの返信

    彩月結斗様

    ありがとうございます!
    三点リーダーというのですね、点々。そんなことも知らない素人でございます!申し訳ございません!どうやって出すんだろう?
    粗忽者にて申し訳ございません!

    呪文堂 拝

  • 初めまして、ハナスさんのエッセイから伺いました。
    エロスに関しての考察、とても勉強になりました。

    私は今の所性描写のある作品を書いてませんが(少しはあります)
    参考にさせていただきます。

    続きも楽しみにしております。

    作者からの返信

    あいる様!

    あ、ありがとうございますっ!
    初代天使様の頃より存じ上げておりますっ 眩く畏れ多く、なるべくお目に触れることのないよう、こそこそしておりましたがっ 申し訳ございませんっ見つかっちゃいました初代天使様に叱られちゃいますっっどうしましょう!

    はい、エロくて御免なさいの呪文堂でございます。
    お言葉、本当にありがとうございます!恐縮至極ですっ

    当初は『警告を受けない程度のエロってなんじゃろな?』なんて軽い気持ちで始めたのですが、探れば探るほど、エロは深淵でした。
    以前より、直感的に『エロと生命とは切り離せないもの』と考えていたのですが、むしろエロとは生命のエネルギーが視覚化されたもの、生命そのものではあるまいか?とすら思えてきたところです妄想です。

    こんな猥雑なる思考実験を行う場ではございますが、何卒宜しくお願い致しますっ
    あいる様のお手前、なるべく下品にならぬよう気を付けたくっごめんなさい、無理かもしれませんっっ

    ありがとうございましたっ!

    呪文堂 拝


  • 編集済

    高校の古典の先生が昔はしょりをご紹介下さった事がありました。僕は当時高校生でショッキングな内容でしたが、兄の部屋のエロ本に写真付きでこの行為より恐ろしい事をしているものがありましたので、当時はオゲレツとしか思えませんでした。  

    けれど大人になって自分がエロスを描く様になってからは、古典に何とか興味を持って欲しいと話した当時変態呼ばわりされてしまった古典の先生の気持ちが今になってはよく分かります笑(わかるんか)

    食べる口元、髪を結い上げる仕草。単純な行為であっても、その人の性癖に刺さるものはエロスを持って観察され、心に残る。エロスが楽しいのは(あれ、楽しくなっちゃってる、すいません)他人の性癖や禁忌を知ってしまうドキドキ感にあるような気も致します。勝手な感想をペラペラとすいません。とても勉強になりました。

    作者からの返信

    小鷹りく様っ!

    ありがとうございます!

    『エロスが楽しいのは、他人の性癖や禁忌を知ってしまうドキドキ感にある』

    頂きましたっ!これぞ、極意ですね!

    生命は『禁忌を破ることで進化してきた』といういい方も出来そうです。
    そして、人間はエロスを最大級の『知的好奇心』として捉えております。
    ・・『知的好奇心』。これこそが人間にとって進化の起爆剤です。

    すなわち。エロスの多様性、新たなる可能性、そこから生まれる知的好奇心は、人類を次なる世界へと導く・・
    これは決して大袈裟なことではないのではないでしょうか?


    非常に重要な視点を、本当にありがとうございましたっ!感謝でございますっ!

    呪文堂 拝

    編集済
  • 初めまして。ハナス様の所から参りました。
    僕もBLでガッツリドエロを書いて警告受けた者で、勉強しに来させて頂きました。
    僕の場合は完全もう官能になっちゃってたんで仕方ないんですけども笑

    文学作品にさえ通報さえあれば中身を見ずに警告を流す運営の姿勢も眉を顰める事が多いです。

    次は夏目先生との事。文豪でも沢山エロ書いておられますよね、と言うか、エロなしに文学語れるか?それって面白い文学か?と思う次第でございます。

    作者からの返信

    小鷹りく様っ!

    これはこれは!ありがとうございます!
    おっしゃるとおり、エロスを語ることなく人間を語ることなど出来るのだろうか?と思う次第です。エロスは生命活動の核心的な姿そのものなんだと思います。だから、ときには醜悪であり嫌悪感を感じることもあるかもしれません。でも、それも含めて生命であり、それをも受け止めていくことが知性であろうと。

    でも、真摯な想いだけでは潰されてしまうことを学ぶことが出来ました。故に、技法があるのだと。もっとも、真摯な想いは通ずるひとには必ず通ずる。技法を纏い忍びつつ、しかし真摯な想いは棄てることなく抱き続ける、それが求められる態度なのだろうと。
    まだまだ未熟者の呪文堂ではございますが、どうかご教授を頂ければ幸いですっ!

    お言葉、ありがとうございましたっ!

    呪文堂 拝

  • ハナスさんのところから来ました。
    とても興味深い内容ですね✨
    引き続き読ませて頂きます(=^・^=)

    作者からの返信

    日々菜 夕様っ!

    ありがとうございます!
    おおっ、これはこれは恐縮ですっ!
    ハナス様のように、素敵な言葉を散りばめ世界を形作るような才もない粗忽者にございます。
    『エロスの追及』などといった妙なことをやっているコラムではございますが、もしよろしければこの愚かなる呪文堂にご教授頂けたなら幸いです!

