最終話 それは剛忠の時代

この回の主な勢力、登場人物  (初登場を除く)


龍造寺氏 …肥前佐嘉郡を中心に勢力を張る一大国衆。少弐氏に反旗を翻す

龍造寺剛忠こうちゅう …主人公 俗名家兼 龍造寺分家、水ヶ江みずがえ家の隠居 一族の重鎮

龍造寺家純いえずみ …故人 家兼長男

龍造寺鑑兼あきかね …孫九郎 剛忠の孫(家門次男)

龍造寺胤栄たねみつ …龍造寺本家、村中家の若き当主

御方おかた …周家(家純嫡男)の正室 隆信の母 後の慶誾


少弐氏 …東肥前の大名 大内氏に滅ぼされたものの、再興を果たす

少弐冬尚ふゆひさ …少弐家当主 馬場頼周と共に龍造寺粛清を狙う


有馬氏 …西肥前に君臨する肥前最大の勢力


西千葉家 …肥前東部の小城おぎ郡の一大勢力 剛忠に味方して挙兵  

千葉胤連たねつら …西千葉家当主



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「 一、水ヶ江家惣領の地位は、鑑兼が継ぐ事 」



 破顔した鑑兼が、書状を持った手を震わせる。

 ついに念願の水ヶ江当主の座に、自分が指名されたのだ。


 そして指名した剛忠も、鑑兼の表情を察し、「しかと頼んだぞ」と微笑みながら激励する。

 対して鑑兼は、深々と頭を下げて礼を述べると、当主として粉骨砕身励むと誓うのだった。


 すでに彼の頭の中では、当主になってからの未来像があった。

 水ヶ江家のかつての威勢を、ゆくゆくは取り戻して見せる。

 この書状にある様に、水ヶ江家の惣領として──

 水ヶ江家の惣領として……?

 

 え、惣領・・……?


 慌てて鑑兼は書状を見返す。

 惣領とは何だ? 当主の間違いであろう?

 そう思いを巡らせるが、書かれていたのはやはり惣領の二文字。


 現状、一門の殆どが亡くなったため、水ヶ江家の所領は全て剛忠のもの。

 なのでその後継となる自分は、所領全てを受け継ぐものだと思っていた。

 しかし惣領と表記してあるからには、自分以外の誰かが、所領を分けて貰えるという事だ。


 それは誰か、鑑兼は答えを求めて読み進める。

 書状には、更に二つの遺言が記されていた。


「一、家純の跡、並びに我が隠居分は、慶法師丸(周家次男、後の長信)に与える事」


「一、宝琳院の中納言僧(円月、後の隆信)は性倜儻てきとう(才気あり優れる)にして大器を有す。向後きょうご、当家を興す者はの者である。時を以て還俗させる事」


 理解した鑑兼の手は再び震えていた。

 今後の水ヶ江領について、剛忠が下した決断は、彼と慶法師丸との分割相続だったのだ。


 だが、何故幼少の慶法師丸に配慮しなければならない?

 疑問と共に湧いてくる憤りを、鑑兼はすぐに剛忠にぶつけた。


「大殿、恐れながら一つお尋ねしとうござります。所領がそれがし単独の相続とならぬのは、それがしが当主としての器量に欠けると、判断されたためでござりましょうか?」

「そうではない。家中全体に配慮しての事じゃ」


「家中への配慮? それは家純伯父上の遺領を、それがしに渡したくないと、訴えた者に対して、でござりますか?」

「鑑兼よ、それ以上の詮索は無用じゃ」

「差し詰め、伯父上の子や孫に繋がる者達が、駄々をこねていると!」

「鑑兼!」


 鑑兼の推測を聞くや否や、剛忠は目を鋭くして制止する。

 おそらく当たりだ。

 そう察した鑑兼の顔は更に紅潮していったが、剛忠は彼の憤りに冷や水を浴びせる。


「よいか、当主たる者、家中への配慮を欠かしてはならぬ! 当家が威勢を拡大できたのは、一族間で内紛を起こさなかったからじゃ。敵は常に外、身内は大いなる助け。それをゆめゆめ忘れるでない!」


 剛忠は声を荒げて諭す。

 対して鑑兼も、憤りを押し殺そうとせず、剛忠を直視して向き合う。


 しかしここは、当主の座に就くことが決まった、めでたい場。

 指名してくれた剛忠に対する遠慮もあり、鑑兼はそれ以上訴えるのを断念して俯くと、やがて平伏した。

 

 だが、その目はなお憤りを残したまま。

 当主としての影響力を限定的なものにされた上で、家純系の一族と上手く付き合ってゆく未来像を、彼は描けないでいた。



 鑑兼と家純系一族の対立は、こうして始まった。

 後にこれが、当主の座を巡る、一大抗争の伏線となる事を、剛忠は知る由も無かったのである。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 



