第146話 私とソラちゃん

 大好きな場所へ大好きな人と戻って来たのに心の中は空っぽだった。


 空っぽだった私の心を満たしてくれた人を邪険に扱ってしまった。


 怒ってるかな? 呆れられたかな? 嫌われたかな?


 でも……もう良いや……。元々私の心は空っぽだったんだ。満たされていたと勘違いしていたんだ。本当は心なんてない。

 だって母親が死んでも何の感情も生まれないのだから。


 私は彼の人形になろう。彼の言う事を何でも言う事を聞く人形になろう。


 そしたら心のない私でも側に置いてくれるかな? 捨てられないかな? 一人になるのだけは嫌だから。


『じゃあ何で自分から一人になったの?』


 突如聞こえてきた声に反応して前を見ると私にいつも元気をくれたソラちゃんが立っていた。

 不可思議な現象が起こっているのに特にリアクションが起きないのは私の心が空っぽの証だろう。


「どういう意味?」

『言葉のままの意味だけど?』


 幼く高いがどこか悟った様な声で彼女は私の隣に腰掛ける。


 足が地面に付かずブラブラと揺らしながら私に問いかけてくる。


『覚えてる?』

「何を?」

『お母さんがくれた物』

「そんな物……ないよ……」


 そうだ。そんな物はない。


 誕生日もクリスマスも両親に祝ってもらった事なんてない。あの人が覚えていたのかどうかも今となっては分からない。

 そりゃ大変な理由があったのは確かだけど、あの人が祝ってくれた事なんてない。


「――何もない……何も……」


 嘆く様に言うと彼女は可愛らしく首を傾げる。


『ホントに?』

「何が言いたいの?」

『ほら、お母さんが『それ』くれたでしょ?』


 彼女が指差したのは私の首にかけてあるヘッドホン。


「ヘッドホン……?」


 これは私の身体の一部。大事な物。

 

 寂しい時、辛い時、いつもヘッドホンをして周りの音を遮断して一人の世界に入る。

 そうする事で心のない私でも心がある様に感じられて気持ちが紛れるから……。


 友達がいなくて寂しい時はソラちゃんが歌で元気をくれる。


 陰口を叩かれて辛い時はソラちゃんが歌で励ましてくれる。


 勿論、他にも沢山の曲を聞いたり、勉強のお供にしたりと様々な使い方をするが、基本的にはソラちゃん達の歌を聞いて気分を晴らしていた。


 だから、このヘッドホンは私の大切な物。


『覚えてないの?』

「これは……私……の……」

『違うよ。覚えてないなら魔法で思い出させてあげるね』


 言いながら呪文を唱えてくれた。




 ――ふと、気が付くと、薄らとボヤがかかった様な映像が見える。


 大人が二人いるが、はっきりと顔が見えない。


『ほうら汐梨。お菓子沢山買ってきたぞ』

『一度に沢山食べちゃダメよ?』

『はは。汐梨は賢いからそんな事しないよな?』

『ふふ。そうね』


 そんな事を言い合う大人の一人が私の頭に手を置いて撫でる。


『ごめんな……。お父さん達、また出掛けなきゃならなくなってな……』


 その後でもう一人の大人の方が私を抱きしめる。


『ごめんね……汐梨……。もう少しだから……もう少し……』

『これ……欲しい……』

『え?』


 抱きしめている方の大人がキョトンとした顔をするともう一人の方の大人を見る。


『こんな古いのじゃなくても、新しいのを買ってあげるぞ?』

『これが良い』


 少し駄々をこねると、抱きしめてくれた方の大人が『分かった』と言いながら首にかけていたヘッドホンを私の首にかけてくれた。


『これは私の宝物なの。でも、汐梨に託すね。本当に大切な物だから、大事に使ってね』

『うん。大事に使う』


 返事をすると『良いのかい?』と頭を撫でてきた大人が聞くと『良いの』と答える。


『あなたがくれた思い出が詰まった物……。それを一番大切な娘が欲しいと言っているのだから……』

『そうだね……。なぁ汐梨? 何でこれが良かったんだ?』


 頭を撫でてきた方が聞く。


『これを持ってたらお父さんとお母さんがいなくても我慢出来そうだから』


 言われて大人二人は涙を流した。


『絶対……治そうな……』

『うん……』




 ――また、ふと気が付くとソファーに座っていた。


『思い出した?』

「確かに……これは……」


 ヘッドホンに手を持っていき先程の光景を思い出す。


「お母さんからもらった物だけど……」

『これのおかげで色々と乗り越えて来たよね? 自分から選んだ一人ぼっちの生活も、学校生活も』

「自分から選んだ? 違う……! それは両親がちゃんと――」

『確かにお父さんとお母さんは滅多に家にいる事は無かったね。でも、ずっとそうだった? ずーっと家にいなかったの?』

「それは……」

『学校で友達が出来ない。それは私の家に両親がいなかったから。クリスマスもお正月も夏休みもいなかった。――本当にそれが原因?』

「それが……原因……」


 私の答えにソラちゃんはゆっくりと大きく首を振る。


『シオリちゃんは周りとはちょっぴり違う環境に嫉妬してただけ。周りがクリスマスを家族で過ごした。お正月を過ごした。夏休みに旅行に行った。そんな話に付いて行けなくて、それに嫉妬して、両親に八つ当たりして、両親のせいにして、被害者ぶって、自分の意思で友達から離れて行って、それを両親のせいにしただけ』

「ちが……」

『お父さんもお母さんもあなたの事を思ってた。思ってない日なんてなかった。優しく抱きしめてくれたよ? それは特別な日じゃないかもしれない。何の変哲もない日だったのかも知れない。それでも、家を空ける時は必ず抱きしめてくれたよ』

「そんな訳……」

『お父さんとお母さんの海外出張の時も、ろくに話を聞かなかったのは誰? 話をしようとせずに逃げたのは誰?』

「私……は……」

『お父さんとお母さんの選択は正しいとは言えないかも知れない。でも、あなたの選択も正しいとは言えない』

「違う……違う……! 違う!!」


 大きく首を横に振り否定すると、ガッとまた抱きしめられる。


『正しい事だけを選べる人間なんていないよ。人は間違いから成長して正しい選択を出来るようになる。そこに大人も子供も関係ない』


 優しい抱擁。優しい香り。優しい声。


 これを私は知っている。これは……。


「お母……さん……?」


 私が問うと『シオリ……シオリ……』と何処か遠くで愛おしい声が聞こえてくる。


『許嫁さんが呼んでる。そろそろ行かなくちゃね』


 そう言って抱擁を解くとニコッと微笑んでくる。


『私はシオリちゃんの側にずっといたから知ってるよ。あなたは人形じゃない。冷徹無双の天使様なんて呼ぶ人もいるけど、そんな事ない。心優しい女の子。だから、今度は選択を間違えないで。大切な人との時間を失わないで。大切な人と共に歩んでね』



 


 


 


 

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