第178話 最後の夏へ
「初瀬川さん一次コールのチェックはしておきました、松本さん最終コールの時間です、頑張って下さい」
インターハイ最終予選の関東大会、円は周囲にバレないよういつものように変装をし、マネージャーとして参加していた。
もうすっかりマネージャー業が板についている。
たった1ヶ月足らずで完璧にマネージャー業務をこなす円。
やはり身近でプロのマネージャーを見ていたからなのだろうか? 小さな頃からマネージャーという職業と接していた円の生活の一端が垣間見られる。
ちなみに円の言っているコールというものは何かというと、大会において選手が出場する際事前に召集があり、参加人数、出場の確認の為に名簿にチェックを入れる一次コール、ゼッケンや選手を確認する最終コールの事である。
1次コールは名簿にチェックを入れるだけだが、最終コールはユニフォームに着けているゼッケンを選手が直接見せにいかなくてはならない。
どちらも漏れると、どんなに有名な選手でも出場出来なくなるのでうっかり
は許されないのだ。
地方の大会であろうとオリンピックであろうとそれは一緒。
陸上は個人競技なので各々がタイムテーブルを確認しウォーミングアップをするのだが、中にはアップに夢中になったり、トイレ等で遅れ出場出来なくななる事もまま見受けられる。
そうならないように選手同士で確認したり、下級生や出場しない者がマネージャーの代わりに声をかけたり1次コールのチェックをしたりする。(1次コールは本人じゃなくても良い(場合もある?))
なるべく目立たないように円は会場のスタンド内でいつの間にか覚えたのだろうか? 部員の名前を間違える事なくコールの時間や記録、予選通過等の結果を伝えていた。
初め円は大会には参加しない事になっていた。
円とバレると周囲に人が集まってしまい、出場選手に影響が出かねないと懸念されたからだ。
現に円は関東大会の予選会には参加しなかった。
しかしこの関東大会本選にはとある事情から参加とあいなった。
そのとある事情、それは会長の不調だ。
今のところ学校唯一の全国出場者、春先には非公式だが去年の全国決勝進出者と同タイムで走っていた。
しかし……余裕と思われた関東の予選会では、1次予選で3着、かろうじてタイムで救われるものの、準決勝、決勝とも精彩を欠きギリギリでの予選通過となった。
そして関東大会、またしても会長は一次予選で3着だった。
準決勝進出は各組み2着プラスタイムで上位2名で、先ほどそのプラス2でのタイムで救われ準決勝進出が決まった。
またしてもギリギリでの準決勝進出、その原因は明らかだった。
極度の出遅れ、スタートの反応スピードは1秒以上遅れていた。
そして準決勝、やはりスタートが遅れるが、いつもの後半の伸びで挽回した会長はなんとか決勝進出となったが、決勝進出者の中では最低のタイムとなっていた。
俺はマネージャーの仕事が一段落ついた後、円を連れてサブトラックにおもむく。
やはり決勝進出者は会長だけとなった。
世界大会等を開催出来るような大きな陸上競技場には大抵サブトラックが付帯している。
長距離の選手は外を走ってウォーミングアップする事が多いが、短距離の選手はスタート練習やスパイクを履いてウォーミングアップをする事が多い為に、トラックと同じ素材で出来ているサブトラックでウォーミングアップする事が多い。
「いっぷす?」
「かも知れない……」
サブトラックで一心不乱にスタート練習をしている会長を円と二人で見に来ていた。
いつも周囲を気にしている会長だが今は部員を気にするどころでは無い様子。
会長の横には灯ちゃんが付き添っている。
1年唯一の関東大会出場を決めた灯ちゃんだがやはり2年3年生の壁は厚く予選敗退となってしまった。
「いっぷすって野球選手とかなったりする?」
「あ、うん」
野球選手だけでは無いが、円が野球選手と発すると頭にふとあいつの顔が浮かんでくる。
いや、今はそんな場合ではないと俺は気を取り直し説明を続ける。
「局所性(職業性)ジストニアが正式名称で運動機能の障害で、一連の動きが停止してしまったりするんだけど、症状は競技や人によって全く違うので、詳しくはあまりよくわかっていない、だから会長のスタートの出遅れがそうだとは断言出来ないんだけど……」
「もしそのいっぷすだとしたら、会長は治るの?」
「わからない、ずっと精神的な疾患とされてたけど、最近は違うって研究結果も出てるし、どっちにしろ確実な治療法はまだ無い」
「そんな……」
円は顔に手を添え心配そうに会長を見つめる。
そんな俺たちに気付く事なく練習を繰り返す会長と灯ちゃん。
灯ちゃんは予選敗退で多分泣きたいし落ち込みたいだろうが、今はそれどころでは無いと健気にも会長の練習にずっと付き合っていた。