    お言葉、本当にありがとうございました!
    感謝感激ですっ!!これからも、よろしくご指導願いますっ!

    呪文堂 拝

  • 芥川の美文に、私も虜となって読み耽ってしまいました。長く引用してくださってありがとうございます。短文だったり切れ切れだったら切なかったです。たくさん読めて幸せ♡

    平中は愛ではない気がします。私の中では、愛は押しつけるものでも自分のものにしたいという願望でもないと思うのです。
    愛という言葉が氾濫しており、多くの人が愛の本質を見失ったまま、容易に愛と言って上滑りしているように感じます。
    エロスもそうかもしれませんね。エロスの本質を知ろうとすることなく、エッチな描写で官能を煽っているがために、エロスが低俗なものになっているようにも思います。
    って、いろいろ書きましたが、その本質とはなにか?と問われても私にもまだ分かりません!特にエロスについてはさっぱり╮(╯_╰)╭
    次回は宮崎駿の乙女なエロスということで、またまた勉強させていただきます。呪文堂師匠、ご教示よろしくお願いします。

    作者からの返信

    遊井そわ香様っ!


    ありがとうございます!

    おや?そわ香様?文字を誤ってございますよ?
    『師匠』ではなく『痴症』、いや『恥症』かな?はい、『恥症』呪文堂にございます!

    さてさて。

    容易に愛を語り、安易なエロを描く。故に言葉は上滑り、エロスは低俗なものとして消費されていく・・

    至言。現代風俗をぴしゃりと言い当てるお言葉。本当にそのとおりかと存じます。
    『愛』という言葉で何もかも説明された気分になってしまう。これは現代社会の非常に大きな問題点ですね。

    愛とはなんなのか?そもそも生命は他者を自らの為に取り込み消費して、自らを存続させようとするものではないのか?いや、自然界には利他的行動というものをみることができる。ならば、愛とはその利他的行動のことなのか?

    愛とは欲求。求めると同時に捧げたいとも欲するもの。『食べちゃいたいくらい』という表現がありますが、実際にそのひとを食べてしまったら。これは愛なのか?『貴方を食べたい』と求められたとき、身を捧げるのは愛なのか?

    つまらぬ思考実験ですが、しかし色々考えてしまいます。

    愛とは何か。
    エロスとは何か。
    そして生きるとは、何なのか。

    追い求めたいと思います。
    この恥症、呪文堂に!どうかご教授願いますっ!
    お言葉、ありがとうございましたっ!

    呪文堂 拝

    編集済

  • 編集済

    呪文堂先生、エロスとは『探求心』なのでしょうか。
    貴方自身だけでなく、貴方を通り過ぎたものまでも知りたいのだろうか……などと考えてしまいました。口にしたものは余韻だったのかな。
    食べる(口にする)行為も時にエロティックに感じるもののように思いますが、真の愛を追求すると美醜の先入観の境はなくなるものではないかい?
    なんて、芥川先生に試されているようでもあります。

    作者からの返信

    蒼翠琥珀様っ!

    ありがとうございますっ!

    エロスとは探求心。

    おお、まさに真髄ですっ!蒼翠琥珀先生!さすが!・・このコラムのラストで云うべき台詞をいわれちゃいましたよ、どうしよう!

    はい!食べる姿にもエロスを感じる、まさにまさに!美醜という概念を固定化させたのは宗教や国家を始めとする社会的規制であると思われますが、本来は千差万別、いや、美醜の差異など有って無いようなものかもしれませんね。

    芥川龍之介はこの作品を通じて何を語りたかったのか、とても面白いです。

    お言葉、ありがとうございましたっ!また是非ご教授願いますっ!

    呪文堂 拝

    編集済
  • 平中……無茶しやがって……という情景が目に浮かびます。
    芥川先生、こんな作品も書いていたのですね、侮れません。先生なら仕方ないだろう、と思われていたかもしれません。
    まだ文学が、アンダーグラウンドの色濃い時代だったおかげかもしれません。

    ちなみにこの人だと、「邪宗門」とかが好きです。邪宗の怪僧と対峙する貴公子……そしてさあ対決だ、というところで終わり。これ、ジャン〇でいう打ち切……いえ、何でもありません。
    他の話も、〇〇と思いきや××でした、とか、今の世ならジャン〇かラノベでのし上がれそうな文豪だな、と思っております。

    次はアニメ巨匠……昨年はNHK深夜でコナン再放送に見入っておりましたが……果たしてこの人はいかに?

    面白かったです。

    ではではノシ

    作者からの返信

    四谷軒様っ!

    ありがとうございます!
    はい、こんな作品も遺しておりました。
    長編になり損ねた『邪宗門』ですね!
    芥川龍之介は物語を広く面白おかしく展開させていくというより、事柄を整理し美しく纏めあげることに長けていたように思われますね。
    ・・漱石先生がもう少し長生きされていたら。芥川龍之介の人生も変わっていたのではないだろうか、なんて妄想しちゃいます。
    この『好色』も漱石先生が目にしたら。漱石先生、喜んだんじゃないかなあ、と思っています。

    はい!次回は巨匠に挑みます!いまからぶるぶるしておりますっ!!

    お言葉、ありがとうございましたっ!感謝ですっ!


