第19話 悪役令嬢は悲しい悪い夢を見るか?

「行かないでお姉ちゃんっ! 行っちゃヤダ!」


 必死になって手を伸ばす。


 でも姉の背中には届かない。


 どんどん背中が離れていく。


 そして暗い暗い闇の中を、彼女はいつも一人ぼっちで立ち尽くす。


 ああっ……またいつもの悪夢か、とマリアは思った。


 これは夢、現実じゃない。


 そんなこと分かっている。


 ……分かっていはいても、どうしても姉の面影おもかげに手を伸ばしてしまう。


「行っちゃヤダよぉ、お姉ちゃ~んっ!?」


 彼女の悲痛な叫びが暗闇に吸い込まれて消えていく。


 頭では夢だって分かっているのに、いつも叫んでしまう。追いすがってしまう。


「行かないでっ! マリアを1人にしないでっ! 待って、待ってよぉ……お姉ちゃぁぁぁぁぁん!」


 けれどマリアの声は届かない。


 姉が振り向くこともない。


 やがて姉の背中も見えなくなってくる。


 それでも彼女は子どもみたいにわめき散らしながら、追いかけていく。


「ヤダ、ヤダよ!? 行かないでよ! 1人にしないでよ! 一緒がいいよぅ、1人はヤダよぅ……お姉ちゃぁぁぁぁん」


 あぁ、もう何度目だろうか、この夢を見るのは?


 気がつくと辺り一面闇の中、姉は返事をくれなくて、1人伸ばした手は空を切る。


 昔はこんなんじゃなかった。


 昔は優しい姉と母が居て、自分はそんな彼女たちの優しさに包まれて何も知らずに呑気に笑っていられた。幸せでいられた。


 だが姉は変わった。


 お抱えのメイドに誘拐、監禁されてから、変わってしまった……。


 あんなに無条件で向けてくれていた愛情を、優しさを、向けてくれなくなった。


 人が変わったように笑わなくなり、この世の全てを拒絶するかのように冷たくなった。


 自分に向けてくれていた、あの温かい眼差しは、もうどこにも無い。


 それが嫌だった。


 だから姉の気を引こうとイタズラもした。勉強も頑張った。スポーツだって虚弱な身体に鞭を打って頑張った。


『頑張ったね』『さすがはマリアちゃんだね』と褒めてほしくて。


 もう一度、姉に『よくやったね』と微笑んで欲しくて。


 それでも、どれだけ頑張っても、返ってくるのは侮蔑ぶべつ嘲笑ちょうしょうだけ。


 もう何年も姉の笑顔を見ていない。

 

 どうしてこんなコトになったのだろう?


 自分はただ、もう1度だけ、たった1度だけでいいから、姉と一緒に手を繋ぎたかっただけなのに……。


「1人にしないでよ……お姉ちゃん……」


 結局自分は姉の背中に追いつくことも無く、伸ばした手をゆっくりと下へさげていく。


 足のつま先から頭のてっぺんまで氷柱ひょうちゅうを無理やり刺しこまれたように冷たくなっていく。


 それが合図。


 さぁ夢の終わりだ。


 あとは1人目が覚めるのを待つだけ。


 いつも通り。


 いつも通りの夢。


 いつも通りの悪夢。


 だからいつものように終わり来るのを静かに待つだけ。

 




 ……そのハズだった。





『――大丈夫だよマリア。お姉ちゃんはココに居るから』


「……えっ?」


 ろしかけていた手が急にホワッ、と温かくなった。


 その手はジンワリと冷えて固まったマリアの身体をゆっくりと溶かすように、大気に溶け込んで周りを明るくしていく。


 呆気あっけとられるマリアが顔を上げると、そこには――


「お、お姉ちゃん……?」


 いつの日かの優しい微笑みを浮かべたジュリエットが彼女の手を握って笑っていた。


 久しぶりに見る姉の笑顔に数秒間だけ固まってしまうマリアだったが、すぐさまハッ!? と我に返り、慌てて姉にすがるように唇を動かした。


「ほ、ほんとに? ずっと一緒に居てくれる? マリアを1人にしない……?」

『もちろん。可愛い妹を1人になんかさせないわ。ずっと、ずぅぅぅぅっっっと! 一緒に居るわよ』

「お母さんは?」

『お、お母さん? お、お母さんはねぇ、え~と……』


 何故か慌てる姉の背後から、姉と同じ金色の髪をした母が姿を現した。


『お母さんよぉ~。すぐ傍に居るわよぉ~』

「お母さんだぁ……」


 途端に世界に色がつき、優しい光が満ち溢れだす。


 マリアはその温もりに身を委ねながら、もう1度だけ姉に尋ねた。


「みんな一緒に居てくれる? マリアを1人にしない?」

『もちろん。お姉ちゃんもお母さんもマリアを置いてどこにも行かないわよ』

「……ありがとう、お姉ちゃん」


 その瞬間、マリアは自分の身体が暗闇から引っ張り出されたような感覚に襲われた。


 姉の握ってくれている温かい手によって。


 マリアは久方ぶりに感じるぬくもりを離すまいと、姉の手を強く握りしめる。


 すると姉の方も自分と同じく強く手を握り返してくれた。


 それが嬉しくて、堪らなくて、マリアは自然と笑みを溢していた。


「えへへ……お姉ちゃんの手、温かくて、大きいね?」


 温かい。本当に温かい。


 ポカポカと感じる姉の手を握り締めながら、マリアは何度も何度も笑みを溢した。


 夢を見るようになって初めての経験だ。


 姉が手を握ってくれているのも、母がそばで見守ってくれているのも、全て初めてなのだ。


 こんな温かくて、幸せで、安心できる夢は初めてなのだ。


 ……そう、初めて。『初めて』だ。


 2人がどこにも行かずに、1人ぼっちにならずに済んだのは。


 なんで? どうして?


