短編集「奇漁」

青切

民話

奇漁

 牧野の殿様からお呼び出しがあったので、都から美川に出向いた。

 所望しょもうされた資治通鑑について話をすると、講義のあとで、酒肴しゅこうが出た。


 膳に用意された汁物がやけにうまかったので、殿様に何の汁かとお尋ねすると、タコとのことであった。

 しかし、汁にはタコの身など入っていなかったので、不思議に思っていると、殿様が小姓に指図して、乾物を持って来させた。


 乾物は黄みを帯びた白色で、大きさは人の頭ほどあった。

 大きさからして、クジラの脂肪を干したものかと思ったが、そうではなく、タコの足の皮をむいて、四角に切ったものとの説明を受けた。


 この乾物をかつお節のように削り、出汁だしを取ると、最上の汁ができるとのことだった。

 しかし、身を干せば、水が抜けて縮むものである。

 乾物の大きさから逆算してみたところ、巨大なタコの姿が頭に浮かんだ。



 詳しい話を殿様にお尋ねすると、その乾物を作っている心鳴島しんめいじまに行き、直に見聞きしてはどうかとの、ご配慮をいただいた。


 乾物は藩の貴重な財源となっているだけでなく、幕府や友藩、寺社や豪商などにも送られ、藩の外交上、重要な物産であった。

 そのため、島への不要な上陸は禁じられており、部外者の入島が許されるのは、非常にめずらしいことだと、小姓が教えてくれた。


 なお、後から知ったのだが、心鳴島の干しダコは、食道楽の人々の間で、知られた食材であるらしかった。

 量が少ないため、大身たいしんの方にしか、物が回って来ないとのことだったが、出来の悪い物ならば、身分の低い者でも、金次第で手に入るらしい。

 私には一生縁のない代物しろものなので、知らなくて恥をかいたのは、仕方のないことだった。



 春に私が島へ出向くと、島の代官殿が案内をしてくれた。

 漁の行われるのは盆過ぎだったが、その時季は、部外者の入島が禁じられていたので、私が見物することはできなかった。



 島の高い場所にある集落に入ったところ、まず、巨大な両柄のノコギリが目に入った。

 刃渡りは、男が四人寝そべったほどもあり、厚みもかなりあった。

 ノコギリの刃も、他では見たことのない大きさで、屈強な男たちが、汗を流しながら磨き込んでいた。


 刃の両端についている木製の持ち手は、男が四人がかりで使う。

 片方四人、計八人がかりで、長い刃渡りを、引いて押してを繰り返す。

 このノコギリの持ち手に選ばれることが、島の男たちにとって、何よりの誉れであった。


 なお、ノコギリは、予備も用意しておく。

 ノコギリは十年ほどで使えなくなるので、そうなると、島の金で新調する。



 漁には酒が必要とのことで、酒蔵を見せてもらった。

 その道中、家々の様子をうかがうと、朱色の鮮やかな服を、女が縫っていた。


 島では米が取れないので、米を買い付けて、蔵一つ分の酒を用意する。

 手間を考えれば、米ではなく、酒を買ってくればよいのにと思ったが、自分たちで作った酒でないと、用を足さないらしい。


 製法は門外不出とのことで、教えてくれなかった。

 一口飲ませてもらったが、味がひどくて飲めたものではなかった。

 強い酒ではなかったが、薬草でも入れているのだろうか、とても苦かった。

 オオダコ様はこの味が好みなのですと、老いたとうが教えてくれた。



 代官殿の屋敷で供応を受けるついでに、島長しまおさから漁について教えてもらった。

 なお、漁の日になると昔からの決まりで、島民以外は追い出されてしまうので、代官殿も、漁の様子を見たことはない。



 島長が手元の絵巻物を広げ、説明をはじめた。


 最初の絵には、何もない浜辺はまべが墨一色で描かれていた。

 島長によると、島で一番長い砂浜とのことであった。

 なお、絵を八枚見せてもらったが、絵の構図はすべて同じであった。



 次に見せてくれた絵は、無数の着飾った島人たちが、浜辺を取り囲むように、朱色で付け加えられていた。

 また、絵の真ん中に位置する水際には、色とりどりの料理と、酒樽が描かれていた。


 漁というよりも、お祭りが始まるような雰囲気を、絵から感じた。



 三枚目では、島人たちが、楽しそうに踊り狂っていた。

 一人ひとりの表情までよく描かれているので、じっくり見ていると、代官殿が扇子で絵の左下を指された。

 そこには、青黒い岩のようなものが描かれていた。



 これがオオダコであろうと予想はついたが、四枚目で姿を現したその大きさは、小山ほどもあり、実在じつざいの生き物とは信じられなかった。

 絵では、浜辺にたたずんでいるタコに対して、島民たちが頭を下げていた。


 代官殿に事の真偽をたずねたところ、私も最初は信じなかったが、足の実物をこの目で見ると、多少の誇張はあれども、これくらいはあるだろうと思ったと、返答された。



 五枚目の絵では、青黒いオオダコが、足の付け根にある口をさらしており、そこに島の男たちが、次々と、酒と食い物を放り込んでいた。

 ヤマタノオロチよろしく、眠らせたところを殺すのであろうかと思っていたら、島長が、タコの足の長さを見てみなされとつぶやいた。


 言われた通りにしてみると、それぞれの足の長さが微妙にちがい、長い物もあれば短い物もあった。



 六枚目の絵では、一番長い足を砂浜に伸ばしたタコと、その足をノコギリで切っている、八人の男たちが描かれていた。

 そして、彼らの周りを、島人たちが、十重とえ二十重はたえにかこんでいた。



 七枚目の絵には、浜辺を去り行くオオダコに、手を振っている島民の様子が、八枚目には、浜辺に残された足を解体している、島民の姿が、それぞれ描かれていた。



 巨木のような足の皮をはぎ、身を大きなサイコロ状にして、乾物とする。

 その日のうちならば生でも食えて、それは実に美味なのだそうだが、それを味わえるのは島民だけであった。

 皮も、武具などに用いられるとのことで、それなりの値段で取引されている。



 絵巻に描かれていることが本当のことかは、にわかには信じがたい。

 しかし、毎年、酒肴をおごる代わりに、タコから足をもらうというのは、なかなかおもむきがある。


 老いた島長が生まれる前から、この漁は行われている。

 そうだとすると、タコは、いったい、どれくらい生きているのだろうか?


 なお、心鳴島の付近では、タコを取ることは禁止されている。

 密漁で捕まれば、打ち首とのこと。

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