第263話 家族の日常


「キスって……お前、まさか俺の事……」

 幼なじみの夏樹……今までずっと一緒だった。

 俺にとって夏樹はライバル、目標、そして妹の様な姉の様な存在、しかし家族同然であって俺に恋愛感情は……今はない。

 でも、夏樹は俺の事を……。


「あーー、それは全然無いね」

 夏樹はあっけらかんとそう言ってのける。


「おい」


「なんかさあ、最近かー君ばっかり先に行ってる気がしてさあ、かー君は私の後ろから追っかけてくれないと調子狂うんだよね」

 手をヒラヒラさせ、からかう様にそう言った。


「今でも追っかけてるよ」

 

「んーーん、後はちょっとだけ、円さんに対しての仕返し、かー君をこんな気持ちにさせてる事への仕返し」

 普段底抜けに明るいいつもの夏樹とは違い、物憂げな表情で俺を見つめる。


「仕返しって……」

 仮にここで俺が夏樹にキスをしたところで、恐らく円はなんとも思わないだろう。

 俺と円の間には信頼とそしてそれと同等な空虚が存在している。


 もしも円が、今別の男と付き合う事になっても……俺は仕方ないと諦める……いや諦めざるを得ない。

 そして円も恐らくそう思っている。


 現状俺も円もお互いの事を一番とは思っていない。

 俺は陸上……円は……。


 しかし、俺も人間だ。

 一番ではなくとも円の事は今でも愛している。


 俺は陸上以外は普通の高校生。

 想いも思い出も持ち合わせている普通の高校男子。


「転校しないのも、体育科に再転科しないのも円さんに対しての気持ちがそうしてるんでしょ」

 俺の考えている事を見透かす様に夏樹は話を続ける。


「……夏樹にはわかっちゃうか」

 

「そりゃね、陸上バカのかー君は目的の為なら手段は選ばないよね」


「バカは余計だよ……まあ、プライドってのもあるけど、ノコノコと戻るのは些か恥ずかしいよなあ、再転科は学校に対して借りを作る事になるし」

 基本的に再転科は出来ない、校則で決まっている訳では無いが今まで前例は無い。

 もしそうなればかなりの特例となる。


「ふふ、まあかなり大変だけど、ただ進級出来れば来年は凄い事になるだろうね、うちの普通科ってのはかなりの箔になるし」


「ははは、まあ、それもある」

 文武両道、一高校生としてこれはかなりプラスの要素だ。そう俺は目立たなければならない。

 マイナー競技の陸上は目立ってなんぼなのだ。


「でも、やっぱり円さんとの思いを捨てたくないのが本音でしょ?」


「……」


「今までやって来た事を捨てたくない……学校を辞めた円さんの思いも受け継ぎたい……それが本音だよね」


「全く、本当、夏樹は全部お見通しか」


「あったり前でしょ」

 夏樹はそう言うと得意気に笑った。


「俺はさ……セシリーと契約したけど……別に円の為に走るわけじゃないんだ。3年後なんて考えてた自分の弱さを甘さを再認識しただけ。来年の世界選手権、そしてその次のオリンピック、2年でやる……いや、やらなきゃいけない」


「決勝だと9秒中盤か、残り1年で少なくともコンマ3秒縮めないとだねえ。、中々の挑戦だよねえ、それじゃ私はそれ以上高く跳ばないとか」


「おい……それって」


「じゃあ来年、私は日本人女子初の2mジャンパーになるよ」

 女子走り高跳びの日本記録は1.96m、日本女子主要種目最古の記録と言われ20年以上破られていない。

 100m9秒台よりも険しい。


「……ふふ、夏樹なら出来る気がするな」


「かー君を側で見るにはそうするしか無いでしょ」


「一緒にやってくれるのか?」


「勿論」

 俺はじっと夏樹を見つめる。

 夏樹も俺をじっと見つめている。


 俺と夏樹の間に独特の空気が流れる。

 円とも違う、妹とも違う空気が。


 恋とか愛じゃない、強いて言えば……戦友。


 そう、俺達はこれから1年かけて世界に足を踏み入れる戦友なのだ。


 あどけない顔のスポーツ少女夏樹、しかしその目は輝きで満ちていた。


 そして俺は思わず……キスしたくなる衝動に駆られる。

 本人がオーケーを出してるのでしても怒られる事は無い。


 何でも悟る夏樹はそんな俺の考えを読んだのか? 俺に身を乗りだしそっと目を瞑った。


 これから一緒に戦う相手との誓いの口付け。


 まるでインフルエンザにでもかかったかのような意味不明な考え、訳のわからない理由。


 俺も身を乗りだしゆっくりと夏樹に顔を近付ける。


 円と最後にしたのはいつだっけ……そんな事を考えたその時。


「お兄ちゃん、なっちゃん夕飯食べ…………」

 訥々に扉が開き妹が登場する。


「う、うわああああああああああ」

 ベタベタな展開に、俺は慌てて夏樹から距離を取る。


「へ、へーーいつの間に」


「ち、違う、こっ、これは?! お、おい夏樹」


「いやあああ、かー君に襲われそうになったああ」

 

「嬉しそうに言うなって襲っねええええええ!」


「へええ、お兄ちゃんに責任取らせないとねえ~~」

 ニヤニヤと笑いながら俺にそう言う妹。


 焦る振りをする俺。

 もう既に興味を失い、雑誌を見ている夏樹。

 いつもの……変わる事の無い、俺達家族の日常だった。




【あとがき】

お詫び


今年中に終わらす予定でしたが、インフルエンザで倒れておりました。

忙しくは無くなりましたが、いまだに咳が止まらず中々書けない状況です。


なんとか来年初頭迄に終わらせて新作を書きたい( ´-`)

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