拾ったハンカチが推しのものだとは知らずに 〜偶然ハンカチを拾ったことで仲良くなった美少女だが、俺が憧れのアイドルの話をすると彼女はなぜか動揺する〜

エリザベス

第1章

ページ1 出会い

「あの……ハンカチ落としましたよ」


 そう、この時、さくら橋は夕焼けに照らされていた……




 文芸部の部室で、今度公募に出す作品を書いていたら、外は暗くなり始めた。


 急いで帰宅の準備をして、俺は部室を後にした。


 斜陽の下でいつもの通学路を通って、家に向かう。


 三月上旬とはいえ、この時間帯はまだ少し肌寒いので、俺は思わず腕を組んで、手をマフラーの下に忍ばせた。


 三月にもなってまだマフラーをつけてるなんて、琴葉ことはには笑われていたけど、あいつも朝は寒そうにしていた。


 ことあるごとに、琴葉は俺と張り合おうとする。ほんとに幼馴染というより、腐れ縁のほうが俺にはしっくりくる。




みやびってさ、名前だけじゃなくて、行動も女の子みたいだね~」


 朝、琴葉と一緒に登校してたら、そういうことを言われた。


「なんで? 男だって雅って名前普通につけるし、寒いからマフラー巻いてるのってそんなに変かな?」


「うううっ」


 真面目に答えたら、今度は琴葉が頭を抱えて悩んでいた。


 俺は至って思ってることを言葉にしただけなのにな。


「私がそう言ったらそうなの!」


 しまいには、理屈の分からないことを口走った。


 昔の琴葉はこんな強引な感じじゃなかった。なんというか、もっと優しい感じだった。


 高校生になってから、琴葉は変わってしまった。


 それは俺にとって、少し寂しいことのように思える。


「そう? ならそうかもね」


「雅……雅のばか!」 


 でも、琴葉がそういうなら、そうかもしれない。なんだかんだ言って、琴葉は俺よりしっかりしてるから。


 思ったことをそうやって口に出したら、なぜか琴葉は俺のことをバカ呼ばわりしてきた。


 顔が少し赤くなったのは、やはり強がってマフラーを巻いてこなかったからなんだろう。


「で、雅はまだ、その、え、えす? えま? 誰だっけ……」


「えりこだよ」


「そうそう、えりこ。雅ってまだそのアイドル追いかけてるの?」


 そんなことを気にしてるなら、ちゃんとえりこの名前を覚えていて欲しいもんだ。


「追いかけてるわけじゃないよ? ただ憧れてるだけ」


「えっ? 写真フォルダにそのえりこって子の写真100枚以上保存しといて、よく追いかけてないって言えたわね!」


「な、なんで、俺の写真フォルダの中身を知ってるのさ!」


 琴葉の発言に、俺はいろんな意味で寒気を感じた。もともと朝は寒いのに、風邪ひいたらどうしてくれるんだ?


「そりゃ、見たからに決まってるじゃん」


「俺、パスワードと指紋認証設定してるはずだよな……?」


「それなら問題ないわ。雅が私んちに遊びに来てうたた寝してる時にこっそり指を拝借したわよ」


 琴葉は悪びれもせず、堂々と言い放った。


「プライバシーとかいう以前に、セキュリティって言葉も琴葉の前では無意味かもね……」


 ここまで清々しいと、琴葉を咎める気も失せてしまった。


 こういうこともあろうかと、隠さなきゃいけないようなコンテンツはデジタルではなくアナログで購入しているから、高を括っていたが、えりこの写真に目をつけられたのは誤算だった。


「そうか、えへへ」


「褒めてない」


「なに!? あっ、てか話題逸らすな~」


「いや、どう考えても今はえりこより俺の写真フォルダを琴葉に見られたことが問題でしょう」


「こほんっ、それは置いといてだな。ずばり、雅先生はえりこのこと追いかけてるでしょう」


「先生って呼ぶな。あと、追いかけてるとかそういうのじゃないから」


 琴葉は昔からノリがいい。だが、それでも、俺が先生と呼ばれる理由は分からない。


 実際、俺はえりこを追いかけてるわけじゃない。


 そんな大それたことは俺にはできない。相手は今人気急上昇中のアイドルだ。


 そんな美少女を、俺が何十年、いや、何百年追いかけても付き合えるわけがない。


 だから、俺がえりこに抱いてる気持ちはあくまでも「憧れ」。ただ、えりこの写真を見て、可愛いなと思ったり、たまに彼女と付き合ったらのことを想像したりするだけ。


 小説家とは程遠いが、俺は一応文学に属する作品を書いてる。


 そして、往々にして、文学は恋愛とは切って離せない。


 それを書くのに恋愛を想像するのが一番インスピレーションが湧く。この点に関しては、俺が書いた多くのものはえりことの妄想の産物ってことになる。


 ただそれだけ。アイドルを追いかける勇気なんて、俺にはないのだから。


「信じられないー」


「違うってば」


 琴葉にはもう一度ちゃんと否定してみせた。


 なぜ琴葉はこんにしつこく俺がえりこを追いかけてると思い込んでるのかは分からない。


 実際、事実は違うから、俺は嘘なんかついてない。


 そう、俺の気持ちはあくまでも「憧れ」なんだ。




 家と学校の間には1本の橋がある。


 地元の人はそこを「さくら橋」と呼んでいる。


 本当はちゃんとした名前があるのだが、橋の下の川の両端にはたくさんの桜の木が立ち並んでいて、春になると花見の名スポットとして有名なので、いつの間にか本来の名前より「さくら橋」のほうが地元の人の間に定着していた。


