第176話 お約束も気がつかない程に……


「な、何をですか?!」

 俺は思わずそう聞いた。

 そんな聞き方じゃあ雰囲気も何もあったもんじゃないのは理解している。


 でも……わからないんだから仕方ない。


 俺がそう聞くと円は頬に両手を当て、真っ赤な顔で恥ずかしそうに言った。


「あ、あのね、私にもその、マッサージをして欲しいの」


「……え?」


「あ、あのね、か、翔君のマッサージって凄く気持ちいいってね、部内で噂になってて、あ、でも別に気持ちよくなりたいからじゃなくて、その、そういうのも覚えれば翔君にしてあげられるからって……ど、どうしたの?!」

 円のその台詞を聞いて、俺はその場に崩れ落ちた。


「いや、うん、そうだよね……」

 俺はバカか? こんなのちょっと考えればわかる事じゃないか? 今このシーンだけを切り取って、俺たちの事を知らない人に見せたって10人が10人違うやろ! って答えると思う。


「え、えっと何が?」


「ううんなんでも無い……」

 ここに来て俺は完全に自覚した。

 俺は円に対してそういう願望があるって事に……。


 そして多分今ここで、俺のこの想いを……願望を円に伝えれば、円は喜んで俺に全てを捧げてくれるかも知れない。

 でも駄目だ、駄目なんだ……そんな情けない理由でなんて駄目なんだ。


「だ、大丈夫?」


「ああ、うん……マッサージね、うん、そうだね……」

 俺はよろよろと立ち上がりフラフラとリビングのソファーに腰掛けると円を手招きした。


 円は嬉しそうな顔で俺の隣にちょこんと座る。

 かわいすぎんだろおおおおお、こんなの誰だって勘違いすんだろおおおお!

 って心の叫びを抑え、俺は少し斜めに座ると円に対峙する。


 風呂上がりの円は今までも時々見てきた。

 アイドル、超人気タレント、マジものの可愛さなんだよ。

 今まで学園のアイドルとか、地元のアイドルとか、夏樹や会長や灯ちゃん、ついでに妹、そんな可愛い女子をずっと見てきた。

 美人や可愛さには慣れている。

 ついでに言うと、その娘達は水着姿同然のユニフォーム姿で扇情的に見せつけてくる。

 だから、正直今までこんな気持ちになった事無かった。

 俺が、マッサージするのに緊張するなんて、こんなに手汗が出るなんて……今まで無かった。


「と、とりあえず手を……」

 そう言うと円はなんの疑いもなく俺に手を差し出す。

 俺はズボンで手のひらを拭うと、円の手をそっと握る。


 介助がなくなったので久しぶりに円の手を握った。

 柔らかくてひんやりとした手、俺はその愛らしい手を軽く掴むと、まず手のひらを軽く押した。


「ん……」

 俺が円の手を軽く押すと、円はため息とも思える小さな声をあげた。


「うわわわわわわわわわ!」


「え? ど、どうしたの?」

 

「へ、変な声出さないで」


「だ、出してないよーー?」


「出したって!」


「あ……へええ」


「な、なに?」


「ううん、じゃあはい?!」

 円は俺の変な態度を気にする事なく再度手を差し出してくる。

 俺は一度深呼吸すると気を取り直し、もう一度円の手のひらを軽く押す。


「ん、あ、あん、はあ」


「ぎゃあああああああああああああ!」


「あん! もう終わり?」


「わざとだ、絶対にわざとだああ!」


「てへ」

 俺はおもいっきりソファーから滑り落ち仰向けの状態で円を指差し猛烈に抗議するも、円はてへっと舌をペロリと出し悪びれる様子もなく笑いながらソファーの上から俺を見下ろす。


 やられた……そう思い円を見上げる。

 そう言えば……円はバスタオルを巻いただけだった。


 円の白い太ももが輝いて見える……そして……その奥には……。


「どこ見てるの?」


「え? い、いや、その……」


「翔君ってさ、足フェチ?」


「え?!」


「灯ちゃんがマッサージしてって言った時、なんか嬉しそうに足見てたし」


「いや、えっと」


「わたしのも見たい?」


「いや、えっと」


「見たくないの?」


「……み、見たい……かも?」

 

「……じゃあ、見ていいよ」

 円はそう言って立ち上がると、俺の目の前でバスタオルをパサリと床に落とす。


「うわわわわわわわわわ……わ?」

 円のあられもない姿がって、あれ?


「どう? 似合う?」

 円は水着を着ていた、いや違う、胸のところに見覚えのある文字が……。


「えっと……ユニフォーム?」


「そう、今日来たの~~」

 円は学校名入りの正式な陸上部のユニフォームを着ていた。

 しかも短距離用の水着タイプのユニフォームだ。


 円は嬉しそうにくるりとその場で一回りして、その姿を俺に見せつける。


 その姿には慣れている筈なのに、見飽きている筈なのに、俺は……円から目が離せなかった。

 一秒でも長く見続けたいって思ってしまった。


「……」

 言葉が出なかった、綺麗、美しい、かわいい、似合ってる……どの言葉も陳腐に思えてしまう。


 衝撃的だった……。

 沖縄でユニフォームに似たような水着姿に衝撃を受けたが、その比じゃない。


「翔君?」

 黙って見続ける俺に不安を感じたのか、円が神妙な面持ちで俺に近づく。


 俺は思わず円の手を取ると、円を強引に引き寄せ……そして……そのまま抱き締めた。


「か、翔君?!」

 嫌がる事は無かったが、それでも驚きの声で俺の名前を呼ぶ。

 でも俺はそのまま円を抱き締め続けた。

 これ以上見続けたら、どうにかなってしまうから……。

 

 今はまだ……そう思い円をずっと抱き締め続けた。

 

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