第19話:それぞれの思惑は

『よろしくお願いしますね、エルムさん』


 最初見た時の印象は、少しでも触ってしまったら壊れそう、だった。

 真っ白な肌に、折れそうなほど細い体。

 頭の良さそうな雰囲気と硬い喋り方。

 自分のような薄汚れた街で生き抜いてきていた者とは相容れない、白くて清らかな真反対の存在。だから、エルムとしてはフェイとの付き合い方がよく分からなかった。

 己は『バケモノ』ともあだ名される、全て壊すような強さを持つ者。彼は、戦う術も方法も知らない者。もし、力加減も分からないまま触れて、壊してしまったら。傷付けてしまったら。

 他の夜警のメンバーは、壊せない存在だと既に知っている。リーンハルトも、ヨキも、パトリシアも。レオンも、シャルルも。ヴァイオレットも、ノーマも。皆、自分の身を守れるだけの力は持っている。

 しかし、フェイは違う。自分も守れないような、か弱い存在。だからこそ、自分から遠ざけようとしたのだ。エルム自身が言われて傷付く言葉をぶつけて。馬鹿な己よりもずっと頭が良いんだ、きっと逃げて行ってくれるだろうと。

 けれども彼は。そんなエルムの言動に負けることなく、様々なことを教えてくれていた。それも、エルムが楽しくなるように工夫も凝らしてくれて。

 そのことに気付き出した時から、エルムの感情は少しずつ変化し始めた。

 仲良くなりたい。軽口を叩き合っているシャルルやレオン達のように。

 ちゃんと話したい。出掛ける予定を組んでいるヴァイオレットやノーマ達のように。

 けれど、それを実行に移すのは容易ではなくて。そもそも、どうすれば良いのかも分からないままで。つっけんどんな態度のまま、ズルズルと過ごしていた。

 そして、任務中に掛けられてしまった魔法により精神汚染された体で、フェイにナイフを向け襲いかかってしまったのである。


「……そう、か」


 支離滅裂でぐちゃぐちゃなエルムの言葉に、ヨキは小さな声で返答し、そっと膝を折ってエルムと視線を合わせる。


「ちゃんと教えんかった俺らが悪かったわ。すまんな、エル」


 父も母も知らない孤児のエルムにとって、組織の仲間達は家族にも近しい存在だ。例えば、リーンハルトは父役。ヨキやパトリシア、レオンやシャルルは、兄・姉のような存在。最近入って来たばかりのヴァイオレットやノーマは、エルムにとっては弟・妹のように思っていたのだろう。

 エルムが口下手の人見知りであるため、その関係の構築方法は皆、自分達から勝負を仕掛けたり執拗に話しかけたり、そもそも助けたという義理があったりという積極的に構う方法で、何とかエルムの心を開かせている。

 しかし、フェイは違う。先生として組織に期間限定で招かれた客。しかも、積極的に話に行くというよりは、相手の様子を見て相手に合わせた行動を取るタイプ。そういった人間に、エルムは初めて触れ合ったのだ。加えて、仲間とも家族とも違う、友人という立ち位置になる人間と出会うのは、今回が初めての体験。変な方向へ思考が飛んでしまうというのも、少々頷けることではあった。


「エルは、フェイさんと仲良くなりたいんやな?」

「た、ぶん、そう……やと、おも、う」

「ん、ならまずはフェイさんに謝ったりぃ。酷いこと言ってごめんなさいってな」

「おん……」

「次に、仲良くしようってちゃんと口に出して言うんや。あの人、多分言わんと分からんまんまになる人やと思う」


 ヨキのアドバイスに、エルムはこくんこくんと数度頷きを返した。素直な彼の反応に、ヨキは薄く微笑んで、ぽふぽふと再度エルムの頭を軽く叩くように撫でる。


「それじゃ、さくっとフェイさんとノーマを見つけに行こか」

「お、おん!」


 エルムは元気よく返事を返し、先を進み出したヨキの傍をついて行った。


 *


「珍しいな」


 ぽつり、とレオンが声を零す。その声に思わず、シャルルは後ろを振り返った。普段は、耳が痛くなるほどの音量で喋る彼からは想像できない、周囲の喧騒にかき消えてしまいそうな、そんな声の大きさだったからだ。シャルルは怪訝そうな顔を、レオンへと向ける。


「何が?」

「お前がそこまで真剣になるの。こういうこと、別に珍しくはないだろ?」


 レオンの言う通り、夜警という仕事の性質上、何者かからの襲撃自体はよく引き起こされることだ。一番狙われる経験をしているのは、トップのリーンハルト。その他のメンバーも、同等かそれ以上襲われている経験を持っている。そのたびに各個人がそれぞれボコボコにしたり、それが出来ない場合には仲間総動員でボコボコにしたりする。しかし、それはあくまでも自分達に、それを跳ね退けるだけの力があるからだ。フェイはこれに該当しない。


