第118話 心地よい空気


 青い海に真っ赤な太陽が沈んでいく。

 海と空の青と碧と葵、太陽の赤と朱と茜が混ざり絶景が生まれる、

 

 円と二人で砂浜に座りその絶景を眺めていた。


 日が傾き段々と暑さが和らぐ。心地よい海風が顔にあたる。

 

 僕はふと絶景から目を移し隣に座る円を見た。


 円はアルカイックスマイルで沈んでいく太陽を黙って見つめている。

 

 円から伝わる柔らかい空気、思えば再会してから、いや、初めて会った時から円からは常に張り詰めた空気が伝わって来ていた。


 だから、こんなにリラックスしている円を僕は初めて見た。

 

 緊張感、警戒感、野性動物に似た物を円はいつも纏っていた。

 100mでスタートする時の様な緊張感が円から常に伝わっていた。

 だからなんだろうか? 僕が円から離れられないのは……。


「ん?」

 僕の視線に気が付いた円は笑顔で振り向く。


 いつもの笑顔、いや、いつもとは少し違う。

 一言で言えば……『素敵』って言葉がしっくり来る。


 勿論そんな歯の浮く様な照れ臭い言葉を円に言える筈もない。

 でも、今、僕と円の間にいつもとは違う空気が漂っている。


 円は僕の足の為に全てを捨ててここにいる。

 そしてそれは僕にとって円との壁になっている。


 円は……僕の足の責任を取る為に側にいる。


 つまりは、それだけなのだ……。


 僕に、僕自身に興味を抱いているわけではない。

 

 でも……この足の事が無ければ、円と僕は近寄る事さえ出来なかっただろう。

 一緒にこうして過ごす事なんて無かっただろう。


 そう思ったら、そう考えると……僕の心に痛みが走る。

 そしてその気持ちが、壁となって僕と円の間に立ちはだかる。

 僕と円の間には、常にそんな空気が存在している。


 いや……存在していた。


 でも……今、何故かそれを感じない。

 こうやって座っている僕達の間には、沖縄の生暖かい空気しか無かった。


 

「ああん、お姉さまぁ」


 いや……違うか……沖縄の生暖かい空気ではなく、少し離れた所で座っている……バカユリップルから伝わる生ぬるい空気だった。


 不肖の妹は、円の昔所属していたアイドルグループのリーダー、キサラさんに後ろからぬいぐるみの様に抱かれ僕達と同じ方向を見ていた。


 実の妹の恍惚とした顔を見るのには抵抗がある。

 かろうじて同性同士だからまだ良いのかも知れない。


 もしキサラさんが男だったら、こんな感じでは見れないだろう。


 円は笑顔で僕の方に振り向くと、直ぐに視線が僕の顔から後ろのバカユリップルに移動し、そのまましかめっ面に変わった。

 円の可愛い顔が歪む……それでも可愛いってどんだけだよ。


「──な、なんか……ごめん」


「う、ううん……こっちもごめん」

 円と僕の間にあるいつもとは違うなんとも言えない空気は、こいつらのせいなのだろうか?


 日が沈み辺りが薄暗くなると同時に後ろから声が掛かった。

 

「お食事の準備が出来ました」

 そう……忘れていた──この状況で一番空気になっていたメイドさんの事を……。

 年は20代前半、多分ハーフなのだろうか? 日本人離れした容姿、秋葉原等で見かけるコスプレの様な物とは違うしっかりとした生地で作られた本物のメイド服を完璧に着こなしている。


 彼女は一体誰なのか? いや、そもそもこの家は誰の家なのだろうか?


 沖縄で浮かれていたのか思えば何一つ聞いていなかった。だけど今さらなんて聞けば良いのかわから無かったので僕は現実逃避し、のそのそとその場から立ち上がる。

 すると僕の足の状況を知っているのか、当たり前の様にメイドさんに杖を渡された。

 「ありがとう」そう言って笑顔で杖を受けとると、メイドさんは真顔のまま一礼して屋敷の方に足早に去って行く。


 僕達も彼女を追い掛ける様にゆっくりと屋敷の庭先に戻った。


 庭先は海に来る時に見た光景から一転、高級レストランの様なセットが組まれていた。

 至れり尽くせりとは正にこの事だろう。


 プールの横には松明が宿り、バーベキューの準備が完璧に整っていた。


「美味しそう~~」

 既にテーブルには彩り豊かなオードブルが並んでいる。

 それを見て、いやキサラさんと会ってからずっと上機嫌な妹ははしゃぎながら席についた。

 ちなみに二人はずっと恋人の様に手を繋ぎっぱなしだ。


 でも、こんな嬉しそうな妹の姿は僕の怪我以来見た事が無かった。


 この足の怪我以来僕の面倒を常に見てくれていた。そんな妹には感謝しかない。 

 でも、妹はそれ以来変わってしまった。

 

 あの日以来妹から笑顔が殆んどみられなくなり、凄く怒りっぽくなっていた。


 受験も相まって常にピリピリした空気をこれ見よがしにいつも醸し出していた。

 だから……こんな楽しそうな妹を久しぶりに見れて、僕はとても嬉しかった。


「お姉さまぁ、ほらあ、美味しそう」

 

「はい、じゃあ、あーーん」


「あーーーーん」

 

 ──これさえ無ければ……だけど。


 四人がけのテーブル、でも二人と一緒のテーブルに着くと……百合の間に入るなと、どこからか文句が来そうなので僕と円は隣の席に二人で座った。


 着席と同時にメイドさんが飲み物を運んでくる。


 ジュースと冷たいお茶、妹達のテーブルにも同じジュースとお茶、そしてお酒らしき物が用意されている。

 

 つまりキサラさんは20歳以上って事か?

 美人だけどやや童顔なので近い年齢に感じていたが、結構上なのかも知れない。


 正面に座る円は冷たいお茶を一口飲むと笑顔で僕を見つめる。


 円は相変わらず楽しそうな表情でいる。

 その姿を見て僕も幸せな気持ちが湧いてくる。


 色々聞きたい事はある……が、今はこの幸せな時を満喫したい。

 円と、この心地よい時間を満喫したいって僕はそう思っていた。

 

 

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