    呪文堂 拝

    編集済
  • 「まり」が何か分からなかったので青空文庫で見てみました。おお。これは……ド変態ではないですか。こういう形で辱めることであたかも女性を手に入れたような達成感を得たかったのでしょうか。ベクトルが違う方向に行ってる気もしますが。
    もともとそういう趣味があるとは思えない男なので、思い詰めた先の狂気なんでしょうね。それに自身へのプライドもあったと思います。しかしこれも最後には見事に打ち砕かれる。彼は終わりましたね。
    エロスと汚さは背中合わせだと思います。お下劣と言えば簡単ですが、これをイケメンなままこんな文章にしてしまう芥川先生がすごいです。これじゃ高尚すぎてドン引きさせてもらえないです。

    作者からの返信

    柊圭介様っ!

    ありがとうございます!
    ごめんなさいっ お調べ頂いてしまったのですね!

    ・・結局、平中は自らの中にある神女を追い求めるばかりで、目の前にいる女性を見ようとはしない。彼は侍従にではなく、侍従を介した幻にこそ、囚われていたようにもみえるのです。そして、手に入れようにも手に入らない侍従の幻は、もはや現実のように平中のなかに立ち上る。不浄を暴こうとしながらも、それすら神果のごとき芳しさと、自らの妄想を実現し扉を開け放ってしまう。まさに、愚かにして狂気です。
    ただ。平中は友人達が評するように、おそらくは虚無に漂う宿命のひとだった。ところが侍従の幻は、平中が卒する間際にその心を神女の庭へと誘った・・

    愚かです、平中は。しかし、彼の愚かな一念は、彼を救ったようにもみえるのです。彼の侍従への想いは、果たして愛だといえるのか?
    いや。そもそも愛とは。このようなものだとでもいうのでしょうか・・

    違う!愛と妄想とは違うものだっ!
    と叫びたいところですが、いかんせん、芥川の麗美な世界に圧倒され、舌が上顎に引っ付き声がでませんっ

    ・・龍之介先生の想いは、どうだったのでしょうか?

    ありがとうございました!お陰で更に考察出来たような気がしますっ!
    まりを愛でる話など出してしまい失礼致しましたっ!!

    呪文堂 拝

    編集済
  • 呪文堂様、今回の芥川龍之介の「好色」の考察も素晴らしいですね。
    実はこの作品知らなかったので、ググってきました。

    面白いです。エロスです。いやインパクトありすぎで、芥川龍之介のイメージが
    変わりました。そこまでして愛を突き詰める平中に若干引きましたが、これはもう
    芥川龍之介の技法でしか書けないのではないかと思いました。笑

    おっしゃる通り「どんな対象物」素材にエロスを発掘するのか、深い考察が出来ました。『今昔物語』『宇治拾遺物語』『十訓抄』などの底本があるゆえ、芸術的と感じますが、受け身である女の性からしたら、狂気すら感じます。

    話はそれますが、私の友達の話を思い出しました。彼女に惚れ込んだ彼氏が、着用後の彼女の下着をやたら欲しったそうです。恥部部分を切り取ってマスクがわりにした……恋愛というものは性的嗜好に関して盲目、他人からしたら狂気ですが。
    食べ物の嗜好と変わらない。ある意味生き方だと実感して、究極のエロスを感じました。笑 私まだ二十代でしたので、そう感じたのかもしれません。

    エロスというものは、深い。「好色」の考察は、勇者様とリンちゃんに会いたくなるエピソードでした。
    次回も楽しみしております。

    作者からの返信

    星都ハナス様っ!

    ありがとうございますっ!
    おお!素晴らしいエピソードをありがとうございます!・・恥部部分を切り取ってマスク代わりに・・江戸川乱歩の世界を彷彿とさせますねっ!
    いや、愛というものは突き詰めるとその様なものなのかもしれません。他者が入り込む余地など全くない世界。どろどろと溶け合い絡み合う、愛憎苦楽が共にある世界・・昨今敬遠され勝ちな世界観ですが、しかしそんな世界でなければ造り出されない結晶がある。そんな感じがしますね。

    この『好色』に出会うまで、芥川龍之介は秀才肌の優等生、というイメージだったんです。
    しかし。今ですら物議を呼びそうな本作をあの時代に発表した芥川の想いとは。
    色々考えてしまいます。

    ・・拙作には技法以前に覚悟が足りなかった。そんなことを感じた次第です。

    エロスは深い。おっしゃるとおりです。
    ご教授、ありがとうございましたっ!
    更に精進したいと思いますっ!

    呪文堂 拝

  • 創作論ランキングからお邪魔しましたが、『握りたい勇者と渡さない美少女。』読んでましたよ。主役ふたりにおたがいちゃんと好意があって、勇者くんも一途だし、愛あるエロでほほえましく読んでたので残念です。

    ガイドライン内で書く工夫についても考えないといけませんね~。

    作者からの返信

    西フロイデ様っ!

    ありがとうございます!お言葉、本当に嬉しいですっ!

    『握りたい勇者と渡さない美少女』では大変ご迷惑をお掛け致しました。改めて深くお詫び申し上げます、ごめんなさいっ!

