【Present day①】
失敗したぁ。
服装自由って応募用紙に注意書きしてあったから、白いスキニーとTシャツに青いカーディガンを羽織って来てみたら、他の応募者の女の子たちはみんなリクルートスーツだったぁ。
なのに最終面接の順番はいちばん最初だっていうんだから、神様は意地悪だ。
どうしよう。担当者に常識がない人間だと思われちゃうかもしれない。
ビルの廊下は照明がイヤってくらい私たちを照らしているのに、みんな緊張した顔なものだから雰囲気がすごく暗い。これからお通夜でもあるのかってくらい。
「大衡あかりさん、お入りください」
灰色にラインが入ったフォーマルスーツのきれいなメガネのお姉さんに名前を呼ばれて立ち上がると、みんなが私の方を向いた。やっぱ私、浮いてたよね。私服だもんね、一人だけ。
「……はい」
ここで明るく返事ができるような強いメンタルは持ってない。まあ、でもこうなっちゃったもんは仕方がない。
私は当たって砕ける覚悟を密かに決めた。
あれ。
ノックって何回するんだっけ。
高校三年の時くらいに教わったような気がするけれど、ぜんぜん思い出せない。まあ、とりあえず五回ぐらいしておこう。
コンコンココツコンコンコンコン。
三回目ぐらいで何回叩いたか分からなくなった。あと、ちょっと手が震えてしまった。まあいいや、と私はドアノブに手を掛けて扉を開ける。
「ふふっ」
背後でキレイなお姉さんが噴き出した音がした。なにか間違ってしまったみたい。
私がここにいるのも、きっとなにかの間違いなのかもしれない。保育士の専門学校を出て無認可の保育所で働いていたけれど、なんとなくスマホで見かけたバーチャルアイドルなるもののオーディション広告をクリックして、軽い気持ちで申し込んだら最終面接まで残ってしまった。
書類審査が通ったあたりから、アイドルの動画なんかよく見るようになったけど。
最初の面接で説明された話によると、バーチャルアイドルというのはこの会社独自の3Dモデルをオーディションに受かった個人に与えて、その姿でインターネットの動画サイトに動画や生放送を配信する仕事らしい。
そのあと家に帰って調べたところによると、バーチャル配信者というのは今から4,5年くらい前から日本で始まった文化で、黎明期には御三家とか四天王とか十傑衆とか数人ほどしかいなかったけど、今ではもう何千人と数を伸ばし続けている人気業種なのだそうだ。私は小さい頃からスマイル動画の『ゲーム実況』とか『歌ってみた』とかなら観たことはあったけど、バーチャル配信なるものはあまり触れてこなかった。だから、そんな仕事もあるのかと一人で現代日本の歴史を学んだ気になったものだ。
まあ、合格しなければそれも無駄になってしまうんだけど。
入った部屋は狭くはないはずなのに、私が緊張しているせいかすごく圧迫感がある。真っ白い机を挟んで向こう側に、ジーパンにTシャツというラフな格好をした男の人と、紺色のスーツとメガネの男の人が座ってる。書類に目を通しているメガネの方の人はすごく真面目そう。どこかで見たような顔をしている。どこだったかな。ちょっと思い出せない。
「大衡さん、でしたね。お掛けになって下さい」
言われるがままに、机の手前にある空いているイスに座る。すると背後からさっきの女の人が、そのままスーツ姿の男の人の隣に座った。彼女がメガネの人になにか耳打ちをすると、フッと男の人が微笑んだ。
ノックのことだろうか。それとも私服のこと?なんだか合格するのは絶望的な予感がしてしまう。
「では、お名前といまの職業をお願いします」
「は、はい。大衡あかりです。に、21歳です。仕事は、へ、ほ、保育士をしています」
メガネの人が資料と私を見比べる。その隣でキレイな女性が彼の資料を覗いていた。左端のラフな格好の茶髪の人は、あまり興味がないのか腕組みをしてそっぽを向いている。
「バーチャル配信者の仕事は、一次面接でご説明したとおりですが、インターネットでそういった方の配信を見たことはありますか?」
「はい。で、でも、オーディションが始まるまでは観たことありませんでしたすみませんっ」
「そうですか。……あの、特に合否には関係のない質問なので、そんなに緊張しないでくださいね」
思わず早口をかまして頭を下げてしまった私に、メガネの人が気遣ってくれる。恥ずかしい。頬が熱くなって火が出て溶け落ちてしまいそう。
「どういった方の配信をご覧になられましたか?」
矢継ぎ早にメガネの人から質問。
「はい。あの……、流行りのFPSゲームをバーチャル配信者の方が何人かでやっている生放送です。ちょっと、名前は忘れてしまったんですが」
「んー、そのゲームだと
「あとは……、あの、バーチャルではないのですが……、昔から好きな配信者ならいます。む、『ムンクさん』とか……」
メガネの人と女の人が目を合わせて苦笑した。答えを間違ってしまっている自覚はある。バーチャル配信者の話をしているのに、昔の動画サイトで活躍していた人の話をしてしまったのだから。
「すみません。おかしかった……、ですか?」
うまく質問に答えられてなさ過ぎて、私はすぐにでもここから消えてしまいたい気分になる。
「い、いえいえ。そんなことはないですよ。ちょっと嬉しいくらいです、正直。いうところのスマ動勢というやつですね。趣味がシブいですね」
