第41話 窮余の一策
この回の主な勢力、登場人物 (初登場を除く)
龍造寺氏 …肥前佐嘉郡を中心に勢力を張る一大国衆。少弐氏に従う
龍造寺
龍造寺
龍造寺
少弐氏 …東肥前の大名 大内氏に滅ぼされたものの、再興を果たす
少弐
馬場
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剛忠は静かに宣告した。
「悪いが、そなた達には死んでもらうぞ」
相手は周家、
いずれも剛忠が成長を見守ってきた孫達である。
剛忠はその役目について説明した。
水ヶ江の次代を担う、彼らを失う事に、心が痛まない訳がない。
しかしこの三人なら、命を懸けて、策の成就に貢献してくれるはずだ。
剛忠は説明を終えると、じっと彼らを見つめ返答を待つ。
対して彼らの表情は晴れやかだった。
この抜擢は、日頃磨いてきた己の武芸を活かし、家の窮地に役立つ好機。その死は末代まで語り継がれる名誉である。
彼らは己の決意を口々に告げると、最後にこう述べて平伏した。
「ありがたき幸せ」と──
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「相分かった。御老公によしなに伝えてくれ」
場所は包囲勢の陣中。
頼周は、やってきた水ヶ江の使者に応諾していた。
剛忠から開城後の水ヶ江一族の動向について、書状が送られてきたのである。
その内容は、大まかに以下の様なものだった。
剛忠は孫九郎を連れて筑後へと隠棲する。
それ以外の一族重臣は、勢福寺城の冬尚のもとへ謝罪に赴く。
我が事成れり。
気が早い頼周は、書状を見た途端確信し、思わず破顔しそうになる。まだ粛清が完了していないのに、だ。
慌てて書状で口元を隠す。
気持ちを落ちつかせ、いかにも同情しているかの様に、深刻な顔を作って応対してみせる。
そして使者が陣中を去ると、ようやく口元を緩め、醜悪な笑みを曝け出すのだった。
(すでに枯れ、棺桶に入るのを待つだけの爺など、恐るるに足らぬ。問題は残りの一族重臣共。だが、それもまもなく終わる。明日が奴らの命日となるのだ)
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頼周の同意を受け、水ヶ江城ではすぐに退去の支度が始まった。
剛忠にとってこの城は、かけがえのない場所。
父康家より譲り受けてから、三十年以上も暮らしたのだ。思い出の数だけ、まつわる物も残っている。
だが彼はすでに支度を終えていた。
所持していたのは、下着や着物と僅かな所持品のみ。
奥で侍女や下人達が、バタバタと荷造りしているのを背後で感じながら、あとはぼうっと庭で梅の木を眺めるだけだった。
そんな姿を見て家純がたしなめる。
「父上、荷造りをお急ぎ下され。陽が出ているうちに、退去せねばならぬのですぞ」
「無駄じゃ」
「えっ?」
「筑後に向かうには、筑後川を越えねばならん。あの大河を渡るのに、あれこれ家財道具を持っていけるか。身軽が一番じゃ」
「はあ……」
「それより家純、ほれ」
剛忠はすでに開花していた庭の梅の木を指差す。
「そなた、漢詩が得意であろう。この窮地と梅の花を使って一句詠んでみい」
「即興で、でござるか⁉」
家純は開いた口が塞がらない。
なぜこの状況で悠長に構えていられるのか。父の言葉が理解できず、苛立ち交じりの顔になる。
そんな時に頭をひねっても、良い詩など思い浮かぶはずがない。尚更彼の苛立ちは強くなってゆく。
その時だった。
「浮かばぬか。なら来年、わしと梅の花見をした時に披露せい」
「え?」
「約束じゃぞ」
曇り空の下なのに、何故か眩しく映るの父の顔。
家純はようやく理解した。
これは父なりの配慮だ。
自分達はこれから別行動、いつ再会できるか分からない。
しかも今年九十二になる父は、すぐに亡くなってもおかしくない年なのだ。
だが希望は捨てない。
窮地を乗り越え、ここで必ず再会するのだ。
皺だらけの顔に笑みを浮かべ、
その姿を見て、家純は嬉しくなって応えるのだった。
「承り申した。その時は、父上を唸らせるものを披露いたしましょうぞ」
家純の返事に、剛忠も再び破顔したのだった。
天文十四年(1545)、一月二十二日。
剛忠は孫九郎他、従う者達と共に筑後へと退去。
翌二十三日には家門、家純他水ヶ江の一族重臣達が、勢福寺城へと出発し、城を明け渡したのだった。
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二日に及ぶ包囲は終わった。
少弐、有馬の軍勢が撤退してゆく中、頼周は勢福寺城近くに滞在していた自軍と合流を果たす。
そこには神代勝利の姿もあった。
頼周は佐嘉の地理に詳しい彼と手を組み、佐嘉から勢福寺城までの間に、警戒網を張り巡らしていた。水ヶ江一行の脱走に備えるためである。
息子政員と数人の家臣を伴い、陣中に入った頼周は勝利に尋ねる。
「勝利殿、奴らに不審な動きはあったか?」
「今のところはござらぬ。このままいくと、奴らは和泉村あたりで一夜を明かす事になるであろう」
進行は順調だ。
和泉村ということは、水ヶ江から勢福寺城の間を、約四分の三程度進んだことになる。おそらく明日の午前中には、勢福寺城近くにまで達するだろう。
頷いた頼周は、その場にいた馬場、神代家臣達に向けて告げる。
「よいか、奴らは明日、城下へとやってくる。我らはこれを待ち伏せ、包囲した後に尽く討ち取るのだ」
『ははっ』
了承した家臣達の声が幾重にも重なる。
その様子を見て、頼周は満足気に頷き、勝利と共にほくそ笑むのだった。
だがその深夜──
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「頼周殿、起きておられるか! 一大事だ!」
神代勝利の突然の訪問だった。
頼周は急いで陣屋の中に彼を招くと、寝巻に羽織物一枚まとった姿で対面。
そこに遅れて政員もやって来る。
「今、当家の間者が知らせて参った。水ヶ江の者共が脱走し、
「與止日女……? してその数は?」
「三十から四十程。ただそこに家門と家純も混じっておる」
頼周はすぐに理解出来なかった。
與止日女神社は、水ヶ江からほぼ北の方向にあり、嘉瀬川の上流、
何故ひたすらに、奴らは北上しようとしているのか?