    いや、実は。非公開処分となったおかげで、学びの機会を頂いたようにも思えまして。 
    『握りたい・・』は『エロから生命を考える』という作品だったのですが、今は『そもそもエロとはなんだろう?』という、更に基本に立ち戻ることができたように思えまして。
    実に拙い思考を展開するばかりで恐縮には存じますが、この呪文堂、文学というものがよく分かっていない粗忽者故、ご教授を頂ければ幸いに存じます!

    お言葉、本当にありがとうございましたっ!嬉しくてちょちょぎれてしまいますっ!

    呪文堂 拝

  • 待ってました、よっ、呪文堂様っ!
    なんだか第一話よりパワーアップしており嬉しい限りです(#^^#)
    興味深く読ませて頂きました!

    漱石センセからはそこはかとなくBLの匂いがすると思っていましたがw
    女性を好きだけど嫌いなんじゃないかなww
    だってめっちゃ女性を見て意地悪に書いてるように感じますものー
    そこが森鴎外ちゃまと違って近所のおじさんぽくて萌えるんですが

    こちらの「行人」のシチュエーションて少し「武蔵野夫人」にも似てるなと思い、両作とも読みかえそうと思います
    時代の変遷を感じ取れるかなと

    素晴らしい考察ありがとうございます、頭の運動になりますw
    次の芥川っちも楽しみにしております

    カナリヤ

    作者からの返信

    カナリヤ様っ!

    ありがとうございます!
    漱石先生にBL の香り!
    最近ですね、この呪文堂も『性とはなんぞや?』というところから、同性での恋愛とは何だろう?ということを深く考えるようになったのです。
    そんな中での『漱石先生にBL の香り』、これ半年前なら全然分からなかったと思うのですが、今は何となく判る気がします!あくまでも呪文堂の分析なんですが、漱石先生における『BL 』の世界は、漱石先生に内在する『乙女チックな世界観』の発露からくるのでは?と思いました。
    これに関しましては、次回は『芥川龍之介のぶっ飛びエロス』なのですが、その更に次に『乙女チックな世界』を取り上げたいと思ってます!

    ・・でも漱石先生、女好きだと思いますよ。ただ、癇癪持ちで偏屈だから。鴎外のように気取ってはいられないんですよ、たぶん(^^;

    『武蔵野夫人』!未読です!大岡昇平ですか!大正時代の『行人』と、戦後の『武蔵野夫人』との対比。これ、色々と面白いかもしれませんね!さすが、カナリヤ様、凄いなあ・・っ!

    本当に学ぶべきことが山のようでくらくらしますが、どうぞ、ご指導願いたく!!

    お言葉、ありがとうございました!感謝ですっ!

    呪文堂 拝

  • 暗闇と音はどうあっても感情を掻き立てますね。恐怖でもエロスでも増幅する。
    ただ着替えているだけですけど? って確かに秀逸。
    そして何より呪文堂さんの語りに飲み込まれています。

    帯擦れの音、その瞬間。つい、音の在り処を探りたくなりそうですね。

    作者からの返信

    蒼翠琥珀様っ!

    ありがとうございます!
    流石です!
    『暗闇と音は恐怖とエロスとを増幅する。』
    これ、真髄ですね。

    人間の人間たる真髄、すなわち他の動物との違いはここだと思うのです。・・闇と音への対応。恐怖心と好奇心と性的衝動。想像力の源泉であり、人類の進化を推し進めた原動力だと思います。
    (インターネットの普及に大きく寄与したのは、エッチ画像を懸命に検索したおじさん達のエロパワーとも謂われてます!)

    そして文字とはそもそも神事に用いるもので、不可思議なものと接触するための道具とされた。
    不可思議なものはもちろん恐怖の対象ですが、神事に性的な意味合いを持つものが少なくないのも解りますね。空想的世界で不可思議と接合する際、恐怖心のみに支配されぬよう、エロスを用いて人間の活力を後ろ楯とし、場のコントロールを試みたのでは?と思うのです。

    故に。恐怖とエロスと文字との関連は深い。人間を人間足らしめる根元的なものだと思うのです。

    ・・やばい。ついつい核心を言っちゃいました・・
    蒼翠琥珀様の真髄に触発されちゃいましたよぅ

    お言葉!ありがとうございましたっ!感謝ですっ!

    呪文堂 拝

    編集済
  • 面白いっ。声に出して笑ってしまいました。「エロい?何言ってんのあなた妄想しすぎじゃないの?着替えてるだけですけど」ずるいですねえ(笑)ほんとに抑制どころか促進ですね。『三四郎』の最初の方にも変な女が出てきて三四郎とひと晩共にするって場面がありましたね。漱石は数えるほどしか読んでいないのですが、この作家の書く女はちょっと大胆なのが多い気がするのです。しかも当時の控えめな日本女性がたまに何かズバッというから余計に効くんですよね。心臓に悪そうです。

    作者からの返信

    柊圭介様!

    ありがとうございますっ!

    正にまさに!何で読んだか失念しましたが、漱石先生、ちょっと浅黒いような女性がお好きだったようで。『三四郎』の冒頭に出てくる汽車で知り合う女性、あれ絶対に漱石先生のどストライクです!

    慣習のために日頃控えている女性が、その本来の性質故に、瞬時大胆奔放に活動する。これが漱石先生のオススメシチュエーションで!

