第259話 見せ続ける。
「翔君ちょっと」
オフシーズンだが練習は毎日やらなければならない。
本日は土曜日なので学校は休みだが練習はある。
休日だけにファンやマスコミは平日のそれよりも多い。
俺は通学路で待ち伏せしているマスコミや校門前にいるファンらに追われながらなんとか学校に到着した。
そのまま練習する為に着替えようとした俺を珍しく朝からグラウンドに居る先生に呼ばれた。
そして恐らく誰にも聞かれないようにと競技場の端に連れていかれると、先生は神妙な面持ちで俺を見つめる。
今日はいつもの能天気な雰囲気は全く無い。
「なんかあったんですか?」
その態度でなんとなく察した俺はそう言うと、その言葉に先生の眉がピクッと動いた。
「そうね、さっき円のマネージャーから連絡が入ったの」
「マネージャー?」
「そう、円のマネージャー、彼女は私の姉なの……腹違いのね」
「……は?」
え? 何その唐突な新事実は?
「今はそんな事どうでもいい、翔君落ち着いて聞いてね、円がイギリスで失踪したらしいの」
戸惑う俺をバッサリと切り捨てる様に彼女は話を続ける。
「……は? 失踪? いやちょっと待って円って確か向こうでデビューするって」
「知ってるの? 円から聞いたの? 今も連絡出来るの?!」
キサラ先生は俺の腕を掴むとそう捲し立てる。
その腕の力にこの話が冗談ではなく本当だと知る。
「いや、こないだ円のマンションで円の母親から直接聞きました」
「そう……連絡は、してないのね?」
「はい」
「それにしては随分落ち着いてるわね、心配じゃないの? 円が失踪したのよ? もしかしたら……とか考えないの?」
キサラ先生は少し怒った様な口調でそう言うと、俺を睨み付ける。
「いや、心配は心配ですけど、もしかしたらってのは絶対無いです」
「言い切れるの?」
「言い切れます!」
俺は先生を真っ直ぐに見つめそう断言する。
「そう…そっか…」
「はい……俺が走り続けている限り……生きている限りそれはあり得ません」
あの北海道の時の円を見た俺にはわかる。
あいつは自分の為に死ぬ事は無い。
俺を残して死ぬ事はあり得ない。
俺は円を愛している。
そして円も俺の事を愛してくれている……それだけは断言できる。
心底愛する者を置いて自分の事だけで死ぬ事なんて絶対にあり得ない。
「とりあえず貴方がそう言うなら信じるしか無いか……それでこれからの話なんだけど」
「これから?」
キサラ先生は冷静に話を続ける。
「今日の夜に円のその話がニュースとして取り上げられる、既に記者が動いているの、白浜縁の件があるからまさに火に油、薪をくべた様な状態になるわ、間違いなくこっちにも火の粉が降りかかる」
「そうですね……」
俺自身も悪い意味では無いがかなり炎上している状態、俺と円が恋人関係だという話も当然表に出るだろう。
「とりあえず、貴方は一度家に帰りなさい、流石に貴方の家にまで押し掛ける事は無いと思うけど」
「先生は?」
「私は学校側に相談しないといけないから」
「そうですね」
練習できる環境じゃない、かといって学校以外練習できる場所なんてない。
練習場難民状態。
マイナースポーツなだけにいままでこんな状況になった事がない。
俺がその場を立ち去ろうとしたその時後ろから先生が呟く様に言った。
「それと……」
俺が振り向くと彼女は更に真剣な顔で俺を見ながら言った。
「はい」
「多分円は貴方をずっと見続けている筈、どこに居てもどんな手段を使ってでも、だから貴方は円に見せつけなさい……貴方の走りを、生き様を」
彼女はそう言うと寂しそうに笑った。
そしてそのキサラ先生の目を表情を見た時俺は悟った。
彼女は円を愛していると……ただ、俺とは……違う、愛し方だと俺は何故かそう思った。
俺は何も言わずに頷くと、着替える事なく学校を後にした。
とりあえず頭の中で家の中で出来る練習メニューを作り上げた俺は、帰りなが今の状況を考える。
一応オフシーズンな為に走り込みよりも筋トレメインなのでなんとかなるが、それを何日もかける」わけにはいかない。
「イギリスか……」
恐らく円は誰も自分の事を知らない街でなにかをやりたかったのではないだろうか?
いや違う……あいつはそんないい加減な事はしない。
仕事を放棄してでもその場を後にしなければならない事情があったのだ。
仕事からも、俺からも、日本からも逃げなきゃいけない事情とは……。
そして俺の中でキサラ先生の言葉が過る。
円に見せ続ける……どこに居ても、どこの国に居てもわかる程に。
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