神社からさらに北は背振の山々、越えれば筑前。つまり……
(そ、そうか!)
頼周が驚愕の表情で固まる。
その様を見て勝利は頷いた。
「そうだ、頼周殿。奴らは筑前に抜け、大内を頼ろうとしているのだ。しかも向かっているのは当主と、補佐の兄。こちらの方が奴らの本命と言う訳だ」
「では勢福寺城にやってくる、水ヶ江の一族重臣共とは……」
「すべて囮だ」
そう、すべて囮なのだ。
なので剛忠は勢福寺城に向かう、周家、家泰、頼純達に、覚悟を決めさせていた。
彼らは、頼周や勝利が待ち伏せている事を知らない。
しかし仮に待ち伏せしていなかったとしても、家門達が大内の元へ走った事は、いずれ冬尚や頼周の耳に入る。
すると激怒した二人は、見せしめのため皆殺しにするだろう。
結局のところ、待ち伏せの有無を問わず、勢福寺城に向かっている水ケ江勢には、死の未来しかないのだ。
「ぬうう、会談は猿芝居だったのか、くそ爺め……!」
吐き捨てる様に頼周が唸る。
その様子は政員を不安にさせた。
頼周は激昂しやすく、したら中々収まらない。すでに六十を超えた彼の体に、冬の深夜における長時間の怒りは毒だ。
だが、政員の心配など気にするはずもなく、頼周は険しい顔で勝利に告げる。
「分かった。こちらの兵を割いて向かわせる」
「いつ向かわせるおつもりか? 朝になってからでは遅い。奴らは神社を発ってしまっているだろう」
「なら夜討ちしかあるまい!」
「父上、それはなりませぬ。事に及べば我らの信望は、一気に地に堕ちますぞ!」
政員が慌てて口を挟む。
與止日女神社はただの神社ではない。
千葉氏が維持存続を担い、佐嘉郡の国衆達が造営費用を寄進するなど、近隣の勢力から一目置かれた存在だったのだ。
そしてその信仰は、鎮座する佐嘉郡を越え、肥前一国という広範囲に及び、肥前国内の神々より抜きんでた地位にあった。
影響力は絶大だ。
そんな神社へ夜中に武装して侵入し、斬り合いをした上で、社殿を血で染めたりしたらどうなるか、難しい話ではないだろう。
だが頼周は、すでに水ヶ江憎しの生ける火山と化していた。
もはやその道理は通じない。
「そなた達、三万だぞ! そんな大勢を動員しておいて、当主を逃したりしたら、御館様に何と申し開きするのだ! 政員、兵二百率い、ただちに討ち取って参れ!」
「え⁉ 父上、二百では神社を完全に包囲できませぬ。せめて三百は必要にござる」
「なら、それで構わん!」
「いや、それはならぬ。三百も割いてしまうと、明日の朝、こちらにやって来る水ヶ江勢を討ち漏らしてしまう」
今度は勝利が異を唱える。
今回、頼周も勝利もやって来る水ヶ江一族、重臣たちはごく少数と見込んでいた。そして気付かれぬ様待ち伏せるため、ここには大勢を配置していなかったのだ。
勝利は溜息一つ付くと、観念して告げる。
「爺にやられた。神社の方は、逃げられてもやむを得まい。とりあえず今から兵二百で向かってもらい、奴らが神社から発ったところを取り囲む。これが最良の方法─」
「そんな生ぬるい手が、許されるとでも思っておるのか!」
頼周が非難の声を上げる。
発言を遮られた勝利は唖然とするばかり。
「夜討ちだ! どちらの水ヶ江一族も皆殺しにするのだ! 政員、神社が片付いたら、朝までに取って返してこい!」
正気か?
かなりの強行軍だ。勝利は己の耳を疑わざるを得ない。
頼周は眼前の状況にしか、注意を払えていなかった。
己の一手が今後の領国経営において、どの様な影響を与えるか。少弐重臣ならば、大局的な視点で判断が求められるもの。
しかし今、執着と激昂をしやすいという、彼の気質は、その視野を奪っていた。
危惧した政員が止めに入ろうとする。
「その、父上、それがしも神代様に同意致しまする。今後を考えるとやはり夜討ちは──」
「黙れ、黙れ! わしは御館様の名代! 夜討ちの方針に逆らう者は、御館様への反逆と見なす! そなた達も腹をくくれ、分かったな!」
頼周は二人を睨みつけて叫ぶ。
そして陣屋の外に向かい、侍っていた近臣たちに、兵を叩き起こしてこいと怒鳴り散らし始めた。
その声は理性を失った感情任せのもの。
勝利は響き渡る怒声の中、この様な重臣が指揮を執る少弐の行く末を、不安に思わずにはいられなかった。
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