 どうしていつもと違うの?


 その答え合わせをするかのように、マリアの意識が現実世界へ急上昇していった。




 ◇◇




「んっ……?」


 マリアが目を開くと、オレンジ色の光と共に豪華絢爛な天蓋てんがいが飛び込んできた。


 しょぼしょぼする瞳を窓の方に向ける、眩いばかりのオレンジ色が辺り一面をこれでもかと照らしていた。


 太陽の色合いからして、もう夕方らしい。


 自分でも驚いたのだが、どうやら軽く10時間はぐっすり眠っていたようだ。


 そのおかげか、朝の内に感じた倦怠感けんたいかんや熱は一切感じない。


 この身体の調子からして、完全に完治したらしい。


 マリアはほっと一息入れながら、先ほど見た夢のことを反芻はんすうし始めた。


「いい夢じゃったぁ……。初めてかもしれんのぅ、あんな温かい夢は」


 そのまま体を起こそうとして――気がついてしまう。


 夢の中の幸せが、手のひらに感じる温もりが、今もなおこの現実世界にあるということを。


「へっ?」

「すぅ……すぅ……ふがっ?」

「げ、下郎? な、何故ここに……?」


 マリアが眠っていたベッドの脇、そこには彼女に寄り添うように腰を下ろし、ギュッ! と手を握り締めるロミオゲリオンもとい安堂ロミオの姿があった。


 どうやら眠っているらしく、ロミオは器用にもコクコクと船を漕いでいた。


 それでもマリアの手は決して離さないように、固く、優しく、包み込むように握りしめている。


 その姿を前に、マリアはようやく合点がいったと言わんばかりに小さく吐息を溢した。


 あぁ、そうか……。


 そういうコトか。


「キサマがずっと握っていてくれたのじゃな、妾の手を……」


 だから夢の中の姉上も母上もどこに行かないで居てくれたのか。


 マリアは未だにしっかりと握りしめられている自分の手と、気持ち良さそうに船を漕いでいるロミオの顔を見比べて、思わず吹き出してしまった。


「ふふっ、今にして思い返せば……全てがおかしかったしのぅ」


 姉はあんな口調で喋らないし、母に至っては性格が完全に違う。


 それ以前に2人とも声が違う。


 まったく、三文芝居もいい所だ。


「でもそうか。ずっと一緒に居てくれたのじゃな。妾が寝ている間、ずっと……」


 自分の仕事もあるだろうに、ソレすら放棄してずっと傍で見守っていてくれた。


 ほんと変な男である。


 いくらコチラがイジワルやワガママを言おうが、ケロッ♪ とした表情で全てを受け止めてくれる。


 そりゃ変な勘違いや暴走をすることも多々あるが、それでもそこに悪意はない。


 子犬のように常に全力。常に一生懸命。


 だからどこまでも純粋にコチラのことを思って行動してくれる。


 そこに打算は混じるかもしれないが、嘘はない。


 そう、『嘘』がないのだ。


 この男の口から出る言葉は全て本気なのだ。


『美味しい』と言えば本気で美味しいと思っているし、『楽しい』と言えば心の底から楽しいと思っている。


 そんな男なのだ。


 だからこそ、マリアには分からない。



「妾が『優しい』……か。お世辞や皮肉抜きで初めて言われたぞ、そんな台詞」



『優しい』……それはロミオが何度も何度もマリアに言って聞かせた言葉。


 最初は嫌味で言われていると思ったその言葉。


 だが一緒に生活し、ロミオのコトを知っていくにつれて、マリアは気がついた。気がついてしまった。


 この男は本気で自分のコトを『優しい』と思っていることに。


 おそらくこの男は、世間一般的に言えば底抜けのバカに属する部類の人間なのだろう。


 一体自分マリアをどう解釈すれば『優しい』という結論に達するのか。


 本当に不思議な男だ。


 本当に不思議で、変で――



「――おバカな男じゃのう、おまえは」



 気がつくと、いていた方の手でロミオの頭を撫でていた。


 マリアは今、初めて『バカの子ほど愛おしい』という言葉を理解した気がした。


「その調子じゃ、いつか悪い女に騙されるぞい?」

「んん~っ?」

「おっとぉ?」


 ロミオの目蓋まぶたがピクピクし始めたことを目ざとく確認したマリアは、慌てて頭を撫でていた手を止めた。


 どうやらそろそろロミオが目を覚ますらしい。


 マリアは名残惜しさを感じつつも、今再び布団の中に潜り直し、寝たフリを決め込むべく、そっと目蓋を閉じた。



 途端にいつの間にか胸の中でぽわっ! と芽生えていた甘く温かい気持ちに気づき、ちょっとだけ狼狽うろたえた。

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