第2話 婚約やめたい

「ねえ、その婚約者、やめるわけにはいかないの?」


親友のルシンダは澄んだ緑の目と黒い髪の美人だった。


「家同士の決定ですもの。無理ですわ」


私はルシンダに向かってため息をついた。


「ルシンダがうらやましい」


「何言っているの。本来なら、侯爵家の嫡男が婚約者だなんて、誰もがうらやむ身の上でしょ?」


ルシンダの身分は男爵家の令嬢。だが、非常に裕福な商家で、男爵位の方がオマケだった。

おそらく彼女の家より裕福な家はないのではないか。


出自が商家なので、家同士のしがらみなどない。結婚も本人の好きにしてよかった。


「自由なのは、それはそれで困るのよ」


「選り取りみどりじゃない。どんな家でもあなたなら断らないわ」


ルシンダの母方は古い伯爵家の出身だ。王家に嫁ぐとでも言うなら別だが、そうでもなければ身分をあれこれ言われることはないだろう。その上、莫大な持参金が付いている。


貧乏貴族は多い。次男、三男はもとより、嫡男でも実家の財政状況に苦しんでいる者は、彼女を狙っているはずだった。


「そこは僕が見張っているから」


二つ離れた席には、ルシンダの兄のアーノルド様が座っていた。


いつも妹のそばにいるだなんて、結構なシスコンである。


もっとも、ルシンダは小柄で愛らしくとてもきれいだ。兄として心配になる気持ちはよくわかる。


アーノルド様は、品行方正、成績優秀で機転が利くので、誰からも一目置かれていた。


その意味では、学園の先生方にとっても何かと便利な存在だった。


学園には、生徒側の代表と言う地位もあり、有名貴族の子弟が務める。今年はレキシントン卿なる人物が代表のはずだったが、実質はアーノルド様がこなしていることを私たちは知っていた。


そのため、彼は、試験の情報や、先生の事情、学園のルールなど、なにかとよく知っていた。



「アーノルド様は優秀ですもの。婿にと狙っている家も多いと聞きますわ」


私は素直にアーノルド様を誉めた。アーノルド様はちょっとだけ困った顔をした。事実なのだろう。


身分制度はまだ有効だった。

うんと上の家から無理を言われたら、その縁談を断るのに苦労するだろう。


私の両親とケネスの両親が早々に婚約を決めたのも、貴族制度の中に生きる私たちは、無茶な結婚を押し込まれたら困るから。


とんでもない出来損ないの娘を押し付けられた気の毒な伯爵家の嫡子の話や、ひどくワガママで、乱暴者の王族と無理矢理結婚させられた美しい貴族令嬢の悲劇はいくらでもある。

早めの婚約は、危険を避けるためにも有効だった。


母が仕立てた豪華だが似合わない服を着て、母が強要するメガネをかけた私は、どう見ても美人ではないので、そんな心配はまるでなかったけど。



「二人とも自由でいいわね。好きな相手と結婚できるわ」


家格から釣り合いが取れている、と言うだけの理由で、婚約者にされたケネスには泣きたい思いだった。


確かに家同士の問題なのかもしれなかったが、やっぱり婚約者には優しくされたい。


家でお茶会を催しても出席しない、ダンスパーティに出ていい年になっても、ケネスは断固としてエスコートしない。


認めたくないけど、嫌われてるとしか、考えられなかった。


ケネスの家のオズボーン侯爵家は貧乏ではないのだから、花やお菓子くらい、いくらでもプレゼントできるはずなのに、私へ送られたものなんか何もなかった。


私だって意地がある。

何回かお茶会に誘ったが、全部無視されたあとは招待すらしなくなった。


返事すら来なかったのだ!



「最初に会った時から、嫌だって言われたのよ」


これを聞いたルシンダが、少しだけ表情を変えた。

彼女には珍しいことだ。ちょっと怒っているらしい。



「ねえ、今年からは私たちも学園のダンスパーティに参加することになるわ? どうするの?」


「欠席かなあ?」


私はうなだれて、ルシンダに答えた。


「エスコートなんかしてくれるわけないじゃない」


エスコートなしの女性はとても目立つ。行かない方がいい。私がそう言うと、ルシンダはあっさり結論を言った。


「そんな婚約者、要らなくない? 私は大事にしてくれる人と結婚したいわ」


ハッとして私はルシンダの顔を見た。



そんなこと、考えたことがなかった! でも、その通りだ。


私のことを嫌いな婚約者なんか、悲しすぎる。たった一人の人を精一杯愛して、その人から優しくされたい。



でも、私の母は気位が高いのだ。自分の娘がここまでないがしろにされているとわかれば、何を言いだすかわからない。


それだけではない、きっと私も怒られるだろう。


あんな男一人つなぎ留められないほど、魅力がないのかとか。

(ないと思う)



でも、家格が高くなくてもいいから、本当に大事にしてくれる人と結婚したい。


侯爵家とか、そんなことはどうでもいい。お金さえあれば、暮らしには困らない。本当は爵位なんかなくても、いいんじゃない?


王都なんかで付き合いに苦労しなくても、お金さえあれば、領地に引っ込んでのんびり暮らすことができると思う。その方がずっといいのでは?


「甘いね」


広大な領地を誇るマンダヴィル辺境伯の息子ウィリアムが声をかけてきた。


私たちは彼を見上げた。


武芸に優れるいかつい体つきだが、気さくな性格で、ちょいちょい話しかけてくる。

彼はアーノルドの親友だ。


学園内でも食堂だけは男女共通だったが、やはり男女が同じテーブルに着くのは抵抗がある。

ルシンダとアーノルドは兄妹なのでよく一緒に居て、その関係で、私はウィリアムとも顔見知りだった。




一度、メガネを取って見せてよとウィリアムに頼まれたことがある。


なぜ、そんなことを聞くのかさっぱりわからなかったが、食堂なら太陽光線は関係ないので、黙って取って三人の顔を見た。


メガネなしになるのは、どういう訳かちょっと恥ずかしかったけど。


ルシンダは何の反応もなく、男子二人も黙り込んだままだった。


やっぱりマズイ顔だと思われたのかしら……。


でも、絶対、感想なんて聞けない。どうせお愛想で「かわいいよ」と無理矢理言わせるだけで終わってしまうと思う。ほんとのところなんか言わないでしょう。


ブス……だなんて。


だが、それ以来、ウィリアムは、気安く思うようになったのか、声をかけてくるようになった。

もちろん、ルシンダとアーノルドが一緒の時に限ってだけど。私には婚約者がいるから当然の配慮だった。




この時も、ウィリアムはアーノルドの隣に座って、解説を始めた。


「爵位を保ち、領地を荒廃させないように管理しなければ、お金なんか入ってこないよ。そのためには、頻繁に王都に来なくてはいけない。高位貴族同士の付き合いなくては、時流に乗り損ね没落さ。自分の代で没落する訳には行かない」


アーノルドがうなずいている。


「むずかしいものなのですね」


私はため息をついた。


「いっそ僕と婚約しようよ」


この言葉には、ルシンダもアーノルドも私も目が点になった。


なんて軽いお申込みなんだ。


赤毛のウィリアムは、顔もほんのり赤くなった。


え? 本気なの? こんなメガネっ子でもいいの?


「親をすっ飛ばして?」


アーノルドが疑い深そうに聞いた。


「父から頼んでもらうよ。あそこまで気がないなら、さすがに構わないんじゃない?」


ウィリアムはやや早口で言った。


「でも、それはきっと浮気だって話になりますわ」


そうですとも。だって、どんなに無視され続けていても、一応婚約者なのだ。

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