56話 「演出家・孔井明奈」
「……ひろ。千尋!」
「ハッ!?」
足利先輩に揺すられ、僕は正気に戻った。どうやら、夢ごこちだったようだ。って、そんなことはどうでもいい!
「先輩! 全国どうなりました!?」
「あ? マジで起きてなかったのか……」
「それは俺から説明してやるぞ〜」
にゅっと出てきた畠山。なぜ、一体こいつがここで出てくるのか。
「いや、別に足利先輩が良いんですが」
「コイツはこれから忙しい。仕方なく、だ」
そう言って、足利先輩に何やら指示を出して先輩は去っていった。なぜ急に先生は関わってくるんだ!? 怒られるような事をしていないとは思うが。
身に覚えのない呼び出しに戦きながら、隣に座った畠山を見る。そういえば、先生とはいえしっかり話したことは無かった。これもいい機会だと思い、話してみることにするか。
「先生は一体何の用で?」
「まず結果だが、最優秀賞が紫電、次が桜花だ」
僕の質問は華麗にスルーされたが、聞き逃せない言葉に思わず反射してしまう。
「七星は!?」
「……紫電の優勝に驚かないんだな。まぁいいが。……七星は大敗北だ。優良賞、つまり四位以下だ」
つまり、言い返せば、ビリと同じ……。三連覇が絶たれたって事だ。僕個人の意見としては上の世代と比べられるんだろうな、とか卑屈な考えが産まれてしまう。
「なぁ、楠」
「なんですか」
急な問いかけに戸惑ったが、何とか答えることはできた。
「紫電の舞台はどうだったよ」
「……すごく、良かったです」
思ったままを伝える。あれは、確かに凄かった。もう誰も居なくなったこのステージで、まだ鮮明にその内容を思い出せる。
「具体的には?」
「一度も、『死』という言葉が出てきていないのに、その存在を認識させるところが良いと思いました」
「良いタイトルの定義ってわかるか?」
僕の言葉に満足したのか、畠山は次の質問に移った。いいタイトル? その定義は僕にはわからない。……つーか、この人こんなに演劇に詳しかったの?
「舞台を見終わった後、フライヤーを見て『あぁ、そうか』と思えたら良いタイトルだ」
一度、手元のチラシを見返してみる。底にあるライターの絵は、確かに封がされていて、ライターオイルも空っぽだった。
僕は、それを見て納得してしまった。『ライター』は、男の追憶を見る物語であったのだ。観客を一切意識しない話ではあったものの、その完成度は高いと言わざるを得ない。
「何よりも最初と最後のシーンが同じだった事だ。これによってより男が死んでいることと、最後のシーンに対する解釈が、観客に委ねられる」
その意味が表すことは、つまり……。
「今まで観客を無視してきた舞台が、最後の最後にこちらに寄り添ってくれるんだ。これは、最初と最後のシーンに全てが集約するように設計されている」
改めて、その凄さを刻み込まれた。あれは、しっかりと作られ、練り込まれたものであったのだ。自分の感性は間違ってなかった。何よりもその事が嬉しかった。
「お前はこれに勝てると思ってるのか?」
微かに、だが確かに畠山は聞いてきた。
……こいつの感情を初めて見た気がする。さっきから降りたままの緞帳を見ているが、その眼には何か思うところがあるのかもしれない。僕の返答は決まってる。
「当たり前ですよ。最終的に僕らは勝ちます」
畠山はそうか、と一言。一度呼吸し、僕に向き直った。
「孔井明奈とやらはまだ会場に居るみたいだ。少し話してみるのはどうだ?」
僕は弾かれた様に走り出した。自分の意思で、ここまで能動的だったのは久しぶりだ。だが、悪い気はしない。自発的な行動だからなのかもしれない。
走る途中に、泣き崩れている女子生徒の姿を見た。多分、負けた学校のどこかだろう。横目で見つつも、僕は目的地へと急いだ。
「全く『覇王』の座に興味はありませんが、先代を玉座から引き落とせるならまた一興。喜んで襲名致しましょう」
会場の出口付近辺りで、目的のヤツは居た。
孔井明奈は、インタビューでそんな事を答えていた。車椅子に乗っているが、口元を扇で隠し、優雅に微笑んでいる。
インタビューが一段落するのを待ってから、僕は話しかける。優雅な雰囲気に呑まれないように、呼吸を落ち着かせなければならないからだ。
