諸事情につき、匿名希望
水原麻以
諸事情につき、匿名希望
穏やかな風が鏡面を乱している。さざ波は湖面の平和を乱し水鳥をせわしなく追い立てる。新緑が芽吹き、赤や黄色の花が咲き誇るさまはそんな喧噪もすっかり忘れさせてくれる。のんびりとした眺望は大自然の包容力あり厳しさでもある。悠久に見えて自然は見えない世界でめまぐるしく変化している。例えばようやく羽化した蝶が爬虫類に食われ、それを小鳥が攫う、さらにそれを猛禽類が駆る。
そんな自然の恵みを一分間の長回しに収めたのだ。
しかしドラマの視聴者は演出の妙など一顧だにしなかった。
登場人物の動きや台詞のないシーンはさっさと早送りされてしまう。
監督である私は我慢がならない。それもこれもネット配信のせいだ。
銀幕に早送りボタンはないのである。無駄に見える風景や表情だけのシーンも計算ずくで演出している。
無駄など1コマもない。それなのにせっかちな視聴者は物語を早送りする。実にけしからん。
私は配信会社に怒鳴り込んだ。それでどうなるというわけではないが、アクションの一言で現場を動かして来た。世界は舞台であるとシェークスピアも言ったではないか。
受付で散々待たされあちこちの部署をたらい回しされ日が暮れる頃にテクニカルサポートとかいう担当者が渋い顔でやってきた。
「多様なニーズというものがございまして…」
長々しい言い訳を要約すると、ながら視聴も生活様式の内だと抜かす。丹精込めた作品をつまみ食いするなど言語道断である。すると担当者は「現実は厳しいです。話題作ですら二カ月後には多彩なラインナップに埋もれてしまう。見放題でザッピングして貰えないと見向きもされませんよ」という。
んな世界である。
私は椅子から転げ落ちた。そして担当者はいけしゃあしゃあというのだ。
「今は違います」
その刃は私に深く刺さった。
今は昔と違う。確かにそうだろう。私のあずかり知らぬ所で人間の文明が発達していた。これは映画以外にも言えることだが万物創造の短絡は神の視座であった。早送りボタンは、これを現代社会が再現しようと言う訳だ。
古来より人は太陽と寝食を共にしてきた。
しかし今の世界は違う。技術が先走り、その後に行き着くのが人と機械だ。時代はその後が続く。
人は機械に追われ、そこから生まれる欲望を機械が追う。この矛盾は人類の発展に生かされたのかも知れない。
いや、それだけは私の想像でしかない。
機械による人類の発展は幻想でしかない。
それでも、人間は機械に追われ、発展の津波から逃げ惑う人をまた、機械が追う。
この変化はいつまでも続く。だからだろう。
機械が進化するという変化は人間という形骸化した執着にすぎないのだ。
営業終了した本社ビルが上弦の月を仰いでいる。その満ち欠けを駐車場の防犯カメラが捉えている。4KHDフル動画で収める必要はない。おそらく数秒単位のコマ送りだ。それで十分に役立っている。なんだか有意義を奪われた気がした。
19.04.09.01. 5
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「はい、終了しました」
マルチウィンドウに座標値がまたたき、ワイヤーフレームが高速回転する。
「あ、はい、ありがとうございました。では続きをどうぞ」
監督がCGクリエーターを厳しく指導している。
「そういうんじゃないからな。いいか、これはゲームなんだぞ。キャラクタの心情や情動的な動きによって状況が変化する。感情豊かになったらまた次だ!」
キャメラがモーションキャプチャー装置に変わっても現場は同じだ。監督は映画魂を注いでいる。リテイクは通常の十倍に及びファイル容量がどんどん増えていく。
「なんでそうなるんですか!?」
クリエイターはとうとう悲鳴を上げた。
「これはなぁ……」
監督の目をまっすぐに見ると
「いいか!!どうせゲームだから、という妥協は捨てるんだ」
こだわりに付き合っていたらスタジオは赤字になる。
「わかりました、あの話を聞いていただけますね」
クリエイターが懇願した。もっと作り込みたいのならギャラをあげろというのだ。そこから先は監督と営業の担当である。
「それじゃあ行ってくる!」
そういうと監督は部屋を出た。私はその背中を追いかけて部屋の扉を抜けた。
「ちょっと。監督、どういうことか説明してください」
「ん?あぁー、映画だからな」
「いや、よくわかりませんが、映画ってなんですか?」
「ああー、すまん。つまり俺たちは本物の映画を観てもらうんだ」
「どういうことですか?」
「映画として撮る理由はいくつかある。その話を聞いてもらえるか?」
「そうですね」
「まず俺が言いたいのはなぁ……、まぁ、いい。百聞は一見に如かずだ」
どんな知識を披露してくれるか興味津々でついていくといつもの会議室だ。監督愛用の映写機とスクリーンが揺れている。
「はい?、これが何ですか?」
「いやぁ、さっき言っていた『映画を観る時に』ってのが、映画という存在を観る目的だよ」
「映画を観る目的?」
「そうだ。その映画を観るために俺は必要な時だけ動く。そして映画が終われば俺は消える。俺の姿は人でいう消えるポジションの者からは見えないだろ、だから観客は映画を観る為だけに動く」
「え?……」
ちょっと言っている意味が解らない。それに監督の顔色が変だ。
「映画を観る時とはすなわち、俺達を消す為に動いてくれている存在を消すために動くということだ。消された際の残された観客にも『俺が消える理由』『俺が生き返る理由』を見せ付ける」
