孤鏡に帰す

楠木黒猫きな粉

独白状

私こと成生瀬那せいせいせなは平凡である。平均的な身体付きと平凡な人間関係を繋いでいる。

いやはや普通とは何とも得難い物なのだろうか。と、ぼやきもするが、私自身が自らを平凡な人間と語るものだから普通の定義が平凡な事ではなくなっているのかも知れない。

ちなみに付け加えるのであれば言葉の端に「多分」だの「知らないけど」だのの文言が追加される。私は言葉すら流行り乗ろうとしているらしい。

…「らしい」も追加しておこう。

とまぁこのように平凡な私は周りの人にとんでもないほどに流される。長いものには限界まで巻きつかれていたいのだ。大衆の波という蛇に巻かれた私は、流れるプールで浮いているような気分でいる。心地が良い。他力本願の受動人生に万々歳だ。バンザーイバンザーイ。


喜ばしい事に私には友人と呼べる者が少なからず存在している。何故友達と呼べないのかと問われる事もあるが、私と彼女らの関係は「友人」と呼ぶ方が適している。友達程重く関係を捉えていないのだ。ある意味で一番気楽な関係性だと私の中で決着をつけている。

互いが互いに信用に足らない人物だと思っているからだ。返答に困らない間柄こそ至高だ。頭を使わなくて済むからだ。友達ともなれば返答に悩まなければならなくなる。寄り添いたいと思ってしまうものなのだろう。つまるところ成生瀬那こと私の人間関係はお茶漬けレベルのサッパリ具合なのだ。胃に優しい。


恥ずかしい事に私にも「特別」になりたいと思っていた時期がある。自室の封印棚に安置されている「しょーらいせっけいのーと」と銘打たれた紙束には若き日の情動のままに書き綴られた赤面不可避の文字列が立派に並び立っている。過去に殺されるとはこの事だろう。普通に辛い。嘘である。すごく辛い。


私という人間は流行りには少し疎い。この完全情報化社会の波に取り残されていくタイプの凡人なのだ。といっても情報を仕入れるのが半手分遅れている程度ではある。常に最新である必要はないなと思っているからだ。しかし困る事がないわけではない。若き子供と関わる時に多少不都合が生じるのである。うっせぇ大人にならないように努めてはいるものの汎用人型凡百人類セナァンセイセイには難しい事ではある。長いものには巻かれるためへの努力は少し面倒だ。真綿で首を絞められてるような、柔らかさと中に仕込まれた麻縄の硬さに気づけないほどには心地が良い。巻かれるには努力が必要なのだ。


椅子を天井に貼り付け、かっこよく足を組み本を閉じた私は少しだけ、ソレに顔を向ける。本というよりは手紙の塊を滑り落とす。

私はそれを鏡だと思っている。孤独の鏡は私を映し出した。向けた目に映った私と目を合わし続けた。情報という泥から私が現れる。積み上げてきた物が私を象っているのだろう。一人の私と独りの私ことがそこにいた。きっとそれは隠してきた平凡であろうとしなかった私。特別だと思い込み続けた面白い私。天才なり損ねクソ滑り凡人のことである。サイアクだ、気分が悪い。

独白するように書き綴った紙束が嘘のように舞い上がった。

成生瀬那はただ思う。恥のない半生だった。悔いのない毎日だ。特に何もない昨日の地続きだ。そんなものを繰り返す。満足している。気が楽で心地が良い。多少の面倒で揺らぐものではないのだ。

孤鏡から目を逸らす。次に来るのはいつだろうか。きっと明日もここにいる。知らないけど。多分ここで気取った風に総まとめを行うだろう。痛々しいことこの上ない。


私こと成生瀬那せいせいせなは平凡普通の一般人である。日の振り返りをキザったらしく布団の中で妄想する痛々しい奴だ。

あぁなんともまぁ、ありふれた私だろう。





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