「……さっきの舞台、凄かった」
「? ありがとうございます。……貴方は?」
当然の反応だ。僕は謝りつつ、自己紹介をする。
「僕は緑葉一年の楠千尋。……そっちは?」
多分二年生だろうなと思った。いや、あれだけの作品なら三年生というのも有り得る。
「私ですか? まだ一年ですよ。中等部の時から高等部に口を出していたので、一年から全国に出られているのです」
一年!? 僕と同じ……なのか? 僕との間にはそこまでの差があるのか。想定外のダメージを受けたが、何とか持ちこたえる。孔井明奈が喋り出したからだ。
「楠……? 聞いたことがありませんね。……清修!」
はっ、と短く反応した男が孔井の後ろから一歩前へ出てきた。僕の顔をジロジロと見てきて不快だ。払い除けようとしたが、直前で身体を戻され、僕の手は空を切る。
「お待たせしました、明奈様。緑葉高校の一年、楠千尋です。四月頃、女装で舞台に立っていた動画が話題になっていました」
「あぁ……あの」
女装という言葉を聞いて一気に孔井が軽蔑した顔を向けてくる。……クソ! ここでも女装が尾を引いてやがる!
「しかし、緑葉とはあまり聞きませんね。……政宗!」
今度は車椅子を引いていた男が横に出てきた。少し思案した後、口を開く。
「二年前、九州大会に出ていました。結果は三位。それ以降は鳴かず飛ばずです」
口元を扇で隠していた孔井が、なるほどと頷く。多分、僕はこれで対応や接し方を決められた気がする。幾度となく見てきた、値踏みするような不愉快極まりない眼だ。
「ありがとう政宗。……さて、楠さん。劇のお礼は結構ですよ。お気持ちだけで十分です」
「弱小校の新参者の言葉に価値は無ぇってことか」
自分でも驚く程に、初対面の人間に乱暴になっていた。だが、脳は止めることを放棄している。
「……そこまではっきり言葉にするつもりはありませんが、似たような意味合いと捉えていただいて構いません」
「理由を一応聞いてもいいか?」
「創作者には、受け止めるべき賛辞と批評があります。貴方はファンレターにいちいち返信しますか?」
OK、ありがとう。これで、存分にお前を嫌うことができる。
コイツは、僕が一番嫌いなタイプの人間だ。優れた才能を持つ人間が、皆謙虚であれというつもりは無い。だが、こいつのそれは許容できない。
創作者は、ファンレターにはいちいち返信しない。それは事実だ。だが、受け取らないなんて事は有り得ないのだ。
ファンを、見てくれた観客を大事にする。それが創作者のあるべき姿だ。足利先輩たちを見てると、僕は強くそう思う。
つまり、こいつはただ思い上がっているだけなのだ。だが、優勝した事で実績を持ってしまった。そして僕は、まだ何も持たない無名の新人。何も言う権利は無い。
僕からこいつに言えることは、一つ。一度呼吸して、言うべきことを頭の中で反芻する。こんなところで噛みたくない。
「僕は、必ずお前を引きずり下ろしてやる。それまで、短い天下を楽しんでろよ」
孔井は何も言わない。いや、歯牙にもかかっていないと見るべきだ。ならば、こいつが気になるような事を、今言うだけだ。
「アンタらの『ライター』、マジで凄かったよ。それは事実だ。……だが、僕は気づいちまった。『ライター』の違和感に」
孔井が明らかに反応を見せる。かかった!
「だから僕達が、無名の緑葉高校がお前たち優勝校に、『正しいライター』を見せてやるよ」
僕は、自分らしくない大きなハッタリを演じていた。見た限り、矛盾なんかどこにも無いし、マジでめちゃくちゃにいい舞台だった。
――――自分のために作られたのかと錯覚するぐらいには。
だが、こんな出任せでも言わないと、孔井は僕という存在を認識しない。こうするしか、無かったのだ。
悔しかった。いい舞台を見せて貰えた純粋な感謝が拒絶されたことが。僕が大事に思っている緑葉を見下し、バカにされたことが。
だから、僕はお前に挑む。どうしても、この女に僕という存在を覚えさせたかったのだ。
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