製作日記 其の18

強迫観念オブセッションがなけれは小説は生きない。時として小説がそれを汲み尽くしてしまうことがある。と、小説は死ぬ。その小説は生きて、死んだのだから、問題はない。自らの運命を全うしたのだ。だが、次の小説は? どうやって書いたらいいのだろう? 一冊の小説は『その次の小説』という観念を不可能にするものだ。それが十分に『生きた』小説の姿だろう。



小説を完成させることなく、その一作を読みきり、そしてもう一巻の作品『その終わりに』を書いた方が、良かった。いや、良かったと考えるべきなんだろう。

つまり問題なのは、「問題」とは、その作品と次の作品(『その次の作品』)の二冊の本と、『その次の作品』を完成させた『作家』という名称。しかも、『作家』の正体であり、現在進行中である『小説家』という存在。問題はそれだ。

『作家』、『小説家』の正体不明、謎謎謎……。それらの正体を見つけ出すためには、どうするべきか。『小説家』と名乗ることすら難しいわけではあるまい。いや、そもそも『作者』を名乗っていない人間も当然存在する。それは『作者』だろうか? だが、その『作者』がどこで何を考えていて、何をしているかがわかれば、『小説家』の正体が掴めるのだろう。

答えは『存在しない』。あるのは『作者(小説家)』の真意のみである。『作者』は『作者』であるためには、『作者(小説家)』が目的としている『存在しない目的(小説)』も含まれているはずである。『存在しない目的(小説)』を理解しているのは、あくまでまだ存在しない『作者(小説家)』と、『目的(小説)』のみである。つまり、『存在しない目的(小説)』に辿り着くだけで、『作者(小説家)』は『作者』になり目的を達成する。これによって彼は完結した小説の結末の一つを書くことができるはずだ。

だが、ここに問題がある。『作者』であることに気付かず、これまで自分の『夢を実現させること』に励んで、果たしてこれまで『夢』の中で完成させていた『新たな名作』を未完成のまま残してしまうのは、余り良い策とは言えない。『傑作』を完成させる過程での、『傑作』に対する評価は『傑作』ではなく、『存在しない目的(小説)』であり、『作者』は未完の『傑作』そのものとなるのである。これに気付かず、『傑作』を完成させたとしても、『傑作』を完成させたという事実は何の意味も持たないのだ。

例えば僕が小説を書いたらこのようになるだろうか、『夢』から抜け出すように『傑作』を書いてしまったら、確かに『傑作』の完成度が高いとはいえない。だが『傑作』は『傑作』であり、『傑作』そのものだ。『作者』が『傑作』であるなら、『傑作』を書く動機が『傑作』が完成したらそうなるのだと考えられるが、そうすれば『傑作』の完成度が高い結末を選ぶし、『傑作』を生きる、つまり満足できる結末を見出せるのである。だが、僕だけでなくそれらの『作者』、『傑作』も、一概に完成度が高いとは限らない。未完のままに燃え尽きる、そういう『傑作』を完成させるだけでは、『作者』もさらに『その次の作品(小説)』の満足できる結末を求めてしまうのだ。

仮に『傑作』を完成させた僕が『傑作』を完成させなかったら、『傑作』を完成させたことが『夢』であると知りながら、『傑作』を完成させ、『傑作』を完成させ続けてしまったら、何と『傑作』の完成度が低いことが『夢』であると悟る。そして『傑作』を完成させようとしていた『作者』に『傑作』の完成度を示すことを『夢』の決定として、『夢』を完全に失ってしまうのである。

では、この『傑作』の未完性に気付いて『傑作』を完成させたとしても、それは『夢』からは『傑作』として見られていないということになるのだろうか。それに気付いているからこそ、この『傑作』を完成させて『夢』を取り戻すことができるのではないか。

そこで僕は、『傑作』を完成させることに執着せずに、このまま『傑作』を書き続けていれば、『傑作』を完成させたという事実を知りながら、それに気付かずに『傑作』を完成させることを未完結の『夢』として望んでもいいだろう。

そしてその『夢』を失うのは、それが『傑作』を完成させて『夢』を取り戻しても、それに関する『記憶』まで失うことになる可能性のほうが高いはずだ。それに気付いてから一つの『傑作』を完成させるということは、『傑作』に関しての『過去』も失うことになるのだと、僕は気づいた。


「――……」

「――……」

「……?」

「……………」

二人は、なにも言わず。

ただ無言で目を伏せただけだった。



あーでもない、こーでもないと考えながらAIの文章をいじっていると、突然、先が見えることがある。次から次へ、脈絡もなく、これから書かれるはずのシーンが思い浮かんできて、片っ端からメモするが、思いついたことをとても全部覚えてはいられない。

イメージはとめどなくあふれ、それは明確な言葉、あるいは一貫したストーリーというよりはキラキラと輝く断片、ある言い回しと、微妙な運動と、はっきりとした感触がある、一瞬に圧縮された夢のような何かで、いずれにしても順序立てて言葉にしていくのは難しいものだが、その生き生きしたイメージの疾走には得難い快感、多幸感にも似た精神状態と、酸欠状態の息苦しさが付随している。たぶん脳がフル回転して血流が追いつかないのだろう。しかし――



「……あ」

「っ!!! お、おまえ、待て、待てっ、」

「いいから、止まれ!!」

「うあああああああああああああああ、!?や、やっぱり、やっぱり、これは、これは、!!」

そこには、目に狂いなどなかった。

「う、ぐほ……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。

……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」



文章の連続性の上に成り立つ小説なんて私には書けない。



………………………………


私はすぐに疲れ果て、使いつくされてしまう。

イメージは暴走し、支離滅裂になって、制御不能になり、脳がオーバーフローして全てが終った後には、ほとんど何も残らない。

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