第25話 バイゴッド伯爵の事情
私は、母が推奨してきた奇妙なメガネをかけ、腰にひだが一杯寄せてあるので、腰の線がわからないと言う、スタイルに自信のない女性には救世主のようなドレスを着こんでいた。生地がゴワゴワしているので、歩くたびに大きな衣擦れの音がする。
「若い娘が着るドレスじゃないな」
伯父がブツクサ言っているのがかすかに聞こえた。。
バイゴッド伯爵には、この程度では効果がないかもしれなかったが、試す価値はあった。
「あの、どうしてメガネをかけていらっしゃるのですか?」
ドレスの流行には疎くても、メガネだけはさすがのバイゴッド伯爵も気になったらしい。
「掛けた方がよいと母が医者に助言されましたの」
私は必要なことは答えた。
「いつもかけていらっしゃるのですか?」
「はい」
ずっと黙って居たが、バイゴッド伯爵はついに聞いた。
「素顔を見せていただいても?」
「『心の美しさこそが真実の美であり、うわべに惑わされるものは、浅はかな者の所業なり』」
私は聖句で答えてみた。
伯爵は黙ってしまった。
この際だから、私も黙ることにした。
「結婚に際し、聞いておきたいことはありませんか?」
話題に困ったのか、バイゴッド伯爵が聞いてきた。
「バルバラ様はどんなお仕事を伯爵夫人にお考えでしょうか?」
「え? ああ、そうですね。そこまでは聞いたことがありませんが、母は社交などを主に担っていましたから、同じような部分をしていただくことになるのでは。まあ、私も社交ではご婦人方とご縁がなさ過ぎて肩身が狭かったので。お招きしても女主人となる妻がいないもので……」
なるほど。
それは確かに大変だ。
しばらく黙って庭を徘徊したのち、私たちはベンチに腰掛けることもなく、屋敷に戻った。
それから、大汗をかいた伯父と、伯爵の二人がウマの話やら農作物の話をせっせと続けている横で、私は黙りこくっていた。
ウマもオート麦の話も、知らないわけではないが、別に口出しするほど知っているわけじゃないから、黙っていてもいいだろう。
「お若いご令嬢には、ちょっと難しい話でしたか?」
バイゴッド伯爵が気を遣って聞いてきた。
難しい……かと言われれば、多分現地で一年過せば理解できるようにはなるだろう。
改革してくれと言われたら、無理だろうけれど。
「王都ではどのようなお仕事を?」
私は聞いてみた。
「主に社交ですな。私は実は得意ではないが、学園時代の友人のもとを訪ねることが多い」
そのあとは、何々子爵、どこそこの伯爵、と名前が続いた。
「失礼がないように、頑張ってほしいと思っています。難しいようなら、教えましょう。バルバラも多少、知ってはいると思いますので」
それから、思いついたように、付け足した。
「結婚後、苦労はさせたくないですからな。なんでしたら、婚約後、すぐに領地の方へお越しいただいても良いかと思いますね」
「あの、いつ頃の結婚を考えてらっしゃるのですか? もうすぐお母様がお越しですから、その時伺うべき話かとも思いますが?」
黙っていた伯母が口を挟んだ。
「そうですな」
伯爵はしばらく考えていたが、指を折って何やら数を数えているようだった。
「実は冬が良いのですが……と言うのは、収穫が終わったら、どうせ王都へでないといけません。式も披露もまとめて行えますから、便利ですね」
そう言うと伯爵はニコリと笑いかけてきた。
「早い方が好ましい。早く子どもを授かりたいものです。家畜の出産でも、嬉しいものです。我が子であれば尚更。領民たちも待っていると思います」
私が黙っているので、伯爵は付け加えた。
「子どもはかわいいものです。あなたのお年頃では、あまりわからないのも、仕方ないと思いますが、おいおい理解できるようになると思っていますよ」
「まさか、この冬に結婚式を?」
伯父が眉をしかめて尋ねると、伯爵はあわてたようだった。
「別に季節にこだわりはありません。いつだって、かまいませんよ。先に式だけ挙げて、領民への披露は収穫祭の頃にすれば、彼らもさぞ喜ぶでしょう」
「王都での披露宴は?」
「それは……」
彼は考えているようだった。
「まあ、エレンの意見を聞いて考えましょう」
「結婚する相手はこの令嬢なのだが……」
「あ、もちろん。もちろんそうです。ウェディングドレスは、母のものがあります。指輪も、母のもので済むと思いますね。母は、エレンの叔母にあたるのです。立派なものですよ」
エレンと言うのは、母の名前だ。
「新しくお作りになるのだと思っていました」
私はたまりかねて口を挟んだ。全部、お古ではないか。
すると、伯爵は、指をあげて私の顔を見て、たしなめた。
「大変に素晴らしい品です。大変に素晴らしい。友達や領民に見せたら、みんなため息をついていました。あなたは、まだ若いので、ものの値打ちがわからないでしょう?」
一気にしゃべりすぎて息を継ぐ必要が出てきたのか、彼はちょっと黙ってから、続けた。
「新しいものが良いとは限らない。そんな茶色より、もっと華やかな色目があると思いますね。赤とか黄色とか。うちの出入りの仕立て屋に言わせると、センスというものは一朝一夕には磨かれないそうです。ま、私は一生縁がないらしいですがね」
ここで、彼は、ハハハと笑ってみせた。
「あなたも私と同じらしいですな。それと、私はどうしても、宝石やドレスに金を注ぎ込む女性たちの気持ちがわからない。勿体ないと思いますよ? いいウマやラバが買えますからね。私の友人たちにも、困っている者が多い。センスがないなら、敢えて磨く必要がないと、ウォルターが言ってました。妙なドレスを作るより、ウォルターの助言に従った方がいい。うちの仕立て屋のことですがね」
これは結婚後の生活への牽制のつもりなのかしら? お金を使わないようにと言う?
私が眉を寄せて考え始めたところで、執事がうやうやしくドアをノックして伝えた。
「モンフォール公爵夫人がお見えです」
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