代弁者しかいない世界への応援コメント
『虐殺器官』のジョン・ポールっぽい、と感じました。
作者からの返信
コメント、ありがとうございます^ - ^
ここで種明かしするのもあれですが、半月くらい前にNHKでミャンマーに関する特集があって、そこで「デジタル・レジスタンス」というように名付けられた要素がありました。それがどうにも、きな臭かった。
伊藤計劃さんが「虐殺器官」を書いた時はきっとSNSはあまりなくて、作中で「虐殺の文法」が広まるとして、どう広まるかは、あまり想定出来なかったと思います。
「虐殺器官」においては、虐殺が無意識に現実になる、という趣旨がありますが、現実の今においては、不可思議なバイアスで、無意識状態は、まず出来上がっているのでは。あとはそこに何を流すか、というのが次の段階で、誰が何を企図してどうするか、といった具合の発想から書きました。
怖いのは「虐殺の文法」は荒唐無稽な創作ではなくて、我々に適度な善意と悪意の混合物を流し込むことで、本当の「虐殺」を是としてしまう、という事態かな、と感じます。
長々と失礼しました。
代弁者しかいない世界への応援コメント
善悪と言うものが個人レベルの都合(の良し悪し)であると見做すと、SNSは個々人による広告であり、本名ではないアカウント名を介した代弁であるようにも思えます。テクノロジーが宗教の代理をしただけで、結局思想に纏わる戦争は繰り返されていくのかもなあ、と考えさせられました。
作者からの返信
コメント、ありがとうございます^ - ^
大義名分という言葉がありますが、大義とは何なのか、狭義か広義か、どちらで捉えるにせよ、難解な概念です。
例えば三人だけの世界なら、二人の意見が合えば「大義」なのか、と考える思考実験は面白いですし、「分断」の対義語が「統一」とした時、「統一」と「平和」がイコールで結ばれるかは、やはり面白い思考実験になりそうです。
現代の今までにない一側面は、誰もが「発言者」になれることで、意外に世界を見渡すと自分と「同意見」らしい人が多くいる、と分かることかもしれません。