1-4 近寄りがたい天使
ダンと初めて会ったのは、軍学校の入学式だ。入学生代表で、彼が壇上に上ってスピーチしていた。
小さい、とレオは思った。校風柄、入学するのは身体能力に自信のあるガタイの良いやつが多かった。自分もそうだった。学力面で入ってきた生徒もいたが、それでもある程度の背はあった。
ダンは中学生くらいに見えた。ほかの生徒と同じく坊主だが、薄い髪色だとわかる。素朴な顔立ちだが目が大きく、白い袖から見える腕が細っこくて(大丈夫か?)とレオはぞわぞわした。
一年目は違うクラスだったが、彼の話は耳に入ってきた。筆記試験で歴代トップの成績を叩きだしたそうだ。ギリギリでパスしたレオにとっては身の竦む心地だった。
さすが、代表スピーチに選ばれるやつだ、と。
その後、合同で体育を行われた時だ。五十㍍走で、偶然彼と同じタイミングで計ることになった。
レオとダンとほか二人、四人同時にクラウチングスタートの体勢になる。横目で彼を見て、あまりの体格差に笑いそうになった。並んでいた二人と順番待ちのクラスメイトの塊からも笑い声がしたのを覚えている。レオは体力にだけは誰にも負けない自信があった。
パンッ、とピストルの音。
走り出した途端目を疑った。ダンは自分とほぼ並走していたのだ。彼がほんの僅か後ろにいる。脚の長さからくる差だ。うっかりすると抜かれてしまうだろう。
レオは力を振り絞って、最後までトップで走り抜けた。ほとんど同じタイミングでダンもゴール、その後二人、と続いた。
「すごいね、レオくん。追い越せるかと思ったんだけどなぁ」
ハァハァと息荒く笑顔で言う彼に、レオは肩で息をしながら、拳を向けてほほ笑んだ。その拳に、彼も小さく握った拳を合わせてきた。よくわからない行為だった。レオ自身が困惑していたのだ。
そんなことがあって、ダンは一躍有名人になった。学力も体力も非の打ち所がない。生活態度も優等生そのものだ。クラス委員の選挙で彼が立候補すると、満場一致で委員長となった。
レオは体育会系な性格と持ち前の明るさを活かして、ムードメーカー的な位置に落ち着いていた。同学年の人は全員声をかけたと思う。授業中に当てられるととんちんかんなことを答えて、クラスメイトを笑わせていた。良い意味でも悪い意味でも目立つ生徒だった。
一方ダンは、特定の友人は作らずに、休み時間には机で読書していた。どんな相手だろうと、分け隔てなく接するので少々距離を感じるほどだ。熱心なクリスチャンらしく、ふるまいは『聖人』そのものだが、そりが合わない者もいた。それでも彼が高嶺の花であることは周知の事実だった。
時期が経つとみんなの髪が伸びてきて、彼の髪はふわふわの栗色なのだとわかった。それが図書館の窓際で光に透ける様子が、天使さながら美しく、男臭い環境で愛でられる対象となった。
海水でその髪が濡れると、光の加減が変わるのか、暗い色へと変貌する。自分の髪色と近づいたように見えて、レオは何だか嬉しかった。
「で、あんまり出来過ぎなもんだから、賄賂とか、センコーに胡麻を擦ってんじゃないか、って話もあったわけよ」
うんうん、と相槌を打つ知人。
「そしたらな、見たやつがいるんだよ」
「何を?」
「休みの日に、ダンとセンコーが一緒に歩いてたってさ。肩を組んで、いろいろ」
「プライベートじゃん」
「そうそう。で、金渡されてたって!」
わお、と知人が囃し立てる。
「あーやってるね。やっちゃってるね」
「顔がかわいくてモテてたからさぁ、あり得るっちゃあり得たんだがな」
その噂はレオの耳にも入っていた。レオはダンにも絡むことがあって、彼のまぶしいくらいの聖人さに恐れをなしていた。尊敬とともに、誰もが彼と親しくなりたいと思っていた。それ故、一点の曇りが見えると、それはたちまち、彼の今までの評判を覆い隠したのだ。
「ってか、そういうの大丈夫だったの?」
「校則にはないけど、暗黙の了解でダメだった感じ」
「なるほど」
