0系


 その昔、0系なんて名はなかった。

 もちろんまだ100系も200系も存在しなかった時代のこと。

 では、今の0系が当時はどう呼ばれていたのかというと、ただ単に


新幹線電車


 とだけ。


 思うに、0系は究極の電車であり、旧式化、陳腐化するなどとは誰も思ってみなかったのだろう。


 軍用機に詳しい友人から聞かされたことだが、F104という飛行機は登場当時、

「最後の有人戦闘機」

 と呼ばれたとか。


 究極の戦闘機。

「この次の型からはみな(パイロットの必要ない)無人機になる」

 と考えられていたのだろう。


 0系も、これと似たことかもしれない。

「これを越える電車などあるはずがない」


 ところが、どんなものでもいつか陳腐化、旧式化する。

 ついに100系が登場する段になって、後出しジャンケン的に「0系」という名がついた。


 東海道新幹線の建設当時には、時速200キロ以上で走るということに、国鉄全体が取り付かれていたのだろうと思う。


 パーツのネーミングなのだけれど、0系の台車はDT200。

 モーターもMT200。

 パンタグラフもPS200と命名されたのだからね。

 調べたことはないが、200を附番された新幹線用部品はまだまだあるのかもしれない。


 国鉄だけではなく、「夢の超特急」という言葉に、日本中がどれだけフィーバー(死語だな)していたか。


 プラレールは既に存在していたが、車種のラインナップは蒸気機関車と新幹線電車だけ。

 在来線用の電車もキハもまだない時点で、0系だけは発売されていたわけ。


 あの田宮も、新幹線のプラモデルを発売したからね。


 もちろん鉄道模型の世界も同じで、0系は早速発売されたが、時代はOゲージ(オーゲージ)だから、今のHOゲージの倍のサイズがある。


 こんなものがカーブを曲がれるはずがなく、車体は実物よりも短く作られていた。

 スカートで隠れて見えないせいか、台車はDT200ではなく流用品で、たしかTR47がついていたと思う。

(記憶違いかも。DT24だったかもしれぬが、いずれにしてもDT200ではないし、車輪も標準部品のスポーク輪を用いた)


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