第174話 只野如子の疑惑


「じゃあ只野さん記録会は1時間後からになりますので」


「はい……」

 目の前に白浜円がいる。あのまるちゃんと同じ高校そして同じ部活内でこうして普通に話をしている事がいまだに信じられない。


 彼女はまるでスポーツショップのパンフレットのようにトレーニングウェアを着こなし、モデルのように歩いて行く。

 

 そしてその横をスポーツカー、いやスーパーカーが走り去る。

 そんな現実とは思えない光景に……毎日夢を見ているようなそんな気がしていた。



 以前見た、都内の街中を平らで真っ赤な車が颯爽と走っていくのを。


 外国の車、野球選手や会社の社長、最近だとユウチュウバーなんかが乗っているイメージ。羽を付けたら空を飛んで行きそうなそんな車だ。


 実際乗った事はない、一般道路なので速く走ってる所を見たわけでもない。

 車の名前も、どこの国かも、何キロで走るかも知らない。知っていた所でそれがどれくらい凄いかわからない。


 ただ他の車とは違うって事は直ぐにわかる。ゆっくりと走っていても速いだろうって事はわかる。


 そう……さっき言ったスーパーカーが目の前を走り去るというのはあくまでも比喩だ。


 今、私の目の前をそのスーパーカー宮園翔が通り過ぎていく。

 ここに来て今日初めて彼の走る姿を見た。

 手術後ようやく走れるようになったらしい。


 悔しいけど、格好いい……美しいフォーム、流れるような足の運び、体重を感じさせない彼独特の走り方。


 スーパーカーのような彼の走りに私は思わず見とれてしまった。


「うううう、たらしの癖に……」

 私はその場で地団駄を踏む。彼の走りに見とれてしまった自分が悔しくて……。


 ふと気が付くと周囲の誰しもが彼を見ている。彼の走りに皆の手が止まり足が止まる。

 彼のゆっくりとそして颯爽として走る姿に誰しも釘付けになる。


 それだけ凄い選手だったのに、何故……私の中で再び悔しさが沸き起こる。


「駄目だ、何見とれてるんだ」

 私はそう口に出し自分に渇を入れる。

 あいつは駄目な奴なんだとそう自分に言い聞かせる。

 

 でも、いくらそう言っても、いくらそう思っても……彼の走りから目が離せない。

 

 ずっと憧れていた……そう簡単には嫌いになれない。

 

 彼は特別だから……私と違って特別な人。


 ジョギング程度のスピードで走っても、その才能がわかってしまう。 

 これをオーラと言うのだろうか?


 そう言えば野球好きのお父さんが言っていた。

 中学時代、同級生だった選手を見て野球を諦めたって。

 それもプレイをみる前にその違いに愕然としたと言っていた。


 ユニフォームの着こなしとキャッチボールの姿、それだけでわかってしまったって。

 そんな馬鹿なって、私はその時そう思った。


 でも今ならわかる……明らかな才能を……彼から感じてしまう。


 でも……どんなに速い車も、故障してたら走らない。

 あの人の才能は走る為にある。速く走らなければなんの意味も無い。


 

 宮園翔はゆっくりと走るスピードを落とし、そして走るのと同等な綺麗なフォームでトラック内の芝生の上を暫く歩き、いつもストレッチをする場所に座る。

 可愛らしい顔から滴り落ちる汗が日に照らされキラキラと光輝く。

 

 ひょっとしたら……違うのかも。

 純粋、ひた向き、実直……彼の走る姿から伝わってくる言葉。

 昔と変わらないその姿を見て思った。

 噂で聞いた事は違うのかもって。


 人の噂なんていい加減な物事ばかり、幽霊と一緒。

 だから私は実際に見た物しか信じない。

 

 今の彼は、小学生の時と同じ顔をしていた。

 走る事を、走れる事を心の底から楽しんでいる……そんな顔をしていた。


 話しかけてみようか……。

 私の中でそんな気持ちが芽生えてくる。

 もしかしたら……ってそう思えてくる。


 私は勇気を振り絞り、憧れだった宮園 翔に近付こうとしたその時……。


「お疲れさまーー」

 そう言って笑顔の白浜 円が彼にタオルとスポーツドリンクを手渡す。

 誰にも見せたことの無い笑顔、テレビでもあんな笑顔見た事がない。


「あ、ありがとう」

 彼は少し照れながら白浜 円からそれを受けとる。

 そしてそのまま二人並んで芝生に座った。


 なんて……絵になる姿なんだろうか……私はその場で立ち止まり二人をじっと見つめた。

 人気美少女タレントと天才ランナー、共に才能を持つ二人……天から選ばれたカップル。


 私なんかが入って行ける空気では無い。

 やっぱり噂は本当なのか? 

 白浜 円と宮園 翔の噂……。


 だとしたら、やっぱりあいつはたらしだ。

 

 その証拠が二人の間に入ってくる。


「せんぱーーい、ちょっと足の張りが取れないんですけどお、今晩マッサージして貰えませんかあ?」

 同級生で会長の妹の袴田 灯が二人から放たれる空気に負ける事なく近付くと、白浜 円を完全に無視して彼にそう言った。


「えっと……えーー」

 彼はきっぱりと断る事もなく、何か少し嬉しそうな顔で彼女の綺麗な足を見つめている。


「灯さん、翔君は今、マネージャーじゃ無いから」

 

「えーーでも円せんぱいは出来ませんよね?」


「マッサージは別にマネージャーの仕事っていうわけじゃ」


「じゃあ翔先輩にお願いしても問題無いですよね?」


「そ、それは……」

 しまったという顔をした白浜 円は、さっきの顔とは一転鬼の形相で彼の方を見るや口パクで何かを伝えている。


 それを見た彼は少し残念そうに「あーーごめんまた今度ね」と、灯に向かってそう言った。

 そして、それを見た白浜円は彼の脇を強くツネる。


「……イチャイチャしやがって……」

 やっぱり宮園 翔は最低な男だ。

 女にだらしない、あんな奴憧れでもなんでもないと、私はそう確信した。

 

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