第6話 龍造寺三家の成立

主な勢力、登場人物


龍造寺氏 …肥前佐賀郡を中心に勢力を張る弱小国衆。少弐氏に従う

龍造寺家兼 …康家の五男 主人公

龍造寺家和 …康家の次男 胤家に替わり当主となる

龍造寺胤家 …康家の長男 前当主。敗戦で帰郷出来ず、筑前に逃亡中


少弐氏 …龍造寺家を傘下に置く北九州の大名。大内氏に滅ぼされる

大内氏 …山口を本拠に、中国、北九州に勢力を張る西国屈指の大名     




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「好機到来じゃ、大内が何するものぞ!」

「おおっ!」

 

 戦乱の世を生き抜くため、龍造寺が家の体制を一新していた頃、東肥前では旧い世の秩序を取り戻そうとする者達が、水面下で息巻いていた。大内に滅ぼされた少弐の旧臣たちである。


 実は亡くなった少弐政資には遺児が一人いた。

 名を松法師丸といい、肥前国衆の横岳資貞の元で庇護されていたのである。旧臣たちは彼を旗印に少弐再興を企てていた。


 なにせ大内氏は直接肥前を支配する気が無い。

 さらにこの時、豊前で大友氏との戦いで苦戦を強いられていて、隙は充分である。少弐再興を果たすのは今しかない、と旧臣達が思うのは無理のない話だろう。



 しかし、やはり大内は甘くなかった。


 明応七年(1498)八月二十七日、肥前東部の養父やぶ郡、基肄きい郡に進出していた少弐残党は、肥前に残留していた大内家臣の仁保護郷にほ もりさとの軍勢により撃破されてしまう。


 さらに九月十七日には、三根郡に集まった残党も護郷に打ち破られ、短期間で三郡を鎮圧された。これには大内当主の義興すら驚いたという。


 護郷はこの年の冬、大友氏との戦いに赴くため肥前を離れることになる。

 しかし彼の武功により、肥前における再興は困難であると、少弐旧臣達はまざまざと思い知らされたのだった。



 だがそこで諦める旧臣達ではない。

 次に松法師丸を連れて彼らが向かったのは、友好関係にあった豊後の大友氏の元だった。


 再興の話を聞いた大友氏は、少弐断絶を惜しんで、幕府に働きかけて赦免をもらい、さらに松法師丸を元服させて資元と名乗らせた。


 加えて資元に当主政親の娘を娶らせ、肥前にて挙兵した際には加勢を出している。至れり尽くせりである。



 少弐勢は肥前入りすると、国衆江上氏の城である勢福寺せいふくじ城を奪取。ここを居城として、ついに御家再興を果たしたのだった。



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 さらに数年の月日が流れた。

 この間に康家が逝去。龍造寺家は当主家和を中心にまとまり、領国経営を軌道に乗せていた。


 それを揺るがしたのは一つの書状だった。

 家和は家兼を呼んでどのように対応すべきかはかる事にした。


「兄上、胤家兄上から帰郷の申し出があったとか」

「うむ。数日後には帰郷したいそうじゃ。すぐ返事をしたためねばならん。家兼、何ぞ申し伝える事あるか?」


「当主に復帰したいかどうかは、必ず伺って下され。当家は家和兄上を当主とした体制になったゆえ、帰郷されたければこれを認めていただきたい、と」

「それには及ばん。兄上に復帰の意向は無い、ほれ」



 家和から胤家の書状を受け取った家兼は、隅々まで目を通す。

 そこには以下のことが書いてあった。


 帰郷はしたいが、村中への帰城は躊躇ためらっている。川副の戦の件で、自分を恨んでいる家中の者も多いと思う。その者達にどのようにして顔向け出来ようか。

 

 そこで村中城には帰らず、城周辺の館に留まりたい、という内容だった。さらに……


「隠居して静かに余生を過ごしたい……これは」

「そうだ。兄上は当主どころか、家の経営にも未練はないようだ。思うに数年間筑前に留まり続けたのは、向こうの事情ではなく、こちらの事情を気にして帰郷に踏み切れなかったからではないか? それゆえ……」