 剛忠は最後の仕事、終活を終えた。

 あとはいつ訪れてもいい、己の死を待つばかりである。

 そう思うと体から力が抜けたのか、冬を迎えて、彼は次第に病に伏せる日が増えていった。

 

 容態は城内でも噂になっていた。

 病に蝕まれた老体で、家の経営を担うのは、もう無理だろうと。

 そう皆が観念していた頃、水ヶ江城に急報がもたらされた。


「申し上げます! 村中本家の胤栄様が、打倒少弐のため、西千葉家と組んで挙兵!」

「何じゃと!」


 伏せていた剛忠は、思わず体を起こした。

 寝耳に水の報せ。胤栄は他の二家に相談することなく、挙兵に及んだのだ。


 これまで数々の軍功を重ね、一族の重鎮でもある剛忠が、龍造寺三家の舵取りを担い、村中本家はその下で、連携を図ってきた。

 だが、剛忠が重病となった今、立場が上の本家が、その構図に甘んじる必要はない。

 そう判断した胤栄は、独自の経営戦略を掲げ、動き出したのだ。

 

「すぐにこれを持って村中城へ」


 剛忠はしたためた書状を使者に託す。

 龍造寺三家の足並みを乱しては、威勢の回復はままならない。挙兵はひらに慎むように諭したのだ。


 だが胤栄の返事は、剛忠の想定通りだった。


「御懸念無用。貴家に迷惑掛けるつもりはない。我らの戦ぶり、とくとご覧あれ」

 


 一方、頼周の報復に燃えていたのか、冬尚の対応は早かった。

 軍勢を整え佐嘉に進発させると、同時に有馬に使いを送り、西千葉領へ攻め込むよう依頼したのである。


 翌天文十五年(1546)正月、少弐勢と村中龍造寺勢は、佐嘉にて合戦。

 結果、胤栄は敗れて退路を塞がれてしまい、筑前への逃亡を余儀なくされてしまう。


 そして敗戦の報せは、水ヶ江の者達を狼狽えさせた。

 勢いに乗る少弐勢が、水ヶ江城を襲撃する可能性が出てきたのである。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 



 水ヶ江城では、すぐに戦支度が進められた。


 不幸中の幸いだが、少弐勢はまず村中城を目指している。

 水ヶ江に来るのならその後だ。

 主を失った村中本家は、おそらく降伏せざるを得ないだろうが、僅かでも時間は稼げる。


 城の中は老若男女問わず、皆慌ただしく駆け回っている。

 だが剛忠だけは、本館の廊下に一人でいた。

 そこに座布団を敷いて座ると、隣に酒瓶と盃を置き、庭をただただ眺めるばかり。


 そんな剛忠の姿をたしなめたのは、ちょうど廊下を通りかかった御方だった。 



「まあ大殿、この寒空の下、小袖姿のままだなんて! 御体に障ったら一大事でござりましょう⁉」

「そうか? 今日は何気に暖かいと思うが」

「きっとお熱があるのでござりましょう。さあ、居間の中へ」

「いや、それには及ばん。今日はな、約束があるのじゃ」


 剛忠はそう言うと、自身の左隣を向く。

 視線の先には座布団と、隣に何冊かの書籍が積まれて置かれていた。

 そして先の酒瓶と徳利が、剛忠と座布団との間に置かれている。


 まるで隣に誰かを招いて、庭を鑑賞しているみたいだった。

 その真意を剛忠は語る。


「去年、水ヶ江城を開け渡す際にな、家純と約束したのじゃ。『来年、ここで梅の花見を共にしようと。そして梅の花を使って一句詠んでみせよ』と」

「それが今日なのでございますか?」


「うむ。皆戦支度の最中ゆえ邪魔はせぬ。暫くここで約束を果たしていたいと思う。一人にしてくれるか?」

「左様でござりましたか。これは御邪魔致しました。しかし小袖だけと言うのは、やはり体に毒。せめて羽織くらいは、お召しになって下さりませ」

「分かった、分かった」


 懇願する御方は、剛忠の頷く姿に安堵する。

 そして周囲で支度をしているはずの侍女に向かって、羽織を取って来るよう叫んだ。

 ……のだが、返事が無い。おそらく皆忙しくて、近くにいないのだろう。

 察した御方は、自ら居間へ取りに向かった。


 その間、人の気配が消えた廊下と庭は、静けさを取り戻した。

 剛忠は一息つくと、庭の梅の木を見上げる。



(浮かばぬか。なら来年、わしと梅の花見をした時に披露せい)

(え?)

(約束じゃぞ)



 一年前のあの約束した場面は、今でも目に焼き付いている。

 家純ならどんな詩を披露したのだろうか?