「それでもだ、生徒とならともかく、センコーのやつはアウトだと思って、誰かが教頭にチクったけど、なーんかうやむやになったんだよな。でも、そのあとあいつ、パリピみたいなやつに相手を変えてたぜ。付き合いづらくなったんだろうな」
「はぁん、なるほど。そういう時も臨機応変なんだ。さすが優等生」
「うまいこと言ったつもりか」
コーンを齧りながら黙って聞いているレオだが、まるで自分の黒歴史を晒されているような居心地の悪さを感じていた。
「それで、卒業前の身体検査の時はじかれたんだよあいつ」
「身体検査?」
「そう、ケツが……」
「おい、食ってる時にやめろよな」
急に不機嫌な声を発したレオに二人とも驚いた。すると友人は「まだ食ってんのかよ」と呆れた。どうも、二人はとっくに食べ終えていたようだ。レオはコーンをガリガリと砕き、口に押し込んだ。こぼれた欠けらを、リスが拾って持ち去る。
「……で、レオとダンが付き合ってる噂もあったわけ」
「そうなのレオ?」
「だから、違うって」
口元に付いた食べカスを払い答える。
「お前よくダンに絡んでたじゃん。隠さなくていいって」
「いやマジだから、やるくらいなら遊んでるって」
「あー確かに、レオはそういうタイプだもんなぁ」
実際、よく絡んではいた。誰とも親しくなりたかったレオは、ダンにも挑戦した。いまいち成果が得られなかったが、あるゲーセンの帰りの夜道、一人で歩いていると、彼が倒れていた。慌てて駆け寄る。ジャージを着て、汗だくで朦朧としている。
住所を聞いて、そこまで負ぶることにした。病院のほうが良かったのだろうが、間違いなく学校へ通告が行く。学生寮に住んでいるレオにとっては少々都合が悪かったのだ。
彼は駅前のマンションに一人暮らししていた。駅前は夜とはいえそこそこ人がいて、二人は目立った。
「ごめん、ありがとう。帰っていいから……」とレオの肩口に顔をうずめる彼。
「そういうわけにいかねえって」
部屋の鍵を受け取ってお邪魔した。
ベッドに小さな体を横たえ、キッチンを借りてスープを作った。トレーを見つけて、彼のもとへ運ぶ。一口ずつ噛むように味わっている彼を見て安心したレオは、ふと部屋を見まわした。
勉強机があり、そこに開かれたノートにはみっちりと彼の文字が詰まっている。本棚は参考書だらけ。しかもついさっき倒れていたのは、おそらくランニング中だったのだろう。とんでもない努力家なのだと悟った。
振り返ると、ダンはレオのほうを見て、唇を噤んでいた。気まずそうにしていて……どうやら恥ずかしがっている。
この瞬間、レオはダンを好きになっていた。
それからダンもレオにだけ、多少絡みが増えた。二人きりでどこかに出かけたり、何度か同じベッドで寝たりしたことはあったが、やましいことはしていないし、互いに友情以上の『好き』を確認したことはない。
だが、先ほどの援交の噂はすごくショックだった。しかし、そのことについて本人に訊けなかった。関係性が壊れるのを恐れたからだ。そんな時に、トドメの身体検査だ。彼の話はすぐに耳に届く。
二人きりの時、レオはダンを問い詰めた。彼は何かを言い訳するかと思いきや、散々黙り込んだ後、事実を認めたのだ。レオはダンと絶交した。恋人同士でないので、『絶交』なのだ。
先ほどより、周りの景色が暗い。見上げると、雲が太陽を覆い隠している。それでも白んでいてまぶしい。ダンは天国に行ったのだろうか。
「で、そいつどうなったの?」
「さぁ……軍隊には入れなかったけど、優秀だしほかの職場で活躍して男作ってんじゃね」
ふっと、レオの中に怒りが沸き起こった。ダンが天国に行くはずがない。そんなわけがない。浮気をしたんだから地獄に行ったんだろう。
「さーて。じゃ、ゲーセン行こうぜ」
「行こう行こう」
二人に合わせてレオも立ち上がった。
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