鶏の酒蒸し
多聞
鶏の酒蒸し
実家から届いた段ボール箱を開けると、大量の日本酒が整然と並んでいた。五百ミリリットルのパック酒が一ダース。奥底から出てきた、「ごめん、処理よろしく!母より」というメモが腹立たしい。
私は少し考えた末、日本酒好きの知り合いに「パック酒要りませんか?」とLINEを送った。今日は土曜日、仕事は休みなはずだ。「じゃあ今から取りに行くわ」と五分もしないうちに返事がきた。五本は片付けることができたとして、残りはどうやって処理しよう。
私は続けて、「物は相談なんですが、日本酒を大量消費できる料理なんてご存じありませんか?」とメッセージを送った。すると、すぐさま『平成最後のキッチン革命「酒蒸し法」』というタイトルの、URLが送られてきた。レシピを読んでみると、本当にこれだけでいいの?と心配になるほど簡単だ。知り合いが来るまでまだ時間がある。私は鶏肉を買いに、スーパーに向かった。
いい一枚肉を手に入れることができた。時計を見る、もうすぐ六時。私キッチンに立った。鶏肉を簡単に下処理してから、油も敷かずにフライパンに置く。その上から日本酒をとぽとぽと六分目まで注いだら、あとは火にかけて放っておくだけだ。
一息ついたところで、チャイムが鳴った。エプロンを外して玄関に向かう。なんかいい匂いがする、と言いながら、知り合いが部屋に入ってきた。部屋には、むせかえりそうな日本酒の匂いが充満していた。これをいい匂いだと表現するとは。さすが根っからの酒好きは違う。
鍋からバチバチという音が聞こえてきた。慌てて様子を見に行くと、日本酒がだいぶ減っていた。鶏肉を裏返し、軽く焼き目が付いていることを確認する。本当に作ってくれたんだ、という声がリビングから聞こえた。私はおざなりに返事をしながら、皿を二枚用意した。
半分に切り分けた酒蒸しを、私はダイニングテーブルに置いた。二人でいただきます、と手を合わせる。火、通ってますか?と聞くと、相手は親指を立てた。どうやら大丈夫そうだ。美味しそうな顔で鶏肉を口に運んでいる。私はほっとして、自分の鶏肉と向き合った。一口分に切り分けると、ナイフを通して柔らかさが伝わってきた。この柔らかさは、日本酒で蒸したことによる恩恵だろうか。口に入れると、鶏肉のジューシーなうまみが広がった。塩を振って日本酒で蒸しただけなのに、複雑な味がするなんて。十分も経たないうちに、知り合いはフォークを置いた。食べるのが早い。
これさ、途中で醤油入れて照り焼きにしても美味しそうだね。手を口に当てながら呟く。凝り性な彼のことだ。きっと私の何倍も美味しく作ることができるだろう。それ今度食べさせてください、と言い出すことができずに、私は冷めつつある鶏肉をフォークで切った。
じゃあそろそろ、と言って彼は立ち上がった。どうやらもう帰るらしい。お皿はそのままでいいですから、と言って、私は玄関まで見送りに出た。小さく手を振って、彼は階段を下っていく。
何かを忘れているような気持ちのまま、私は部屋に戻った。リビングの床に置かれた段ボール箱を見て、私はもやもやの原因を思い出す。パック酒を慌てて抱えると、私は部屋を飛び出した。
前方に信号を待っている彼の姿が見える。できる限り大きな声で名前を呼ぶと、少し驚きながらこちらに駆け寄ってきた。ごめんごめん忘れてたよ、と照れ笑いをしている。パック酒を五本押し付けると、私は正面から相手の顔を見た。
今度、その日本酒で照り焼きを食べさせてくださいね、という私の誘いに、彼は軽くうなずいた。信号が青に変わる。遠ざかる背中を最後まで見届けることなく、私は部屋に戻った。
ドアを開けて大きく息を吸いこむ。リビングに残る微かな日本酒の匂い。美味しそうに食べる顔を思い出しながら、私は皿をキッチンに運んだ。次に会うとき、彼は一体どんな鶏の酒蒸しを食べさせてくれるだろうか。
参考資料
デイリーポータルZ 「平成最後のキッチン革命「酒蒸し法」」
https://dailyportalz.jp/kiji/sakamushi-kakumei
鶏の酒蒸し 多聞 @tada_13
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