 その「さくら橋」を通って、俺は毎日登下校をしている。




 夕焼けに見とれて、いつの間にか、俺はさくら橋の上を歩いていた。


 川の流れる音はなんとも心地よい。


 風とも呼べぬ風が俺のマフラーの裾を持ち上げては降ろしていく。


 そして、夕焼けによってオレンジ色に染められてしまったなにかがひょっこりと俺の視界に入ってきた。


 それは俺の少し前を歩いてる女の子が落としたもの。


 思いがけず、それが俺の前に着地した。


 だから、俺は落ちたそれを拾って、彼女に話しかけた。




「あの……」


「あの……?」


「あの……!」


 彼女はやっと足を止めて、振り向いてくれた。


 この瞬間、彼女の顔もハンカチと同じように、少しだけ赤く染まり、俺には、彼女が天使に見えた。




 彼女は帽子を軽く抑えて、俺を見つめていた。それだけで、心臓がはち切れそうになる。


 彼女はえりこに凄く似ている。


 肩まで伸びている艶やかな髪に、二重のまぶた。少々つり目がちだが、涙袋が可愛く膨らんでいる。鼻と唇はちっちゃくてあどけない。


 髪がえりこより少し短いところ以外、彼女の全てはえりこに似ている。


 俺は彼女に見とれていた。彼女と見つめあっていた。この瞬間が永遠のように思えた。


「あっ、そのちがくて! 俺は別にストーカーとかそういうのじゃないです。その、あの、ハンカチ……落としましたよ」


 やっと我に返って、俺は少しテンパりながら彼女を呼び止めた理由を話した。


 俺の言葉を聞いて、彼女はホッとしたように胸を撫で下ろす。


「ちょっとびっくりしました。ハンカチを拾ってくれたのですか?」


「あっ、はい、このハンカチってよく見たら白いじゃないですか。だから、結構目立ったから、落ちたのを見つけました……」


「うふふ」


 橋の手すりと紅葉と見紛うほど夕焼けによって赤く染まってしまった桜並木を背に、彼女はにこりと笑った。


 幼げで天真爛漫な笑顔。


 それを見て、顔が赤くなっているのは自分でも分かる。今ならこれも夕焼けのせいにできるだろう。


 次の瞬間、彼女は帽子を抑えていた手を降ろして、俺を指さした。


「そこの君! なんでそれがハンカチだって分かったのですか? パンツだったらどうするんですか?」


 美少女の口から発せられた爆弾発言に、俺は大慌てでもう一度手に持っているものがなんなのかを確かめる。


 俺は急いで手に持ってるハンカチと思われるものを広げて、観察してみた。


 確かに、布のようなものだったから、ハンカチだと思ったが、パンツの可能性は……いや、ないわ!


 よかった……ハンカチだった。


 そんな俺を見て、彼女はクスクスと笑いだした。


「パンツなわけないじゃないですか~ 君、面白いね~」


「か、からかわないでくたさい!」


 俺の顔はますます赤くなり、熱が籠ってきた。


 初対面の女の子にからかわれた……しかもえりこにそっくりの女の子。


 自分が彼女の発言に対してばかな反応をしたのを思い出して、とてつもなく恥ずかしくなった。


「ごめん、ごめん、可愛くて、つい……」


「やっていいことと悪いことがあるんですよ!」


「あら、お姉さんにお説教?」


「えっ?」


「私はこう見えても17歳だよ?」


「俺も17歳です」


 確かに、彼女は幼く見えた。きっといつも実際の年齢より若く見られていたのだろう。


 そういえば、えりこも17歳だったよね。でも、アイドルのえりこがここにいるわけがない。


「ふーん、残念」


「なにが残念ですか!?」


 いつの間にか、俺は彼女のペースに巻き込まれていた。


「年下だと思ったから、意地悪できると思ってたのに~」


「今でも十分に意地悪ですよ! あと、俺にはあなたの方が年下に見えたし」


「やだ~ そんなに褒めないで?」


「褒めてない」


 最初にガチガチに緊張していた自分がどこか遠い世界に行ってしまった。


 気づいたら俺は目の前の美少女と普通に会話出来ている。


「君、モテないでしょう」


「なっ!?」


「図星?」


「そんなこと……ない」


 多分。


「うふふ、やはり君面白いね」


「もうそんなこと言ってないで、早くこれ受け取ってよ」


 周りが暗くなったから、俺は急いで拾ったハンカチを彼女のほうに差し出す。


「うーん、それ、今度返してもらっていい?」


「え?」


「これ、私のRINE」


「はい?」


 彼女は鞄から携帯を取り出し、俺に自分のRINEのQRコードを見せてくれた。


「友達追加して?」


「なんで?」


「だって、今度ハンカチ返してもらうんだから、連絡先交換しないと大変でしょう?」


「いやいや、なんで今度返すことになったの?」


「うん? 私が決めたから?」


「はあ……」


 琴葉を思い出した。


 その強引さは少し琴葉のそれに似ている。


 しょうがなく、俺は携帯を取り出して、彼女のQRコードをスキャンした。


 そして、画面に彼女のRINEのアカウントが表示された。


「渚花恋かれん?」


「そう、私は渚花恋よ? よろしくね、一ノ瀬雅くん〜」


 彼女はえりこではない。ただえりこにそっくりな女の子。初対面だし、からかってくるし。


 なのに、俺の中に得体の知れない感情が芽生えたのを覚える。


 こうやって、俺と渚花恋は出会ってしまった。

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