ドン底の秘宝

もぐら

case1 【100円玉の重さ】 


ダメだ。

終わりだ。

もう、4日間も、食べてない。

28円しか、ない。


頭が回らない。

糖分が欲しい。



「多いな!」

振り向くと、また“アレ“がいた。

「お主、短期間に何度、砂を噛むんじゃ。次からS N Sのプロフィール欄に“好きな食べ物は砂です“と記せ!」


作業着を纏った、ハゲ頭の爺さんだ。

あごヒゲが、ヘソの位置まで伸びている。


コレと初めて出会ったのは、

10年以上前だ。


俺が窮地に立たされた時に、気がついたら後ろに立っている。


「また会ったな。“神さま“よ」


ハゲ爺さんは、ケラケラを笑い出す。


「何度も言わせるな。わしゃ、立派な人間が定義した、全治全能の存在などではない。愚かで不完全な人間が生み出した、くだらない幻じゃよ」


誰が愚かだ!

と、怒る気力などないし

そもそも、確かに、言い訳などしようがないくらい愚かだった。


同棲していた彼女に、全財産を持ち逃げされ、

餓死を待つくらいなら、強盗でもしようかと頭をよぎる人間なのだから。


「幻のくせに」


こいつには、過去、何度か助けられているのだ。

悔しいが、認めるしかない。


こいつは“神さま“ではなくて

“俺が 今まで、沢山の人から貰った言葉や感動した表現。その他多くの記憶が凝縮され、固まったモノ“

だと言う。


雪山で遭難し、極限状態の中、シチューの幻影を見るような物らしい。


「見てみぃ」


幻が指差した先は、冷蔵庫の下だ。

床との間に、わずかなスペースが空いている。


「なんだよ」


言われた通りに、そのホコリだらけの空間を、床に横顔をつけて覗き込む。

“何の意味があるのか“なんて、考える気力もない。


そのホコリの中に、チラッと光る物が見える。

汚れるのも構わず、手を突っ込む。


確かに握り込んだ。

引っ張り出して、見てみると

ドロドロになった100円玉だった。


「確か、数ヶ月前、今回辞めたバーの接客中に、お客様に“タバコを買って来い“と言われたことがあったじゃろ」


そんな事は、しょっちゅうあった。

いちいち覚えてない。


「その時、お釣りを、チップとして頂戴した」


あった。

その後、俺は、どうした、、?


「接客中だから、ロッカーの財布にしまう暇が無く、ワイシャツの胸ポケットに入れ、そのまま、忘れてしまった」


「…」


「“こんな端金を寄越しやがって““忙しい中コンビニまで走ったのに““高い酒をがぶ飲みするならせめて紙幣をくれても“ と、思わなかったかな」


全く思わなかった。と言えば、嘘になる。

当時の俺は、紙幣のチップを頂戴する事も、少なくなかった。


「100円玉なんて」


100円玉があったら


「何も買えやしない」


菓子パンが買える。


スーパーで、値引きされた 88円のクリームパンを、ふらつきながら買ってきた。

あわや、包装ごと食べそうになる。

袋を開ける力が無く、錆びた包丁で裂く。

頬張って、まず思ったのは

“硬い“だった。

値引きされたクリームパンが、古くなって硬いのではない。

こんなものが、硬く感じるほど、顎の筋力が落ちていたのだ。

出来るだけゆっくり食べようと思うのだが、身体が許さない。

噛む、飲む、噛む、飲む。

そんな当たり前の順序、リズムが、何度もおかしくなって、喉に詰まる。

2分も経たないうちに、胃に流し込み終わる。

腹から、糖分を含んだ血液が、身体中を巡るのが分かる。

右腕が、左脚が、方々の部位が

“こっちにも早く寄越せ“と言っているようだ。

徐々に頭まで渡り切る。

ようやく、思考が回りだす。


「どうじゃ?」


「馬鹿げてる」


何をしようとしていた?