    (そうか!漱石先生、責めるより責められ好きでしたかっ!いやあ、今まで気づきませんでした!不覚っ)

    それに致しましても、エロスとは千差万別、色々な形がありそうですよね。そして、なんというのでしょうか、皆さんそれぞれにチャンネルを有していて。これが合うと桃色の世界が立ち上がってきますが、合わないと今一つ乗れないし、人によっては不快感すら生じさせかねない。
    故に、合うひとの為には何処までも羽ばたき得る伸びしろを設けてあげて、合わない人には『勘違い?意味不明・・』と放置可能な表現を用いてあげる。
    実に難しいですが、面白そうです。

    しかし。しかしエロスの本質は、やはり技巧ではないのだと思う気持ちもあります。エロスとは生そのものであり、奮える程に美しいもののはずですから。・・その本質を見失わずに技巧を修練せねばならないのだろうと、お言葉を読み返しながら思い至りました。

    本当にありがとうございましたっ!精進致しますっ!

    呪文堂 拝

    編集済

  • 編集済

    漱石先生は、教科書で「こころ」しか読んだことのない無知レベルなのですが、呪文堂さんのご紹介で興味がわきました!調べてみたら「行人」は最後まで曖昧な感じみたいですね。しかも一郎さんはDV夫だと書いている人がいて……。一郎さんは病んだ人なのかしら?(^^;

    闇と音による想像力のかきたて方、お見事ですね!
    でもわたしがドキドキしてしまったのは、状況です。暴風雨。電話も電車も通じない。電灯が消える。
    「ここに来て私に触ってご覧なさい」

    これはなにかが起こる!一夜の過ちが!?というおかしな期待感が生まれましたよー。
    昔の人って、おそらく飢えていましたからね。漱石先生の新聞連載に多くの人が想像力をふくらませて、胸を高鳴らせていたはず。
    エロスって作者の意図を超えて、読者の心のなかに生まれる場合もあるのだと考察いたします。

    作者からの返信

    遊井そわ香様っ!

    作者の意図を超えて読者の心のなかに生まれるエロス!

    ああ、名言ですっ!

    そのような世界が広かったなら作者としては他に望むものはありませんね!少なくとも私はっ

    『こころ』は確かに名作ですね。しかし私は『行人』の方が好きかもしれません。兄の一郎の壊れっ振りが爽やかなくらいで(^^;

    でも、女性がお読みになると不快感MAXになっちゃうかもしれません。漱石ですら、この時代の女性は男性にかしずくもの、という感覚は払拭できてない。いや、だからこその苦悩、という一面もあるのかもしれませんが。
    いろいろと考えさせられますねっ

    ドキドキして頂き嬉しい限りです!
    ありがとうございましたっ!

    呪文堂 拝

  • 呪文堂様、更新お待ちしておりました。ありがとうございます。

    前もお話したかもしれませんが、友達にBL 漫画を借りたら、漱石先生の作品に触れていました。なので、漱石先生エロスドキドキしました。
    そうなんですよね。読者の想像力がエロスとするか、しないかなんですね。

    「隠喩」「暗喩」ですよね。聖書の中でも「裸を見た」とか、「衣を掛けた」という表現は「見た」だけでなはなく、性関係を持ったという意味ですもの。
    漱石先生はそれを帯び擦れの「音」で表しているんですね。

    興味深い考察でした。^ ^ 芥川龍之介、楽しみにしております。

    作者からの返信

    星都ハナス様っ!

    ありがとうございますっ!
    すみません、近頃のんびりモードになっておりますっ!
    『握りたい勇者』連載中はまるで本を読む時間がなかったので、これを奇貨として漱石を読み漁りました。
    漱石作品とBL 、なるほどですね。漱石先生、恋愛に関してはかなりピアな感じがしますので、BL 素養も高そうです。友人に対してや、師弟関係において。
    ちょっと前まではBL の意味すら解りませんでしたが、近頃イササカ研究しておりますっ!どうぞご教授願いますっ!

    『見る』という言葉に性交の意味が含まれる。おお、ありがとうございます!これは面白いですね。『見る』ことは最小限の能動的行為ですが、そこには常に性的行為が含まれ得るということを示唆しているようにも思われますね!
    『生きることはエロいことだ!』という呪文堂の主張も、あながち間違っていないとか?いや嘘です!

    お言葉、本当にありがとうございます!励みになりますっ!

    呪文堂 拝

  • 読者の想像力こそが、最大の味噌なんだよなぁと思うのです。
    今回のお話を読んで、そう思いました。
    エロスだけでなく、他の事柄にも言えることかと思います。

    石に漱ぎ流れに枕すの先生……「こころ」も、これ教科書載せていいの? ……と当時の私は思ったりしました。友を裏切り、その想い人を……こんなんアリ? と。
    しかし、人倫的にはアレな内容でも、そこに価値が、美しさがあると教えてくれた作品なので、やはり載せてもらって良かったと思います。

    面白かったです。

    作者からの返信

    四谷軒様!

