最終話 それは剛忠の時代
この回の主な勢力、登場人物 (初登場を除く)
龍造寺氏 …肥前佐嘉郡を中心に勢力を張る一大国衆。少弐氏に反旗を翻す
龍造寺
龍造寺
龍造寺
龍造寺
少弐氏 …東肥前の大名 大内氏に滅ぼされたものの、再興を果たす
少弐
有馬氏 …西肥前に君臨する肥前最大の勢力
西千葉家 …肥前東部の
千葉
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「 一、水ヶ江家惣領の地位は、鑑兼が継ぐ事 」
破顔した鑑兼が、書状を持った手を震わせる。
ついに念願の水ヶ江当主の座に、自分が指名されたのだ。
そして指名した剛忠も、鑑兼の表情を察し、「しかと頼んだぞ」と微笑みながら激励する。
対して鑑兼は、深々と頭を下げて礼を述べると、当主として粉骨砕身励むと誓うのだった。
すでに彼の頭の中では、当主になってからの未来像があった。
水ヶ江家のかつての威勢を、ゆくゆくは取り戻して見せる。
この書状にある様に、水ヶ江家の惣領として──
水ヶ江家の惣領として……?
え、
慌てて鑑兼は書状を見返す。
惣領とは何だ? 当主の間違いであろう?
そう思いを巡らせるが、書かれていたのはやはり惣領の二文字。
現状、一門の殆どが亡くなったため、水ヶ江家の所領は全て剛忠のもの。
なのでその後継となる自分は、所領全てを受け継ぐものだと思っていた。
しかし惣領と表記してあるからには、自分以外の誰かが、所領を分けて貰えるという事だ。
それは誰か、鑑兼は答えを求めて読み進める。
書状には、更に二つの遺言が記されていた。
「一、家純の跡、並びに我が隠居分は、慶法師丸(周家次男、後の長信)に与える事」
「一、宝琳院の中納言僧(円月、後の隆信)は性
理解した鑑兼の手は再び震えていた。
今後の水ヶ江領について、剛忠が下した決断は、彼と慶法師丸との分割相続だったのだ。
だが、何故幼少の慶法師丸に配慮しなければならない?
疑問と共に湧いてくる憤りを、鑑兼はすぐに剛忠にぶつけた。
「大殿、恐れながら一つお尋ねしとうござります。所領がそれがし単独の相続とならぬのは、それがしが当主としての器量に欠けると、判断されたためでござりましょうか?」
「そうではない。家中全体に配慮しての事じゃ」
「家中への配慮? それは家純伯父上の遺領を、それがしに渡したくないと、訴えた者に対して、でござりますか?」
「鑑兼よ、それ以上の詮索は無用じゃ」
「差し詰め、伯父上の子や孫に繋がる者達が、駄々をこねていると!」
「鑑兼!」
鑑兼の推測を聞くや否や、剛忠は目を鋭くして制止する。
おそらく当たりだ。
そう察した鑑兼の顔は更に紅潮していったが、剛忠は彼の憤りに冷や水を浴びせる。
「よいか、当主たる者、家中への配慮を欠かしてはならぬ! 当家が威勢を拡大できたのは、一族間で内紛を起こさなかったからじゃ。敵は常に外、身内は大いなる助け。それをゆめゆめ忘れるでない!」
剛忠は声を荒げて諭す。
対して鑑兼も、憤りを押し殺そうとせず、剛忠を直視して向き合う。
しかしここは、当主の座に就くことが決まった、めでたい場。
指名してくれた剛忠に対する遠慮もあり、鑑兼はそれ以上訴えるのを断念して俯くと、やがて平伏した。
だが、その目はなお憤りを残したまま。
当主としての影響力を限定的なものにされた上で、家純系の一族と上手く付き合ってゆく未来像を、彼は描けないでいた。
鑑兼と家純系一族の対立は、こうして始まった。
後にこれが、当主の座を巡る、一大抗争の伏線となる事を、剛忠は知る由も無かったのである。
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剛忠は最後の仕事、終活を終えた。
あとはいつ訪れてもいい、己の死を待つばかりである。
そう思うと体から力が抜けたのか、冬を迎えて、彼は次第に病に伏せる日が増えていった。