犯罪行為まで、選択肢に入れていた。


「やらないといけない事は?」


「取り急ぎ“家賃を滞納してしまう可能性がある“と大家に謝罪」


「他には?」


「離職票を然るべき機関に持参して、雇用保険から手当てを受給出来るように手続き」


「40点」


「はぁ!?」


間違ってないだろ。


「間違いではない。ただ、それだけじゃ。

そんなものは“最善“ではない。お主は、極限まで弱っておる。全財産、最愛の人、社会的立場を、同時に失って」


そうだよ。

何も残ってない。

俺には、もう。


「まだじゃ」


ハゲ爺さんは指差した。

ぐちゃぐちゃの机の上には、携帯電話が無造作に置かれている。

拾い上げると

気づかない内に、充電が切れていた。


「まだ、残っておる。“秘宝“がな」


クスクスと、小さく笑いながら


「教えておいてやろう。極限まで、ドン底まで落ちた時の、100点の解答を」


充電器を挿した携帯電話が、久々に起動し、画面が光った。

“通知“が30件以上、未読のまま溜まっている。


“その後、どうなった?“


“応答せよ“


“生きてるかー?“


“おい!!“


“不在着信““不在着信““不在着信“


“大丈夫??“


“なんか出来ることないか?“


“連絡せよ“


“不在着信““不在着信““不在着信“


“不在着信“


“そんな職場、燃やしてまえ(笑)“


“どう考えても、向こうが悪い“


“不在着信““不在着信““不在着信“


“おーい!“


“どうした?浮気でもバレたか?(笑)“


“元気出せよ!風俗いくか?(悪)“


“不在着信““不在着信“


“不在着信““不在着信“


“不在着信““不在着信“




涙と

なんで? という思考が、止めどなく湧き出す。

なんで、こんな俺を。



「100点はな」


「くだらないプライドなんか全部捨てて、馬鹿みたいにデカい声で“助けてくれ!“と叫ぶことじゃ」


爺さんは、昔、とある親戚の叔父さんが、泥酔して言っていた言葉を口にした後、

携帯電話を、再び力強く指差した。





電話に出た、長年の友人は


「金を貸して欲しい」と言うと


大声で笑った。


「久しぶりに電話をかけて来て、死にそうな声で、何を言うかと思ったら」


笑いすぎて、途中途中、言葉になってない。


失望されてもおかしくない。

「金を貸せ」なんて、本当に相手を想っているのなら、通常、口に出せる言葉じゃない。



友人は、ひとしきり笑った後、


「そんなことか」


と言った。


「いくら?」


「3万円あれば、とりあえず、家賃が払えるから」


「ちゃうわ!ボケ!」


…なんだ?


「いくら出せば、お前が死なずに済むんや?

なんぼあったら、元通りの、おもろいオマエに戻れるねん。今のお前、クソおもんないから、好きな額を言えや」


「10万円」


また、大声で笑う。

10万円だ。他人に、ポンと貸せる額じゃない。


「確かなぁ。キャバクラで豪遊しようと思って、封筒に分けてた金があるわ。そのまま渡すから、返せる時に返してくれ」



嘘だ。

こいつは、キャバクラが嫌いなはずだ。

“金銭感覚がマヒった女に、なんで、気を使って、金まで払わなあかんねん“と、言っていたのを覚えている。


「あと、金を貸すのに、条件がある」


借用書だろうか。

もちろん、一筆、書くつもりだ。


「利子や」


そりゃ、いくらか上乗せして返すつもりだ。


「全額返し終わるまで、毎月一回、銭湯代を奢れ。この利子を滞納したら、強めにシバく」


全部、理解するまでに

たっぷり10秒ほど掛かった。



必ず、毎月、顔を見せろ

元気になるまで、見張っておく

死んだら、許さん


なんとか、電話を切るまで

号泣だけは堪えた。



その後、沖縄に住む別の友人から

小包が届いた。


“退職祝“と書かれた封筒の中に

「アホな職場からの解放を、心からお祝い申し上げます」と記された便箋と

万札が五枚、入っていた。


車で、40分かけて

大学時代の友人も駆けつけてくれた。


「大丈夫かどうかなんて、お前が決めるな! 本間に大丈夫なら、そのまま半年後に返してくれたら良い。仮に大丈夫じゃないなら、好きなだけ使って、半年後までに、元値に戻して、返してくれたら良い!もっとけ!」


封筒の中に、万札。十枚。


俺は、確かに、失ったはずだ。

全財産、彼女、職。

夢も、趣味も、将来の展望も。


なんで、こんな俺に。

なんにも持ってない、価値の無い人間を。



「誰かに“死んで欲しい“と思われる人間なんて、本当に死んだ方が良い」


爺さん。


「裏を返せば、悪い人間でさえなければ、本当に、大勢に恨まれるようなことをしてなければ“生きていて欲しい“と思ってくれる人が、周りに必ずいるはずなんじゃ」



携帯電話が、新たにメッセージを受信した。


“足りるのか?“と、最初の友人から。


結局、彼からの封筒には、俺が求めた“人生の値段“の倍額が入っていた。

何度も「ありがとう」「大丈夫だ」と送ったのに、まだ、心配してくれている。


充分過ぎた。


今月、来月、再来月の、

諸々の必要経費が、足りなくなることはないだろう。


返信に、ドクロの絵文字を、一つだけ送ると

すぐさま電話が掛かってきた。


シャレだと伝えると、笑うかと思ったが

烈火の如く怒った。

しかし最後には「絶対、死ぬなよ」と言って、会話を終えた。


【教訓】追い詰められたら、大声で“助けて“と叫ぼう。

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ドン底の秘宝 もぐら @moguraDAT

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