    ありがとうございますっ!
    まさに『読者の想像力』こそが最大の味噌、なんですね!
    いわば読書とは筆者と読者との共同作業であり、素材を揃えて下拵えするのは筆者でありながら、決め手となる最後の味付けは読者に依るところが大きい。
    筆者はそれを引き出すためにあれこれと手を焼く。
    即ち文章の深みとは、読者が自らの空想を用いてどれだけ自らの世界に落ちていけるか。その切っ掛け舞台装置をどれだけ整えることができるのか、ということでしょうか。
    なるほど、そう考えると直接に出し過ぎた表現は冷凍食品のように思えてきました。

    『こころ』ですね!先生の人格たるやなんともはや。肝心の奥さんは始終蚊帳の外。そんなひとの醜さをとことん書き尽くしながらも、しかし、なんたる美しき筆の運び。
    ・・なるほどですね。その意味では『こころ』も参考となりますね。どろどろと湧き出るものを、まるで『文學』のように済ませてしまう。

    非常に勉強になりました!ご教授、ありがとうございましたっ!

    呪文堂 拝

    編集済
  • はじめまして!
    柊さんの近況ノートを読んで、呪文堂さんに興味が沸き、来てしまいました。
    警告があってもお強いですね。許されるエロスを極める仙人(笑)になりそうな、そんな予感を感じさせる第一話ですね。頼もしいです。
    許されるエロスの境界線って、非常に曖昧だと思うのですが、ギリギリを探求するのもおもしろそうですね。

    コメントの返信に「映像は想像力を抑制して、文書は想像力をかきたてる」とありますが、激しく同意です。 視覚を補う想像力のパワーにはすごいものがありますね。
    具体的に描写しないことで「なにが起こったんだ!」と読者が勝手に想像すること、ありますもの。
    書かないことで、読者の脳内に広がるエロスな世界、楽しそうです。

    長々と失礼いたしました。
    今後の呪文堂さんの執筆活動を楽しみにしています。

    作者からの返信

    遊井そわ香様っ!

    ありがとうございますっ!
    柊さんの近況ノートにも身に余るお言葉を頂戴しており、さてさてどのように御礼を申し上げようか、ずかずかとお伺いするのも気が引けるなあ、と悩んでおったところです。そんな折にこのお言葉。恐縮が累乗してしまいました。身がぶるぶるする思いでございます。

    高校生のとき、初めて東京は神田神保町の地に下り立った日を今でも覚えてます。
    専門書の山。その横に平然と並ぶエロ本の山。唖然としたものです。・・その日以来、私のなかの知性は学究とエロとが自然なままに同居しているように思われます。
    しかし、この姿勢は些か自然科学的やもしれません。文学ではこれを更に昇華させた。あるがままにすることなく、『エロス』としての表現世界を切り開いたのですね。ホットパンツから伸びる脚はそれはもう美しいのですが、着物の裾が捲れて覗くふくらはぎは、どきりとするほどの色香を漂わせます。
    遊井そわ香様のお言葉のとおり、具体的に描写しないことで、却って視えてくるものがある。これが『エロス』の真髄であり、同時に表現の真髄なのかもしれない、と思ったりしました。

    『エロ仙人』!いいですねっ!いつかその称号を得ることができるよう、精進したいと思いますっ!

    お言葉!本当にありがとうございますっ!

    呪文堂 拝

  • これはまたとんでもなく読み応えのある創作論を始められましたね!まさか法律や判例まで登場するとは思いもよりませんでした。その徹底した姿勢に改めて尊敬です。
    しかし条文の類いを見ても僕の頭では分かりません。「著しく刺激する」とすればその「著しく」はみんな違うわけだし。数字にならないものを数値化しようとするみたいな難しさですよね。
    御作の中でよく妄想シーンが登場しましたが、あれはOKで、リアルに結びつくシーン (個人的にこちらにより男女の深みを感じていました) はアウトなのかしら。それも分からないです。
    ともかくこれから取り上げられる内容も含め、呪文堂さんがこのテーマをどう解釈していかれるか楽しみに読ませて頂きます。

    作者からの返信

    柊圭介様っ!

    ありがとうございます!
    法解釈などという無粋なところから始めてしまいましたっ
    骨格だけでもしっかりしておきたいと考えまして。
    不器用なので、一つ一つ積み上げてみようかなぁと思った次第です!

    拙作の妄想シーンは些かあれですのでOK かどうかは難しいところですが、しかし、リアルの記載部分で展開させるよりは大目に見られる可能性はあるかもしれません。

    ただ。
    やはり不思議なのは、拙作が仮に市販された場合、なんの規制もなく販売されると思われるんですよ。
    つまり、出版界やWeb 小説プラットホーム界に、明確なコンセンサスが採られているのか、甚だ怪しいのですね。

    だからこそ、執筆側が旗を振っていく意義はあるのかもしれません。
    まあ、のんびり頑張ってみたいと思いますっ!!
    サボっていたら蹴っ飛ばしてくださいっ!!

    いつも温かいお言葉を頂き、本当にありがとうございますっ!なんとかしてお言葉にお応えしたくっ!!

    ありがとうございましたっ!
    感謝でございますっ!!

