第25話 水ヶ江城攻防戦(前) 水ヶ江家の孤立
この回の主な勢力、登場人物(初登場を除く)
龍造寺氏 …肥前佐嘉郡を中心に勢力を張る国衆。少弐氏に従う
龍造寺
龍造寺
龍造寺
龍造寺
龍造寺
少弐氏 …龍造寺家を傘下に置く肥前の大名。大内氏と敵対
少弐
少弐
大内氏 …本拠は山口 中国、北九州地方に勢力を張る西国屈指の大名
大内義隆 …大内家当主
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東肥前は風雲急を告げた。
天文三年(1534)二月、陶道麒の軍勢は神埼郡三津山に入ると、
籾岳は、勢福寺城から東へ直線距離で一里(約3.9km)足らずの所にある。
眺望が開け、城と麓の状況は手に取るように分かる場所に、彼らは陣を置いていた。
しかしそれは自分達を唸らせる事になった。
眼前に
陶一族の重臣で、この時従軍していた持長も、唖然として暫く立ち尽くす他なかった。
「少弐め、こんな奥の手を持っていたとは」
勢福寺城は、南からの侵攻を想定して築かれた山城である。
出城を突破されても、麓の空堀群や雲上の
さらにそこを突破されても、背振の急峻な山々を背にした城山で待ち受ける。
勢福寺城は広大で防衛に適した、名族少弐氏の拠城に相応しい城だったのだ。
「だからと言って、手をこまねいている訳にもいかぬであろう、持長殿」
持長が背後から聞こえた声に振り向くと、そこには髪と髭に白いものが混じる、老年の武将がいた。筑前
「どんなに城が要害堅固であっても、守るのは人よ。少数でも心が一つなら手強く、多数でも他人を頼みにしているのなら脆いもの。少弐が人心を掌握出来ていないなら、いくらでも城攻めの方法はある」
「承知しておる。されど仮にもここは少弐の本拠。そう簡単に──」
と、そこまで言って持長は止めた。鎧の金具が擦れる音が、幾つも聞こえてきたのである。
名のある者達が近づいてきたと思い、音の方を
「興種の申すとおりじゃ」
「殿!」
持長と興種は即座に一礼した。
その将こそ、この度の少弐討伐の総大将、陶道麒入道だった。この時六十歳。
大内先代義興の頃から仕え、義興の上洛時や尼子経久との戦いにおいて功績を重ねた、大内家筆頭の重臣であった。
「持長、城に忍ばせた者達から何ぞ報告は無いのか?」
「はっ、未だ何もござりませぬ」
「些細な事でも構わん。届いたらすぐに知らせろ、よいな」
道麒はそう命じると陣幕の中に入っていった。
この城を力攻めするなど愚の骨頂。
長年の経験からそう悟っていた道麒は、勢福寺城に迫ることなく、籾岳に居座り続けたのだった。
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そこからさらに十数日後──
頃は冬の寒さが殆ど遠いた三月を迎えていた。
時折見せる陽気もあって、在陣が続いた籾岳の兵は、徐々に緊張感が失われつつある。
そんな中、持長は道麒の催促を受け本陣にやって来た。勢福寺城の調査報告のためである。
しかし彼の顔は兵達とは真逆で、強張ったままだった。
「……で、そなたの話をまとめると、少弐親子は傘下の国衆達に対し、各々の城に籠るよう命じた。そして勢福寺城の指揮を家兼に託し、出撃することを城にいる諸将に禁じた」
「はい」
「これだけか?」
「あ、その…… 申し訳ござりませぬ」
聞き終えた道麒は、思わず舌打ちせずにはいられなかった。
そしてそれを見た持長の顔は、たちまち血の気を失っていく。
「敵城の構造の詳細は? 敵将への調略は? 過去の城攻めで何度もして来たであろう。何故今回は捗っておらんのだ⁉」
「申し訳ござりませぬ。警備厳しく城館に迂闊に近づけぬ上に、忍び込ませた者のうち、残念ながら数名が消息を絶った次第。おそらく家兼に見つかり、始末されたものかと」
「始末される者が出る事は織り込み済みだ。調査を急がせよ、これではいつまでも城攻めが出来ん!」
そして更に十数日が過ぎ、四月に入った。
ようやくまともに報告できる報せが届いたのは、その頃になってから。
喜んだ持長は、急いで道麒の元へと駆けつけた。
「殿、先ほど二つ、捨て置けぬ報せが届きもうした。家兼は
「ほう、そうか、確かに捨て置けぬ報せだ」
「はっ」
「だが一足遅かった」
「え?」
「先程石動村へ狼藉に向かった者達が、手痛い目にあって帰って来たばかりだ」
平然と語る道麒。それに比べ、呆気にとられた持長の顔は、たちまち苦虫を噛み潰した様に変わってゆく。
戦い自体は小競り合いに過ぎない。
しかしこれは、陶の兵達の行動を制限するのに充分な一手だった。以後、彼らが気軽に近隣に乱暴狼藉を働く事は無くなるのである。
少弐は前年の敗戦を活かし、僅かであるが雪辱を晴らしたのだった。
「して、もう一つは何だ?」
「はい。どうやら水ヶ江龍造寺は今回、資元の要請で家兼、家純、家門、他にも多くの将兵を、勢福寺城に入れている様でござる」
「拠城に殆ど兵を残しておらぬのか?」
「そう言う事になりましょう」
我らが攻める事は無いと奴は踏んだのか?