「灯もう一度」
「お姉ちゃんそろそろ止めないと」
「まだ、まだ駄目……こんなんじゃ勝てない!」
「で、でも」
必死の形相の会長、こんな表情をした会長は今まで見た事がない。
「良いから早く!」
「う、うん……じゃ、じゃあ行くよ、用意……はい!」
灯ちゃんの掛け声でスタート練習を繰り返す会長。
灯ちゃんは何度も会長を止めるべく説得を続けるが、会長は頑として受け付けず、全力でスタート練習を繰り返す。
まだそこまで暑くはないのに、全身汗びっしょりの会長、さすがに限界だと悟った俺はゆっくりと二人の元に近付いた。
「せ、先輩」
灯ちゃんは俺を見るとホッとした表情に変わる。
それに対して会長は何しに来たと言わんばかりの表情だ。
「そろそろコールの準備をしないと」
「まだ時間はあるわ、良いからほっておいて」
「それ以上やっても無意味ですよ」
「う、うるさい!」
会長が俺に向かって大声をあげた。周囲がこっちに注目する。
そんな事はわかっている、会長はそんな表情で俺を睨み付けた。
俺は周囲にも灯ちゃんにも円にも構わず会長を見つめる。
そして……俺は会長の腕を強く掴んだ。
「ちょ、ちょっと、い、痛い!」
今ままではこんな事出来なかった、そんな事を思いながら会長に構う事なくずるずるとひ引きずるように会長を引っ張り、サブトラックの外に連れ出す。
そして、人気の無い階段下まで会長を連れていく。
「な、何をするのよ!」
「いい加減にしとけ」
「うるさい! こ、ここで勝たないと……」
「来年大幅に予算縮小、そして競技場をサッカー部辺りに引き渡すって奴か」
「し、知ってたの」
「まあ、顧問は知り合いだからね」
「じゃあわかってるでしょ?! 今年なの、この大会を乗り切れば、灯が来年から活躍する、だから、だから勝たないと、絶対に」
「まだ国体があるだろ? 駅伝だってチャスはあるし」
「無理よ、国体は学校名が全面に出ないし、それに予選で圧倒的な成績を出さないと選出されない」
「少年Bで灯ちゃんがA基準突破してるだろ?」
インターハイと違い国体は年齢で区分される。
そして代表は各都道府県から選出される。
「足りないわ……全然……」
「俺が出れば? そもそも俺のせいだろ?」
「……無理よ」
「……」
「わかってる……皆わかってる……貴方は走りきれない、100mを全力でなんて無理だって事は……ご、ごめんなさい」
そんな悲しそうな顔で俯く会長に俺はそっと近づくと、彼女の耳元でとある事を呟く。
「え?」
驚きの表情で顔を上げ俺を見る会長。
俺はニヤリと笑った。
そして左足をパンっと一度叩く。
「それが貴方の……答えなの?」
俺はゆっくりと頷く。
「会長には言っておかないとね、あと皆には、特に円には内緒で頼む」
俺は片目をつむり人差し指を口に当てそう言った。
会長はしばらく呆気に取られていたが、突然ホッとした表情に変わるとさっきまでとは一転ケラケラと笑い始める。
「ふーーん、そっか……そう来たか、あははははは、そっか、うん、あははは、なんか吹っ切れた、でも本当にそんな事が出来るの?」
「まあ、自信はあるよ」
「そっか……でも白浜さんの為にってのが癪にさわるけど、まあそうなんでしょうね」
「ああ、絶対にやらなきゃいけないんだ」
「そう……ね……うん、そっかそっか、じゃあ私が今回駄目でもまだチャンスはあるって事ね……」
「ああ、でもさっき言った通り成績優秀者が必ずしも選ばれるわけじゃないし、それに自信はあっても初めての事だから、あまりプレッシャーはかけて欲しくないかな?」
「そうね……じゃあ……やっぱりここで決めないとか……うん、そうね、じゃあサクッと決めて来るかな」
会長は再び真剣な表情で俺を見つめてそう言うと、俺の肩をポンポンと二度叩き、俺の横を歩いて行く。
「確か負けたらなんでも言うことを聞いてくれるのよね?」
「あ、ああ」
「そっかそっか、じゃあもしも負けたら、夏休みは二人きりの沖縄合宿でいいかしら?」
「え!? あ、ああ……」
「あははは、じゃあ……負けてもいいかな……」
会長はこっちを見る事なくそう言うとスキップするかの様にカチャカチャを音を立てサブトラックに戻って行った。
あ! や、やべえ、スパイク履いたまま連れてきちゃった。
そして決勝、会長のスタートは見事に決まり、自己新記録を更新、着順は2位となりインターハイ出場を決めた。
ゴールする会長を見てホットすると共に、ほんの少しだけ、ほんの少しだけ俺の中でがっかりした気持ち芽生えたが、なんとか隣の円には悟られずに済んだ……。
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