第40話 闘将ラックスマン
食料を求めて、野豚は移動し続けている。膨れ上がった群れを維持するために、彼らはそうしなければならない。
どんなにキャベツ豊かな地を見つけても、彼らはすぐに食い尽くしてしまう。
終わりのない旅だった。
なぜこんなに苦しい旅をしなくてはならないのか、とは彼らは考えない。人間たちがかつて環境を破壊し、大発生を誘発するこの超単純な生態系を生み出した、ということを彼らは知らない。
彼らは個々の豚としての意識をほぼ失い、巨大な群れの一部としてその運動に身をまかせていた。群れそのものが意識を持った一匹の巨大な豚のように振る舞い、暴走していた。
群れは、何者かに対して怒り狂っているようだった。
そして、群れは前方に憎悪の対象を見い出したかのように、煉獄盆地の前で速度を上げた。人間の臭いが、群れを興奮状態に駆り立てたのだ。
ラックスマンは可燃物山に駆けつけるとすぐに、兵士たちに命じてガソリン散布を始めさせた。野豚の土煙はかなり大きくなっていたが、まだ彼我の距離は十キロメートル以上あった。最後の仕上げをする時間は充分にある。
兵士たちはドラム缶から豚皮の水筒にガソリンを移し、可燃物山に撒いていった。
ラックスマンがその作業を見守っているとき、狼火を上げた歩哨たちが火攻め隊の近くへ避難してきた。ラックスマンは彼らを呼び止めた。
「おおい、ちょっと話を聞かせてくれ。野豚のようすはどうだ?」
「あいつらの正確な数とか、進行速度とか、そういったことはつかめませんでした。軽く一億匹は超えていると思います。とにかく、すごい迫力です」と歩哨のリーダーが言った。
あまり有益な情報ではない。ラックスマンは苦笑した。野豚の群れの巨大さなら、それを上空から見たことのある彼の方がよく知っていた。
しかし、歩哨たちは野豚の早期発見という彼らの最大の役目をりっぱに果たしたのだ。
「よくやつらを発見してくれた。ここは危険だ。ロンドン少将がいるところまで退避しろ」
ラックスマンは彼らの労をねぎらい、後方に下がらせた。
「さてと、いよいよおれたちの出番だ」
バトンが歩哨から火攻め隊に渡されたのだ。歩哨たちが立ち去って行くのを見て、ラックスマンは不思議に落ち着いた気分になった。おれもどうやら覚悟ができたらしい、と彼は思った。死を賭けて戦う。
しかし、兵士たちの心境は逆だった。彼らは土煙の接近を見て、どうしようもなく動揺し始めたのである。
「あの不気味な巨大土煙が敵なのか?」という戸惑いと恐怖が彼らの心臓を締めつけていた。
地鳴りと振動と地を覆う土煙。それは天変地異の前触れとしか思えず、「敵」の概念を超えていた。兵隊が相手にするものとは思えなかった。
彼らはびびり、浮足立ち、はっきりと逃げ腰になった。
ラックスマンの胸に怒りと失望が渦巻いた。バカ野郎、この期に及んでそんなみっともねえ面見せるんじゃねえ、と彼はいらだった。
彼は兵士たちに向かって大声で気合いを入れた。
「みんな、びびってんじゃねえぞ! なんのためにこのでかい可燃物山をつくったかわかってるだろ? 確かにあの豚の群れは巨大すぎて怖いぐらいだ。でもおれたちは直接あいつらとやりあうわけじゃねえ。この可燃物山がやつらを焼き尽くしてくれるんだ! 楽な戦いじゃねえか!」
本当のところ、ラックスマンは楽だとも、必ずうまくいくとも思ってはいなかった。可燃物山が燃え尽きても、まだ豚は半数以上残っていた、などという事態も充分に考えられる。しかしこの場では、希望的観測を伝えて、兵士たちを鼓舞しなければならなかった。
「作戦は簡単明瞭だ! おれが合図したらいっせいに可燃物山に火をかける、それだけだ。注意することはただ一つ、おれの合図の前にはけっして火をつけねえってことだ! 豚どもを充分に引きつけるからな。小便ちびったって、それまでは絶対に動くんじゃねえぞ!」
彼は力強く指図した。なかなか堂に入った闘将ぶりであった。
「火をつけたら、あとは逃げるだけだ。天山山脈の山腹へ駆け登れ! 必要なことだけやってさっさと逃げる、こいつを忘れるなよ。避難先から野豚が滅びるのをゆっくり見物しようじゃないか。酒でも飲みながらな!」
叫び終わると、彼はでかい口を真一文字に引き結んだ。火攻め隊長の言葉を聞いて生気を取り戻した兵士たちが、鬨の声で応えた。
鬨が静まってから、ラックスマンは全兵士にたいまつを持たせた。燃えるたいまつを掲げて、彼らは可燃物山のふもとのあちらこちらへと散って行った。
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