    呪文堂 拝

    編集済
  • 文書に対する規制はやや緩めというお話で、『画像・映像に比べ、文書は受け手に読解力を要するから』という解釈は、的を得ていそうだなあと思いました。

    それに想像力の限界でしょうか。

    こんなことを書いてしまうのはアレですけれど、映像だとキスシーンでも、なんとなく恥ずかしくて目のやり場に困ってしまいます。(15歳はとっくに過ぎています)

    ですが文書の場合は不思議と大丈夫です。官能小説と呼ばれるものは読んだことがない気がしますが、カクヨムでの「性描写あり」の作品でも避けることなく普通に読んでいます。(他サイトは利用していないのでわかりませんが……)

    恐らく映像を摂取してきていないので、全く想像力が養われていないのだろうと。
    ある意味残念ですが……視覚情報から受ける印象や感覚って、それなりに強烈なんだろうなと思いました。

    作者からの返信

    蒼翠琥珀様っ!

    大変恐縮に存じますっ
    この呪文堂、大いに緊張しておりますっ

    『映像だとキスシーンでも、なんとなく恥ずかしくて目のやり場に困ってしまう』

    なんとなんと。なんと素晴らしき感性でございましょう!

    そして『文書だと大丈夫』。
    正に。これぞ真髄かと。

    画像や映像を観ることは、かなり受動的かと思われます。対して読むことは、実に能動です。小説は、書き手と読み手の丁々発止による昇華こそが醍醐味。蒼翠琥珀様が官能的なものでも文書ならばとお思いになるのは、おそらくその素晴らしい感性により、美しく転換された魅惑的な世界を発現し得るからかと存じます。
    想像力が養われていない?僭越ながら、全く逆かと。
    絵画や映像は想像力を抑制してしまいます。ところが文書は、無限に想像力を掻き立ててくれる。ただそれは、読者の感性や想像力、思想や経験に大きく左右されます。読み手が表現の再生に大きく寄与するからですね。

    故に、読者の内面が作品を通じて投影されやすくなる。それは喜びや悲しみ、怒りや憎悪すら産み出す。
    こと性の問題は、より内面をえぐり得るため、強い嫌悪感を生じさせることもある。それは読み手の内面にあるものこそが原因なのかもしれないのですが・・

    だから読書は素晴らしい。そうなんです、規制なんか考える輩は想像力の欠如した可哀想な人なんです。何歳だろうと、美しく清廉にして凄惨なまでの世界を視ることができる人もいる。そのような存在すら想像できないのでしょう。←ヤバイ!言っちゃった!ナイショですよっ

    つい長々と失礼致しました!
    お言葉、本当に嬉しい限りです!
    ありがとうございましたっ!

    呪文堂 拝

    編集済
  • 興味深く、二度読ませて頂きました!
    公開停止を2度食らった身なので、参考になりますw

    結局は誰かにチクられた、だから警告が来た、という流れだとは思いますが、
    このエッセイで今の自主規制の流れをかえることが出来たら嬉しいです
    カクヨムのスタッフ様も好きで警告してるわけではないでしょうしね꒰◍ᐡᐤᐡ◍꒱

    思ったより呪文堂様が元気で前向きでいらしゃるので安心しました!

    作者からの返信

    カナリヤ様っ!

    ありがとうございますっ!
    に、二度もっ 恐縮ですっ!

    なんと!運営さんに通報する方などがいるのですか!随分暇な、もとい、真面目な?方がいらっしゃるのですね?

    現代社会はクレーム社会ですね。本来の個人主義ゆえの主張社会ではなく、そこに到らない未成熟なクレーム社会。主張する権利には必ず義務が伴うものです。義務とは、反論を享受しこれに対処すべき義務です。その観点からすると密告(小学生の『先生に言いつけるから!』と一緒?)などあり得ないはずなのですが、現在のクレーム社会は消費経済と結び付いてしまっている為、供給側が利潤追求に目がくらみ、クレームを無批判に受け入れるという構造になっているんですね。

    すると、どうしても『無難な』ものに落ち着こうとする為、サービスも商品も表現も、紋切り型のつまらないものになってしまう・・

    宮崎駿氏は『風立ちぬ』で主人公に煙草を吸わさせましたが、これに過敏反応する人々も実際にはいたようですね。

    ただ。私は思うのです。
    今まで、プロの表現者は本当に大変だったろうと。キ印のような無責任で一方的なクレーマーらを相手にしてきたのですから。
    ・・しかし、これからは違う。
    『誰もが表現者となり、発信していく時代』です。
    無責任に放った言葉は、必ず自らに戻ってくる。
    そのような環境になったとき、漸く人々は『主張する権利とそれに伴う義務』を認識していくだろう、と少し期待しているのです。
    どうなるでしょうかね?


    あのっ!
    落ち込んだんですよ、ちゃんと!ああ、もう駄目だっ!って、数時間は!
    ・・でも、憂いが長続きしないのが私の弱点で。文学者には向いていないんだろうなあ・・

    次は文豪のエロを訪ねてみたいと思います!なにかご存じのものがあればご教授願いますっ!!
    お言葉、ありがとうございましたっ!


    呪文堂 拝

    編集済
  • 勉強になりました!
    私もなろうで似たようなことがあり、大量に削除した後、別にR18で書いてます!
    エロとは難しいものですね!

    佐々木龍さんのツイッターから来ました!

    作者からの返信

    暮伊豆様っ!

    ありがとうございますっ!

