第2話:アルトロワの中部階層
芝居がかったシャルルの動きに、フェイはあわあわとした様子で「やめてくださいよお」と彼の所作を止めさせようとする。今のフェイとシャルルは、傍から見れば主人と従者と見られてしまう。
そんなフェイの動きに、シャルルは楽しげに笑いながら頭を上げた。
「はは、冗談だってば。うし、それじゃ今度は
「シャルルさん、中部階層で暮らしてるんですか?」
「うん、そうよ。仕事場がそこだっていうのもあるし、
「ほへえ」
フェイはシャルルの話を聞きながら、彼の横に並んで歩く。
見失わぬようシャルルの動きに気を配りつつ、都市風景をフェイは眺めていた。見たことのない形の商品がショーウインドウを飾り、それを楽し気に物色する人の姿。その後ろの舗装路を、二輪車に乗った紳士が駆ける。
帝都を始めとした都市部では
フェイは逸る胸の鼓動を感じながら、フードの下の目を動かしていると、先程の鳥籠と似た形状のものを見つけた。
「シャルルさん、あれも
「ん? ……あぁ、そうそう。あれも
「………あれに乗らないんです?」
フェイ達の行く方向と
「言ったろ、時間かかるって。もうそろそろで夕暮れ時になるし、さっさと降りときたいから、あれは使わんわ。早よ降りれる方法があるからさ、とりあえずこっちこっち」
「は、はあ……」
フェイはちらちらと
二人は、住民や観光客で賑わっていた大通りを離れ、路地裏へ。街灯の数は一気に減り、薄暗さが増し不気味な雰囲気が漂う。
フェイとシャルルは家屋の煉瓦壁に付けられた鉄階段を、カンカンと軽快な靴音を鳴らしながら降りる。
上下に長い都市の構造上か、見渡す家壁のあちこちに鉄階段が取り付けられており、それも生活道路の一つとして使われているようである。
そんなとりとめのないことを考えつつ、フェイは、先に降りていくシャルルの背中を、首を傾げながら見ていた。長く続く階段を使って降りるよりも、
進言しようかと迷っていると、広い踊り場に差し掛かる。すると、シャルルはそこで足を止め、その場にしゃがんだ。
「ど、どうしたんですか?」
「あ、やあ、別に大したことじゃないよっと。……フェイちゃん、ちょっとこっち来て」
ぐっぐっと軽い屈伸運動をしてから、シャルルはちょいちょいと手招きでフェイを呼ぶ。フェイは首をさらに傾けつつも、彼の傍へ寄る。その反応に、シャルルは口をへの字に曲げていた。
「……どうしました?」
「うーん、いやさ、その……。ここで過ごすなかで、人を疑うってのをちょっとは覚えさせた方がいいかなって思ってさ」
「?」
また首を捻ったフェイに、シャルルは溜息を吐いてから「何でもないよ」と告げる。それからにやりとシャルルは笑うと、フェイの体をひょいと肩に担いだ。
「はへ?」
「トランク、しっかり持っといてよ。落としても、拾いに行けないからね」
「え、しゃ、さ、え? ど、どこに?」
フェイが混乱する頭のまま紡ぐ言葉を放って、シャルルは踊り場の柵に足を掛ける。
「あ、口も締めといてな。舌、噛むから」
「まっ」
フェイの口から零れた声は、言葉になる前に消えていった。
シャルルは柵を蹴り、ぴょんと中部階層に向けて飛び降りる。体を襲う浮遊感。口を開いて悲鳴を上げそうになったその時、シャルルはカンッと屋根の上へ着地した。「ぐえ」と腹部の強烈な衝撃に、悲鳴ではなく嗚咽が漏れる。
「ほんと、舌噛むよ」
簡単な忠告と共に、シャルルはその屋根の上を駆けて、別の建築物の屋根へ。そこを渡りきると、一足飛びに排気管へ飛び移る。ぴょんぴょんとタイミングよく跳んで降り、別の家壁に付けられている鉄階段へ降り立つ。
下へ、下へ、下へ。田舎道しか歩いたことのないフェイは、シャルルに落とされないようしがみつくことと、トランクを落としてしまわないようにすることで精いっぱいだ。
そうしてとんでもない移動方法で階層を下ること、数分。シャルルは広い踊り場に着地して、フェイのことを荒れた路面に下ろした。
「大丈夫ぅ、フェイちゃん?」
「は、はひ、何とか……」
