風姿花伝 偽の巻

kiri

第1話 鳴神 ―なるかみ―

 帝はわたくしにおっしゃられたのです。


「お主が頼りなのじゃ、お主にしかできぬことと余は思うておる」


 御自おんみずからわたくしの手をお取りになられ、甘くささやくあの方のお声に、どうして逆らえましょう。


「帝のおおせのままに」


 わたくしは顔を伏せて、そう申し上げるだけでございました。



 ◇◇◇◇◇


「ねえ、姫。あんた本当にいいの!?」

「しょうがないじゃん。帝に行けって言われて、行かないわけにいかないでしょうが」


 家に帰ってくるなり話を聞いた侍女は地団駄じだんだを踏んだ。小さい頃から一緒にいるこの侍女はわたしに対して遠慮がない。だから、わたしも気が楽なんだけど。

 彼女は、これが絶世の美女たる雲絶間姫くものたえまひめにやらせることなのといきどおる。


「知ってんの? 今回の件、帝のほうが悪いって噂になってんのよ」


 わたしはため息混じりに呟いた。


「それ、どっちもどっちな気がするんだけどな」


 多分、わたしは苦虫を噛み潰したような顔をしてるんだろう。自分の口角とテンションのだだ下がり具合と、侍女の大袈裟なため息でそれとわかる。


 それは帝が鳴神上人なるかみしょうにん通力つうりきを聞き、内裏だいりへ呼び出したことから始まった。

 帝の前へ進み出た上人は横柄おうへいな態度でこう言ったそうだ。


「それで、わしにどうしろというのだ」

「世継ぎを。余に皇子みこを授けてほしい」

「ははあ、なるほどな。帝というのも大変だのう」

上人しょうにん殿、お主のそのお力で是非とも霊験れいげんを授けてほしいのじゃ」

「ふむ……ならば、そうさのう。ひとつ儂のために寺を建ててはくれんかの」

「おお! 引き受けてくださるのか。寺院建立こんりゅうなど容易たやすきこと。お任せあれ」


 上人が祈祷をして程なく、皇子が誕生されたのは周知の通りだ。


 侍女はむすっとした顔のまま。

 やがて口を開くと苛々いらいらと言った。


「その後さ、あいつ寺院建立にかかる費用試算させたら、自分が思ってたよりかかりそうだってんで握りつぶしたんじゃん」

「知ってるわよ、そのくらい。上人の催促が来たら今やってますって言っとけって、そう言ったんでしょ。蕎麦屋の出前じゃないっつうの」

「それ知ってて何で帝の言いなりなのよ」

「……」

「ちょっと、姫!」


 痛いところをつくわね。わたしだってそれじゃなきゃ「仰せのままに」なんて言わなかったわよ。


「だってさあ……あいつイケメンじゃん。女の子の扱いも心得てるしさ。何よりあの甘い声で囁かれたら……あ、そういえばあんたも鳴神上人見たことあるでしょ。あんたならどっちがいい?」

「帝」

「即答かよ! まあ、そういうことよ」


 はあ……顔よし声よし性格よし。年は理想よりちょっと上だけど帝ほどの優良株はなかなかいない。彼のようなイケオジならともかく、上人は私の好みとは真逆まぎゃくをいく枯れた人。

 おじい様はわたしの守備範囲外なのよ。


「でもさ、鳴神上人の仕返しもえげつないわよね」


 問題はそれ。侍女の言う通り、ほんとえげつない。

 寺院建立の件で怒った上人は、その通力で龍神りゅうじん様を封印してしまい、雨が降らなくなってしまったのだ。おかげで今、国中が干上がっている。


「ホントよ。おかげで誰が考えたんだか、わたしがこんなことしなくちゃならなくなったんだから」

「本当なの? 戒律かいりつを犯すと通力が落ちるって」

「らしいわよ。案外、鳴神上人って人も敵が多いんじゃない? 弱味知ってる人じゃなきゃ帝にそんなこと言わないでしょ」

「それな」



 ◇◇◇◇◇


 侍女は筆を耳に挟んで腕を組む。

 やめなさい、競馬場のオヤジじゃないんだから。


「まずは、あいつの懐に入り込むことよね」


 言いながら、文箱ふばこから取り出した紙にあれやこれやを書きつけていく。

 修行の妨げになるからと、わざわざ人里離れた場所に作られた質素な寺院。鳴神上人は、そこに身の回りの世話をする小坊主と共に居るそうだ。


 うーん、小坊主対策もしなきゃいけないか。草でも食っとけじゃ追い払えないもんね。

 口元にこぶしを当てながら思案を重ねる。


「修行中の小坊主なんて、あんたが迫ったらコロリでしょ。たらしし込みやすいって」

「そう? でもさあ、わたしあんまり得意じゃないのよね……もうちょっとなんかない? ああもう、ほんっとめんどくさい。とにかく小坊主追っ払って上人を表に出すように仕向けないと」

