第221話 宮古島合宿3日目その3(昨夜の顛末)


 少し遅い朝ごはんを円と二人で食べる。

 今日も変わらずメイドさんがせっせと給仕してくれている。


 聞けばなんでも答えてくれるがあちらからは一切話しては来ない。

 謎のメイドさんだ。


 プライベートを重視しているってことなのだろうか?


 俺はモフカフカの高級食パンを手に取りがぶりと一口齧ると正面に座る円をそっと見つめた。


 円は相変わらず姿勢正しく美しい所作でナイフとフォークを使い、ベーコンを小さく切ると口に運んだ。


 そのピンクの可愛らしい口に、細長く切られた赤いベーコンが入っていくのを見て俺は思わず持っていたパンを落としそうになる。


「食べないの?」

 数回の咀嚼の後、俺の視線に気付いた円は、口をナプキンで押さえながらそう言う。

 

「いや……」

 昨晩……あんなことがあったのに、あっけらかんとした円の表情に俺は戸惑ってしまう。


 昨晩の、いや……さっきのあれは夢だったのかと……円の素振りに俺はほっぺをつねりたくなる。


 ひょっとしたら……俺は事故に遭った後、ずっと昏睡し、今も病院のベッドで眠り続けているのかも? と、夢落ち的なことまで想像してしまう。


 そんな三流作家が書く小説のような事まで思ってしまう程、今置かれている状況は現実離れしていると言わざるを得ない。


 そもそもこんな超絶美少女と離島に二人きりでいること自体、俺にとってはあり得ないことなのだ。


 俺は再びパンをモソモソと食べつつ、そんなことを考えていた。


 それにしても円って……本当に俺のことが好きなんだろうか?


 いや、嫌いじゃないのはわかっている、そこまで自信が無いわけじゃない。

 昨晩も円は俺にそう言っていた。


 ひょっとしたら……可愛そうな俺に慈悲を与えてくれたんじゃないだろか?

 


 しかし、いくら言われても俺と円の根本的な格差は縮まらない。

 俺は王女様に惚れてしまった平民なのだ。

 

 それでも、それがわかっていても……俺には円しかいない。

 

 

 俺はエッグベネディクトを慣れない手つきで切り、フォークに刺してポロポロと皿にこぼしつつ口に運びながら……夕べのことをぼんやりと思い出していた。



♡♡♡



 俺達は午後にホテルのプールに入った。

 青々とした15mくらいのプール、勿論水泳の競技としては少し狭いが、家族やカップルで貸しきるには十分な大きさだ。


 午後はプールでのトレーニングを行う。


 沖縄の日光に照らされたプールは温水といっても良いくらい生暖かい。

 

 人間というのは体温を維持しないと生きていけない。

 冷たい水の中に浸かると著しく体温を奪われてしまう。


 その中でも体温を維持する為、身体は自動的に体温調整をする。


 これはダイエットとしては効果的なのだが、俺達アスリートとしては無駄に体力を消耗する為、あまり歓迎出来ない。


 よく冬に暖かい国に行きトレーニングするのもそう言った理由の一つだ。


 膝に爆弾を抱えている俺は、これから先一生こいつと付き合わなければいけない。

 優しすぎても駄目、厳しすぎても駄目、子供に教育するかのように鍛えなければならないのだ。


 午前中膝にかなり負担をかけた。しかし身体的にはまだまだ行けるので午後はプールにてトレーニングを開始する。


 といっても歩いたり潜ったり太ももを上げたりといった単純な動きをプールの中で行うだけ。

 しかし水の抵抗によりかなりの運動量に匹敵する。


 問題は旗から見ると怪しい人なのでこういった貸し切りのプールじゃないとなかなか出来ない。


 ちなみに円はプールサイドに腰掛け、足湯のように水に足だけ入れてこっちを見ていた。

 ほんのり赤く染まった円の顔、そして水面の光に照らされキラキラと全身が輝いていた。


 ただ、なんだろうか? 円の表情がどこか浮かないように感じる。

 何か緊張しているような……そんな空気が伝わる。


 まるで陸上のスタート前のような雰囲気だ。

 もしかしたら……何かがある……のかも知れない。


 円の様子にそんな気がしていた。


 そしてそれは現実のものとなる。 

 



 午後の練習を終え、シャワーを浴び食事をする。


 昨日に続き無国籍料理を円と二人で食べた。

 ゆっくりと沈む夕日を見つつ、何故か殆んど無言で食事を終えそのままそれぞれの部屋に戻った。


 あまりの景色の良さに食事中殆んど何も話さなかったが、沖縄特有のゆったりとした時間の為にあまり気にならなかった。


 俺は部屋に戻りベッドに寝転ぶと、朝の景色を思い出す。


 青い海に佇む円をまた思い浮かべてしまう。

 今日1日あの景色が頭から離れない。


 練習中もずっと頭の中であの景色と円が何度も浮かび上がる。


 駄目だ……このままじゃ……。


 円の部屋に行こうとしている自分を押さえるように俺は服を脱ぎ捨て布団に潜りこんだ。


 このまま寝てしまおう……朝になれば……きっと落ち着く。


 そう思い俺はそのまま目を瞑った。



 トレーニングの疲れに身を委ね眠りについていると………………「翔君……」

 

 その吐息のような言葉が耳に届く……俺は夢の中にいる感覚で目を開ける。


 ベッドで寝ている俺の隣に……円が寄り添うように寝ながらこっちを見ている。


 円の甘い香り、甘い香水のような香りが俺の鼻孔を、そして心を擽る。


 あの17エンドで見た天使のような光景が、そして海岸で、プールで見た水着姿が今の円と重なる。


 もうずっと限界だった。

 もう閾値はとっくに超えていた。


「ま、円!」

 うるうるとした瞳で俺をじっと見ている円に俺は思わず抱き付きそして……貪るようにキスをした。


 俺の突然の行動に円は一瞬だけ驚き、さらに抵抗したように感じた……でも直ぐに俺の首に腕を巻き付けてくる。

 俺はそのまま円の身体に手を伸ばした。



♡♡♡


 必死だった事しか覚えていない。

 でもそんな時でも頭の片隅ではどこか冷静だった。

 円と抱き合いながら俺はずっと思っていた。

 事故に責任を感じた天使が俺に同情して自らの羽を切り捨て、俺に身を委ねているのだろうかって……ずっとそう思ってしまっていた。


 ……そんな思いのまま俺は円と一つになり……そして朝を迎えることになった。



 少し遅い朝食、円はいつも通りに戻っている。

 昨日のことは今朝のことは無かったかのように振る舞う円を見て……俺はやはり夢でも見ていたのだろうか? と、そんな気持ちになってしまう。


 それとも円にとって、あれはなんでも無いことだったのだろうか?


 高校2年……決して早くはない……こんな経験をしている奴は恐らく沢山いるだろう。

 今では、たいした事では無い……のかも知れない。

 皆やっていること……人類が今日まで繁栄してきたのだから……。


 

 でも俺はやはりわからない、円とこうなってもやはりわからないでいた。


 知りたい……円の気持ちを……本当の気持ちを……俺は知りたかったのだ。

 俺と円はいまだに同情と恋の狭間にいる。

 円との関係が深まれば深まる程、その事が頭に浮かぶ。


 俺達は……その事からこの先絶対に逃れられない……。


 俺はこの先ずっと……円といる限りそれを背負い続ける事になる。


 円といる限り……永遠に……。


 


 

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