第2話 落ちぬ落ち葉のレクイエム

 目が覚めたら辺りは真っ暗で、ベッドから出ようとしたら壁にぶつかって……

 何だかわからないまま、もがいているうちに、ふたが開いてわたしは棺から転がり出たの。

 そう。わたしは棺に入っていたのよ。

 それで自分は死んだんだって思い出したの。

 左胸に手を当てたら、心臓が動いていなかった。


 暗い中で手探りして、触っただけでもこの棺が高級な木材でできているのがわかったわ。

 パパったら、こんなことにお金をかけて。

 町の財政が厳しいって、わたし、知ってるのよ。


 しばらくして、暗闇に目が慣れてきた。

 ここは教会の聖堂だった。

 お葬式の最中なのかしら?

 そうよね。わたしは死んだはずだもの。

 だけどそれにしては人が居ないわ。

 参列者も神父さまも、誰も居なくて気配もしなくて、わたし、ひとりぼっち。

 お墓に埋められていないのだから、まだお葬式は終わっていないはずよね?


 何だか怖い。

 本当に誰も居ないの?

 誰かが来てくれるまで勝手に動かないほうがいいのかしら?

 だけど困ったな。

 喉が乾いちゃった……


 棺から這い出す。

 この靴は、パパが履かせてくれたのかしら?

 お気に入りなのにろくに履けなかった、真っ白な靴で踏み出す。

 死人が動いているのを誰かに見つかったら、大騒ぎになっちゃうんじゃないかしら?


 聖堂に並ぶ椅子や机を手で伝って、わたしはおそるおそる窓から外を覗いてみた。

 空は暗くて、だけど何だか夜じゃない感じで。

 月も星もなくて、でも曇ってるのとも違うみたいで。

 窓枠から身を乗り出して目を凝らしてもやっぱりわからなくて。

 いったん体を引っ込めて、玄関に回ることにした。

 怖いけど、何が起きてるのか知りたいし。

 それに喉がカラカラだから。


 両開きの扉は重たくて、それを思い切り、開け放つ。

 暗闇に目が慣れて、見上げた空はの葉で覆われていた。

 見下ろせば、屋根の聖印が折れて転がっている。

 地面には、木の葉は一枚も落ちていなかった。

 ただの一枚も。




 わたしはつま先で地面を探りながら、ゆっくりと慎重に、教会の建っている丘を下りた。

 湿った枯れ草。

 むき出しの土。

 やっぱり木の葉は落ちてない。


 名前を呼ばれて顔を上げると、道の先に誰かが居た。

「あなたは、だぁれ?」

 暗くて顔が見えない。

「僕だよ! イールだ!」

 わたしに駆け寄ろうとして、転びそうになるシルエットが、ぼんやり浮かぶ。

 こんなに暗いのに、どうしてランプの一つも持っていないのかしら?

「明かりはないの? イールさん」

「ないよ。あったら困るだろう?」

「どうして?」

 訊いては見たけど、何となくわかる。

 不知死の魔物アンデッド・モンスターは光を嫌うって、スリサズちゃんが言っていたもの。


 イールさんがまだ何かしゃべってる。

 そんなことより飲み物をちょうだい。

 わたし、喉が渇きすぎて意識朦朧いしきもうろうよ。

 誕生日おめでとう?

 そう。わたしは二十歳になったのね。

 確かパパが、わたしが生まれた年のワインを大事にしまっていたわ。

 ワインを飲める日、来たのかな?

 きれいな真っ赤の、あのワイン。

 ねえ、イールさん……

 おいしそうね……あなたの首筋……




 我に返ったら、イールさんが死んでいた。

 干物みたいに干からびて、地面に横たわっていた。

 わたしは口もとを拭った。

 手の甲を濡らしたのは、よだれなんかじゃない。

 わたしはイールさんの血を吸って、イールさんが死ぬまで血を吸い尽くして、そのまま恍惚こうこつとしていたんだわ。

「嫌ああああああああ!!」

 わたしは悲鳴を上げて走り出した。




 町中を走り回っても誰にも合わなかった。

 泣いても叫んでも、答える人なんて一人も居ない。

 明かりの一つも見えやしない。

 みんなどこへ行ってしまったの?

 いったいどういうことなの?


 ふと立ち止まって、わたしは教会のほうを振り返った。

 教会がある丘はずいぶん遠くなって、暗さもあって建物は確認できなかった。

 ……わたし、こんなに走れたのね。

 あはは。すごいわ。生きてたころなら、ありえない。

 呼吸をしていないから息切れしないのね。

 ねえ、これって喜んでいいのかなあ?

