第3話 涼真の物語 涼真の章 その4にして終章
うーん、と小さく声を上げながら、美紅は頭を振った。
目の前に白い天井が見える。
あれ? ここ、どこ? うちの天井、こんなに白かったっけ?
あと、背中と足がすっごい痛い・・・・・・。
「よっ。ねえちゃん、やっと起きた?」
いがぐり頭の、いたずらっ子のような表情を浮かべた一哉が、にやっと笑った。
「一哉・・・・・・ここ、どこ?」
なんで一哉がいるんだろ。勝手に部屋に入るなって、いつもあれほど言ってるのに、と美紅は一哉に文句を言おうとして、ふいに思い出した。
そうだ、私、涼真とタクシーに乗ってて、それで急に目の前に車が・・・・・・
「涼真、ねえ、涼真は? 涼真はどこ!?」
そう言いながら慌てて美紅は起き上がろうとしたが、背中と足に激痛が走って、うまく動けないことに気付いた。
一哉も慌てながら、起き上がろうとする美紅の体を押し止める。
「だめだって、ねえちゃん。あのさ、ねえちゃん、事故ったの。タクシーの運ちゃんがさ、とっさにハンドル切ってくれたからよかったけど、ハンドル切りすぎて車がひっくり返ったの。そんで、ねえちゃん、背中打って、右足はポキッと折れたの。ここは病院。ねえちゃんは手術終わって、絶賛安静中。だから、無理すんなって。あ、運転手さんも同じく入院中な」
一哉は必死で美紅に言い聞かせた。
「わかった、それはわかったわよ。でも涼真が!」
美紅は事故のときのことを思い出した。美紅の袖を必死に引っ張って助けようとしていた涼真の姿。ガソリンの臭い。行きなさい、と命令されて何度も何度も美紅の方を振り返りながら、最後は走っていった涼真。
あの後、涼真は無事だったの?
「ワン!」
病室に響く声。
え、と戸惑う美紅に、一哉は気まずそうな顔をして、それから床の方に手を伸ばした。
「こらっ、だめだろ、涼真。バレたら怒られるじゃん」
「ワンワンワン!!」
「だ、だから、鳴くなって、バレるっつの」
あわてふためく一哉を無視して、美紅が寝ているベッドの下からふわふわの大きな毛玉が飛び出し、そして横たわっている美紅の左手を舌でペロペロとなめた。ふわふわした尻尾がちぎれんばかりに振られている。
「涼真。よかった。無事だったのね。よかった・・・・・・」
美紅は、左手を動かして涼真の頭を撫でた。いつも頭を撫でられるのは嫌がる涼真だったが、今日はされるがままになっている。
「涼真がさあ、必死になって走ってるの見て、歩いてた人が事故に気付いてくれたんだよ。あの道、普段はあんまり車も人も通らないじゃん。だからお手柄だよ、な、涼真」
一哉は涼真の頭を撫でようとしたが、涼真は嫌がり、身をよじった。
その姿に一哉がむくれる。
「ちぇっ。相変わらず、ねえちゃんが一番だよな、おまえ」
一哉は涼真の口を両手でむにゅっと触りながら、その後ぶっ倒れて気絶してたお前を、病院に連れてってやったの、誰だと思ってんだよ、とぶつぶつ文句を言っている。
それを見ながら、美紅はくすっと笑った。
「しょうがないよ、涼真は病院が大嫌いだもん。注射されると思ってるのよ。だから病院に連れてかれたって思って、怒ってるんだよ」
「まーね。だからねえちゃんとしか、一緒に病院行かないもんなあ。その途中で事故ったわけだけど」
うるさいわねえ、私が事故ったわけじゃないわよ、と美紅が言い掛けたそのとき、病室のドアががらっと開いた。
「相沢さん! なんですか、なぜ病室に犬がいるんです! すぐに出ていってください!」
目を吊り上げながら怒る看護師の姿に、一哉は、ごめんなさい! と言いながら涼真を抱えて出ていった。
一哉に抱え上げられた涼真が、名残惜しそうに美紅を振り返り、くぅん、と一声鳴く。
美紅は、微笑みながら左手を涼真に向かって、小さく振った。
涼真が無事でよかった。治ったらいっぱい散歩しようね。それまでは一哉で我慢してちょうだい。
がみがみ叱る看護師に謝りながら、美紅は心の中で涼真に語り掛けた。
「よかったですね、お客様」
店主はそう言いながら、オレンジ色の本をそっと閉じた。
不思議なことに、閉じられた瞬間、表紙に書かれた「涼真」という銀色の文字は、ゆっくりと消えていった。
それにしても、やれやれ。店主は首を振りながらため息をついた。
1か月の減給ですか。仕方がない、本来、お客様ご自身で確かめなければならない「結末」を話してしまったのだから・・・・・・とは思うものの、あの場合、他に方法がないじゃないですか、まったく、と店主はひとりごちた。
カラン、カラン。扉が開く音がする。
おやおや、早速、次のお客様ですか。今度は、本が読める方だといいんですが。
そう思いながらも、あのふわふわっとした涼真の毛並みを思い出すと、店主はにやにやしてしまう。いや、可愛かったですねえ、あのお客様は。
さて。
「いらっしゃいませ、お客様」
ここはどこだろう、と不安げな表情を浮かべる女性に向かって、店主はそう呼び掛けた。
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