過去編 畠山政人・Serious man

72話 「嫌われ政人の半生」

 高校一年の時、俺は文芸部だった。ちょっと話を考えるのが人より得意なだけだった。


 最も、多くの人間が創作物を読んでそれと似た話を考える『模倣』行為が、少し長引いただけなのだが。


 ある時、同じクラスの演劇部の奴に言われた。「大会用の脚本を書いてくれない?」と。

 どうやら、季節ごとに出している文芸誌を読んでくれていたらしく、俺の作品を舞台にしてみたいらしい。


 あんな、学校の隅っこに置かれている文芸誌を気にかけてくれていたのが嬉しかったし、何より人に頼られる経験が無かったから俺は二つ返事で引き受けた。


 確か話の内容は、一日一回良いことをしないと死んでしまう呪いを掛けられた女子高生の話だったと思う。


 タイトルは……そう、『善行集会』。次第に同じ境遇の人間を見つけ、自分たちに掛けられた呪いの意味を考える話だ。


 割と自信もあって、文芸誌どころか、出版社に投稿しようかと思っていたほどだ。


 演劇部の稽古にも積極的に関わり、演出もほとんど俺がやった。間違いなくブロック大会とやらに行ける。部内には活気が満ちていた。


 だが、結果は優良賞。所謂、四位以下だ。ビリと何も変わらない。結果発表の前にある講評の時間で言われた、「リアリティが無いよね」という言葉が心の奥深くに食い込んだ。それは、心臓病の発作で胸を抑えるように、俺に癒えないトラウマを付けたのだった。


 ――最優秀賞は、顧問が台本集にも載ったことのある学校の名前だった。それについて不満は無い。ただ、経験の差を見せつけられた気がした。


 年が明け、春。いつの間にか文芸部は辞めていて、俺は演劇部に居た。脚本家兼演出家という枠らしい。俺はそこで、創作者となった。


 俺はこの時、産みの苦しみをまだ知らなかったのだ。なぜなら文芸部には、作品の内容を推敲してくれる編集者や、「リアリティが無い」と批評する審査員は、どこにも居なかったのだから。


 夏。そろそろ県大会に向けた作品を書き始めなければいけない。勉強もそこそこに、書き始める事にした。


 目標は勿論、「リアリティを追及する」事だ。


 作品を書く、ボツ。書く、ダメだ。書く、テーマが無い。書く、論外。書く、三文芝居だ。書く、リアリティが無い。書く、ダメだ。書く、ゴミだ。なんで、なんで、なんで、なんで書けない――。


 リアリティがどうしても出てこない。どんなテーマでも、題材でも、文字として書き出されたモノは空虚な猿芝居のようであった。


 スポーツもの。青春もの。部活もの。病気もの。高校生が主役の作品を書いてみても、まるでダメだった。


 丸められた原稿用紙の枚数がゆうに百は超えた所で、俺は一つの結論に至る。


 ……そうか。俺は今の今まで、狭い文芸部内に閉じこもって、自己満足で駄文を書いていただけだ。およそ人生経験と言えるものなんて、俺の中には何一つ無いじゃないか。


 数多の原稿用紙を紙屑に変えて、俺が導き出した結論はそれだった。リアリティどころか、リアルですら無かったのだ。書けないのは当然だ。現実での経験がまるで無いのだから。


 どれだけの時間が、自分を受け入れる為に使われたのか分からない。


 俺は、その後どうしたのだろうか。ひたすらにリアリティを追い求め、誰にも文句を言わせないようにした台本が、気づけば目の前にあった。自分は、もうこれ以上の作品は一生書けない。そう断言出来る程のものだった。


 ……ただ、創作者が一生かけて出し尽くすような力というか、魂の力というか、そういう物を全部この一回で使い切ってしまった。――そんな気がした。


 二学期。キャスティングも決まり、稽古にも熱が入り始める。俺の仕事はまだまだ終わらない。脚本家が終われば次は演出家だ。書いた本人が、一番作品のことをわかっているのだから、当然である。


 部員も、俺も、地獄のような稽古時間だった。前回の雪辱を晴らすため、特に、俺と同学年の奴らは死にものぐるいで打ち込んでいたと思う。悔しい。このままで終わりたくない。


 今では珍しい事だが、俺達の時の学校は、ブラックそのものだった。遅い時間まで生徒が残って部活するなど、当たり前だったのだ。学校の中に、咎める者は居ない。偉いとすらされていた。


 必死に、貪欲に、妥協を許さず、俺達はリアリティを追及していった。


 死にものぐるいの創作と稽古の結果、俺が何を得たのか。それは、演劇部の活動停止命令であった。理由は単純。オーバーワークで身体を壊した奴が居たのだ。


 朝、学校を出る直前に震え出し、そのまま意識を失ったと言う。過度の疲労と精神的苦痛が、学校へ行くことを辞めさせたのだ。脳が、気絶させるしか肉体を止める方法が無かったのだ。


 そいつは一年前、俺に台本を書いて欲しいと言ってきた奴で、今回の作品の主役でもあった。


 現実は非情。その言葉でぶん殴られた気分だった。魂が身体から抜け出てしまったようだ。俺はベッドに横たわるそいつの顔を見ても、本番をどう迎えるか考えていたのだ。


 精神病院に行くべきなのは、多分俺の方だ。だってそうじゃなければ、俺はなぜこんな事を考えている?