フェイ自身は全く動いていないのだが、突然振りかかった恐怖で完全に息が上がってしまっている。そんな彼の様子を、シャルルはけらけらと笑いながら見ていた。
移動方法のせいか、シャルルの外套のフードは完全に外れてしまっており、青みがかった黒髪と黒縁眼鏡の奥の深青色の瞳が、
「こ、こんなに、しゃ、シャルルさん、う、運動神経、よか、良かったですっけ?」
「いや? ……フェイちゃん、これこれ」
シャルルがフードをかぶりながらフェイへ見せたのは、彼の履く革靴。見た目はどこにでもあるような黒一色の革靴だが、くるぶし辺りに透明な水晶が埋められている。あ、とフェイは声を漏らした。
「マギア、ですか」
「そそ」
マギアは、魔術師の扱う道具を示す言葉だ。その形は多岐に渡り、杖や宝石、箒のようなおとぎ話に登場するような魔術師らしいものから、個人のオリジナリティの強い道具まで様々あり、魔術師の扱う魔術の個性に関わっている代物である。
「身体強化の魔術ですか?」
「いんやあ、風魔術をちょこちょこといじってみただけらしいよ。だから、上手くイメージをしないと吹っ飛ぶんだよねえ、文字通り」
「それは……諸刃の剣ですね。というか、シャルルさんのマギアじゃないんですか?」
「違うよ、職場からの支給品」
「……あの、シャルルさん。本格的に私、貴方に手を貸す話を辞退したいのですが」
支給品がある職場は多いだろうが、それが攻防に役立つマギアという時点で嫌な予感しかない。
そろそろと手を挙げるフェイ。そんなフェイに、シャルルはへらへらと変わらぬ軽薄な笑みを見せる。
「大丈夫、大丈夫。──それに、フェイちゃん帰り道、もう分かんないでしょ?」
悪い声でそう言われ、フェイは上を見上げた。もうそこに空は見当たらない。屋根の重なりと鉄階段の重なりによって、完全に人工物しか見えなくなっていた。そのため、
今、己が街のどこに居るのか、位置が全く分からない。闇雲に上がったとしても、ここは入り組んだ迷宮都市。素直に階段の先が上に通じているとは限らない。それより前に、裏世界の住民に手を出される方が早いだろうことは、フェイも容易に考えついた。
シャルルが
「あの時の言葉は、そういう意味でしたか」
「素直が必ずしも良いことじゃない。勉強になったでしょ? 優しいなぁ、僕ってば」
「騙しましたね?」
「言っとくけど、フェイちゃん。ここではね、騙される方が悪いから。ほら、あともうちょいで着くよー」
シャルルは腰のベルトに吊っていたランタンを灯し、続く道を示す。フェイは溜息と共に、己のランタンを点け、その背を追って歩いて行った。
上部階層と中部階層。階層としては一つだけしか変わらないが、街の雰囲気は一気に変わっている。
煤汚れの酷いひび割れた煉瓦壁。踏む度にギシギシ鳴る錆びた階段。遠くから聞こえてくる上部階層でも聞いた賑やかな喧騒には、怒号と罵声、殴打音などが混ざっている。街灯の明かりはとても頼りなく、ゆゆらゆらゆらと揺れていた。
「シャルルさん。その、ほ、本当に大丈夫、なんですよね?」
「平気平気。ほら、こっちだよー」
狭い路地を、シャルルはずんずんと進んで行く。フェイはそれへひたすら追随し、ふとあることに気付いた。
肌に感じる人の気配が、随分と薄まっている。
「……シャルルさん、ここ……」
「あ、気付いた?」
「はい」
結界ですよね、とフェイが問いかけると、ご名答とシャルルは返した。
「ここら辺の結界、自然発生的なもんらしいんだけどね。別に僕らの仲間が作り出したものじゃない。まあ、僕達にとっては有難いもんだから、有効活用させてもらってんのよ」
「自然発生……。ここがたくさんの建物が建ち並んでいる場所だから、ですかね?」
「さぁ? トリッシュ──ええと同僚の子は、フェイちゃんと同じこと言ってたかな。っと、ほら着いたよー」
シャルルは足を止め、フェイは彼の横に並び立つ。そして、眼前の建築物を見やった。
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