第75話 二度と関わらないで


 降ったり止んだりの典型的梅雨空の中、例によって傘と杖と鞄を持ってヨタヨタと校舎から校門に向かって歩く。

 梅雨空、灰色の世界、でももうすぐ青と白の季節が、夏がやってくる。


 グラウンドでは、サッカー部も野球部も雨の中でドロドロになりながら練習をしていた。

 特に野球部はもうすぐ始まる長い夏に向け、かなり気合が入っている様だ。

 

 いつもなら、よろよろと歩く僕の姿に気付く橋元も、雨のせいかそれとも気合いの現れか、全くこっちを見ず黙々と投球練習をしていた。

 

 少し羨ましく思いつつも、よくやるなと他人事の様に思ってしまうのは、もう現役では無いって事を自覚している証拠なのだろうか?


 そして、クラスメイトの男子よりも灯ちゃんはしっかりやっているかな? と思う自分の軽薄さに、思わず苦笑する。


 そしてそこまで気にしていながら、僕は様子を、灯ちゃんを直接見に行こうとは思っていない。


 犬を助けたという噂が広まり僕の誤解が解け、いや、そもそもなんの誤解だったのか、今さらながらに思うけど、でも陸上部に、競技場に足を踏み入れる勇気は僕にはまだ無い。


 廊下ですれ違う中等部の陸上部員の顔、その目つきを見るに、いまだに僕を許していないとわかったから……。


 しかし、それとは裏腹に、クラスの雰囲気はかなりマイルドになっていた。

 

 教室移動の際に、「荷物持とうか?」等と何人からか声を掛けられる。

 ただ、慣れていないので「だだだだ、、ダイジョブ、フヘ」とキモい返事をしてしまい、少し引かれた事をいまだに反芻して落ち込んでいる。


「まあ、円と会長のおかげか……」

 何かお礼でもしなきゃなあ……なんて思いながら歩いていると、正面に少し日に焼けた赤っぽい茶髪の長い髪を赤いリボンで束ねたポニーテール姿の見るからにスポーツ少女が立っていた。


「……なんだか僕って、校門前でよくよく仁王立ちされるよなあ……それで君は?」


「中等部女子陸上部部長はじめつかさです」


「つかさ、部長さんね……それで?」

 ちなみに中等部も高等部も陸上部は男子と女子に一応わかれている。

 ただし、練習も合宿も、そして試合も全て男女一緒なのであくまでも男女のリーダーって言う事なだけで、陸上部は男女合同の部だと付け加えておく。

 

「ちょっとお時間宜しいですか?」


「うーーん、あまり遅いと、コロコロされそうになるんだよねえ……歩きながらでもいい?」


「……コロ? だ、大丈夫です」

 コロコロって意味がよくわからないだろうけど、まさか円に殺されるとは言えない。

 彼女は一瞬、は? って顔になったが、直ぐに気を引き締めたのか、真剣な面持ちに変わった。



「それで話って」

 まあ、なんとなく想像はつくけど、自分から言うのは違うと僕は彼女にそう尋ねた。


「灯の事です……なんで今さら基礎トレーニングなんですか? 灯は短距離のリーダーなんです! 灯が走らなくて、皆、戸惑ってます!」

 彼女は僕を睨みつけながら強い口調でそう言った。


「そか……しっかりやってるか」

 それを聞いて僕は安心すると共に、信用してくれているのかと嬉しく思った。


「な、何をにやけているんですか? こっちは真剣なんです!」


「まあ僕も真剣だし、灯ちゃんも真剣なんだよ」

 僕は彼女を見つめる。灯ちゃんとは違い中学生とは思えないくらい大人びている顔立ち、制服姿でもわかるくらいスレンダーな体型、恐らくは長距離、いや、足を見るに多分中距離選手なのだろう。


「随分と自信があるんですね」


「まあ、一応昔噛ってたからねえ」

 

「だったら! 今度の大会で灯はライバルに勝てるって言ってください!」


「──そんな事言えるわけ無いよ」

 そんな事言えるわけないと僕は首を横に振った。


「い、今自信があるって!」


「そんな低レベルな目標、灯ちゃんに失礼でしょ?」


「え?」


「たかがちょっと足の速い人をライバルだなんて、真剣に陸上をやっている人に対して失礼だよ」


「じゃ、じゃあ灯は勝てるって事ですか?!」


「あははは、そんなの当たり前だよ」


「当たり前って……去年全く歯が立たなかった灯が?」


「まあ、多分灯ちゃんはもうそのライバルには二度と負けないだろうね」

 僕がそう言うと彼女何を言ってるんだこいつって顔で僕を見た。


 でも僕は当たり前だって思っている。餅は餅屋だ、足の速いサッカー部員に、真剣に取り組んでいる陸上部員が負けるわけが無い。


「じゃ、じゃあもし灯がライバルに、去年の予選会1位の木本 葵に負けたら……二度と陸上部には、灯には近づかないって誓えますか?」


「あははははは、そんな事誓えるわけが無いよ」

 その提案に僕は思わず笑ってしまう。


「な!」


「そんな低レベルな事じゃ、誓う意味無いよ」

 当たり前の事で誓いを立てる程僕はバカじゃない。


「低レベルって」


「全国、灯ちゃんは今年全国に行くよ」


「そ、そんな去年のタイムじゃ全く標準記録に達していない」


「行くよ、絶対に」

 

「……もし、じゃあ、もし灯が全国に行けなかったら……二度と灯と、陸上部に近付かないって誓って貰えますか?!」

 つかさちゃんは、厳しい顔つきで僕を睨みつける……。

 まあ、元々陸上部に近付くつもりは無い、別に自信が無いわけじゃないけど、もしも灯ちゃんが全国のタイムを出せなくても、僕に失う物は無い。


 ただ最近円と一緒にいるせいか、僕の中のS心が擽られ、ついつい調子に乗って言ってみた。


「いいけど、じゃあ灯ちゃんが全国に行けたら、君はどうしてくれるの?」


「え!」


「僕は二度と近付かないって誓うよ、でももし行けたら君は何を誓ってくれるのかな?」

 ああ、なんでこんな事を言ってしまうんだろうか? 性格悪いな僕は。

 そういいつつも、勉強で円に強いられている反動か、思わずいたいけな中学生をからかう様に僕はそう言いながらほくそ笑む。


「そ! そうですね……それが等価交換だとするならば……私は……なんでもしますよ!」

 陸上部員は負けず嫌いの宝庫とばかりに、彼女はあっさりと僕のからかいに乗った。


「へーー今なんでもって言ったね」

 にやりと笑いながら彼女の言質を取る。


「……先輩なんかキモいですね」


「ひ! ひどい!」


「ええ、言いましたとも、もしも行けたらですけどね、約束しましたから! ふん!」

 彼女はそう言うとポニーテールの髪を僕にぶつける様に振り回し、横を通り抜け競技場に向かって歩いて行く。

 彼女の後ろ姿を見つめながら、一つ下とはいえ、いたいけな中学生相手に何してるんだと、僕は少しだけ自己嫌悪に陥る。


「しまったなあ……これが円や会長にバレたら怒られそうだなあ」

 なんて考えながら、まあ、約束はしたけど、別になにをさせるわけでもないしと、今度は自己弁護をしながら僕は円の家に向かって歩き出した。



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