 ……ダメよね。

 ……だって、イールさんが……


 一人きりでふらふらと彷徨さまよっているうちに、また喉が渇いてきてしまった。

 イールさんの血、おいしかったな……

 そういえばスリサズちゃんから、わたしみたいな化け物の話を聞いたことがあるわ。

 わたしはきっと吸血鬼ヴァンパイアになってしまったのね。

 でも、どうして?

 わたしは小さいころからの病気で死んだだけで、吸血鬼ヴァンパイアに噛まれた覚えなんてないのに。

 ああ! 血が欲しい!

 新鮮な血が!


 小枝が折れる音がして、わたしは振り返った。

 葉は落ちなくても枝は落ちるのって、何だか不思議。

 枝を踏んだ小さな男の子と目が合って、その子は引きつった悲鳴を漏らして尻もちをついた。

 やっと生きている人間に逢えたわ。

 おいしそうな子……

 いけない! わたしってば何を考えているの!?

 わたしは自分のほほをピシャリとたたいた。


「大丈夫よ、キミ」

 気持ちを静めて、穏やかな声で男の子に呼びかける。

「はじめましてよね?」

 うん。だってわたし、お屋敷の外になんて滅多に出ないもの。

 同じ町の子どもだって、大抵は、はじめましてよ。

「ねえキミ、この町で何が起きているのか、知ってたら教えて」

 男の子は答えず、目をひんむいてわたしを見つめた。

 わたしは質問を続けた。



「どうして誰も居ないの?」




「どうして葉っぱが落ちてこないの?」




「どうしてそんなに怯えているの?」







「どうしてそんなにおいしそうなの?」







 男の子は狂ったような奇声を撒き散らしながら逃げ去った。

「ねえ! どこへ行くの!? 行くあてはあるの!?」

 男の子が消えた暗がりへと叫んだところで、戻ってきて答えてくれるはずもない。

 ねえ、キミはどこへ行くの?

 わたしはどこへ行けばいいの?



 お屋敷に戻ると、玄関には鍵がかかっていた。

「パパ! パパ!」

 ベルを鳴らしても、使用人の名前を呼んでも、返事はない。

 わたしは庭に回った。

 わたしの部屋の前の木。

 最後に見たときは綺麗に色づいていた木は、完全に葉を失って、でもやっぱり地面には葉は落ちていなかった。


 一階の、鍵の開いている窓を探してカーテンをくぐると、いきなりパパの姿があった。

 応接室の真ん中で、床から生えた木の槍に串刺しにされて死んでいた。

 わたしは泣き崩れた。

 どんなに泣き叫んでも、パパはわたしのように生き返ったりはしなかった。

 ほかの部屋では使用人がパパと同じように死んでいた。

 全滅だった。


 わたしは町中の家々を訪ねて回った。

 開いているドアや窓を探して、なければ石で窓を破って。

 どの家もおんなじだった。

 みんな、パパみたいに死んでいた。

 わたしのせいなの?

 でも、どうして?


 こんなふうに自由に町を歩くのは憧れだったはずなのに。

 誰かに逢いたい。

 さっきの男の子。

 どこ? どこ?

 あの子もきっとわたしみたいにひとりぼっちで心細いはずだわ。

 捜さなくちゃ。捜さなくちゃ。

 喉が渇いたわ。

 ……わたし……あの子をどうしたいんだろう……


 空を見る。

 目が、慣れたというより、もともとあった“暗闇で見る力”に目覚めた感じ。

 どうして太陽も月や星もなく、いつまでもこんなに暗いままなのか、やっとわかるようになった。

 空をの葉が覆っているの。

 隙間なく。

 びっしりと。

 町の街路樹だけじゃなくって、きっと町の周りの広い森からごっそり集められたのね。

 とてもたくさんの葉っぱで、町を包んでドームみたいになっていた。


 教会に戻る。

 イールさんの遺体を見るのが嫌で、遠回りして丘の反対側から近づくと、途中に墓地が広がっていた。

 片隅にたたずむ、真新しい、わたしのお墓。

 おかしなことなんて何もないはずだったのに。

 教会の中を探したけれど、神父さまは居なくて、死体もなかった。


 空を見る。

 落ちぬ落ち葉のドームの向こう。

 今は昼なの? 夜中なの?

 わたしは吸血鬼ヴァンパイアになってしまったのだから、日の光には弱いはず。

 落ち葉のドームはわたしを守ってくれているの?

 わたしは歩き出した。

 町の外へ向かって。

 ドームの外へ向かって。

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