第3話 

 ぽたぽたと空が泣いていた。半年間も小降りの雨が降り続けている。河川や山々、家屋や学校が、ペットや野鳥すらも、水に浸され続けていた。ある日から雨が降り続けているのだ。雨雲に覆われた薄暗い夏だった。


「ねえ、もう半年よね」

「ああ、長いよなー」


 麻生という女子学生は、武というこのお話の主人公である男子学生を傘の中へ入れながら、片っぽの手でハンカチを取り出して、武の頬を拭ってやった。くしゃみをし続ける武は、顔に幾つもの冷たい水滴が付着していた。これでは、また熱をだして風邪を引いてしまうと、麻生はかなり心配しているのだろう。


 武は大風邪を引いても、一週間も学校へと通い続けてしまっていた。そんな武を麻生は身の裂けんばかりに心配しているのだろうか。

 武はというと、いつも傘は学校に置きっぱなしなのである。奇跡的に治ったはずの大風邪もまったく気にせずに学校へと歩く真面目さは、ひたすら麻生を心配させていた。

 このところ、気象が完全に壊れてしまい。小降りの雨が半年間も振り続けている。このままでは、やがて学校にも行けなくなるだろう。


「今日のプリントは……?」


 麻生は、武の幼馴染だ。

 家も隣同士で、幼稚園から同じ学校へと通っているのだ。

 麻生 弥生。鳳翼学園で常にトップの人気を誇る。絶世の美少女だ。


 そういえば、いつもながら武の一部を補うかのようで、まるで二人で手を繋いで人生をいつまでも歩いて行くかのような。いわばすでにおしどり夫婦であった。

 山門 武はピンとした前髪の茶髪で背が高い。

 後ろの髪は少しだけ長めだ。

 一見穏やかだが、少し抜けた顔のハンサムなのだ。

 ほどよい筋肉がついているが、うかつに喧嘩を売ると大変なことになる剛の者だった。剣道、柔道、空手、水泳、弓道などを十全に習得し、およそ凡人が敵う相手ではなかった。


「もう終わったよ」

「文武両道、容姿端麗、将来がとても楽しみ。そして、ちょっと抜けてる……か……風邪また引かないでね」

「プッ、麻生にはおれの隠し事もすぐにバレるね」


 そんな麻生は、落ち着いた背丈の。しっとりとした黒の長髪で、ここから見ても和服が似合いそうなやまとなでしこだ。

 くりくりとした瞳と小さな紅い口で、学校の成績も常にトップで武とはいい勝負である。

 全ての自動車のタイヤは水たまりというにもはばかれる水の量を走り続けていた。もう川となってしまった道路での交通は、混雑を通り越していた。空には雨雲が太陽を完全に覆い。それと同時に人々の笑顔も覆った。


 ニュースでは、世界的規模の雨で、あまり雨の降らない国はごく一部なのだ。

 奇跡的に雨の降らない国の地域は、日本、イギリス、アフリカ、インド、ドイツ、フランス、アメリカに散見してあり。

 砂漠にも砂混じりの雨がぽたぽたと降り続けている。

 テレビは皆、連日の大雨による土砂崩れや川の氾濫をアナウンサーが必死に伝えているので、その他の話題のニュースには、人々の向ける興味や関心が薄れてきたかのようである。

 どんなに明るいニュースでも、今では塞ぎ気味の鬱な気持ちを明るくするのは無理なのだろう。

 信号が青になったので、横断歩道を麻生と武はお互いに手をつないで渡った。二人ともおしゃれな長靴を履いていた。麻生はお気に入りのニーハイが目立つようなピンクの長靴。武は灰色が基調の地味な学生服なので、理知的な黒の長靴。


 霞ヶ浦に近い鳳翼学園では、もう休んでいる生徒も多々あるのだ。

 半年も続き。いつ止むこともない雨は、皆の不安を払拭することはなく。何かの天変地異とまで思わせたのだろう。


 だって、そうではないだろうか?


 苦労して、もしかすると、床下浸水もしている家屋から、命からがら学校へ通うことに、何かの意味を見出すのは、そうたやすいことではないはずである。

 学級委員長でもある武は、出席日数はいつも万全だった。

 麻生は風邪を引いた日以外は全て学校へと通っていた。

 二人の目に高台にある鳳翼学園の校舎が見えて来たようだ。


 武の後方から自転車が複数。水飛沫をばら撒きながら追い越していく。二人はいつものことなので気にせずに校門へと向かって行った。

 今では、学校へ通う生徒はごくまばらだった。

 いい加減に学校側も休校にしたらよいのだが、通いたがる生徒がいるので、仕方なく。小降りの雨なので高台という環境もあってなのか、校舎を解放しているようだ。

 午後には決まって水浸しの校舎全体には、明るい笑い声がするので、不思議なことだ……。

 

 日本全土の空が泣いていた。

 いや、世界中が泣いていた。

 

 昼休みのことだ。

 麻生が武と共に理科室でお弁当を取り換えっこしている。

「相変わらずね。武のお母さんって、バランスが良いものばかり。うちって、何故か母さんが西洋かぶれだから……。もう、日舞には厳しいのにね」

 武は麻生のお弁当の中華のシューマイを食しながら、

「お前の母さんって、色々な海外の食材が楽しいからな。時々、羨ましいよ。俺の母さんって、家であまりにも肉類ばかりだしていた時があったから、その反省」

 そんな他愛もない言葉を交わす武と麻生の部屋の片隅に、武の唯一の親友の卓登たくと 博文が独りパンと牛乳を食しているようだ。

 貧相な奴で、いい奴なのだが口数が少ない。

 背も低く。常に下を向いていた。


 暗い性格だが、けれども、合気道では武と互角に渡り合えていたことを知っている。

 武とは中学の頃からの親友でもあるのだ。

「食い終わったから、教室に戻るよ」

 そう一言残して、卓登は立ち上がったが、俯き加減のその目は、いつも、武のスキを見出そうとしている武道家の目をしていた。

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