ならば水ヶ江を攻めるというのも、有効な手になるのか?
道麒は腕組みをして軽く鼻息を鳴らすと、頭の中で戦略を思い描いたまま、暫く動かなかった。
だが最適解は出てこない。情報が足りなさすぎるのだ。
やがて彼は持長に対し、城だけでなく龍造寺家についても調べるよう指示する。
それは戦の更なる長期化を意味していた。
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そして五月、ついに道麒は軍勢を動かした。籾岳に本陣を残したまま、水ヶ江城へと向かったのである。
一方、道麒出陣の報告を聞いた資元は、すぐに家兼を呼び付けた。
水ヶ江城に戻るようにと、諭そうとしたのである。
だが家兼はその申し出に首を振った。
「御懸念には及びませぬ。道麒の目的は明白。手薄な水ヶ江城を攻めると見せかけ、ここにいる我等を誘い出そうとするもの。ゆえに動くべきではございませぬ」
「しかし本当に城を攻めたらどうするのじゃ? 守備する兵はどれだけ残しておる?」
「およそ四百。加えて村中本家へ援軍を求めておりまする。対して道麒の率いる兵は数千。これで城は落ちませぬ」
「落ちぬ⁉ 御老公、本気で申しておるのか? 道麒直々に指揮しておるのだぞ!」
「はい。奴は色気を出し過ぎた。己の無謀さを思い知ることになりましょう」
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陶勢は佐嘉郡に入ると、進軍速度を落とし水ヶ江城へと迫った。
近隣の国衆のよる、万が一の襲撃に備えるためである。
そして龍造寺領の手前で陣を構えると、夜、翌日以降の作戦について諸将に下知を与えていく。
そこに、居合わせた原田興種が、道麒に一つの疑問を投げかけた。
「恐れながら、水ヶ江城手薄といえども、龍造寺家は水ヶ江以外に与賀、村中の二家ござる。これらが水ヶ江城の援軍にやってくれば、城攻めは難儀となるのではござりませぬか?」
「それはない。そうか、そなたは知らぬのか。持長、詳細を話してやれ」
「はっ」
「興種殿、まず与賀家の当主、盛家はすでに拠城にはおりませぬ。資元の命により、手勢を率いて少弐の城である、多久梶峰城に詰めておりまする」
「多久梶峰城……? 小城郡の西端に何故出向いておるのだ?」
「我らが少弐討伐に赴くのを見計らい、多久を狙って動き出した者いた。西肥前の有馬でござる」
「有馬が動いているのか!」
この時、有馬氏は西肥前の一大勢力であった。
もともとは島原半島の小さな在地領主に過ぎなかったものの、貴純の代の時に、少弐政資に従い功を重ね、北にある藤津郡、杵島郡に所領を獲得。
その後に藤津郡にいた国衆、大村氏を合戦で打ち破るなどして、版図をさらに拡大していた。
この新興勢力が、陶勢の肥前来襲を好機とみて、小城郡にまで触手を伸ばしてきたのである。
「そして村中家には使者を遣わし申した。我らはこれから水ヶ江を攻めるが、そなたが水ヶ江に援軍を出せば、後で村中城も攻め落としてやると。すると当主の胤久は、慌てて使者をよこして参った」
そう言って持長は一通の書状を興種に見せた。
書かれていたのは陶勢の侵攻を黙認することを約束した、和睦の起請文。そこに胤久の血判と花押が記されていた。
胤久は陶勢の脅威の前に、あっけなく屈してしまったのである。
「そう言う事だ。これで水ヶ江城は自力で守らねばならなくなった。流石に爺も出撃せざるをえまい。そこで討ち取って、後に城も落とす。これで水ヶ江は壊滅、少弐は骨抜き、勢福寺城攻略も
戦局は道麒の思い描いた通りに進んでいた。
興種も感心して、尊敬の眼差しを送っている。その様子を見た道麒は不敵に笑うのだった。
翌日、水ヶ江城付近に辿り着くと、陶勢は城を遠巻きに包囲した。
そこで家兼襲来の報せが届くのを待ったのである。
ところが二日経っても、三日経っても、勢福寺城から家兼が動く様子は無い。
「どうしたのだ、何故爺は動かない?」
「殿、これ以上待っていても埒が明きませぬ。一度城を攻め、我らの力を知らしめるべきかと存じまする」
持長の提案に道麒は頷く他なかった。
すぐに家臣に命じて城攻めを触れ廻させ、兵達を持ち場に向かわせる。
そして采配(指揮具の一つ)を高く掲げたのだった。
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