「そだね。ね、上人ってさ、一つでも破戒させればいいって言われたんでしょ? どう、もうちょいいっとく?」

「あんた、他人事ひとごとだと思って軽く言うわね」


 軽くにらむと、侍女は大丈夫よと親指を上げた。


邪淫じゃいんと飲酒の破戒ならセットでいけるっしょ。『クラブ雲間』へようこそってやつよ」

「色仕掛けとか趣味じゃないんだけど、しょうがないわよね。じゃあ、まずは酒を飲ませまくって酔いつぶすか」

「そうそう、そんで隙を見計らって、龍神様を封印している注連縄しめなわを切る」


 なんだかんだと言いつつも、わたしと侍女は鳴神上人の元へ向かう準備を終えた。


「これで大丈夫かな?」

「酒よーし、姫よーし、懐剣よーし、車よーし、うん、おけだね」

「はあ……じゃ行きますか。上人とこナビ入れといて」

「はいよ」


 くだんの上人の引きこもり先は、そりゃ人もいないわよ。今は干上がっているけど、元は大きな湖だった場所だもの。住民もなぜかこの場所には近づかない。


 わたしも、さすがにこの着物で歩いていくのはごめんだ。馬に乗るのもきつい。だって着崩れちゃうじゃない。

 だから、侍女に車を出してもらったのよ。

 みやこから車を飛ばせば一刻いっこくほどもあれば着くんだから、やっぱり車があると快適よね。


「ねえ、姫。ここから先は大っぴらについていけないけど大丈夫?」

「大丈夫じゃないけど、大丈夫って言っとくわ。こんなの河童が屁こいて逃げ出す程度のことよ! 任せといて」

「姫……あんたさ、時々心根が男前よね」

「フッ、惚れんなよ」

「表現はいろいろ残念だけど。さて、忘れ物はないかな」


 スルーかい。いいけどね。

 よしっ、とわたしは立ち上がって両の頬を叩く。


「おっけー、行ってくるわ。後は頼んだわよ」


 日照り続きでカサついた道に一歩、踏み出した。



 ◇◇◇◇◇


 上人のいびきを聞きながら、わたしは足音を忍ばせて部屋、侍女の言う『クラブ雲間』ってやつをを出る。

 ええ、ええ、やったわよ。なんとか上人のとこに入り込んで、お酒どーぞとか、あらやだ、こんなとこ触ってとか。あーーー! やだやだ!


 さてと、龍神様はどこだろう。こっちかな? 水の匂いがする。回廊かいろうを小走りに急ぐ。

 何度も折れ曲がるその先から、どうどうと流れる水の音がする。


 あ、あった!

 水量豊かな滝に注連縄が渡されていた。これね。

 切れ味良さげなサバイバルナイフが手の中で光る。

 うふっ、これは宣伝文句に偽りなさそう。さすが陰陽寮。


「って、感心してあげたのにぃ……ちょっと、何で切れないのよ」


 すっぱり切れると思ってたのに、ほんの少しずつしか切れない。

 さほど太さもないのに、ムカつくうぅ!


 わざわざ『通力にも効果あります』っていう、祈祷済みのやつ買ったのに陰陽寮めぇぇぇ! ついでにあの★5レビュー書いたやつもシバキ倒してやる!

 半ばヤケになりながら、力を込めて縄を切っていく。


 こんなの聞いてないわよ。ああもう……上人の通力ってやつが酔いつぶれていてこれなら、正気の時じゃ絶対切れないやつじゃん。

 何とか半分程は切れた。


「こんのおぉぉ! 切れろ!」


 ぐちぐちと文句を言いながらも、動かす手は止められない。


「……やった!」


 はあぁぁ……こんな手間がかかるなんて。特別手当がほしいくらいだわ。

 へたり込むわたしの頬を冷たい風が撫でていく。何となく、龍神様にお礼を言われたような気がして空を見上げた。


 どういたしまして。

 やっぱり龍神様は空に存在るのがいいわよね。

 見上げた空には、遠く黒雲が湧き始めた。



 ◇◇◇◇◇


 そっと上人の寺院を抜け出すと一気に駆け出す。


「ミッションコンプリートオオオオオ!」

「お帰り! 首尾は?」

「上々! 空を見てよ」


 一気に広がり出した黒雲は、今にも大粒の雨を降らせそうなほどに、重い水気みずけはらんでいる。

 わたしは車に飛び乗り、同時に侍女はアクセルを踏み込んだ。


「ああああ! もう、好みでもない男の人に体を触られたりお酌をしたりなんてセクハラよ、セクハラ!」

「それこっちから仕掛けたやつ」

「うるさい」


 そんな文句を言いながらも、ひたすら逃げる。モタモタしてたら、追いかけてくる上人にどんな報復をされるかわかったもんじゃない。


「でもさ、全国民に感謝されるわよ。がんばったよねえ。よっ、英雄」

「んなこと言ってる暇があったら逃げるのよ! ほら来たっ!」

「了解。おっ、雨だ。本格的に降る前に飛ばすわよお!」





 ◇◇◇◇◇


雷神不動北山桜なるかみふどうきたやまざくら』の一幕ひとまくでございました。

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