勇魚丸と五人の男
宇宮出 寛
出 港
ジャジャジャジャーン、と運命の五人の男たちが、伊勢湾北奥の尾張から紀州の太地へ向けて出港したのは、江戸期の天明のころである。大きさではわが国一の伊勢湾は、古来多くの海産物を恵む宝の海で、多彩な魚類はもとより、時として浜の砂利より多くのハマグリや赤貝が取れる、というほどの豊かさであった。今は知らない。
また捕鯨発祥の地のひとつでもあったが、この頃は技術的にも捕獲量においても、太地に大きく水をあけられていた。新しい漁法が考案されたとか、ひどく威力ある銛が発明されたなどいう風聞が絶え間なくあり、太地はいわば鯨取りのメッカのごとくなっていたのである。
そこで尾張の鯨組では、
「どうだろひとつ若いもんをやって、その新しいやり方を覚えさせてみちゃあ」
「そりゃあえー考えだなも」などと話し合った末に派遣を決議したのであった。この時期には、土佐をはじめ各地から捕鯨を学びに太地に来る漁師が多数に上ったという。
選ばれたうちの一番年長は吉太郎で三十八歳、妻と男子ひとりの実直なベテラン漁師で、中肉中背、性格は常識を重んじる心身ともに平凡な父親だった。とはいえ勢子舟の親方として、常に地獄の入口に立ってきた男である、陸者の平凡と訳が違うのは言うまでもない。
次は銛打ちの久六、二十七歳である。こいつは身の丈六尺の大男で、この頃の人間としては化け物クラスと言ってよい。その体格を生かして素人相撲では大関を張り、運慶か快慶の作った力士像に似ているというので仁王の別名があった。酒とバクチが好きなのは漁師らしいが、女遊びには興味がないらしい。
三人目の新平は漁師ではなく、神代豊斎という蘭学者で発明家、江戸では平賀源内が名高いが、当時の尾張では超の付く有名人で、この人の弟子として可愛がられているまだ二十四歳の俊英だ。そんな男がなぜ混じっているかといえば、熊野の山奥でキノコだかカビだかを研究している友人の学者があって、新平をその下で学ばせようと考えた豊斎先生が鯨組へ便乗を頼んだのだ。熊野は太地からはすぐ裏手だが、尾張から陸路を取るとなると、当時は行きつけるかどうかというほどの難路だったのである。
四人目の太市は二十三歳で、勢子を六年経験している。色白の丸い身体は旨そうな猪八戒だが、見かけよりは相当に鍛えられている。それでも尾張ではまだ下っ端扱いだ。
五人目の清吉は炊ぎ掛の十八歳で、三年の勢子経験があるとはいえ、ひょろりとした色白ななりが、まだ漁師と呼ぶには幼さを感じさせた。彼は仕出し屋の倅で、幼少の頃からの手伝いで身につけた料理の腕を買われたのである。
尾張を出港したのは白露のころ、陽暦の九月上旬である。暑さが去り海の上は爽やかな風が吹いていた。捕鯨シーズンは冬から春にかけてだが、早く着いて先方に馴染んでおこうというのである。船は帆柱が一本で中央に屋形を乗せた簡素なものだが、湾内の漁師舟としては立派な方だ。船主が洒落で付けた船名を勇魚丸という。ルートはまず伊勢湾から伊良湖を抜けて遠州灘へ出る。それから熊野灘を陸に沿って太地まで、風と波に左右されるが六日の航程が予想された。
その日は薄曇りで風も弱く波も穏やかであった。西に鈴鹿の山並みが遥かに青く連なり、それが後方へと移動していくのがずっと眺められた。鈍色の海には漁師の小舟が遠近に散らばっている。カモメの群れ飛ぶ下ではイカナゴを網にかけているのであろう。それらすべてを睥睨するように、弁才船が四角な帆をいっぱいに張って通る。
船は帆と櫓とで知多沿いに進んだが、風が弱く半島の先までも行かないうちに日が暮れかけてきた。
「まだいくらも来ていねーが、仕方がねえここらで泊りとしようみゃあ」と吉太郎は一同へ声をかけた。
久六が帆を下すのを清吉が手伝い、舵を握った吉太郎の指示で、太市が櫓で船を岩陰に寄せた。清吉が飯の支度を始める。
「どうです親方一杯?」言いながら久六が竹筒に入れた酒を出した。
「お前仕事中だで、酒はご法度だがや」と吉太郎が気色ばむのへ、
「仕事ったって親方、こいつに乗ってくだけのこんだで、固いこたー言わんでちょう」と久六は涼しい顔である。吉太郎は苦笑いしながら茶碗に酒を受けた。
「私は結構です。居候の身ですから」と新平は聞かれもしないのにそう言った。
久六は目をむいて、呆気にとられた顔になる。
「誰がお前さんに呑ませるってか。たーけたこと言わんとき」
新平が「そうですよね」と小声で言うのを聞いて皆大笑いした。
清吉が飯を炊き上げたのは日暮れ近くだった。まだ互いの顔は見分けられた。献立は飯に味噌汁とバカ貝の煮シメだ。
食事がすむと、吉太郎は新平の身上について質問し、四人も自分のことを簡単に述べた。
「ちょっとの間だけんど、同じ船に乗り合わせた仲間だぎゃー」と久六が言った。
四人は新平の話に興味深く聞き入り、自分たちの知らない世界に驚かされた。太地など近所にすぎない。
五人は屋根の下へ固まり、菰をかぶって寝た。
夜明け前、陸から鶏の声が聞こえた時には皆目覚めていた。清吉は竈に火を入れ、昨夜の飯を粥にして、残りを昼の握り飯にした。寒い季節ではないがさすがに夜明けである、梅干しだけの温かい粥が皆の腹にしみた。
一面の霧の中、船は伊良湖へ向けて出発した。朝霧は良い天候を連想させた。やがて風が出て、青い空と海が広がるだろう。その予想は当たり、日が昇ると霧が晴れ、西風が強くもなく吹いてきた。櫓も使わずに、昼頃には伊良湖を抜けて遠州灘へ出た。日光の下で水の藍色が濃い。
「海の色が違いますね」と新平は感嘆した。
「波もここから荒くなるだら」と吉太郎は緊張した表情を見せた。普段は湾内で鯨を追っているが、彼には大王崎辺りまでは知った海域であった。風が船の真横に当たるようになったので、船頭の吉太郎と新平を除く三人が、交代で櫓を押していかなければならなくなった。その甲斐あって、日暮れ前には大王崎の手前一里ほどの志島という漁村まで達してそこで夜を明かした。
翌日は朝から晴れ渡り、北西からの風も強くなかった。ここからは西風に乗って一度沖へ出て、大王崎を迂回するのである。少し出ただけで波の高さが増し、船は風に押されて揺れながら疾走し始めた。
「帆を半分下ろせ、早よしやあ。南に向かうだぎゃー」と吉太郎が怒鳴った。久六と太市が慌てて綱に取り付いた途端に風向きが変わった。
「ワアア、なんじゃこら」
何と船は波に翻弄されながら回り始めた。そして青空もお日様も、一瞬にして霧に包まれるように見えなくなり、一同が身を伏せてかじりついた船は、回転を速めながら浮かび上がったのである。
元来この辺りは非常に風が強く、カンザス並みの竜巻が起こったのかもしれない。台風の影響とも考えられた。
五人は猛烈な回転の中で、自分たちが昇天していくのを感じながら、いつか失神してしまったのである。だからその後の勇魚丸の移動が、どれほどの距離と時間にわたったかについては、誰もがまったく感知しなかった。
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