犬の子(旧)

しめさばさん

犬の子

 雪がちらつく冬のファランドール。冒険者ギルドの外で、浮浪者のような身なりの年老いた男が跪いて喚いている。


「コボルト一匹殺す毎に金貨一枚だ、頼む、コボルトを根絶やしにしてくれ」


 冒険者たちは誰も相手にしない。群れとなれば多少厄介な相手になるコボルトだが、それでも一匹ずつに金貨一枚など、話がうますぎる。金貨一枚あれば、宿の上等な個室で数日ゆっくりできるのだ。ただのコボルト退治にそれだけの価値があるとはおもえないし、なにより道端で喚くこの薄汚れた老人が、何枚もの金貨を払える風には見えなかった。

 そもそも迷宮や街の周辺の魔物討伐の依頼は、全てギルドを通すことになっている。標的の数や生息層によって危険度を決め、それに合わせて報酬額を決めている。ギルドを通さない依頼を受けて報酬を踏み倒されても誰も補償はしてくれないし、ちゃんと報酬をもらったとしたら、逆にギルド側からペナルティを喰らう場合もある。その為、周囲の冒険者はみな男と関わり合いになるのを避け、遠巻きに見つめるか、無視して通り過ぎていくだけだった。

 


 日が沈み、ギルドの職員に酒場の前から追い払われた男は、街の片隅の人気の少ない路地裏に、ガラクタに埋もれるようにして座り込んでいた。横倒しになった大きな木箱を見つけ、中のゴミを放り出してそこに潜り込む。これで雪からは逃れることができる。


「なんでそんなにコボルトを憎むんだ」


 路地の入り口から声がした。男が顔だけ木箱から出して目をやると、革鎧をきた金髪の青年が立っている。男と目が合うと、青年はズカズカと木箱の前まで歩いてきて、反対側の壁にもたれかかった。


「コボルトに悩まされているんなら、冒険者ギルドに頼めばいい。すぐに冒険者を何人か派遣してくれるし、あんな冗談みたいな値段払わなくて済む」


 ファランドールの迷宮では、現在第二階層の東側に五十匹ほどのコボルトの群れが目撃されている。ギルドに依頼を出したなら、一匹につき銅貨五十枚、群れのリーダーを倒せばプラスで銀貨五枚といったところだろう。全て倒しても銀貨三十枚の仕事である。男の提示する額よりはるかに安い。


「ギルドにはもちろん頼んだとも。しかし連中は聞き入れてくれんかった。やれ迷宮の生態バランスがどうのと理屈ばかりを垂れおってな」

「まあ、ギルドの言うのも一理ある。一箇所だけ魔物の数を急に減らしたら、下の階層の魔物がその穴を狙って上がってくるからな」


 基本的に、迷宮の魔物は上層へ行きたがる傾向がある。上層の方が、単純に冒険者の数が多いからだ。わざわざ一つ上の層の魔物を追い出すような事はしないが、もしも誰もいない縄張りがあれば、そこに下の階層の魔物が押し寄せてくる可能性がある。そんなことが繰り返されれば、ギルドの公表している階層ごとの危険度が信用できなくなってくる。


「あんた、どうしてもコボルトを全滅させなきゃ気が済まないのか?」

「これはわしの復讐じゃ。昔、わしの息子がコボルトに拐われてしまった。本当に、ほんの少し目を離した隙にな。可哀想に、わしの息子はあの犬どもに食われてしまった。たった一人の、わしの息子」


 老人は一人で喋り続ける。


「わしは群れを追って、ほうぼうを探し回った。やっと、やつらがこの迷宮をねぐらにしているとわかったが、迷宮には冒険者でないと入れん。一度、無理やり入ろうとしたが兵隊に叩き出された。頼む、わしの代わりにやつらをを殺してくれ。金ならある、あちこちで借金してかき集めた金だ」


 老人は服の隙間から金貨を取り出して青年に見せた。二枚だけ。しかし本当に持っていたのだ。


「じいさん、その金……」

「今はまだこれだけしかない、しかしな、あの犬どもを全員始末してくれたら、何としても残りを用意するからの。詐欺でも盗みでも、何でもして」

「やめとけよ、この街の商工ギルドや斥候ギルドが黙ってないぞ。そうでなくても、まず兵士に捕まって牢屋行きだ」


 青年の言葉が聞こえていないのか、独り言のように老人は続ける。


「あいつらはわしの息子を連れて行ってしまった、可哀想に、わしの可愛いエリック」

「エリック……?」

「息子の名前じゃ……母親似の、金髪のきれいな、青い目の子じゃった」


 青年はまじまじと老人の顔を見つめ、


「息子さん、案外生きているかもしれないぜ。子育て中のコボルトは情が深い。食おうと思って仲間が捕まえてきた獲物を奪って育てることだってあるんだ」

「馬鹿なことを言うな、わしの息子はヤツらに殺された! ヤツらは野蛮な人喰いのケダモノだ! 奴らを殺してくれ、一匹でも多く」


 木箱を殴りつけながら老人が叫んだ。宥めるように、青年はなおも話しかける。


「考えなおせよ、あんたの息子は……」

「そんな気休めの話は要らん、何回言わせる気だ、わしの息子は死んだ! お前はコボルトを殺してくれるのか、くれないのか? やってくれないのなら、もうお前と話すことはない、他所を当たる」

「待ってくれ、俺はあんたの……」


 青年の言葉を遮るように、老人は木箱から飛び出して、青年の胸ぐらを掴む。ギラギラとした目は、なぜか青年より後ろのどこかを見ている。


「そうか、わかったぞ。貴様わしの金貨を目当てに声をかけてきたのだな! 息子が生きとるだと、ふん! つくならもう少しマシな嘘をつけ! そうしてわしが復讐を諦めたら、上手いことを言ってわしの金を巻き上げるつもりなんだろう、そうはいくか! 今からもう一度酒場の連中に頼みに行くんじゃ。お前のような詐欺師でなく、あの犬どもを血祭りにあげてくれるやつにな!」


 どす、と老人の胸に衝撃があった。視線をおろせば、自分の胸からナイフが飛び出している。


「貴様、何を……」

「……俺はガキの頃、あんたの言う”犬ども”に育てられた。言っただろう、コボルトは捕まえた獲物に情がうつって育てちまうことがあると。あの群れは俺の家族だ。俺はそれを守らなきゃならん」

「お前は……まさ、か……」

「仮にも迷宮に住む以上、冒険者とかち合って群れの一人や二人死ぬのは仕方ないと割り切ってるさ。けどこう皆殺しだの血祭りだのと言われちゃあな」


 老人と青年の目があった。怒りと後悔を半分ずつ宿した青い目が老人を見据える。


「あんたの息子は死んだ、何度も自分でそう言ったよな」


 そう吐き捨てるように言うと、青年はナイフの柄をつかみ、一息に根元まで押し込んだ。


「ェ……リ…」


 老人が膝をつき、雪の積もり始めた路地にうつ伏せに倒れる。その時にはもう、青年は路地から出て、街の中心の方に歩き出していた。

 明日の朝には、街は一面白く染まるだろう。雪は哀れな死体の上にも降り積り、いっときその姿を隠してくれる。


 夜の街に、どこからか哀しげな犬の遠吠えが聞こえてきた。

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犬の子(旧) しめさばさん @Shime_SaBa

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