第253話 円の母親とイギリス


 目の前にいるのは恐らく妙齢の女性だ。

 その顔にも見覚えがある。

 その裸体の女性を前にして俺は身動きが取れなくなっている。


 恐らくと言ったのは、その見た目と円の年齢から考えてそれくらいの年なのだろうと思ったからだ。


 妙齢とは女盛り、若い年頃という意味で使われるが、最近では垢抜けた中年女性という意味でも使われている。


 見た目は20台、それも前半じゃないか? って位若々しく見えるが、円の年から推測すると中年に近いだろうと思われるのであえて妙齢と言っておく。

 

 彼女の事はテレビでは何度か見ていた。

 そして事故の時、弁護士と共に病院にも来ていた事を今でも覚えている。


 テレビではメイクアップされた姿、そして病院の時はサングラスに帽子姿だったので、年齢はよくわからなかった。


 今は恐らくスッピンだ、だがメイクされている時よりも、全然若く見える。


 そして、その美しい貌から放たれるオーラに、俺は何も言えずにただただその場に立ち尽くしていた。


「ちょ、ちょっとオバサン誰?」

 そんな俺とは違い、同じ女性だからか夏樹は躊躇する事なく彼女に向かってそう言った。


「ふ、あははははは、私を知らないって? どこの田舎娘よあんた」


「あ、なんか有名人なんだ、ごめんね、私、おばさんと違って都会に住む最近の若者なんでネットばかりでテレビとか見ないの」


「あら、まあそうなの、そんな可哀想な位の貧相な身体と顔立ちだから、どこの田舎娘かと思っちゃったわよ」


「そっかなあ? おばさんみたいな出っ張ったお腹してないけどねえ」

 夏樹はそう言いながら細く括れた自分のお腹をポンポンと叩く。

 いや、円の母親も年齢の割には相当だけど、夏樹の引き締まったお腹を前にしちゃ誰もが太って見えてしまう。


「ふん、失礼な小娘ね、そもそもあんた達、不法侵入よ」


「えーー残念、家主には許可も鍵も得てますけど」


「今の家主は私よ、ってそっか、あんた見覚えあるって思ったら、事故ん時の子供ね、ああ、つまりは円の男ね」

 彼女は夏樹から俺に視線を移す。

 俺を子供と見てるのか? 男と思って無いのか? 裸体を一切隠そうともせずに俺を睨み付けそう言った。

「まあ……はい……と、とりあえずなんか着て貰って良いですか?」

 俺はようやく口を開きし、彼女にそう進言した。


「あら、そうね……」

 今まで自分が裸だった事に気付いていないかの様に、彼女は自身の姿を見ると照れる事も隠す事も無く、モデルの様に歩きバスルームに戻って行く。


「かー君、どういう事? あれって誰?」

 夏樹は彼女がバスルームに入ったのを見ると直ぐに俺にそう聞いてきた。


「いやいや、本当に知らなかったのか、円の母親だよ、女優の白浜縁だよ、かなりな有名人だよ」

 しかも今話題の渦中にいる。


「へえ、そうなんだ」

 負けず嫌いの夏樹だから知らない振りをしているのかと思ったが、どうやら本当に知らなかったらしい。


「よく普通に喋れたな……」


「なんでよ?」


「いや、まあ」


「何? かー君、おばさんの裸に興奮してたの?」


「し、してねえ」


「どうだか」

 ジトっとした目で俺を睨む夏樹。


「そもそもよく年齢が分かったな? 俺は一瞬、円の姉さんかなんかだと思ったぞ」

 

「まあ、首と手を見ればわかるよ」

 

「そうなのか? ……で、このように後どうするよ」


「どうするって、このまま帰るわけにはいかないでしょ?」


「いや、まあそうだよな」

 俺はため息と共に一人言の様にそう呟いた。

 あの病院での印象から、もうトラウマ並みに苦手意識が染み付いている。


「とりあえず円さんはここに居ないって事だね」

 夏樹にそう言われ俺は内心ホッとしてしまう。


「とりあえず……リビングで待とう」

 俺は夏樹にそう言うとリビングに向かった。



 そして待つこと30分、リビングの扉が開くとようやくバスルーム姿の白浜縁が姿を表す。

 白浜縁は、持っていたワインとグラスをテーブルに置くと、俺達の正面に座った。


 そして、ワインをグラスに注ぐと、白いバスルームからすらりと伸びた足を組み、ソファーに寝そべる様に座った。

 彼女は持っていたグラスをくるくると何度か回すと、一気に飲み干した。

「それで、円なら居ないわよ」


「あ、はい……ちょっと荷物を取りに来ただけで」


「じゃあ、とっとと持って帰んなさい」

 彼女はそう言うと彼女は再びグラスにワインを注ぐ。

 銘柄とかは知らないが恐らく滅茶苦茶高いワインだろう。

 それを水の様にグビグビと飲み干す。


「円さんは今どこに居るんです?」

 俺が喋るのを躊躇しているので、その代わりに夏樹が彼女にそう聞いた。


「あら、円の男の癖に知らないの?」

 その言葉に彼女は半笑いで俺を見ながらそう言う。


「……まあ、はい」


「あははは、あの子も清純な振りして、所詮そう言う付き合いなのねえ、こんなマンション買って結局やり部屋に使ってたって事か」

 

「や、やり部屋って、ここではやってねえ」


「──ここでは?」

 その答えに夏樹が俺を睨む。


「あ、いや……ここは俺と円の勉強部屋です! っていうか今の家主は貴女ってどういう事ですか?」


「ふん、決まってるじゃない、高校生がマンションなんてポンポン買えるわけないでしょ? そもそもお金だってそう、全部親である私が管理してるのよ、まあ、あの子が自分で稼いだお金だし自由に使える様にはしてるけど」

 こういう時だけ親面を見せる彼女に、俺は苛立ちを隠せないでいた。

 

「……と、とにかく円は一体どこへ行ったんですか」

 俺は誤魔化す様に再度白浜縁を見つめる。

 その白いバスローブから見える胸元と、組んだ足の奥からチラチラと見える物に思わず目を反らしたくなる。


「円ねえ、教えた所でどうするの?」


「知ってるんですか?」


「まあ、知ってはいるわね」


「それは」


「イギリスよ」


「イギリス?」


「そ、そこで歌手を、グループでやらせるのよ、まあ、アイドルグループのイギリス版ね、準備が整い次第私も行く事になってるのよ」

 白浜縁はそう言うと、さらにワインを煽った。


「イギリス……に」


「準備が整ったら退学届けを出す事になってるわ、当分日本にも帰らない……これでいい? じゃあ、荷物でも何でも持って、さっさと帰って頂戴」

 彼女はそう言うとフラフラしながら立ち上がり、リビングの扉を開けると俺達を追い出した。


 イギリス……退学届け。

 俺の頭の中はその言葉で埋め尽くされた。


 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る