3話「一晩の夢」





私は屋上に上がる時も、教室で読んでもいない本に向かってジュースを飲んでいる時も、空想して遊ぶことが多かった。たいがいは、他愛のない馬鹿話みたいなもの。


“私が犬になって誰かに飼われて、毎日美味しいごはんをもらってかわいがってもらう”


“世界中の人類の文明が滅亡して都市は廃墟になり、だんだんとそれが木や草、ツタで埋め尽くされたあとで、宇宙人がやってきてそれに驚嘆する”


“月が地球に向かってぶつかってきて、砕けた欠片が新しい人類の家になり、宇宙の間を行き来するスペースシャトルで、隣の欠片の友達に会いに行く”


“お母さんがある朝起きたらサボテンになっていて、ちくちく痛いからと言われて落ち込むお母さんの針にスポンジを刺して解決し、それからは元のように家族仲良く暮らす”


まあこんな風に脈絡もなく、私だって別に何かを目的にして考えてるわけでもないから、これはやっと思い出せた四つだ。


今日考えているのは、“隕石が私にぶつかってこようとする”っていう、よくある空想。私の目の上には大きな空が広がっている。屋上はだんだんと暖かい風が吹くようになって、時折その中に、今年は遅い開花となった桜の花びらが混じっていた。


ざあっと青空の中に舞い上げられた後で、ふよふよと行く当てもなく私の周りに落ちる、淡雪に似たもの。私はそれを少しばかり愛しく感じて、なんだか憐れみさえ湧くようだった。


“と、そんな時に限って、隕石が落ちてきたりする。”


私の思考に突如としてそんな不穏なナレーションが流れて、その後、宇宙の中をさまよっていた小さな岩が、地球の重力に捕らえられるのをイメージする。それは音のない宇宙で真っ赤に燃え盛ってどんどん地面に近づき、あわや私の居るこの学校の屋上目掛けて、ものすごいスピードで落ちてくるのだ。でも、私に当たることはない。


“成層圏に入ってから燃え続けた隕石は、その小ささから、私に当たる数メートル手前でやっと燃え尽きる。”


「都合が良すぎるんじゃないか」という文句は受け付けられない。だってこれは空想だから。いくらでも私の都合だけで進んでいくのだ。


“燃え尽きた隕石の灰を手にして、私は泣くかもしれない。”


“その体をすべて燃やし尽くされ、あえなくどこにも自分の跡を残せなかった宇宙の旅行者に、「かわいそうに」と思うかもしれない”


そう思っていた時、ジュースのパックが、ズズッと音を立てて、中身がなくなってしまった。







たかやす君と約束をした翌日、昼に屋上に行くと、その日はいつものように誰も居なかった。たかやす君はいつも屋上に来るわけではないようで、めったに会わない。この屋上で会ったのは、自己紹介もしなかった一回目と、ライブのチケットを急にもらった二回目だけだった。


それに私は、たかやす君が何年何組なのかもまだ聞いていない。誰かに聞いて確かめようと思っても、私がクラスメイトと話すことはほとんどないので、こんな時に限って「ねえ、内田君ってどのクラスか知らない?」なんて聞けるはずがなかった。


無意識に、私は校内でたかやす君の明るい茶色の髪を探してはいた。でも、広い校庭のトラックを回る何十人もの生徒の中にも、放課後の部活動に向かう体操服姿の生徒の中にも、見当たらなかった。


“確かに、全然体育会系には見えないし、文系の部活で、学年も違うのかも。落ち着いてるし、三年生でもおかしくないなあ。”


私は学校帰りにそう考えたりしたけど、でも、こうも思っていた。


“「学校に憑りついてる幽霊だ」とか言われても、私、信じそう…。”


突拍子もない空想だからそんなのやっぱり信じていなかったけど、私はたかやす君のどこか浮世離れしたほどの落ち着きと、宙をふよふよと伝ってくるような声の調子は、ちょっと不気味なほどだと思っていた。


“一緒にライブに行く時に、聞かなくちゃ。それに、あとでお礼もしたいし…”