容態は城内でも噂になっていた。
病に蝕まれた老体で、家の経営を担うのは、もう無理だろうと。
そう皆が観念していた頃、水ヶ江城に急報がもたらされた。
「申し上げます! 村中本家の胤栄様が、打倒少弐のため、西千葉家と組んで挙兵!」
「何じゃと!」
伏せていた剛忠は、思わず体を起こした。
寝耳に水の報せ。胤栄は他の二家に相談することなく、挙兵に及んだのだ。
これまで数々の軍功を重ね、一族の重鎮でもある剛忠が、龍造寺三家の舵取りを担い、村中本家はその下で、連携を図ってきた。
だが、剛忠が重病となった今、立場が上の本家が、その構図に甘んじる必要はない。
そう判断した胤栄は、独自の経営戦略を掲げ、動き出したのだ。
「すぐにこれを持って村中城へ」
剛忠は
龍造寺三家の足並みを乱しては、威勢の回復は
だが胤栄の返事は、剛忠の想定通りだった。
「御懸念無用。貴家に迷惑掛けるつもりはない。我らの戦ぶり、とくとご覧あれ」
一方、頼周の報復に燃えていたのか、冬尚の対応は早かった。
軍勢を整え佐嘉に進発させると、同時に有馬に使いを送り、西千葉領へ攻め込むよう依頼したのである。
翌天文十五年(1546)正月、少弐勢と村中龍造寺勢は、佐嘉にて合戦。
結果、胤栄は敗れて退路を塞がれてしまい、筑前への逃亡を余儀なくされてしまう。
そして敗戦の報せは、水ヶ江の者達を狼狽えさせた。
勢いに乗る少弐勢が、水ヶ江城を襲撃する可能性が出てきたのである。
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水ヶ江城では、すぐに戦支度が進められた。
不幸中の幸いだが、少弐勢はまず村中城を目指している。
水ヶ江に来るのならその後だ。
主を失った村中本家は、おそらく降伏せざるを得ないだろうが、僅かでも時間は稼げる。
城の中は老若男女問わず、皆慌ただしく駆け回っている。
だが剛忠だけは、本館の廊下に一人でいた。
そこに座布団を敷いて座ると、隣に酒瓶と盃を置き、庭をただただ眺めるばかり。
そんな剛忠の姿をたしなめたのは、ちょうど廊下を通りかかった御方だった。
「まあ大殿、この寒空の下、小袖姿のままだなんて! 御体に障ったら一大事でござりましょう⁉」
「そうか? 今日は何気に暖かいと思うが」
「きっとお熱があるのでござりましょう。さあ、居間の中へ」
「いや、それには及ばん。今日はな、約束があるのじゃ」
剛忠はそう言うと、自身の左隣を向く。
視線の先には座布団と、隣に何冊かの書籍が積まれて置かれていた。
そして先の酒瓶と徳利が、剛忠と座布団との間に置かれている。
まるで隣に誰かを招いて、庭を鑑賞しているみたいだった。
その真意を剛忠は語る。
「去年、水ヶ江城を開け渡す際にな、家純と約束したのじゃ。『来年、ここで梅の花見を共にしようと。そして梅の花を使って一句詠んでみせよ』と」
「それが今日なのでございますか?」
「うむ。皆戦支度の最中ゆえ邪魔はせぬ。暫くここで約束を果たしていたいと思う。一人にしてくれるか?」
「左様でござりましたか。これは御邪魔致しました。しかし小袖だけと言うのは、やはり体に毒。せめて羽織くらいは、お召しになって下さりませ」
「分かった、分かった」
懇願する御方は、剛忠の頷く姿に安堵する。
そして周囲で支度をしているはずの侍女に向かって、羽織を取って来るよう叫んだ。
……のだが、返事が無い。おそらく皆忙しくて、近くにいないのだろう。
察した御方は、自ら居間へ取りに向かった。
その間、人の気配が消えた廊下と庭は、静けさを取り戻した。
剛忠は一息つくと、庭の梅の木を見上げる。
(浮かばぬか。なら来年、わしと梅の花見をした時に披露せい)
(え?)
(約束じゃぞ)
一年前のあの約束した場面は、今でも目に焼き付いている。
家純ならどんな詩を披露したのだろうか?