 剛忠は答えを求め、隣に置かれた書物に手を伸ばす。

 それは生前、家純が愛読していた漢詩の書籍だった。


「ううむ…… 何が面白いのだ、これは?」


 読み進めるにつれて、剛忠の顔は曇ってゆく。

 韻を踏まないといけない程度の知識はあるものの、どう味わって良いのかさっぱり分からない。


 それでも暫く頁をめくってゆく。

 しかしその速度は次第に上がっていった。彼の頭は理解することを諦め、ただ眺めるだけになっていた。


 そしてついに頭が休息を求めたため、剛忠は季節外れの暖かさを感じながら、まどろみの中へと落ちていく。


 その中で彼は夢を見ていた──

  


「父上、何を戸惑ってらっしゃるのです? これはまだ入門書でござりますぞ」

「ん、誰じゃ……?」


 ぼんやりとした曇天の空の下、雲間から差し込む光から、声が降ってくる。

 だがその主の姿は見えない。


「誰とは心外な。詩を作って参れと仰せだったので、こうして出向いたものを」

「そうか、そなただったのか……」


「されど父上、この程度の句を理解出来ぬ様では、それがしの詩など到底味わえますまい。生前は父上に軍略を教わりましたが、今度はそれがしが詩歌の心得を、父上に伝授せねばなりませぬな」


 

 声色は笑顔がうかがえる様な、穏やかもの。

 そして求めていた、懐かしいもの。

 思わず剛忠は、にこやかに答えていた。


「そうか。よし、ならば師匠の下に出向くとするか」



 それが、この世で彼が遺した最期の言葉だった。



 やがて羽織を手に戻って来た御方が、庭で倒れたいた剛忠の姿を見つける。

 すぐに複数の家臣に支えられ、彼は居間へと戻されたが、以後目覚める事はついになかった。



 剛忠が大往生を遂げたのは、それから約一月半の後、天文十五年(1546)三月十日のこと。享年九十三。

 法号は剛忠浄金大居士。遺言により城近くの慶雲院に葬られ、父康家に面した場所に墓が建てられた。


 また同じく城近くの乾亨院にも分祀して、石塔を建て位牌を置いた。

 しかしこちらは明治五年(1872)旧佐賀藩主、鍋島直大なおひろにより、鍋島家菩提寺の高伝寺に改葬されている。



 そして彼の死後も、佐嘉は不安定な状況が続く。

 一月に敗れた村中本家は、少弐に降伏。

 満足した冬尚は、水ヶ江に攻め込む事無く、軍を小城へと進める。


 その結果、東に少弐、西に有馬を抱えた西千葉家も、降伏を余儀なくされた。

 だがこの侵攻で有馬勢は、東西を問わず千葉領内で、乱暴狼藉を働いたため、激怒した地元の者達に、多数の兵を討たれてしまう。

 以後暫くの間、有馬が小城に乱入する事は、無くなるのだった。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 



 そして時は巡り、江戸時代の初め。

 佐嘉にて一人の古老が、地元の子供たちに昔話をしていた。


「わしが幼い頃はな、この辺りは龍造寺の剛忠様が治めておられた。あの方は一族の敵討ちに成功した際、かねて蓄えていた財宝を蔵から取り出し、貧しい民に施した。そして町の辻々に高札を立て、徳政を行われたのだ」


 聞いていた子供たちは目を輝かせる。

 高齢ながらも殺された一族の敵討ちを果たし、後には仁政を敷いたと言う、胸がすく活躍をやってのけた殿様が、地元にいたのだ。

 

 皆、誇りに思わない訳がない。

 やがて成長した彼らは、自分の子達に同じ話を聞かせる。そしてその子が更に子へ。時代が移っても剛忠の活躍は、長く佐賀で語り継がれていく。


 そして伝える者達は、皆最後にこう述べて、話を締めくくるのだった。


 「以後佐嘉では、仁政をしのび、その頃を『剛忠さんの時代』と呼ぶようになった」と──



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 



 水は高きより低きに流れる。

 それは洋の東西を問わない自然の摂理。


 しかし佐嘉は違った。

 水が流れ着いた先は、干満差日本一の有明海。

 その満ち潮が河川に押し寄せる時、水は逆流を余儀なくされる。

 そして周辺の地に溢れ、佐賀平野を農業に適した、豊かな土壌へと導くのだ。


 佐嘉が生んだ、龍造寺剛忠の生涯も、正にその水の如しだった。


 戦国の肥前は、大内と少弐という、二大勢力の抗争の場。

 それらが、佐嘉を飲み込もうとする流れに、彼は大いに逆らった。

 時には苦渋の決断を強いられ、時には掛け替えのない者達を犠牲にしながら。

 結果、地元の者との間に強固な絆を築き、肥前に龍造寺ありと、名声を轟かせる事が出来たのだ。


 そして剛忠は墓の下で知り、笑みを零したはずだ。

 自分が積み上げたそれらの功績が、後に水となった事を。

 次代の一族の手による、龍造寺飛躍の大いなる呼び水となった事を。


 佐嘉が育んだ次代の傑物、龍造寺隆信。

 剛忠の遺した恩恵を受け継ぎ、彼はまもなく始動の時を迎えようとしていた。

 

 

(了)


 



  

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