第76話 許嫁なら普通の事

「結局何しに来たんだよ……」


 冬馬と四条はろくに勉強をせずに帰って行った。

 勉強会という名の合コンごっこだったな……。それもシオリとの同居もバレたし。


「あいつらニヤニヤしやがって……。ムカつくわぁ……」


 俺はダイニングテーブルに深く腰掛けて溜息を吐いた。


 二人は散々俺をいじり倒し、ないことばかり想像しては二人で盛り上がり、こちらが反抗してもかき消される。まるで負けイベントみたいな地獄の時間だった。


「自業自得でしょ」


 呆れた声を出しながらシオリが市販の紅茶を淹れてくれて、俺の前に置いてくれる。


「ゲームで熱くなるからだよ」


 言いながら向かいのいつもの席に座るシオリ。


「だって、手を抜く……というか、やんわりした言葉じゃブーイングきたし……」

「コジローって結構不器用だよね。ちょうど良い感じが出来ないというか」


 シオリは言いながら紅茶を飲む。

 その言葉に対して俺は唇を尖らせて「うるせ」と拗ねた声を出す。


「て、てか! お、お前だってそうじゃないか。い、いきなり抱きついて来やがって……」


 そう言うとシオリは少し頬を赤らませた。


「あ、あれは……あれだよ……。あれ以上コジローがボロ出さない様に強制的に終わらせただけだよ。うん」

「それにしても……いきなり抱きつくとか……そんなんは……ちょっと……」


 頬を掻きながら先程の事を思い返すと、掻いている場所に熱を感じた。


「い、許嫁なんだから抱きつく位普通するよ!」

「そうなの? 普通なの?」

「普通。うん。普通だよ。親同士が決めた許嫁でも普通はするんだよ」


 そう言った後に「多分」とギリギリ聞こえるくらいの声で追加して紅茶を飲む。


「そうか……普通なのか……」


 許嫁って役得だな。


「じゃあ、ほら」


 俺は立ち上がり両手を前に出す。


「何?」

「普通なんだろ? じゃあ抱きついてくれよ」


 さっきは頭パニックになってシオリの感触を感じなかった。だから改めて確かめたい、という俺の変態的思考と、到底出来ないだろう、という彼女をからかう気持ちでの行動。気持ち的には後者の思いが強く、抱きついてこないだろうとたかをくくる。


 シオリは難しい顔をしたのちに立ち上がりこちらの前にやってくる。


「え……。いや、無理しなくても……」

「無理なんて……してないよ……」


 言いながらシオリは先程と同じ様に抱きついて来た。


 うわ……。さっきは感じられなかった感触が俺を包み込む。


 頭を撫でる、とか……。膝枕とはまた違う感触。


 俺の胸の中にいる少女は細くて少し力を入れれば折れてしまいそうな程頼りない。本当に天使の様である。


 脳が、この天使を守れ、という指令を俺の腕に送るから、彼女を腕の中に宝物をしまう様に大事に包む。


「あ……」

「痛かったか……? 力入ったかな……」


 少しでも力を入れたら壊れてしまいそうだったから優しくしたつもりだが、それでも力が入ってしまったのかと心配になる。


「ううん……。そんな事……ないよ……」

「良かった……」

「ふふ……」


 腕の中の天使が小さく笑ったので首を傾げる。


「抱き合うとストレスって軽減するらしいよ。どう? さっきのムカつきは無くなった?」

「ん……。そういえばイライラが消えたな」

「凄いね。これ」

「いろんな意味でな……」

「じゃ、じゃあ……コジローのストレスも消えたみたいだしおしまい」

「あ……」


 シオリが俺の腕から出ていってしまい名残惜しい声が出てしまう。


「もうちょっと抱きついてたかった?」


 そう聞かれて俺は素直に「まぁ……」と答えると上目使いで見てくる。


「また今度、コジローがストレス溜まったら抱きついてあげるよ。だから……私のストレスが溜まった時もコジローからギュッ……ってして……」

「ストレスが溜まらないとしちゃダメなのか?」


 そう言うと目を見開いて頬を赤く染めるシオリは「や、やれやれ……」と動揺した声を出す。


「本当に甘えん坊だね、コジローは……。しょ、しょうがない。い、いつでも良いよ」

「じゃあ、もう少しだけ……」


 そう言って俺は彼女に手を伸ばして自分の胸に再度持ってくる。


 彼女は何の抵抗もなく俺の胸に収まると上目遣いでこちらを見てくる。


「紅茶……冷めちゃうよ?」

「今は冷めても……良いかな……」

「そう……。うん。別にいっか……。ところで、いつまでこのままなの?」

「分かんない。抱き合うのは普通なんだろ? じゃあ抱き合う時間は何分位が普通なんだ?」

「そんなの……分かんないよ……」


 彼女の困惑の声の後に沈黙が流れる。何分位抱き合っていたのか分からないが、その後に飲んだ紅茶は冷めきっていた。

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