私は、もしかしたらこれが高校生活初めての友達かもしれないという人を見つけて、気分が浮き上がるまま、水曜日までを過ごした。





ついにこの日がやってきた。“シスピ”の六人を目の前で見るんだと思うと、私は朝から、自分の様子がおかしく見えやしないかと心配になるくらい、気が落ち着かなかった。


でも、昼に屋上に行ったけど、この時もたかやす君は居なかった。


「あれ…?」


私は扉を開けて、思わずそうつぶやいた。


“ライブ前の興奮を分かち合いたいと思ったけど、やっぱりそんなにしょっちゅう来る場所じゃないよね。屋上って…。”


その時私はようやく気づいた。


“そういえば、屋上にばかり入り浸っているなんて、私も私で、ちょっと変かもしれない。友達ができると気づくことって多いんだな…。”


私はため息を吐いて、なんとなくそのまま教室に戻った。






「凛ちゃん、終わった?」


「うん。じゃあ、今日はよろしくお願いします」


私が校門を目指して歩いている時、もう背の高いたかやす君の姿が見えていたけど、彼は手を振ったりすることなく私を迎えて、私もなんとなくその落ち着きに合わせて、控えめに挨拶をした。そうするとたかやす君はにこっと笑って、「駅前まで歩こう。そこからは十五分くらいだし」と言った。



私はなんとか落ち着き払ったたかやす君に合わせようとしたけど、電車に乗ってからチケットを渡された時、たまりかねて気持ちが爆発してしまった。



「はい、これ。受付とセキュリティチェックは一人ずつだし、渡しておくよ」


「あ、ありがとう…!」


私は、世界に一枚しかない、シスピの四列目のチケットを受け取って、胸が苦しいほどになってしまった。そしてやっぱり、興奮して喋り出してしまう。


「あ~楽しみ~。どうしよう、だってこれ、会場のマップも見たけど、4番って前から4列目ってことでしょ!?ありえないよそんな幸運!ほんとにありがとね内田君!しかもG列ってほとんど中央だよ中央!」


「いえいえ、喜んでもらえてよかったよ」


私がすっかり舞い上がって続けざまに喋っていたことにも、たかやす君は悠々と答える。私は“これが今からアイドルのコンサートに行く人のテンションだとは思えないわ…。”とちょっと不思議なほどだったから、揺れる車内で吊り革に掴まった腕の隙間から、たかやす君の顔を窺った。


“それにしても、本当にかっこいいなあ…。でも、ライブに誘うのが私ってことは、彼女はいないのよね…それが一番、世にも不思議な出来事だわ…。”


私はそんな無粋なことを考えていたから、たかやす君の顔を直視していることはできなくなって、目の前にあるガラスに目を戻した。


タタン、タタン…タタンタタン…と軽快な音を立てて電車は揺れ、外の景色はもう暗いので、私達の姿は目の前にあるガラスに映り込んでいる。たかやす君はそこに映った自分の顔を見ているような顔をして、こう言った。


「それに、凛ちゃんはなんだか窮屈みたいだったから、たまにはこうやって息抜きしないとね」


たかやす君は、まるで昔からの友達みたいにそんなことを言った。“なんでわかるんだろう”と思うのは、これで二度目だ。私は急に気持ちを見抜かれた恥ずかしさに、ちょっとうつむいてしまう。でも私は、“たかやす君はちょっと言葉を交わしただけで人の気持ちが分かってしまうような、鋭い観察眼でも持っているんだろう”と思うことにした。


「でもさ、なんか、デートみたいだね」


返事を考え込んでいた私の睫毛にそんな言葉が降ってきて、顔を上げると、にこにこと笑ったたかやす君と目が合った。


「えっ…」


「冗談だよ。僕達、この間会ったばかりじゃない」


そう言ってたかやす君はすぐに前を向いて、元のように微かに微笑んでいた。私はどうしたらいいかわからなくて、「そ、そうだね」と言葉を詰まらせてしまった。






眩い光と、それより強く光る彼女達の笑顔、とびっきりのパワーが爆発して、世界が全部ここにあるんじゃないかってくらいの素敵な時間。そんな時を私はこの日、過ごした。





「ひゃー!楽しかったー!」


「僕も!」


私達はシスピのライブがあったホールから帰る人達の波の中で、だらだらと駅までの道を歩いた。周りにはちらちらと夜の楽しそうな灯りがあったけど、私はさっきのシスピのステージのことしかまだ頭になくて、足が浮いているんじゃないかというくらい幸せだった。


