第37話 僕は最低な理由で彼女を助けなかった。

 

 大粒の雨が降り続けている。

 バシャバシャと音を鳴らし、僕達に降り注ぐ。

 何もかも流れてしまえば良いのにと、僕は妹を見上げそう思っていた。


「勉強するって……こいつとって事だったの?」

 ずぶ濡れの髪が妹の顔に貼り付く。

 でもそんな事なんて全く気にする事なく、妹は僕を睨み付けそう聞いた。


「……うん」

 もう全てが終わった……言い訳する気にもならない。


「私に気を使う振りまでして……最低」


「ごめん……」


「ご飯もこいつと一緒に食べたくてあんな事を言ったの?」


「……うん」


「このマンション……こいつと一緒にここで?」


「……うん」


「わ、私が、私が彼をお兄さんを誘って」

 僕に寄り添っている円は僕を守る為に、僕の言葉を遮って妹にそう言った。


「うるさい! あんたには聞いてない!」


「……」

 妹の怒り鎮まらない、いや……鎮まるわけが無い。

 馬鹿だった、僕が馬鹿だった……最初から言っていれば、まだこんな酷い事にはならなかっただろう。


「ごめん……」


「うっさい、裏切り者……私が今まで、今もどれだけ……くっ、な、なんで、なんでなの? なんで、こいつは、こいつは、お兄ちゃんを、お兄ちゃんを駄目にしたんだよ! お兄ちゃんの足を、なんでなの? なんで、なんで……」

 妹はもう、自分の感情を思いをどうしていいのかわからない様な状態になっていた。

 でも僕は、兄なのに、お兄ちゃんなのに、そんな妹をただただ見つめる事しか出来なかった。

 そして、もう自分の感情をどうする事も出来ないと思ったのか、妹は子供の様に泣き始めた。


「う、うえ、うえええええええん、ふ、ふええ、うええええええええん、ばか、お兄ちゃんのばがああああああ、もう帰って来んな! そいつと、好きにすればいいんだ、もう私は知らない!」


 妹はその場で泣きわめいた、そして天を見上げ涙も拭わず傘もささずにそのまま踵を返すと、家の方に向かって歩いて行く。


 辺りは薄暗く誰も通らない。

 近くに落ちた雷が一瞬辺りを明るく照らし、そして轟音が続く。


 小学生の様に、わんわんと泣く妹を、僕はそのまま黙って見続けた。


 追いかけなければいけないのだろう、悪いのは全部僕なんだから。


 でも身体が動かない、いや、動けなかった。

 僕自身のショックもそうだが、白浜さんが僕を抱き起こそうとした状態で、僕の腕にしがみついていたから。

 そしてその手から、ぶるぶると震えが伝わって来る。


 そう、今一番傷付いているのは彼女だ。


 黙ったまま何度も何度も妹に叩かれ……言いたい放題言われ……。


 僕は動かない身体をなんとか動かし、そっと彼女の手を握った。


「ごめん……」

 彼女にそう謝る。助けてあげられなくてごめん、こんな目に合わせてごめんと……。 

 彼女は僕の声を聞いてハッとした後、フルフルと頭を振る。そして僕から離れゆっくりと立ち上がると、身体を引き摺る様に歩道の端に歩いて行く。


 そこには妹が投げ捨てた僕の杖が落ちていた。

 彼女はそれを拾うと、僕の元に歩み寄る。


「──妹……さんを追いかけて」

 彼女は真っ赤に晴れ上がった頬を気にする事なく笑ってそう言った。


「……いかない」


「でも……」


「……行きたくない、それに今は君が……円が」

 そう言うと彼女は僕に向かって手を伸ばす……僕はその手を握ってゆっくりと立ち上がる。


「……わかった……とりあえず部屋に戻ろ……風邪ひいちゃう」


「……う、うん……」

 僕達は、ずぶ濡れの状態でマンションの中に入った。


「だ、大丈夫ですか?」

 中に入ると受付のコンシェルジュに心配そうに声をかけられた。

 円は顔の腫れを隠す為にうつ向いたまま、なので僕が大丈夫と軽く手を上げ、そのままエレベーターに乗り込んだ。


 押し黙る彼女、寒いのか身体が震えている。

 そして赤く腫れている彼女の頬に僕の胸が痛む。


 僕は妹を、彼女を殴る妹を止められなかった……。


 そしてその理由が最低なのを僕は知っている。


 そしてその最低な理由は、妹の言葉で脆くも崩れた。


 もう……僕は……僕には……。


 僕の心は潰れてしまっていた……どうしようも無いくらいに……。



 部屋に入ると彼女は直ぐにエアコンのスイッチを入れた。


「とりあえず……お風呂入れるから、後タオル持ってくるから」


 彼女は自動給湯装置のボタンを押し、棚からタオル数枚を取り出し僕に手渡す。


「それより、冷やさないと……」

 僕は貰ったタオルを手にしたまま彼女の頬をそっと触れる。

 傷は無さそうだけど赤く腫れて熱も帯びていた。


「大丈夫」

 彼女は健気にそう言って、自分の頬を気にする事なく持っていたタオルで僕の頭をごしごしと拭き始める。


「大丈夫じゃない、僕なんてどうでも良いから、早く、円の顔に傷でも残ったら」


「良いよ……跡が残っても」


「で、でも」

 すると彼女は僕を見て不意に笑った。


「……ふふふ、私ね……貴方に……こうやって叩かれるかもって、怒鳴られるかもって、ずっとそう思ってたの……だから逆にホッとした……」 


「え?」


「ずっと貴方の事だけ考えてた、でも傷付いていたのは貴方だけじゃなかったんだよね……妹さんも、親御さんも……そして貴方の知り合い全員──貴方のファンの人、でも私は……何も言わない貴方に私は許されたって……そう思ってた、思い込んでいたの……ごめんなさい……」


「許すって……そもそも君は悪く無い」


「ううん、そうだよ、叩かれて当たり前なんだよね……妹さんの言ってる事は、全部正しいよ……」


「ち、違う! 悪いのは僕なんだ、全部……妹にバレたらこうなるってわかってて、僕は黙ってたんだ……そして、僕は……僕は最低なんだ……」


 そう僕は……最低なんだ……。

 僕は彼女を見れなかった……僕が妹を止められなかった理由、それがあまりにも自分勝手で、最低な理由だったから。



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