    大量削除、それは大変でございましたね・・お察し致します。
    自主規制というものに関し、思うことは色々かと存じますが、まずは真っ向から攻めてみようという試みです。
    お楽しみ頂ければ幸いですっ!

    お言葉、ありがとうございました!

    呪文堂 拝

    編集済
  • 深い考察ですね。
    私、全く知らない事ばかりでした。
    まずは呪文堂様のコラムからしっかりと知識を取り入れたいと思います。

    作者からの返信

    星都ハナス様っ!

    ありがとうございますっ!

    文学と発禁、切っても切れない間柄ですよね。規制の枠をかい潜るようにして新たな表現方法が生まれてきた。より美しく、より淫靡に。画像や映像が氾濫する現代、我々は少しビジュアル的表現に頼りきっているのかもしれませんね。
    なんか堅そうなことを言っていますが、つまりこれも『具体的対応法』の実践で(#^.^#)

    知識だなんて大層なものではございませんが、楽しんで頂ければ嬉しいですっ!

    ありがとうございました!

    呪文堂 拝

  • そういえば週刊サンデーとか、昔、最後までいっちゃう漫画とか載せていました。バーローが口癖の探偵とか連載はしていた時期でしたが。
    月刊マガジンとか、月刊ジャンプとかも、必ずそういう枠があって、おそらくそういう層への購買意欲を増すためだったのでしょう。
    かつ、その頃は、どっちかというと、漫画はまだマイナーなメディアであり、「どうせ大人は見ない」「真面目な人(法曹の人)は見ない」から、アンダーグラウンドだからいいだろう、みたいなノリがありました。

    ところがいつの間にやらメジャーな、巨大な、「表」のメディアと化してしまったからさあ大変、アレな漫画は消えていき……という流れを見ていました。
    だったら青年誌に行きなさいというところでしょうけど、青年誌だと「弱い」から、生き残れないんだろうなぁと思いました。

    何だか御作のこの話を見ると、そういう感慨を思い出しました。

    面白かったです。

    作者からの返信

    四谷軒様!

    ありがとうございますっ!
    たしかに!雑誌の世界も変遷しているかもしれませんね!

    思うに、『大人のセックス』というものと『未経験者の最後まで』というものは、意味するものがまるで別物だと思うのです。
    そのようなものが表現し得る場が失われていく、とても残念な状況です。
    妙に健全な表現世界と、R18の過激な表現世界との二極化。人間というものは、白と黒との間の灰色部分をどれだけ分厚くできるかにかかっていると思うのですが、少なくとも青少年の世界では、それがしにくい環境になりつつあるように思います。

    もっとも。青少年たちは大人よりも強かで賢いものと私は信じてます。彼らは大人が施す馬鹿馬鹿しい規制を乗り越え、自らが求めるものを獲得していくとは思うのですが。

    むしろ愚かな大人である自らのために。『規制』とはなんであろう?と考えてみたいと思った次第です!

    お言葉、ありがとうございましたっ!

    呪文堂 拝

  • 面白い考察でした!
    密林とかドラゴ○ボール的なノリも面白かったです!

    ……しかし、ふと思いました。本文にある刑法に従うならば、pix○vの関連サイトでRの絵を販売している絵師さん、そして「夜想曲」や「美少○文庫」で書いてる作家さん、全員有罪なのでは?((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

    次回も楽しみにしています!

    作者からの返信

    彩月結斗様っ!

    コメント頂きまして誠にありがとうございますっ!

    刑法175条のわいせつ物頒布等罪、たしかにこれ、ちょっと怖いですよねっ!
    ネットなんかでは、かなりエグい画像や動画などが出てますからね。それに比べればこの程度は大丈夫かな?と思ったらアウトっ!なんてことも無いとは限らないかもしれませんっ

    刑法では、特に二つの点を気を付けるべきだと思うのです。
    一つは、法に違反しているか。
    もう一つは、起訴されうるか。

    つまりですね、法には違反しているけど、それがあまりに軽微であれば起訴されない、ということは往々にしてあるんですよね。
    逆にいうと、法に違反していて、その程度が大きければ起訴される。
    ここでいう『程度』は、違反行為の内容のみならず、社会に与える影響も含まれ得る、と考えます。

    つまり、『やり過ぎて目立ってしまうと起訴されやすくなる』ということはあるかもしれません。

    特にわいせつ物頒布等罪は『健全な性秩序、性風俗を守るため』の規定ですから、社会に大きな影響を与えるような場合には、起訴される可能性が高くなると思われるわけです。

    なお、わいせつ性の判断は、その時代時代により異なりますので、過去に起訴された程度のものが現在では許される、ということはあります。(『チャタレー婦人の恋人』は、現在では全く問題となりません。1973年に無修正版が発刊され、1996年に削除部分が補われた完訳版が発行されています。)

    本稿で考察した通り、明確な線引きがないので非常に難しいのですが、思うに、違反の程度が大きく、社会的認知度が高くて影響力が強くなった場合、もしくはそれにより多額の収益を得ているような場合、起訴される可能性が高くなっていくと思われます。

    まあ、やりすぎ注意!ということですかね!

    お言葉、ありがとうございました!感激ですっ!

    呪文堂 拝

    編集済