剛忠は答えを求め、隣に置かれた書物に手を伸ばす。
それは生前、家純が愛読していた漢詩の書籍だった。
「ううむ…… 何が面白いのだ、これは?」
読み進めるにつれて、剛忠の顔は曇ってゆく。
韻を踏まないといけない程度の知識はあるものの、どう味わって良いのかさっぱり分からない。
それでも暫く頁をめくってゆく。
しかしその速度は次第に上がっていった。彼の頭は理解することを諦め、ただ眺めるだけになっていた。
そしてついに頭が休息を求めたため、剛忠は季節外れの暖かさを感じながら、まどろみの中へと落ちていく。
その中で彼は夢を見ていた──
「父上、何を戸惑ってらっしゃるのです? これはまだ入門書でござりますぞ」
「ん、誰じゃ……?」
ぼんやりとした曇天の空の下、雲間から差し込む光から、声が降ってくる。
だがその主の姿は見えない。
「誰とは心外な。詩を作って参れと仰せだったので、こうして出向いたものを」
「そうか、そなただったのか……」
「されど父上、この程度の句を理解出来ぬ様では、それがしの詩など到底味わえますまい。生前は父上に軍略を教わりましたが、今度はそれがしが詩歌の心得を、父上に伝授せねばなりませぬな」
声色は笑顔がうかがえる様な、穏やかもの。
そして求めていた、懐かしいもの。
思わず剛忠は、にこやかに答えていた。
「そうか。よし、ならば師匠の下に出向くとするか」
それが、この世で彼が遺した最期の言葉だった。
やがて羽織を手に戻って来た御方が、庭で倒れたいた剛忠の姿を見つける。
すぐに複数の家臣に支えられ、彼は居間へと戻されたが、以後目覚める事はついになかった。
剛忠が大往生を遂げたのは、それから約一月半の後、天文十五年(1546)三月十日のこと。享年九十三。
法号は剛忠浄金大居士。遺言により城近くの慶雲院に葬られ、父康家に面した場所に墓が建てられた。
また同じく城近くの乾亨院にも分祀して、石塔を建て位牌を置いた。
しかしこちらは明治五年(1872)旧佐賀藩主、鍋島
そして彼の死後も、佐嘉は不安定な状況が続く。
一月に敗れた村中本家は、少弐に降伏。
満足した冬尚は、水ヶ江に攻め込む事無く、軍を小城へと進める。
その結果、東に少弐、西に有馬を抱えた西千葉家も、降伏を余儀なくされた。
だがこの侵攻で有馬勢は、東西を問わず千葉領内で、乱暴狼藉を働いたため、激怒した地元の者達に、多数の兵を討たれてしまう。
以後暫くの間、有馬が小城に乱入する事は、無くなるのだった。
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そして時は巡り、江戸時代の初め。
佐嘉にて一人の古老が、地元の子供たちに昔話をしていた。
「わしが幼い頃はな、この辺りは龍造寺の剛忠様が治めておられた。あの方は一族の敵討ちに成功した際、かねて蓄えていた財宝を蔵から取り出し、貧しい民に施した。そして町の辻々に高札を立て、徳政を行われたのだ」
聞いていた子供たちは目を輝かせる。
高齢ながらも殺された一族の敵討ちを果たし、後には仁政を敷いたと言う、胸がすく活躍をやってのけた殿様が、地元にいたのだ。
皆、誇りに思わない訳がない。
やがて成長した彼らは、自分の子達に同じ話を聞かせる。そしてその子が更に子へ。時代が移っても剛忠の活躍は、長く佐賀で語り継がれていく。
そして伝える者達は、皆最後にこう述べて、話を締めくくるのだった。
「以後佐嘉では、仁政を
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水は高きより低きに流れる。
それは洋の東西を問わない自然の摂理。
しかし佐嘉は違った。
水が流れ着いた先は、干満差日本一の有明海。
その満ち潮が河川に押し寄せる時、水は逆流を余儀なくされる。
そして周辺の地に溢れ、佐賀平野を農業に適した、豊かな土壌へと導くのだ。
佐嘉が生んだ、龍造寺剛忠の生涯も、正にその水の如しだった。
戦国の肥前は、大内と少弐という、二大勢力の抗争の場。
それらが、佐嘉を飲み込もうとする流れに、彼は大いに逆らった。
時には苦渋の決断を強いられ、時には掛け替えのない者達を犠牲にしながら。
結果、地元の者との間に強固な絆を築き、肥前に龍造寺ありと、名声を轟かせる事が出来たのだ。
そして剛忠は墓の下で知り、笑みを零したはずだ。
自分が積み上げたそれらの功績が、後に水となった事を。
次代の一族の手による、龍造寺飛躍の大いなる呼び水となった事を。
佐嘉が育んだ次代の傑物、龍造寺隆信。
剛忠の遺した恩恵を受け継ぎ、彼はまもなく始動の時を迎えようとしていた。
(了)
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