「なりませぬ」

「な、何?」

「隠居など以ての外にござる。胤家兄上にはまだ家を支えていただかないと」



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 風が変わった。内陸の地に吹き降ろす山風が遠のき、海からの南風が体を包んでくる。その懐かしい風に触れて胤家は悟っていた。「ようやく佐嘉に帰ってきたのだ」と。


 やがて龍造寺領の境目付近が見えてきた。

 するとそこで目に留まったのは、道の外れに集まっている十人ばかりの鎧直垂よろいひたたれ(戦時、鎧の下に着る装束)姿の武士達。

 何奴? と胤家は警戒しつつ近づいてみる。すると中から旧知の中年男性が一人見えると、たちまち彼の顔は弾けるような笑顔になった。


「家兼ではないか!」

「兄上、お久しゅうござる! お迎えに上がり申した。川副の戦以来、慣れない土地でよくぞご無事でおられた……」


 二人は馬から降りて肩を抱き合って再会を喜んだ。

 しかし家兼は内心愕然としていた。数年ぶりに見た兄は頬はこけ、皺や白髪は増え、そして明らかに実年齢より老けて見える。


 筑前での生活がどれだけ苦しかったのだろう。彼の顔はそれを生々しく物語っていたのだった。



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 やがて二人は供を連れて近くの城へ。

 そして居間に着いた家兼は、家臣達に人払いを命じ、胤家を二人きりの対談に誘ったのだった。



「隠居を取り消してほしい、か。すまぬがわしはもう疲れたのだ。俗世のしがらみにに巻き込まれ、右往左往するだけの人生には」

「それでも多くの戦に参加し、長きに渡り統治に携わり、なにより当主としての経験をお持ちではござらぬか。兄上の知見、当家にはまだまだ必要でござる」


「そなた幾つになる? 確か五十を少し過ぎたくらいであろう。それでも世間では隠居を考える年だと言うに。わしはじきに六十だぞ、もう潮時だ」

「ならば御歳に見合い、村中城に参らない形であれば、家の経営に参加していただけまするか?」


「そのような虫の良い立場が、当家の中にあるわけなかろう」

「ござる。それがし同様、分家を興されませ」

「分家……? しかもそなた今、『それがし同様』と申したな、どういう事だ?」



 家兼は事の経緯を述べた。

 川副の敗戦の折、戦死した者の家の中には、後継者がいなくて苦労している所があったという。


 龍造寺も家が一つしかない。もし疫病や戦で、多くの一族が亡くなることがあれば、御家存続の危機に立たされるかもしれない。


 そこで家兼は備えとして分家を興したい、と家和と康家に提案したところ、康家の隠居城であった水ケ江みずがえ城を譲り受ける事になった。


 そしてこの時より、分家水ケ江に対し、本家は龍造寺「村」の「中」心と言う意味から、村中龍造寺と区別して呼ばれるようになったのである。



「そうか分家か、考えもしなかった……」

「是非そうなされませ。 自分にあった速さで分家を経営し、本家を支えて下されば、龍造寺はより強固となりましょう」



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 やがて話はまとまった。

 家和に会うべく胤家は村中城に帰り、一族家臣達と再会を喜び合う。

 そして翌日、協議の末、かつて少弐政資が住んでいた、与賀よかの館を拠点として、分家を興す事となった。


 家和が胤家の手を取り、「よろしくお頼み申す」と告げる。

 そして胤家が力強くその手を握り返している。

 家兼はその光景を見つめながら、一つの確信を抱いていた。


(この三家の体制が、龍造寺を必ず隆盛へと導いてくれる、必ず……) 




 

 家和の代に築かれた村中本家と、水ケ江、与賀の分家による三家体制。

 それは時に確執を生みながらも、龍造寺氏飛躍の歴史に大きな影響を与えていく事になるのである。

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