序章

第1話 序章「想い、すれ違い その壱」

 202X年 春 某日。


 「オレ」はずっと見守っていた。

 

 その名を思い浮かべるだけでも麗しい、「越路奈々」の一挙一動を。


 そして今でも、ずっと見守り続けている。


 例え彼女がオレの目の前にいる時も、居ない時も。

 

 オレは、来年の大学受験や部活で疲れ果てながら自分の部屋に戻り、ベッドに心と身体と心のダルさを預けながら、こんな風に思う。

 

「何故あの奈々が、オレの気持ちを、こんなにまで混乱させているのだろうか?」


と。

 

 オレが生まれてこの方、初めて体験するこの奇妙な感覚、まるで脳みそと心臓が同時に暴れてひっくり返りそうな症状をコントロールする為に、とある検証を試みた。


「そもそも奈々の存在を意識し始めたのは、いつの頃からだったのか?」


 思い出そうとすればする程に、オレの気持ちの変化推移のどこからを『始まり』と定義するか、オレのココロの記憶は曖昧過ぎてハッキリしない。


 そもそも、そんな事に区切りなど付けて、どーなるってんだ。そんな事でオレの心身の乱れを沈める効果なんか、期待出来そうに無い。

 

 だが、俺の一部の記憶だけはハッキリしている。


 あれはオレ達が高校2年生の始業式を終えた最初のホームルームの日。同学年で一番の情報収集に秀でたヒデって奴が、


 「おいみんな! あのチョー有名な私立音大付属女子学園から、ドイツ人とのハーフで、しかもチョー・ナイス・バディな転校生が来るんだってよ!」

 

 との噂がクラス中の男女の間で持ちきりになっていたその時、突然の教室のドアが開く音が、皆がざわめきを、まるで水を打ったかの様に沈めた。


「ガラガラガラ」


「ゴクリ・・・」


「ドッキン、ドッキン」


 オレは、クラス全員が固唾を呑み込む音と、皆の期待に高まる胸の鼓動が、教室中に響き渡ってるんじゃないかとさえ思った。


 昨年からのオレの担任である笛吹鈴子先生に付き添われ、教室に姿を現したのは、背丈はやや小柄だが、顔つきはセミロングの金髪に隠れて良く見えない。

 

 その少女が黒板に向かい、綺麗な漢字で自分の名前を書き、振り向き様に皆に頭を下げながら、

 

「越路奈々です。よろしく」


と、か弱く細々とした小さな声で自分の名を告げ、正面を向いて目鼻立ちの整った顔を上げたその瞬間!

 

 クラス全員の空気に、明らかな衝撃の感情が伝わるのを感じた。


 オレも、その中の一人だったのかも知れない。


 奈々の瞳を見たその瞬間、オレの脳天はカミナリに撃たれた様な衝撃を受けたんだ!

 

 奈々は笛吹先生に、ちょうど空いていたオレの目の前の席に座る様に言われた。

 

「ツカ、ツカ、ツカ」

 

 まるでスローモーションの様に、オレの前の席に近づいて来る奈々。

 

 頭の中が真っ白になりながら、奈々のエメラルド・グリーン色の瞳から目が離せないで居るオレに、奈々がその顔立ちからは似合わない流暢な日本語で話しかける。

 

「今日からお世話になります、越路奈々です。よろしくね」

 

 オレの口は、反射的に答える。

 

「お、オレは・・・坂井・・シン。こ、こちらこそ、ヨロ・よろしく・・・ングっ」

 

 奈々は、あまりのオレのぎこちない挨拶がウケたのか、微笑みながら、

 

「坂井シン君、ね。どうかした? 大丈夫?」

 

 オレは懸命に心を鎮めつつ、

 

「え? あ、ああ。オレ、もともとこういう奴だから」

 

 なんと言う事だ。これじゃカッコ悪いにも程がある。だが、奈々は心配そうにオレの目を覗き込むと・・・、

 

 「ちょっと瞳孔が開き気味で、顔が紅潮してる」

 

 奈々はオレの左手首を握ると、自分の腕時計と見合わせながら脈を測り始めるが、オレは心の中で叫ぶ!


「や、やめてくれ! そんな事されたら、オレの心臓が破裂しちまうじゃねぇかっ!」

 

 奈々は落ち着いて、オレの瞳を見つめながら・・・、

 

 「心拍数と血圧が異常に高い・・・。笛吹先生! 坂井君の体調が悪そうです」

 

「え? どれどれ」

 

 笛吹先生がオレ達の所までやって来て、オレの顔を見るなり、

 

「はは~ん、越路さん? 坂井君は人見知りでアガリ性だから、知らない女子に話しかけられるとこうなっちゃうのよ。ね、坂井君、そうなんでしょ?」

 

「そんなんじゃ!・・・い、いや、そうかも」

 

「ま、大した事はなさそうね。越路さん、よく他人の健康状態が分かるわね? 転校早々悪いんだけど、2年D組の保健委員、引き受けてくれないかな?」

 

「私が? ・・・・、ええ、こんな私でお役に立てるなら」

 

 それ以降のオレの記憶は、奈々が俺の前の席に着席し、真新しい制服を着たその後姿を眺めていた以降、まったくと言って良い程、どこかにスッ飛んでいるみたいだ・・・。

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