第155話 私はようやく気が付いた
「それで、結局この話し合いの意味って何?」
お風呂から上がりもう一度彼女の部屋で彼女と対峙する。
しかしもうお互いわかり合う事は無いだろうと私は判断し彼女に向かってそう言った。
「そうね、まあ、宣戦布告かな?」
「そう」
「貴女のやり方は危険すぎる」
「危険って」
「貴女はね、責任の意味を履き違えてる。自分の命で責任を取ろうってそれで済むと思ってる。バカ言わないで、そんなので責任が取れるなんて思わないで、かーくんの命はそんなに安くない」
「そんなの……」
わかってる、言われなくても……。
「そんなのね逃げてるだけ、失敗したら逃げるって、そんなのいい加減な考えの貴女にかーくんを任せられない」
「いい加減なつもりなんて」
「あげないよ、貴女にかーくんはあげない」
「翔君は物じゃない!」
イライラしていた、それが彼女の作戦だとわかっていても。
相手をイラつかせて本心を探る、よくあるやり方。
でもそんなの無意味だ、私はずっと本心をさらけ出している。
そろそろ限界、同じ事の繰り返し。
交渉は決裂した。
私は立ち上がると彼女を睨み付け、そして部屋を出ていく。
やはり不毛な争いだった。
「また逃げるの?!」
「……逃げてるのは貴女でしょ?」
扉を閉める寸前彼女はそう言って私を引き止めようとした。
でもこれ以上話す事なんてない。私は振り返らずに彼女にそう言うと、静かに扉を閉めた。
そしてそのまま飛び出る様に彼女の家を後にする。
もう深夜……辺りはシンと静まり帰っていた。
暗い夜道を一人歩く……不安と戦いながら。
先の見えない不安、この夜道の様に……。
ルートはわかっている、でもそのルートから何が出るか……それはわからない。
出来れば協力して欲しかった。これから半年以上彼は大変な事になる。
手術にリハビリ、そして学校に勉強。
私一人で全てを賄うのはかなり大変だ。
「まあ、でも見捨てる事はないでしょ……」
少なくとも天ちゃんは、家族は彼の意志を尊重するだろう、
彼の意志次第……。
とはいえ、それが一番の問題なんだけど……。
「……影響されやすいからなあ……」
会長の言葉にホイホイと乗ってしまう意志の弱さを鑑みると、憧れの夏樹さんに何か言われたら……また揺らいでしまうかも。
そんな不安を抱きながら夜道をゆっくりと歩いていると、前から人影が。
ひょこひょこと特徴的な歩き方、そのいつも見ている歩き方で直ぐに誰だかわかった。
「え? 翔君?!」
暗闇から現れたのはやはり彼だった。
「え? 円?」
「ど、どうしたのこんな時間に?」
「こっちの台詞だよ、何してるんだ? 危ないじゃないか」
少しきつい口調の彼。
「ご、ごめん……ちょっと、ね……翔君は?」
「俺はリハビリだよ」
「こんな時間に?」
「今日のノルマやってなかったからね、やらないと気持ち悪くてさ」
「そうなんだ」
「送ってくよ」
「で、でも……帰る所なんでしょ?」
「いや、そこの公園でまだやるつもりだけど」
「じゃあそれに付き合うよ」
「……うん」
深夜の誰もいない公園に彼と二人きりで入る。
彼は片足で器用にジャンプしたり、逆立ちで腕立て伏せをしたりと、全身から汗を吹き出させ練習を始める。
その真剣な表情に圧倒される。
元に戻る事は無いってわかっている筈なのに……なぜここまで身体を鍛えているのだろうか?
こんなに頑張っているのは私が希望を見せてしまったからなのか?
夏樹さんの言葉……パンドラの箱、最後の希望という言葉が頭を過る。
「あ、あのさ、こんな頑張ってるのはやっぱり陸上に復帰したいから?」
「はあ、はあ、え? ああ、どうだろ」
「え? 違うの?」
「ああ、うんまあ、半分癖みたいなもんかな?」
「癖って」
「運動は毎日やっていたから……」
「そ、それは健康の為?」
私がそう言うと彼は逆立ちから背中を反らせ片足でブリッジする。
そして右足を伸ばした状態で地面に座ると、私をじっと睨み付ける。
「夏樹か?」
「え?」
「夏樹に何か言われた?」
「……」
「そか、こないだから天が色々言ってくるからさ」
「色々って?」
「まあ、これの件しか無いよね」
彼は自分の膝を擦りながらそう言う。
少し大きめのトレーニングウェア、それでもギリギリ入ったであろう大きく膨らんだ膝。
その膝には、リハビリの為にがっちりとサポーターを着けている。
「……うん、止めさせろって」
「そか」
「うん」
彼は上着を脱ぎTシャツ姿で立ち上がると、片足でジャンプを始める。
着地と同時の全身から湯気の様なものが立ち上る。
激しいトレーニング、これを毎日続けているって事?
「あ、あのね……わ、私に言われたから……手術を受けるの?」
私は今まで聞けなかった事を彼に聞いた。
怖かったから、肯定されるのが……もしそうなら私の責任がより大きくなる。
そして夏樹さんの言った通り、もし駄目だったら……その時私の背負うものは……。
そしてそう思った時私は気が付いた。
夏樹さんは彼の事だけじゃない、私の事も考えてそう言ってたって事に。
バカだ、私は本当にバカだ。
……でも、それでも聞かなくては。
彼の翔君の本心を……。
「……」
私が彼にそう聞くと……翔君は動くのを止め私をじっと見る。
そして少し怒った様な表情で私に向かって言った。
「──あんまり舐めるなよ」
「……」
「……なーーんて格好いい台詞を言える様な事をして来なかったからね……でも、俺だってちゃんと考えてる。円の言いなりになってるわけじゃない、勿論夏樹も妹も然りだよ。ちゃんと俺なりに色々考えてる」
「……うん」
真剣な表情から一転、彼はそう言って笑った。
こんな時に思うのは不謹慎なのかも知れないけど……その笑顔がとても可愛くて、私は思わず彼を抱き締めたくなってしまう。
そう、その表情は私がいつも部屋で見ていた彼、昔の彼そのものだった。
翔君はまたトレーニングを続ける。
そしてその姿もまた紛れもない小学生の時の彼と同じだった。
彼のその姿をが見て、さっきの笑顔を見て、私の心臓はドキドキと高鳴っていた。
そう……そうなんだ私は彼が……好きなんだ。
小学生の翔君もそして今の彼も……。
ううん、多分初めて会った時からずっとずっと……彼の事が好きだったんだ。
私はそれに、気付いてしまった……。
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