そういうと監督はジュラルミンケースを開いた。そこには35ミリフィルムとは別の何かが入っていた。
その日の午後は天気予報が大きくばずれた。雲一つない空か土砂降りになった。そして落雷した。ビリビリと社屋が激しく揺れ、会議室の窓がオレンジ、紫、緑、蛍光ピンクと目まぐるしく変化した。
「こ…これは?」
私は雷に打たれたのだ。一つの叡智を授かった。映画とは何かを体現するナニカを得た。
翌日、例のジュラルミンケースを引っ提げて出社した。制作スタジオのクリエーターを集めて監督直伝の映画術を披露する。
そういう訳で私と、観客の誰かに分かるようにしっかりと確認しながら動くための準備が整った。
「さて、準備はできたな」
「もちろんだよ!」
私は、大きく両手を突き出して甲に手を添え、青い光を纏わせる。
そしてその光を大きく振りかぶって、観客席の上に飛び乗った。
「それじゃあ始めるか。お前は観客を消して、映画館全体も巻き込んで消してやってくれ」
「分かりました!」
クリエーターたちが元気に応える。
私は観客の間を巧みに縫い、客席を飛び越え、観客の位置を確認してから着地。そして、手の甲に青い光を集中させ、自分の視界が青い人型になると同時に、青い光の球体が私達の前で浮き上がった。
「よし、この状況なら上手いこと行けそうだな」
私が言うと、観客が私の意図に気づき皆一様に同じように手を出して、それを受け取った。
すると、一つの蒼い影が観客席から離れ、私達の前に立った。
そして、何を思ったのか観客席を飛び越え、私達の前に降りて来ると、
「お前達……本当に面白い奴らだなぁ、見せてやろうじゃないか」
そう言いながら手を広げ、そしてその手の中に青い球体をぶら下げた。
「か、監督?!」
「そうだ。これは、この球体は俺が作り出し、お前達が観ている観客の為に用意したものだ。俺にはこの球体自体が何なのか、何に当たるのかも分からんのだが、それはこの観客だけではない、観客席、その周りの人だって同じだからな。お前らはただ面白がって見ているだけだ……。何ならもう一度作り直してみるか。もしくはまた俺が消える前に観たい者が見れてくれるかもしれん。だが、それは無駄だ」
「お前……」
私は監督…だったモノにたじろぐ。
そう、私が観客席を飛び越えて観客のところへ行って、球体をこの世に存在させるとき、非現実が日常の主権を奪う。
それはもはや神への冒涜だ。虚構と現実は隔離されてしかるべきだ。もし互いの領域が侵されるとしたら、虚実の混合、すなわち狂気が生まれる。
多少の逸脱はまだ現実の許容範囲だ。
ライブアクション、着ぐるみショー、VFX、ワイヤーアクション。現実は虚構をうまくあしらっている。
私があの日、監督に見せられたものは、何というか陳腐に言えばロストテクノロジーの塩漬けだ。監督が地球温暖化ドキュメンタリーのロケでイルクーツクに逗留した際に凍土の下から発掘した。
生身の人間にさっき見せたようなエフェクトを追加してくれる。目的も開発意図もわからない。ただ現場のクリエイターが尋常ならざるスキルを体感すれば大きな刺激を得るだろう。そして臨場感とは何か、体験とは何か、温故知新を得るだろうという型破りな計らいだ。
確かに第四の壁をぶち破るブレイクスルーにはなる。ちなみにこれは演劇用語で四方に囲まれた舞台の事を言う。
ただ、完全な密室では観劇できないので客席側に壁はない。
しかし舞台上の人物はこの透明な壁を越えることはできないので取り壊し可能な舞台装置と違って特別視されている。
第四の壁を越えずにそれを超越した何かを届けることができるかどうか。
大きな課題だ。
その第四の壁を取り払う新兵器を発掘した、と監督は喜んでいた。
制作者の頭を悩ませるコマ送り問題。これをインタラクティブ性を極限に高めることで抑止できるんじゃないかと主張していた。
だからと言って、観客の内心にまで踏み込むことはないでしょう。
それを言われなければ分からない。
この青い光は危険だ。使い過ぎると受け手の感動を、心を砕いてしまう。
「……どうした? 何を迷ってる?」
「迷ってなんかないです! さっき……!」
私は監督を外に誘導すべく時間稼ぎした。
「やっぱりそうだったか……」
監督は残念そうにかぶりをふると拳を固めた。
「私はひたすら信念を貫きます」
一足先にジャンプし客席に立ちはだかる。
「やはり、俺は観客を、映画を、映像を、芸術を、この世界を作り直さねばならん」
拳がC列のシートを薙ぎ払う。客は逃げまどうどころか次々と消えていく。
「くっ! 嵌めるとは、さすが監督だ」
罠であろうとはうすうす感づいていた。それでも敢えて飛び込んだ理由は「荒ぶる監督に終止符を打ちたかった」からだ。
私は電光石火のごとく客席を逃げ回り監督の消耗を招いた。
だが奴はびくともしない。
そして、こうのたまった。
「いよいよ本編だ」
するすると銀幕があがり、その向こうが垣間見えた。
山積みのジュラルミンケース。そこからゴボゴボと煮汁が吹きこぼれた。
一斉に蓋が開き、どろりとした不定形生物があらわれる。
「こ、これは?」
立ちすくむ私に監督が告げた。
「人類は予告編だったんだよ。自らメディアに加速を促したその進化の終着点が彼らだ。時間の波を飛び越えて私を監督に抜擢した」
「なるほど、私がかませ犬ってわけですか」
私は呼吸を整えた。エンドロールに監督の名は載せない。
私の名は…
諸事情につき、匿名希望 水原麻以 @maimizuhara
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