アイスキュロス

 夏の休日。

 目的もなく、豊橋駅から飯田線に乗った。


 二時間を過ぎたあたりで電車の揺れに飽きたので、山中の見知らぬ駅で降りた。


 スマートフォンで地図をながめると、近くに池があるらしいので、そこで休憩を取ることにした。


 田舎道を十分ほど歩き、池に着くと、先客の老婆がいた。

 その老婆は池を背に、ビールケースに坐っていた。


 いや、先客は老婆ひとりではなかった。

 老婆の横で、大きな亀がもぞもぞと動いていた。

 ペットなのだろうか?

 亀は池に入りたいようだが、体に結ばれたヒモのために、それは叶わないでいた。


 老婆に声をかけたが、こちらをいちべつするだけで返事もしない。

 天気の話をしても無駄だった。


 それでも懲りずに、亀を指差して事情を尋ねと、これには「千円」と口を開いた。

 しかし、その返答に対する質問をしても、「千円」と言うだけで話が進まなかった。


 仕方がないので亀に近づき、甲羅を触ってみると熱かった。


 池を一周してから老婆の前に立ち、深く考えずに千円札を差し出してみた。

 すると、老婆の目がくわと開き、思いもよらぬスピードで札を鷲掴みにして、ポケットにしまい込んだ。

 それから、足元に置いてあったナタを取り出して、亀の甲羅に巻かれていたロープを切った。

 しばらくすると、亀はいそいそと池へ退散していった。

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