「ねえ、そういえば内田君は誰担?」


「え~、そうだなあ~」


「誰誰!?」


ちょっと内田君に体を寄せてみると、彼はそれをくすぐったそうに笑っていた。


「全員かな。だってみんな一緒に頑張ってるんだし」


「あーその気持ちもわかる~!私も全員好きだけど、中でもルイちゃん推しかなあ~!」


私は、自分の声が大きくなってしまうのにも構っていられず、ここぞとばかりにシスピの話をしようと思っていた。


「ダンスすごい上手いよね、ルイは」


「そう!それにさ、チルが落ち込んでた時にわざわざバナナの皮用意してすべって転んで見せたってエピソードでやられた~!」


両手で胸を押さえて、心臓を射抜かれたような恰好をして見せる。この話は、私が毎晩チェックしていた、シスピのメンバーのSNSアカウントから得た情報だ。


「思いやり深いよね~、それはわかる」




私達は散々“Sister"P"”について話をして駅までを歩いた。たかやす君は駅の掲示板で、私とは反対方向の路線を指して、「実は僕の家、こっちだから」と言った。なので、その場でお別れを言うことになった。


「今晩は本当に、ありがとう。また学校でね!」


「うん。ほら、もう電車来るよ」


「はーい、じゃあおやすみなさい!」


「うん、おやすみ」


昇りエスカレーターの前で一度だけ振り返ると、たかやす君はこちらに向かってにこにこと微笑んでいた。





家に帰る道々、私の頭は冷静になっていき、その分緊張と不安が高まっていった。時間はもう二十三時を超えていた。


“どうしよう…。お母さん心配性だし、捜索願いとか出しててもおかしくないかも…!”


そう思って息が詰まって、“謝っても許してもらえないかも”とさえ思った。


逃げてしまいたいくらい怖いのに、マンションの三階にある扉まで歩く足は、なるべく早くと、どんどん焦った。そして、ゆっくりと鍵穴に鍵を差し入れ、カチャリと回す。


そろりそろりと中に入って、“どうしよう、どうしよう”と考えが決まらないままで、私が靴を脱ごうとしていた時だ。奥からドダダダッという音がしてお母さんが現れ、「凛!」と叫んで私に飛びついてきた。


「凛!こんな夜中までどこに行ってたの!?」


私は、その時、「とんでもないことをした」と初めて知った。


こんなに心配しているお母さんに向かって、私は今から、「ライブに行ってたの」と言わなければいけないのだ。そんなことってあるだろうか。


“どうして前もって言っておかなかったんだろう。”とは思ったけど、こんなふうになってしまうお母さんがそれを許してくれるかはわからない。


“だからって、黙ってこんな時間まで出かけているべきじゃなかった。ちゃんと謝ろう。”


私は一つ、深く息を吸った。体中がピリピリと震えるほど緊張した。


「ライブに…行ってたの。友達と…」


「ライブ!?」


お母さんはびっくりして叫んだ。私に呆れてしまったのかもしれない。


「そう…ごめんなさい、黙ってこんなことして…」


そこでお母さんは力が抜けたのか、私の肩に腕をもたせて、ぐたっと前屈みになる。


「もう…お願いだからびっくりさせないでちょうだい…」


「はい…ごめんなさい…」


それからはっとしたようにお母さんが顔を上げたと思ったら、今度は私の体のあちこちを確かめ始めた。


「怪我は?ないのね?ただライブに行っただけね?」


おろおろといつまでも落ち着かず、今でも私が危ない目に遭っているかのような顔をしているお母さんに、心から申し訳ないと思った。だから私は泣いてしまった。


「ごめんなさい…!大丈夫…無事だから…!なんともない…!」


私が震えながらこぶしを握り締め、うつむいてぼろぼろと涙をこぼす。



お母さんはそれから、「そんなに泣かないの。良かったわ。じゃあ早くごはんにしましょう」と少し落ち着いてくれて、私のごはんを温め直してくれた。







End.

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