微笑まれたが、褒められているのだろうか。私にはよく分からなかった。
「ほかは?」
急にラフな格好の男の人が、ぶっきらぼうに私に聞いてきた。私は姿勢を彼へと向ける。
「スマ動勢だったら、他にはどんなの観てんの?」
さっきまでそっぽを向いていたのに、細い瞳が私に向けられている。なんだか余計に私は緊張してしまって、す、すみませんっ、と謝ってしまった。
「……ほ、ほかだと、こないだ雑誌の表紙になった『きたぐに』のイウさんのゲーム実況とか、活動休止中の『新選組』とかです。歌ってみただったら『ふーる。』さんとか、ボカるPだったら去年紅白に出た『イチ』さんや、新曲はもう出ないですけど『frank』さんの曲が好きです」
「あー、懐かしいな。泣けるぜ。……俺の名前が出ないのが残念だけど」
「え?」
「あ、ゴメンゴメン。質問は以上」
そのままラフな格好の人は、興味が削がれたかのように頭の後ろで手を組んでイスに寄りかかってしまった。
コホン、とスーツの人が咳払いした。場の雰囲気が良くない気がする。もう、これで終わりにしてくれないだろうか。私はもう、すぐにでも帰りたくなってしまっている。
きっと失敗だ。アイドルなんて、そもそも私には縁がない話だったんだ。
「では、最後の質問です。あなたの夢を教えてください」
夢。
ざっくりとした質問。だけど、いつも私の頭の中にあった夢。誰にも話したことのない、私の本音。
「わ、私は……」
ひとつ、深呼吸をする。失敗を取り返そうとも思わない。これだけ話したら、今日はもう帰ろう。明日からまた、普通の保育士として地道に仕事をこなしていこう。
「私の夢は、みんなを笑顔にすることです」
三人の目が見開かれる。私はその目を見ることができなくて俯く。そりゃあそうだ。ハタチも過ぎて、こんな。
「……そうですよね。小学生みたいに単純な夢で、誰かに話したらそれこそ笑われてしまうかなって、いつも思ってます。でも、それでいいんです。それが私ですから。昔から、人とちょっとズレてるトコがあって。いまの職場でもちょっと浮いてるし。友達もほとんどいないし。今日だって、他の女の子はスーツで来てるのに私だけ私服ですし。どんくさいし非常識だし、インターネットや動画配信の知識は浅いし。いまとても変なことを言ってるのは、自分でも分かってます」
涙が出そうになるのを、私はどうにか我慢した。
「でも、私はこれからも自分の気持ちに正直に生きていきたいと思います。アイドルとしての私を観てくれる人に、笑顔を届けられなくなったとしても。その時に私がいる環境の中で、周りの人たちを笑顔にしていきます。……それが、私の夢ですから」
声が震えている。居たたまれずに私が立ち上がると、イスの金属音が部屋中に響いた。ガシャンとイスが倒れてしまったけれど、私はもうそれに構ってはいられなかった。
「今日は…………、今日はありがとうございました」
ぺこ、と一礼をして私は踵を反す。一粒だけ、ぬぐい損ねた涙がポロッと落ちた。本当に、私ってどんくさい。いつまでも。どこまでも。
「あ、ちょっと待って」
キレイな女の人の声が、静まり返った部屋に響いた。なんの用だろう。どうせ不合格なんだから、引き止めないで帰してほしい。目を擦ってから、私は彼女に面と向かった。
女性のため息が聞こえる。視界がぼやけていて誰の表情も分からない。
「あとで電話がいくと思うけど、あなたはこれから自分のプライベートを捨てて、ネット上の別の人物、つまりバーチャルの世界に存在するアイドルとして活動していくことになります。設定を守ってもらうことになる。自分の背景や年齢もある程度は偽ることになるでしょう。毎日の活動のなかで昼夜逆転の生活になってしまったり、心ない誹謗中傷に痛めつけられてしまったり、個人の心情やプライバシーに土足で踏み入れられたりと、視聴者やファンやアンチからそういったことをされるかもしれない。会社はそういったものから、あなたを全力で守りたいとは思っているけど」
「社長。合否をいまおっしゃるのはいかがなものかと……」
スーツの男の人の声が遮ったけれど、私は自分の身に何が起こっているのか理解できてなくて、混乱してしまっている。いま私、合格って言われた?え?社長なの、この人?社長が面接に来てたの?案内係じゃなかったの?
「いいのよ。私がこの子と仕事がしたいと思ったのだから。配信のノウハウは私たち古参が徹底的に叩き込むから安心なさい。歌唱やダンスは先生がつくので練習してもらいます。とにかく体調管理に気をつけなさい。そして……」
ぼやけていた視界が戻る。女の人は立ち上がっていた。
「そして、世界中に笑顔を届けなさい」
不敵な笑みを見せる社長の言葉は、私の心にしっかりと刺さる。ようやく少し理解できた頭が、驚きと嬉しさを爆発させて、さっきとは違う感情を私の目から溢れさせた。
「泣くのはまだ早い。ここがスタートラインよ。チャンネル登録者が100万人くらいいってから泣きなさい。あと、顔をもとに戻してから部屋を出てね。このあとの子たちに圧迫面接なんて思われたらイヤだから」
「…………はいっ」
私は、そう返事するだけでいっぱいいっぱいだった。
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