 俺はその時悟った。リアリティに拘り過ぎて、リアルが全く見えていなかったのだ。


 その後は……よく覚えていない。逃げ出して、一切演劇部と関わり無く学校生活を終わらせた。演劇部の連中も、二度と俺に依頼して来なかった。部活を一つ潰したのだ。腫れ物扱いは妥当だろう。


 大学、大学院と時は経ち、俺は教師として緑葉へ戻ることになった。


 逃げたクセに。なんで俺は教師になって、母校に戻ってきたのだろう。配属されて、まずその意義を考えた。罪滅ぼし? 違う。指導するため? 違う。全然違う。


 もう、部活による犠牲者と加害者を出さないためだ。最近では、長時間の部活動に対する風当たりが強いこともあって、早く帰らせる風潮が出来上がっている。


 ならば、これを使わない手は無い。どれだけ恨まれようと、俺は俺の役目を全うするだけだ。なあミネ、許されるとは到底思ってないけど、これが俺のできる精一杯だ。


 数年が経った頃、俺の元へ個人面談を申し込んだ奴が居た。名前は足利貴文。演劇部と聞いて、少し胸の奥が傷んだが、構わず話を聞くことにした。


 死ぬほど避けていた演劇部顧問に就けと言ってきたのだ。どうやら、過去に文芸誌や台本を書いていたことを嗅ぎつけたらしい。バカバカしい話だ。すっかり冷めきった、空の俺の才能を褒め称える足利を、どこか俯瞰して見ている自分がいた。


 最大限の譲歩で、名前だけ貸すと告げると、足利は笑顔で握手を求めてきた。もしかしたら、俺に必要だったのは、こういった仲間だったのかもしれない。失笑が漏れたが、中身は空虚だった。


 そして――――。


 *


 長い長い畠山の独白。何かに挫折してるのではと思っていたし、演劇についてそこそこ詳しかったから経験者だとは認識していた。


 語られた内容は、高校一年生が聞き、受け止めるには重たい過去。自分で自分が許せない男の、罪と償いの記憶。僕には、聞くだけで精一杯だ。


 僕から助けてやる必要は無い。ガキが何かわかった様な事を言ったところで、こいつの心には響かない。なぜなら、僕は生徒で畠山は教師であるからだ。だとすれば、こいつの心に響かせることができるのは。


 ――――当事者と当事者だけだろう。


 生徒と教師の僕じゃなく、アイツの認識で言うところの被害者と加害者だけだ。王城を復帰させることができたのは、僕が当事者だったからだ。


 僕は島に来た時のことを思い出していた。あの時、会話したことをレコーダーのように再生する。


『え、じゃああなたも高校演劇やってたんですか?』


『そうなのよ! 本番直前でやらかしちゃったけどね』


 その人は言っていた。自分が本番直前に身体を壊したと。そのせいで大会に出られなかったと。


『本番直前でやらかした、とは?』


『絶対勝ちたいって思ってて、めちゃくちゃ練習したんだけどさ、オーバーワークが祟ってぶっ倒れちゃったの。入院よ入院』


 この話に、僕は賭けた。思い出したすぐ後に僕は二人に接触して、あの人に協力を要請したんだ。如月さんはあまり納得いって無かったが、雪尚センパイも頼んでくれて、ようやく実現した。


「……何ニヤついてんだよ楠。面白い話じゃねぇだろ」


 僕がどれだけ大変だったと思ってる。稽古の合間を縫って、会いに行って(如月さん同伴で)。足利先輩には言えないから何とか誤魔化して。


 僕は畠山に無言で後ろを指さした。もう言葉は要らない。後は二人が、この記憶に終止符を打ってくれるだろう。


「後ろ? ったく、ドッキリじゃねぇだ――」


 そこには、現在は如月秋の婚約者であり。


「まさか……ミネ、なのか?」


 昔は畠山政人の同期で演劇部出身の。


「……久しぶり、畠山くん」


 ――白峰絵里子その人が、浜辺に立っていたのである。

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