「そりゃそうだけど、フェイちゃんは夜警でもなんでもない。僕らのことに巻き込まれただけの子だよ。助けようとするのは、当然でしょ?」

「……そうかもしれねえけどさ」


 レオンはそこで言葉を止め、じとりと澄んだ薄青の双眸をシャルルへと向ける。正反対とも言えるシャルルの深い青の瞳が、かちりとレオンの視線と合った。


「俺、分かんねえんだよ、お前の行動がさ」

「……というと?」

「フェイのことだよ。アイツは人を殺せないような、優しくて弱い奴だって言ってたよな。うん。そんな奴を、夜警として雇おうとするか? 争いもない魔女の隠れ里の村の中に住んでんだろ? そっとしときゃあいいんじゃねぇの? うん」

「……お前にしては、珍しく真面目なこと言うねえ」

「茶化すなよ」


 ばしりと言うレオンに、シャルルは小さく肩を竦めて軽く笑う。


「別にそんな声を大にして言うことじゃないよ? ……ただ、自分の罪をあがなうために、彼を傍に置いておきたいだけ。で、それに使えそうなものを使おうとしてるだけに過ぎないよ」

「使えそうなものを使う、ね。それが、エルってわけか?」


 シャルルは否定も何もしなかった。それが真実であると、声には出さずとも伝えている。

 レオンはくつりと歯を見せ、大袈裟に肩をくっと上げる。


「なんだ、いつも通りのお前じゃんか!」

「なんで急に元気になるの、お前」


 げんなりと呆れた顔をするシャルルに、レオンはからからと声を上げて笑い出す。


「うん、うんうん! いやぁ、流石は俺の相棒と思ってな! そういうとこ、俺はいいと思うぞお!」

「お前に褒められてもねえ……。同類扱いとか嫌なんですけど」


 シャルルは小さく眉を寄せ、レオンの動きを見ながら先を進み出す。レオンはその背を追って走り出す。


「馬鹿レオン! 先導してる僕を抜かして行くなっての! お前方向音痴なんだから!」


 *


「あー、メンド」


 とんとんとぼろぼろの屋根瓦を蹴り、家の合間を縫うようにしてヴァイオレットは進んでいく。黒革の手袋が握り締めているものは、マギアの破片。共鳴石の欠片である。それは、ノーマとヴァイオレットを繋ぐものだ。

 石は弱々しく明滅しながらも、ヴァイオレットの手の平の上でモゾモゾと動き、引き合うもう一つの石の方向を示す。ただ、はっきり正確に示しているわけではない。路地裏で壊れていた欠片の影響もあり、動きにブレがあるのだ。

 しかし、ヴァイオレットはその方向をしっかり見据え、ブレなどさしたる問題ではないというように迷いなく進んで行く。


「……そろそろ近い、か」


 そのタイミングで、ヴァイオレットはぴたりと足を止めて、帽子のツバを持ちながら顔を上げる。気怠げな紫の目の捉えた先、わらわらと闇の中から小さな体が姿を見せる。

 緑色の肌。口からは先の尖った白い歯が覗き、てらてらと唾液で照っている。それらは、ヴァイオレットを見た途端、ケキャケキャと厭らしい笑い声を上げた。

 彼らは、魔術師が喚ぶ使い魔の一種、小鬼グレムリンだ。知能は高くないものの、簡単な魔術式を組んだマギアで喚ぶことが出来るため、周辺の様子を探る偵察役として使われることの多い種である。

 彼らがいるということは、近くに魔術師がいるということ。ヴァイオレットは大きく溜息を吐き、「ホント、面倒臭いすわ」と愚痴を零す。そして、太腿のホルダーに吊った黒い刀身をしたナイフを手に取り、無表情のまま挑発するように手を動かす。


「どぞ」


 ヴァイオレットの声に応じるように、数匹の小鬼グレムリンは一斉に彼へ襲いかかって来た。ヴァイオレットはくるりとナイフを回転させ、手近にいた一匹にその刃を突き立てる。瞬間、刺さった箇所がごっそりとした。

 切り落とされたわけでもなく、ナイフの刃がその部位を喰らったかのような。そんな事象が目の前で起こったのだ。

 小鬼グレムリンはその異常性に気づくことはなく、仲間が傷付けられたことに喚きながら次々に襲いかかる。ヴァイオレットはそれらの頚部けいぶや腹部に刃を振るい、その部分を消滅させていく。

 実に、数分程度の戦いであった。

 ヴァイオレットはナイフを腿のホルダーにしまい、事切れた小鬼グレムリンの転がる死屍累々の道を、鳥打キャスケット帽子の位置を直しながら歩いていく。


「……ほんと、あんたらに構ってる暇ないんですケド、でも出会えて良かったすよ。あざます」


 手の内の共鳴石の動き、小鬼グレムリンの出現。これが偶然のものでなければ恐らく、この近くに捕らわれたフェイとノーマがいる。


「……まったく、手のかかるダチっすわあ」


 ヴァイオレットはその言葉と共に、的確な本拠地の位置を掴むべく足を動かし始めた。

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