第64話 先生ってやっぱり大人
まだ慣れない放課後の教室内の風景。
三波先生の帰りのHRが終わり、クラスメイトに、お疲れ、とか、また明日、何て声をかける事なく教室を出て行こうとする。
まだ喋った事もない奴から挨拶されても「お、おおん」とびっくりされるだけだろう。
また同じ事の繰り返しになるのも嫌なので、無理に挨拶する必要もないだろう。
これから学校行事が沢山あるんだそこからちょっとずつ喋る様になるだろう。
「一色くん」
教卓の前を通り抜けようとした時に三波先生に呼び止められる。
嫌な予感がしたので無視して行こうとすると、ガッと腕を掴まれてしまう。
「こらこらー。無視はないでしょー」
「あ、先生さようなら。また明日」
頭を軽く下げて教室を出て行こうとすると再度腕を掴まれる。
「待て待て」
「もー……なんすかー……」
どうやら見逃してはくれないみたいである。
「ちょっとね、これを運ぶのを手伝って欲しいんだよ」
そう言って指差したのは先生の足元のダンボール。
「出たー。パシリ出たー。二年になってもパシらせてくるスタイル」
精一杯の反抗。
嫌味をたっぷり塗った言葉達を投げつけるが、先生はパンっと蚊を叩く様に手を合わせて、俺の言葉達を粉砕してくる。
「ねー? お願いー」
「はぁ……。何で――」
諦めずに反論しようとして気が付いた。
「先生……体調悪いんですか?」
「え?」
先生の顔色を見ると、薄く目の下にクマが出来ている様な……。
何となく体調が悪い気がして質問すると彼女は「そうそう」とニタッと笑って「ゴホッゴホッ」とわざとらしく咳き込んだ。
「ちょーっと朝からしんどいなー。だるいなー。ってねー。あははー」
「いや、あの……本当か嘘か分からないんで……。どっちですか?」
「このダンボールを運ぶのが心底だるい」
「先生さよなら」
冷たく言い残して去ろうとすると、三度目の茹でガシッがきた。
「わーわー。待って待ってー」
「嘘も方便って言うっしょ。何でそこで素直に言ったんだか……」
「あ、あははー」
「先生って損な性格してますよねー」
この言葉に先程の何倍もの嫌味を塗り付けて言い放った後に溜息を吐いて俺はダンボールを持ち上げる。
「きゃー。一色くんカッコいい。素敵ー」
パチパチパチと手を叩いて調子の良い事を言ってくる。
「分かったから……。どこまでっすか?」
「職員室までゴー」
あーあ……俺も損な性格してるわ。
「彼氏と喧嘩でもしたっすか?」
こちらはよいしょ、よいしょとダンボールを運びながら廊下を歩いているのに対して、先生は出席簿を脇に抱えて軽やかに歩いているのが何だか腹が立ったのでプライベートの事を聞いてやる。
「なんで?」
そんな質問にも流石は大人。何の動揺もなく聞き返してくる。
「いえ……。目の下にクマが出来てるから……彼氏と喧嘩でもして寝れてないのかと」
こちらの言葉に「あはは」と苦笑いを浮かべた後に答えてくれる。
「あの人と喧嘩なんて……した事ないな……」
「へぇ……。良い人なんすね」
「良い人……。うん……良い人だね」
一瞬惚気ているのかと思ったが違った。
「でも、それだけだよ」
「それだけ?」
おうむ返しに先生のスイッチが入ってしまう。
「そう、それだけ……。なんて言うのかなあ……。手応えがないと言うか……空っぽと言うか……。こっちの質問に対して『何でも良い』とか『何処でも良い』ばっかで頼りないし! こっちが怒っても優しく笑ってかわしてくるし! そもそもあいつ何考えてるのか分かんないし! 最近は仕事仕事で――」
先生は「あ……」と口元に手を持っていき、しまった、と言わんばかりの声を漏らした。
「溜まってるんすね……」
「あはは。ごめんね。生徒に愚痴っちゃって」
「いえいえ。二年目にして先生の素が見れて嬉しいっすよ」
「その嫌味が一番悔しい」
ようやく先生が悔しがってくれた所で、彼女はいつもの先生の顔ではなく、大人の女性の顔をする。
「良い喧嘩はね、して良いと思うんだ」
「良い喧嘩?」
「うん。悪い喧嘩っていうのは、ただの悪口の言い合い。それは絶対だめだけど――良い喧嘩っていうのは、お互いの本音をぶつけ合う事。本音を言うと相手を傷つけるかもしれない。本音で言われると自分が傷つくかもしれない。でも、本音で言い合うからお互いを理解出来る。最初は辛いし『どうして!?』って納得出来なくてイライラするけどね? でも、段々と相手の言う事が理解出来てきて『そういう考えなんだ』って相手を尊重出来る様になるんだよ。そうやって愛って深め合うものだと私は思うんだけど――私の彼氏さんは喧嘩が嫌いだから逃げてる。言い合うのが嫌だから全部私の意見に流される。ふふっ……良い大人が年下の女の言いなりなんてね……」
先生は俺をジッと見つめた後に俺と同い年位の笑顔で言ってくる。
「七瀬川さんとは喧嘩した事ないの?」
「あー……いや……」
答えようとしたが、質問の内容を理解した俺はダンボールを落としそうになる。
「――って! 何でそこでシオリの名前が出るんすか!?」
「あれ? 付き合ってないの?」
「ねぇすよ」
「じゃあいつの間に名前呼びに?」
ドキッとして言葉が出ずに、続けて先生のターンが続いた。
「あれでしょ? 同じ境遇同士で共鳴し合った系でしょ?」
先生は手を顎に持っていって「あれ?」と何かに気が付いた。
「じゃあ先生が一色くんと七瀬川さんの恋のキューピッドだ」
「恋のキューピッドだ――じゃないわ! 別に俺達は付き合って何か……」
「付き合ってないのに頭撫でたり、相合傘したりしてるの?」
「――なっ!?」
次はちゃんとダンボールを落としてしまい、俺の足元に落ちてしまう。
幸い中身は軽かったので痛くはない。
「大丈夫?」
「な、なな、なんの事っすか?」
動揺しながら俺は落としたダンボールを拾い上げると先生は「わかりやすい子」とボソリと言ってくる。
「そりゃ、見たから」
「ひ、人違いっすよ。いやだなー」
「そんな訳ないでしょ」
言いながら先生は俺の額をコツンと押してくる。
「ふふ。お似合いだよ? 一色くんと七瀬川さん」
「だから俺達は――」
「照れるな、照れるな。隠れてコソコソ付き合うのも青春っぽいけど、堂々と胸張って付き合った方が良いよ。ほら、二年生は修学旅行があるんだし」
「だから――」
「小さな事に囚われていたら、大事な物を失うかもだよ」
先生の言葉が俺の中で妙に刺さった。
「――ふふ。思い当たる節があるようだね。ま、もうちょっと先生のパシリに耐えたらもっと教えてしんぜよう」
「いや、それは遠慮っすわ」
「あら、残念。良いパシリが出来ると思ったのに」
「なんちゅう先公だよ。あんた」
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